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story:24

しんと冷え切った空気が室内を支配する自室で、冬田純哉はベッドの上に座ったままスマホの画面に集中していた。足元から膝までは掛け布団を重ねた毛布を被せているため、下半身は寒くない。


今日は土曜日のため、普段起きる時間よりも遅くなってよかったのだが、体内時計の影響もあってか結局いつも通り起床した。規則正しい生活リズムが習慣化されているのは良いことである。


現在時刻は午前7時半。物憂げな表情で純哉が見詰めているのは、美愛とのラインのトーク画面だ。


昨日の帰り道で彼女に聞こうと思っていたことが一切聞き出せなかった。純哉が導入として出した話題が、思わぬ地雷になったからだ。だからこそ、手短に尋ねるため、純哉は画面の右上に表示されている受話器のマークをタップし、美愛へライン電話を掛けてみる。


目覚めた直後の呆然とした意識はある程度覚醒しているし、眠気も起きてからの30分間でそれなりに引いている。寝惚けて余計なことを言ったりするまい。


一方で、美愛も起きているかどうか。それこそ寝起きだったら申し訳ないが、その場合は謝って改めて掛け直そうと考えている。


ライン電話特有の軽快な発信音が耳元で鳴っているのもさることながら、純哉は向こうからの応答を待つ。すると、割かし早いタイミングで美愛は電話に出た。


『もしもーし』


元気そうな弾んだ声が聞こえる。その音声を認識すると、純哉は内心ほっとして朝の挨拶をした。


「おはよー美愛、元気しとるー?」


『おー、おはよー純哉。元気しとるよー? でもどしたん急に? モーニングコールしてくれなんて頼んでないけどー?』


クスクスと笑いながら、美愛は楽しげに言葉を返す。彼女からしてみれば、休日の朝から純哉の声が聞けて嬉しいといったところだろう。


機嫌良く冗談を言う美愛に対し、純哉はそのくだりをスルーして話しを続けた。


「んーん? 寒くなってきたけん、体調崩してないかなー思うてさ」


純哉からの返答に引っ掛かりを覚え、美愛は会話に一拍空ける。近からず遠からずの図星だ。


『あー、体調は大丈夫! うん、全然大丈夫!』


ここまでは導入である。そこからは、純哉はまるで例え話をするように、鎌をかけた言い方で訊く。


「ほんとか? それこそ最近気分が悪くなったり、倒れそうになったりしとらん?」


『っ………………』


彼女の沈黙は、電話越しでも感覚的に伝わった。先程よりも若干長めの無言を吐くと、美愛はやがて観念したように近況を語る。


『……そうだね。昨日は純哉と分かれたあと、家の近くまで来たところで急に苦しくなって、薬を飲んで落ち着かせたよ』


低めのトーンでそう伝えられ、純哉は絶句した。ましてや、本当にそんなことになったのならば自宅まで送ってやれば良かったとも思う。


やはり彼女の持病は完治していなかった。ならば手術が成功したなどといった吉報が無いのも納得出来る。とはいえ、それだけが全てではないが。


また、今まででは聞かれなかった薬という要素に対し、純哉はそこだけかいつまんで聞き返す。


「…………薬?」


『うん、薬。だから今は、それでなんとか持ちこたえてる感じだよ。少しでも治る方に向かうんだったらいいけど、中々難しいみたいだね』


「そうか………」


気丈に振る舞っているつもりでも、彼女の声音には陰りが帯びていた。どうやっても変えられない現実を前にした上で、諦めの意を含蓄しているような。純哉の心持ちは、美愛の心境に比例して弱々しくしぼんでいく。


