3-5
あり得ない。あり得ない。ありえないありえないありえないありえないありえないありえないあえりないありないえありいえない。
こいつはこんな所に居ていい人間じゃない。
私の驚きと焦りなどはまるで気にしていない様子のこの男、波路勝利は平然と質問に答えてきた。
「亜夜子さんが高校はアメリカのこの学校に入るために家を出たって聞いたから。遠い海外で一人は心細いだろう、そんな時こそ俺の出番と思って追いかけてきたんですよ」
「そんな事頼んでない! ていうか、聞いたって誰から聞いたの!?」
日本にいる私の知り合いでこの学校の事を知っているのはコルドロン先生を除いて他にはいないはず。まさか…
「アメリカに行くってことはコルドロンさんから。渡米のタイミングは弥三郎さんから連絡をもらいました。亜夜子さんが家を出たから、あとはよろしくって」
「な…なにそれ」
「でもアメリカまで追いかけてきたまでは良かったんですけど、試験の会場は広いし、人は多いしで全然見つけられなくて心配してたんですよ。でも。会えてよかった」
「よくない!」
信じられない。
私が渡米したのは家から出たかったとか、悪魔や魔法使いを仲間に募ることは本当だが、実はもう一つあった。それはこの波路勝利の目の届かない所に逃げ出す意味もあったのに。
波路とは小学校からの腐れ縁。世間で言うところの幼馴染と言っても間違いではない存在だった。そう言った知り合いは何人かはいる。全員が取るに足らない人畜無害な奴らばかりだからとりわけ意識したことはないけど、コイツだけは違う。
小学校に入学して、教室で自己紹介をしたその日から…。
こいつは私に一目惚れをしたらしい。
以来、小中学生の9年に渡り、こいつは私に向かって幾度となく交際をしたいとアプローチをしかけてくるのだ。断ろうが無視をしようが、別の男と付き合おうが一切引くことをしない。
そればかりかコイツがいるせいで、付き合ってるとか誤解され、からかわれてきた経験は両手の指じゃ足りない程経験がある。
アメリカの、それも魔法学校にまで入ればもうしばらくは…いや、もう二度と会う事はないと思ってたのに…何でこんなところにいるの!?
…。
……。
………ちょっと待って。
波路がここにいるのはコルドロン先生と弥三郎が教えたからだと言っていた。という事は、コルドロン先生は私以外にも魔法を教えていたの? それは考えられない。だって先生は日本で魔法を教えるのは私が初めてだと言っていた。その後も弟子は取らないのかと聞いた時、教えたくなるほど才能のある奴が全然いないと言っていた。
嘘をついてた…?
いや、そんなウソをつく意味がない。
それにコイツがここにるってことは、波路も【七つの大罪】に選ばれたって事。少なくともそれだけの実力がある。それなのに私は波路が魔法を使えるなんてことは全く気が付かなかったのは一体どうして?
もう混乱と予想外の出来事に脳のキャパシティーがオーバーして何も考えられない。
そんな空っぽの頭の中に居心地のよい澄んだ声が響いてきた。
「同じアジア人でもそんな事はないだろうと思ってたけど、二人は知り合いだったんですね」
フィフスドルは微笑みながら私にそう言ってきた。
そうなって初めて私は自分が一体何をしているのかに気が付いた。飛び込んできた波路を反射的に避けた私は防衛本能で無意識にフィフスドルの服を掴み、彼にしがみ付きながらコイツに叫んでいたのだ。
状況を整理した途端、私は急に恥ずかしくなった。
人前でこんなに取り乱してしまったこと、子供のように誰かの服を掴んで身を隠した事、それがよりにもよってフィフスドルだった事などなど…。
とうとう私は紅潮し、硬直してしまった。
その場の全員が、不気味かつ荘厳な雰囲気を見事にぶち壊してコメディに興じるアジア人2人を見据えて、ただただ唖然としている。そんな状況を改めて元に戻すかのように、部屋の中央にいた先生が一つ、大きく重々しい咳ばらいをした。
「オッホン」
その音に全員の意識が一掃され、再び緊張感に似た張りつめた空気が支配することになった。壁際にいたイガムールも面倒くさそうに腰を上げこちらの輪に加わってきた。
七人が中央に点々と集う。それぞれが互いを意識して若干空気がピリピリとしたような気がした。
「では、今年度の【七つの大罪】候補が全員揃ったので、ここに集まってもらった理由を説明する」
と、言った後に教師はその前にと前置きを置いてから、自分の名をスオキニと名乗った。スオキニはつらつらと立て板に水を流すように決まった様なセリフを吐き始めた。
