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手紙  作者: ひいらぎ 梢
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ささやかな晩餐

手紙に書かれていた娘の好物をきっかけに喜八郎、みどりと市子はささやかな夕げの卓を囲む。温かい家庭料理と少々のアルコールが醸し出す和やかな会話の中で、3人は風香と異世界に思いを馳せる。

「はい、新しいお茶が入りましたよ」


 お盆の上に3つの湯呑みと急須を乗せて、隣のキッチンからみどりが戻ってきた。それぞれの前に湯呑みを置くと、手早く急須でお茶を注いでいく。


「お母さん、風香はお母さんのカレーが食べたいとさ。手紙の一番下に小さな字で書いていたよ。俺も久々に食べたいな」

「あら、じゃあ急いで作りましょうか。市子さん、もう今日はこれでお帰りでしょ?晩御飯、良かったら一緒にいかがかしら?有り合わせですけど」

「あ、いえ、そんな……」


 きゅ~っ、ぐるぐる……


 遠慮しようと口を開いたとたん、市子のお腹から可愛らしい異音が響く。真っ赤になって胃のあたりを押さえる姿は、先程までのしっかり者然とした佇まいから一辺して、二人の微笑みを誘った。


「市子さんのお腹は準備オッケーみたいね(笑)」

「うん、せっかくなら賑やかな方がいい。我が家にとって大事なメッセンジャーに大したおもてなしも出来ないが、風香(あいつ)の分まで食べていって下さい」

「えへへ、じゃ、じゃあ遠慮しないでいただきますっ!実は忙しくてお昼抜きだったんですよ(泣)」

「大変だったのね。いつもそんななの?」

「いえ、今日は特別立て込んでて」

「そうなの。じゃ、ちょっと待ってて」

「あ、お手伝いします!なにすればいいですか?」

「じゃ、野菜を洗ってもらってサラダをお願いしようかしら」

「はい!お任せあれ(笑)」


 女二人がキッチンにはけて喜八郎は一人リビングに残された。手持ち無沙汰にテレビを眺めていたのだが何か思い付いたのか、おもむろに立ち上がると階段を登り、二階の風香の部屋に入った。しばらくゴソゴソ何かを探す音がしていたが、5分はどで目的のものを手に入れたらしく、満足げな表情で部屋から出てきた。そして軽やかな足取りで階段を降りるとその姿は奥の仏間に消えた。


 10分ほどのち、一仕事終えた充実感にひたりながら喉の渇きを覚えた彼は(かまびす)しい笑い声が響くキッチンへ足を向ける。香辛料の香りが広がる流し台の前では女性陣が楽しげに夕食準備の分担作業に(いそ)しんでいた。


「やぁ、いい匂いだな。首尾は上々かい?」

「細工は隆々ですよ。ね(笑)」

「奥様手際良くて流石です。私なんか右往左往してるだけで」

「やだ、そんなことないわよ。あなたこそ打てば響くって感じで、飲み込み早くて大助かりよ」


 二人の相性はことのほか良いようで、弾むような会話のラリーを聞きながら、風香が生きていたら、こんな光景が毎日繰り返されていたのだろうと彼は夢想した。


「ビールもらうよ」

「どうぞ。あ、私もいただこうかしら」

「いいね。えーと、沢野井さんもアルコール大丈夫なのかな?」

「あっ、はい、じゃあちょっとだけ(笑)」


 取り敢えず自分の分の缶ビール1本と空のグラスを3つ、お盆に乗せてリビングに戻る。程なく3人分のカレーとサラダと残りのビールが運び込まれ、少し遅めの夕食が始まった。


 みどりのカレーはスライスした醤油漬けのニンニクをオリーブ油で炒めた所に豚肉を入れ、火が通った所で野菜を加えて煮込むものだ。最後にカットタイプのトマト缶とカレーのルーを加えて味を整えれば完成だ。トマトのマイルドな酸味とこくがルーに深みを出し、生前の風香が必ずお代わりをするお気に入りのメニューだった。なお、この時使うトマト缶は必ず輸入物と言うのがみどりのこだわりだ。輸入物はトマトジュース煮なので、旨味が濃いのだという。


