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「なんかここを境に温度差があるんだけど、気のせいか?」
「気のせいではありませんよ」
デキマは淡々と主人の言葉を肯定した。
すると万が一の無礼を恐れたウェンズデイの従者であるサドニーズがリリィの耳元に近寄り、波路たちの素性を確かめ出した。
「リリィさん、あの方は? アヤコ様の従者になる予定と言っていますが…」
「それが、私もよく事情は分からないんですよね。アヤコ様は日本からはるばるやってきたストーカーだと言ってましたけど」
「まあ! 気持ち悪い」
アーネが朗らかな笑みと共に容赦のない一言を飛ばした。
高慢の寮生であれば、波路は腫物になっていることは重々承知している。だから他の寮の生徒である皆の反応は尤もなものだ。
しかしリリィもリリィで疑問は抱いていた。だからほぼ確実に何かしらの情報はあるであろうモルタとノーナに真相を聞いた。
「それよりも…そのストーカーの従者という方はお知合いですよね? ここまで顔がそっくりでまさか無関係ではないでしょう」
「…ええ。恥ずかしながら私の弟です」
「私の兄でもありますが…」
「ああ、通りで…って、え? 男の子ですか?」
リリィは失礼を承知でデキマの事を上から下までまじまじと見た。しかしどこをどう見ても男とは思えなかった。
そんな反応は慣れ切っていたデキマは、まるで意に介さず丁寧な挨拶をする。
「はい。そこのモルタとノーナと同じ三つ子で、デキマと申します」
「三つ子……あ、ええと、アヤコ様の従者でリリィです…」
「存じています。同じ寮ですし」
「そう、ですよね」
こりゃ後で報告しとかないとな、とリリィは思わず降ってわいた最重要任務を心に留めた。そしてすぐにカツトシ・ナミチという男に関わると、アヤコの機嫌を損ねかねないと他の従者たちに釘を刺した。
アーネ、サドニーズの二人は顔に冷や汗を伝わせてリリィの言葉を受け止めた。
しかし、モルタとノーナの二人はそんな言葉だけでは止まれない。何といっても肉親が危ない橋を渡っているのだから。
二人は波路に礼を尽くした挨拶をすると、それぞれがデキマの手を取ってぐいっと引き寄せた。デキマも慌てふためく姉妹の反応が楽しかったので、そこは素直に従う。そして勢いよく振り向いたノーナは真剣な眼差しで聞いてきた。
「で、どういうつもり?」
「何が?」
「仮にとは言えあんなのを主にするなんて、どういうつもりって聞いてるの」
「いやそれよりもデキマが主従の契約を結ぶって、何があったの? ひょっとして何か脅されてる?」
「私が誰と契約をしても勝手でしょう?」
「勝手じゃないわよ。私達は…」
代々高貴なるアンチェントパプル家に仕えてきた、と続けたかったのだろう。しかしノーナはデキマの放った怒気のこもった視線と言葉のせいで声を飲み込んでしまった。
「変わり者の俺に家の事情は関係ねえよ」
デキマはすぐにオーラを包み込んだが、その場の全員が兄弟同士で何かもめ事があったのだと感じ取ることはできた。緊張感の走った空気をほぐす為か否かは分からないが、デキマはニッコリと微笑んでモルタに言う。
「それに仮にとは言え私が仕えている方の悪態を公衆の面前で言うのは、我らブリストルグラス家の品位に関わるのではありませんか、ノーナ」
「う」
「でも私を心配してくれているのでしょう。それは素直に受け止めます。けど安心して。私の判断が正しかったと分かるから、近いうちにね」
そうしている内にトルグイー先生の号令と共にフィールドがすり鉢状に変化してSteal the Baconが始まった。すると自然に従者たちの関心が、それぞれ自らが仕えている主人の動向に注目した。
誰も彼もが自分の主の活躍を願っていたが、わざわざ声を上げて声援を送るような真似はしない…波路を除いて。
「うぉぉぉ! 亜夜子さぁぁぁんんんん! 頑張れぇ!!」
「品がないなぁ…」
「ちょっと。安心されてくれるんじゃないの?」
◇
それからしばらく経った後。
波路以外で初めて口を開いたものがいた。サドニーズだ。
彼は主であるウェンズデイの活躍は元より、やはりアヤコの圧倒的な魔法の素質に素直に感嘆して呟いた。すると緊張の糸が切れたように皆が喋り始めた。
「圧巻ですね。参加権を奪われて良かったかもしれません」
「ですねー。そもそも『七つの大罪』が徒党を組んでる時点で、勝負は決まった様なものですし」
「ええ。油断や調子に乗ることがなければ」
「それフラグですよ、お姉様。調子に乗らせたらトゥザンドナイル様の右に出る方はいないんですから」
「ご安心を。アヤコ様の前で調子に乗れるような方は中々いませんから」
「流石、コルドロン・アクトフォーの愛弟子」
サドニーズは手袋をはめた手で口元を上品に覆いながら、くつくつと笑った。
するとリリィはさっきまでバカ騒ぎをしていた波路がやけに静まり返り、深刻そうな顔をしている事に気が付いた。大方アヤコの本気の魔法を目の当たりにして、圧倒的な実力差に身の程を知らぬ感情を抱いていたと悔恨でもしているのだろうと思った。
そしてふと芽生えた自分らしくない思考に絆されて、滑るように波路に近づいて告げた。
「ナミチ君。老婆心で忠告しますけど、憧憬だって命があるうちにしか持てませんよ?」
「…」
「あれ? 聞こえてない? それともこんな美少女に話しかけられて緊張してます?」
波路は何も答えない。
話しかけたリリィと彼の従者たるデキマの二人は、少し様子がおかしい事に気が付いた。
波路が返事をしなかったのには理由がある。彼は神経を集中させ、地を這うように忍び寄る得体の知れない気配の正体を探っていたのだ。そしてソレの正体に気が付くのと、ソレが突如として飛び出してきたのとは同時の事だった。
地面から突き刺すように飛び出た数本の金の鎖は近くにいた者達を手当たり次第に絡めとっていく。唯一、気配を感じ取っていた波路は寸でのところで身体を捻って回避できたものの、石段の上にいた従者たちは全員が完全に意表をつかれて為す術なくとらえられてしまった。
「何だ!?」
異変はここにだけ起きた事ではない。すり鉢状に沈んだ向こう側から響き渡る生徒たちの悲鳴がそれを物語っていた。
誰しもが身に起きた不測の事態に困惑し、身体だけでなく思考までも縛り付けられている。その中でデキマだけは自分が言うべき事が分かった。
「行ってください、カツトシ君」
囁いただけの言葉が風よりも速く亜夜子の下に駆けだした主人に届いたかどうかは分からない。しかしデキマはニヤリと意味深に笑った。
ほんの一瞬だけだがデキマは波路の顔がストーカーではなく、二度ほど垣間見た侍の顔になっていたからだ。
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