「承知の者もいるだろうが、この学校では毎年、入学試験の成績上位者を上から七名募って【七つの大罪】という役職を与える決まりになっている。選ばれた生徒はその学年の顔役とも言うべき存在になる。寮や学校生活の監督、行事等々の運営、教員及び上級生たちとの橋渡し、その他模範的な生活態度を求められることになるので十分に気を配るように」
そう言ってスオキニ先生は、どこからともなく一冊の本を取り出した。開いた途端ににわかに青白く光り始める。するといつの間にか私達全員が右手にブローチを握りしめていた。
一つ一つが禍々しくも高尚な造りをしており、見ただけで名のある工匠の品であることが見て取れた。それよりも見た目以上にずっしりとくる重量感に少々驚いていた。
「では、順に【七つの大罪】の証とも言うべきブローチを貸し与える。言うまでもないことだが、これを紛失したりしようものなら役職も同時に失効されるから気をつけること。では成績の順番に並べ。まずは…カツトシ・ナミチ」
「はーい」
そう言って私の横をすり抜けて前へ進み出ようとした。
私はとてつもない虚無感に押しつぶされるのを堪えながらも、無駄だと分かっている事実確認の言葉を紡いでいた。
「あ、アンタが一番なの…?」
「はい。早いとこゴールして、そこで亜夜子さんの到着を待てばすぐに見つかるだろうって思ったんですけど、別の教室に案内されて散々でしたよ」
「…」
この時の私の心情を一体誰が理解してくれるのだろうか。
罵詈雑言を浴びせかけても良かったのに、つい無言になってしまったのは一体なぜなのか。それは自分でもわからなかった。
「ナミチ・カツトシ。早くしろ」
「はい、すみません」
「お前が今年度の最優秀新入生となる。同時に【七つの大罪】の長としての責任も生まれる。精々皆をまとめ上げることだ」
「え? ちょっと待ってください。長とか聞いてないですけど」
「そう言う決まりだ」
「でも、亜夜子さんよりも上の立場に付くのはなんか違うんで」
「知った事か。まずはこの儀式を終わらせろ、話が進まん」
「儀式って何するんですか?」
「そのブローチに魔力を込めろ。そうすることで、魔法式が発動してこの七名が正式に【七つの大罪】としての役職を授与されることになる。お前がやらんことには何も始まらん」
「でも俺、魔法使えないですけど」
「貴様の勝手な都合など知………なんだと?」
なんだと? と思ったのはスオキニ先生だけではない。この場にいる全員が全く同じことを心に思っていた。だが、誰しもが耳を疑って疑問を声に出すことができなかった。
そんな私達を尻目に波路は、やはりあっけらかんととんでもない事を口走った。
「だから魔法が使えないんで、魔力を込めるとか言われてもできないんですよ」
「は?」
今度こそは遠慮しなかった。頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「ちょっと、どういう事?」
「いや、言葉の通りで魔法が使えないんで、魔力を込めろって言われても…あ、なら亜夜子さんがやってください」
波路はくるりと踵を返すと、すたすたと私の方に歩み寄ってきた。ゆったりとしているのに、とらえどころがない変な歩き方だった。イガルームとオラツォリスが私の前にいたはずなのに、いつの間にか目の前に迫っている。前の二人を左右のどちらから躱したのかもわからない。それは私だけでなく、実際に追い抜かれた二人も同じようで、初めて手品を見せられた子供のような反応をしていた。
「はい。どうぞ」
波路は何の躊躇いもなくブローチを私に手渡してくる。そうなってようやく全員がこの破天荒な行動に反応することができた。
「お、おい。何を勝手に…」
スオキニ先生が何か叫んだような声が聞こえたが、それは右から左だった。
私は千載一遇のチャンスだとか、この男からおこぼれをもらうのが腹立たしいとかいう損得勘定を頭の中で行う前にブローチを乱暴に奪うように取っていた。
そしてそのまま、右手に魔力を込める。
ブローチからは幾重にも光る魔法陣が空中に投影されては花火のように消えていった。
全てが収まるとそこにはニコニコと笑みを浮かべる波路と、唖然として事の成り行きを見守るしかない他の合格者と、怒りを絶句の顔で表現するスオキニ先生の姿があった。
けれど、そのどれもが私にとっては些事だった。理由はどうであれ、今期の新入生のトップとして登録された瞬間だったから。それ以外の事はどうでもよかったのだ。
…。
いや、前言撤回。
やっぱりコイツのニヤケ面と、成績が三つも下だったという事実はどう考えても苛立たしい。
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