 温かい料理と少々のアルコールで五十嵐家のリビングは和やかな空気に包まれた。三人で囲む食卓の話題はやはり風香の事、そして異世界の事だ。


「風香が転生してるのはどうして分かったんでしょう?」

「転生者は特殊能力を持っている事が多いんです。風香さんの場合はどうやら植物の成長を促進させる能力があるらしくて」

「ああ、いわゆる『(グリーン)(サム)』というやつですか」

 答えながら喜八郎は風香が園芸部で熱心に活動していたのを思い出した。

「そうなんです。あちらでは伝説の『緑の聖女』の再来と言われてるとか。で、噂を聞きつけた弊社のエージェントが接触して、こちらの世界の記憶を確認した所、転生者と判明したんです」

「あの子、お姫様の上に聖女様なの!?今日は色々ビックリさせられる事ばかりね」

「我々の平凡なスペックから考えると『トンビが鷹…』以上の大大大出世だな」

 常人の想像のはるか上を行く娘の新しい境遇に思わず目を丸くするみどりの顔に苦笑いを返した後、喜八郎はこの手紙そのものについての素朴な問いを市子に投げた。


「それにしてもこの手紙自体はどうやってここまで届けられたんですか?」

「それはちょうどこちらに戻る『帰還者(リターナー)』の方がいまして、エージェントが輸送をお願いしたんです」

「なるほど、そういう事でしたか」

「ええ、ご存知かも知れませんが弊社では異世界転移者の帰還サービスも行っておりまして、今回は転移主体との交渉が上手く行ったんだそうです」


帰還者(リターナー)』とは現世に帰還した異世界転移者の事をいう。2~3年前に幾つかの週刊誌で異世界からの帰還者に関する記事が特集されたのをキッカケに所謂『帰還者(リターナー)問題』が社会的な話題になった。記事の論調の多くは煽り気味に今後増加する帰還者の異世界後遺症、PTSD、社会不適応などを新しい社会問題として大きく喧伝しており、その動きに呼応するように昨年の国会に「異世界帰還者保護法」いわゆる「帰還者(リターナー)新法」が提出され現在審議中である。


「正直、エージェントの常駐している異世界はまだ少ないですし、手紙の輸送自体も今回のように帰還者だのみですから、この手紙特約サービス自体、まだまだこれからのサービスなんです」

「そうですか…… こうして娘の手紙を手に出来る私たちは本当に幸運なんだな。沢野井さん、改めてお礼をいわせて下さい」

「市子さん、ありがとう。どれだけ感謝しても、し足りないわね」


 二人は自分たちの、そして娘の幸運を感謝し、目の前の見目麗しきメッセンジャーに深々と頭を下げた。酒の勢いもあったのだろう、みどりの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「そ、そんなぁ、お二人ともお顔を上げてくださいよぅ(汗) 困っちゃうなぁ。私はただ支社からここまでお届けしただけですから……」


 二人の様子にうら若き女性外交員は戸惑い、しきりに恐縮していたが、涙を浮かべたみどりの顔を見た瞬間、その円らな瞳から大粒の涙がこぼれおちた。今度は二人が面食らう番だった。


「ど、どうしたの市子さん?」

「だ、大丈夫かい?どこか具合でも……」


 両手で顔をおさえたまま、子供がいやいやするように黙って首をふる姿は年よりも随分幼くみえる。心配げに見守る二人を前に鼻をすすり、しゃくり上げながら彼女は答えた。


「ぐしゅ、お、お二人がぁ……ひっく、こ、こんなに喜んで下さったのが……嬉しいんですぅ」


 この娘、しっかり者の仮面をかぶっているが、本当は随分情緒的な感覚の持ち主のようだ。みどりが隣に座って、両手で肩を抱く。それからあやすようにポンポンと背中をたたき、優しく頭をなでた。


