2-1
「Hey,Stop here」
「What? …Here?」
「Yes. STOP NOW.」
苛立ちを声に乗せて、私はウーバータクシーを止めると方々への口止めの意味も込めて多めのチップを運転手に握らせた。
別に必要もないはずなのに、私は乗ってきた車のテールランプが森を横切るこの道路の先に消えるまでジッと見送っていた。後には煌々と光る月と、その光さえも遮らんとするばかりの鬱蒼とした森林が残るばかりだった。
…ふぅ。
私は歩き出す前に一つため息をついた。
家を出てから今日でちょうど二週間。アメリカはマサチューセッツ州についてからは十日が過ぎていた。時差は克服できたのに、金銭的な理由で寝食が疎かになってしまいその反動で身体は少し倦怠感を覚えている。
けど、それも今日でお終いにする。
アカデミーに合格できれば、そこからは全寮制の生活が待っている。幾分マシな食事とベットにありつけるはずだから。
このどこまでも陰鬱に広がる森の奥に、目指すべきアカデミーの入学試験会場がある。
試験会場は行けば分かる、というのがコルドロン先生に教えてもらったことだったが、実際に辿り着くまでは不安だった。けど案ずるより何とやらという奴だ。この区間に差し迫った時から気配を肌で感じ取っていた。
木々の枝から滲み出るあからさまな魔力。これを感じ取れもしないような奴は最初からお呼びではないというメッセージに違いない。
つまり…実質的な入学試験はもう始まっているも同然。
私はつい箒を握る手に力を込めてしまった。
まあ、そんな私を誰が責められるのかは知らないけれど。昔から憧れていて、自分の夢の実現の第一歩を踏み出そうとしているのに、力まない方がむしろおかしいだろう。誰に言われた訳でもない癖に、私は自分の感情に尤もらしい理由を付ける。
そして、文字通りその一歩を確かに踏み出したのだ。
◆
八月だというのに、マサチューセッツの夜の森はかなり冷える。元々こういう気候なのか、それとも一帯が魔術アカデミーの魔力に覆われていることが原因なのかは分からない。
どちらにせよ、私はこっちで調達したフードローブの下でぶるっと震えた。
中々に暖かいローブは防寒の為だけじゃない。顔を隠す意味もあった。
どれほどの信憑性があるかは定かじゃないけれど、コルドロン先生は魔法界隈では伝説と称される程の凄い魔女らしい。本人の談だけしか聞いたことがないが、もしそうなら素性は伏せておきたい。
いらない興味や顰蹙、嫉妬などを買って試験を妨害される可能性だって十分あり得る。目立つのは入学してからでも十分…むしろ試験で好成績を上げて、華々しいスタートを切るのが理想的。
箒、ローブ、そして時代遅れの手提げランプ。
絵本から切り取った童話の女の子のような出で立ちに、私はつい子供染みてワクワクしてしまった。
けれど。そのワクワクの時間はさっさと終わりを告げる。
後から誰かが歩み寄ってくる気配を感じ取ったからだ。
さて、一体どうしてやろうか。漂ってくる気配は正直言って全然大したことない。コルドロン先生を基準にすれば、羽のような軽いプレッシャーしかない。
こうなると先生の談はあながち嘘じゃないかも知れない。
そんな感傷に浸っていると、向こうから声をかけてきた。
「や、こんばんは」
不安と緊張を悟られないように虚勢を張ったような、そんな男の声だった。
振り返るとそこにはやはり強張った顔を必死に平常に整えた様な表情の男が立っていた。欧米人は見た目でどこの国か判別するのは難しいが、場所を考慮すれば多分アメリカ人かな。
顔の良さを上から数えて行ったとしたらクラスで11番目の男子。それのアメリカヴァージョン。
そんな印象を持たせるような印象の薄い顔が印象的だった。
こんな時間のこんな森を歩くのがアメリカのティーンズの中で流行っているのかは知らない。場所を考慮すれば…こいつもアカデミーの受験生って考えるのが自然かな。
「今、この森を歩いてるってことは君も受験生だろ? 良かったら一緒に歩いてもいいかな?」
…やっぱり同じ受験生みたい。
試験会場までの暇つぶしか、もしくは何か有益な話の一つでも聞けたらラッキーかも知れない。私はローブの下に猫を被ることに決めた。
「ここまで一人で少し不安だったんです。会場までご一緒しましょう」
そういって微笑むと男は少し赤くなった。白人だったので日本人より赤みが目立っていた。それこそ夜の森でもそれと分かる程度には。
「オレはショーン。君は?」
「亜夜子。よろしくお願いします、ショーン」
「アジア人だよね? どこの国? アジアの文化は結構詳しいと思うよ、マンガだって読む。黒髪の女の子っていいよね。君の髪は本当に自然な黒だし。フードを取っているところ見てみたいな。それに…」
と、こっちが気を許したのをいいことにマシンガントークが始まった。わざわざ確かめなくても、あまり女子に耐性のあるタイプじゃないらしい。一々相槌を打つのも面倒だ。やっぱり失敗だったかも知れない。
そんな考えが過ぎった矢先、彼の口からは少々興味深い話題が転がり出した。
「君は今年の試験が少し変わってるって噂、聞いた?」
「え? いえ、何も…」
「すごいんだよ、今年の試験はさ」
私がつい目に見える形で食い付いてしまったことに、ショーンは調子に乗っているようだ。ステレオタイプのアメリカ人よろしく、身振り手振りを大げさに使って話をし始めた。
「試験自体は例年通り秘密裏にされているから分からないけれど、何と言っても受験者の方さ。今年はね、人間の受験者がかなり多いらしいよ」
「それは…私達のような魔法使い見習いが、ということですよね?」
「もちろんさ!」
人間以外に誰が受験をするんだ、と普通の学校ならそんな疑問を抱くけれどここはバリンルザ・ソーサリィアカデミー。人間じゃない存在にも受験資格がある。
それは俗に『悪魔』と呼ばれている存在。
人間を堕落させるために存在している魔性の者。普通の生活を送る人にとっては近づいてはならない害悪かも知れないが、私がここに来た目的の一つは悪魔を自分の仲間に引き入れること。積極的にコンタクトを取らなければならない存在なのだ。
だからその情報は吉凶の両方だった。
悪魔の数が少なくなるのは多くの悪魔に会いたい私にとっては少し残念だが、魔法使い見習い、ひいては人間が多いのは今の時点では嬉しいこと。受験者のレベルが低くなると言っているようなものだ。当然、主席合格の確率は上がる。
できるだけ目立って華々しく高校生活にデビューするという目的は、どうやら達成できそうだ。
私がそんな夢想に耽っていると、ショーンはでもね、と前置きをして話を続ける。
「でもね、悪魔が少ないからと言って油断はできないよ。今年はアンチェントパプル家のご子息が受験するんだって」
「やっ―――」
やっぱりその話は本当だったの?
と、喉まで出かかった言葉を私はどうにかして飲み込んだ。こんな奴でも、まだ何も知らない無知なアジア人の女の子を装っていた方がいい。少なくとも入学を決めるまでは…。
◆
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