いずれにせよ人間には、どうしても乗り越えられない壁があるものなのか。かつての純哉が経てきた大失恋に然り、何事も全部が全部努力すれば叶うというものではない。


しかしながら、自分から聞き出しておいて朝からこんな憂鬱な気持ちになろうとは。きっと、いや、絶対に美愛も同じ気持ちのはずだ。


果たして、本当にこのタイミングで聞いて良かったものか今更になって思う。こんな時は、どんな言葉を返して精神的に巻き返せばいいのだろうか。


鈍くなった思考を巡らせ、純哉はありふれた常套句を用いて謝る。


「ごめん、美愛。やっぱり朝から聞くようなことじゃなかったね」


反省した態度を取る純哉だが、美愛は逆に控えめな調子で返答した。


『え? 何で謝るん? 寧ろこのことをちゃんと言ってなかった私が悪いよ。ごめんね、私が純哉に話してなかったばかりに心配かけさせて』


「いやいやいや、とんでもないよ。なんていうかその……、うん………」


続く言葉が出てこない。美愛に謝られるのは予想外だったため、純哉はしどろもどろになる。だが、どんな形であれ互いに心を開いて話せた気がして、胸の内が温かくなった。


それは美愛も同じで、綻び切った笑顔でこれからの予定を伝える。


『だからあらかじめ言っておくけど、今日もこのあと病院に行って検査する予定だよ。薬も、多分続けるようになると思う』


「そっかぁ、……1人で行くんか?」


『いや、母さんとだよ』


美愛からの答えを聞き、純哉は緊張を走らせて眉間にしわを寄せた。この際なので、母親との近況についても訊いてみることにする。


「大丈夫か? てか昨日も何か言われたりしてないん?」


『うん、大丈夫。母さんも体調崩しがちなのもあって最近はほとんど話してないよ。でも……』


「でも?」


『なぜか私に病院行くようよく言ってくるんだよね。自分こそ行かなきゃいけないはずなのに……』


またきな臭そうな話が出てきた。言い方は悪いが、美愛の母親の方も精神的に病んでしまっているのだろう。


「それってどういうことよ? なんか言っとることとやっとることが矛盾しとらん?」


ある時は罵声を浴びせ、またある時は彼女の身を案じたような言動を取る。本人のその日の気分もあるのかも知れないが、美愛の母親の対応はまさに両極端といえた。


『だよね。はっきり言って、母さんが何を考えてるのかほんとに分かんない……』


「うーん……」


その真意は、当人のみぞ知る。純哉は相手の心理を考察しようとするが、皆目見当がつかず唸って押し黙った。


『純哉、出る準備するから一旦切るね?』


今から準備ということは、割と早い時間に病院まで行くのか。母親とのことも気になるが、どのみちにしても身体と精神には気を付けて欲しいものだ。仮に発作で倒れたとしても、それこそ母親が動いてくれればいいのだが。


「待った! 美愛!」


『ん? どしたの?』


「やっぱり俺が病院まで送ろう! たちまち今日中に行けばいいんだろ?」


突発的な衝動に駆られ、純哉は彼女を呼び止めて言う。後先考えずの発言だった。本能的に、なんだかそうしないといけない気がして。


すると美愛は驚いたのか、数秒間を挟んで丁寧に断りを入れる。


「いや、いいよ。それにもう朝イチの時間に行くようになってるから、今から純哉と合流しても間に合わないと思うよ?」


そこまで言われると、純哉は何も言えなかった。代わりに、考えを切り替えて別件を振る。


「あぁ……、大丈夫ならいいんだけどよ……。でさ、美愛は明日は空いてるか?」


『うん? 空いてるけど?』


「また2人で出掛けようぜ? もちろん無理は言わないし、体調しだいでは調整しようと思うけどさ」


早ければ今日の午後からでも良かったが、検査がいつ終わるか分からない。場合によってはそのまま入院するようになる可能性も否定出来なかったので、柔軟に動けるよう程々に行動を制限する。


『いいよ! なら今日明日とくたばっちゃいけんね!』


「くたばっちゃいけんて、そっちが言うたら洒落にならんけやめぃ!」


『何を言っとん、事実じゃん!』


高めのテンションで突っぱねられ、苦々しく一笑する純哉。こちらが突っ込みを入れてもキリがなさそうだったので、純哉は受け流してさっさと美愛を送り出す。


「はーもう、行ってき? それで少しでもしんどいと思ったら連絡してきんさい! あとはもう何も言わん!」


『分かったわー! じゃあ、またね!』


そして美愛の声は、ライン電話を終えた際の間の抜けたような効果音とともに途切れた。次いで、純哉はスマホを膝の上に置き、ふと天井を仰ぐ。


(やれやれ……)


結局、美愛が抱える病は解消されることはないのか。ましてや少しでも長く、生きている間に時間を共有したいがために遊びに誘ってみたものの、それが正しい判断だったかは確信が持てない。いうならば、彼女との時間を、あるいは彼女の命を繋ぎ留めるための願掛けのようなものだった。

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