「ありがとう、市子さん。ほら、(はな)をかんで。美人さんが台無しよ」

「ふぁ、ふぁい」

「ほら、これを使って」

「しゅ、しゅびましぇん」


 喜八郎が阿吽の呼吸で差し出したティッシュの箱を受け取ると、二三度盛大に洟をかんで、市子はやっと泣き止んだ。


「す、すいません、お恥ずかしい……お客様の前でこんなの、社会人失格ですね」

「いやいや、そんな事はないよ」

「そうよ、気にしないで。あなたの気持ち、とっても嬉しいわ」


 二人の言葉で高ぶっていた気持ちも少し落ち着いたのか、市子はニッコリ笑って再び口を開いた。


「このサービスを提供するのに日夜奮闘してる異世界課の面々もすっごく喜ぶと思います。あと手紙を持ってきてくれた帰還者の方やエージェントにもお二人のお気持ち伝えます!」

「ぜひお願いします。この手紙のお陰でどれだけ力付けられたが分かりませんからね」


 喜八郎も笑顔でこたえる。と、隣で頷くみどりが遠慮がちに口を開いた。


「そういえば市子さん、帰還交渉って転移者の方だけなの?風ちゃんは戻ってくることは出来ないのかしら……」

「お気の毒ですが現在のところ、それは法的に禁止されてるんです。転生者の場合、人格は同一でも物理的に別の存在になってますから」

「そうよね。今はリースリング家のお姫様だものね。風ちゃんがこちらに来ちゃったらあちらのご家族が悲しいもの……」


 みどりも分かってはいるのだ。だがそう言わずにいられないのも「親」の(さが)である。喜八郎はつとめて明るい表情でこう言った。


「異世界と自由に往き来できる時代になれば、きっとまた会えるさ。ま、どれだけかかるかは分からんが」

「そうね。それまで頑張って、元気で長生きしなきゃね」

「そうだぞ。『お母さん、いつの間にこんなにシワシワになって……』とか言われないようにな」

「まぁ、失礼ね!お父さんこそ『随分頭がさびしくなったわね』とか言われないようにね!」

「ぐさっ!き、気にしてるのに……」


 そんな掛け合い漫才のような夫婦のやり取りを見ていた市子が、思い出したように口を開いた。


「あ、もうこんな時間。やっば~(汗) ご好意に甘えて長居し過ぎちゃいました」

「気にしないで。何なら泊まって貰ってもいいのよ」

「いえ、終電には間に合いますし、さすがにそれはご迷惑ですから。ちょっとタクシー呼んじゃいますね」


 言うが早いかスマホのアプリを起動してタクシーを呼ぶ。数分後、玄関前に車の停車音がひびいた。二人は大事な娘のメッセンジャーを車まで見送った。


「今日は本当にありがとうございました。」

「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。お二人に風香さんの今をお伝え出来て良かったです。風香さんの第二報は勿論ですけど、もっと沢山のご家族に喜んで頂けるよう、スタッフ皆で最善を尽くしますので、何かの際にはお力添えをお願いします」

「分かりました。大して出来る事があるとも思えませんが、何かお役に立てる事があったら喜んでお手伝いしましょう」

「では、失礼します」


 離れていくタクシーの後部座席で手をふる市子に喜八郎は深々と一礼した。そして隣のみどりは車が角を曲がるまで名残惜しげに手をふり続けていた。


(続)

何と半年ぶりの更新です。正直こんなに時間がかかるとは思ってなかったのですが、やっとこさ第五話仕上がりました。待って下さってる奇特な方がいらっしゃったら、本当にすいませんでしたm(_ _)m


さて次回で何とかクロージングの予定ですが、どうなりますやら。お待ちいただけたら幸いです。ではでは(^-^)/


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