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卅と一夜の短篇 

お人形さん(三十と一夜の短篇第56回)

作者: 惠美子

 昭和の初め、日米親善でアメリカ合衆国から多くの人形が贈られた。人形たちは日本各地の学校に配られた。舶来品の人形を間近にした児童たちから珍しがられ、愛された。体を動かすと瞼も合わせて開いたり閉じたりする青い目の人形。しかし、太平洋戦争が始まると、アメリカ憎しのあまり、人形は壊され、焼かれた。こっそりと保管された何体かが現在にも残っている。やむなく廃棄せざるを得なかった当時の関係者の証言も伝えられている。

 その歴史のひとこまは書籍になったり、ドラマになったりしている。(いぬい)の大学の演劇サークルでもそのエピソードを使って、戦時中の空気感、同調圧力をお芝居にすることになった。ネタや資料提供は文学部国史科の岬だ。脚本を書いているのは国文科ではなく、法学部の佐々木で、頼りなさそうな経済学部の千種が演出。

 贈られた人形をアメリカの親善大使だからと神棚に上げんばかりに大切にしていたのに、戦争が始まると、敵だと言い出して、人形の管理を任せていた女性訓導に捨てるように、大人たちも児童たちも迫る。女性訓導と人形を可愛がっていた女児たちは悩み、ためらうが、結局は大勢に従ってしまう。


「人形だからこそ、魂宿らぬ物体と見られないってことがあったのかな? 長年小学校に飾ってある人形がスパイだの盗聴器だのの役割をしているんじゃないかって発想するのがすごい」

「人形ってリアルに作ってあると怖く見えるのもあるからなあ」

「粗末に扱ったら尚更祟りがありそうなのにねえ」

「そんなこと言ってたらお芝居しにくいよ」


 乾が呟くように言うと、瑞野が笑った。


「乾ちゃん、人形の所為でお兄ちゃんが戦争で死んだんだ、って人形を床に投げつける男の子の役だもんね。乾ちゃん練習で投げつけずに、そっと床に置くばっかだから、大人しい千種ちゃんまでもっと強く投げつけてと注文つけてるじゃない。

 乾ちゃん、お人形遊びしてたクチ?」

「まさか、物を乱暴に扱えないだけだよ。本番はちゃんとやる」

「わたしが準備した小道具だからって気にしないでいいんだからね」


 小道具の人形は二種類用意している。主役たちが使い、観客たちによく見えるように舞台に置く人形は、一年生の高島が家に丁度いいのがあると持ってきてくれた、年代物らしいフランス人形。フランス人形という呼び方が正しいのか判らないが、とにかく大きくて顔も髪も服装も凝っていて、可愛らしいというより美しい。もう一つは乾の役の男の子が床に叩きつける場面や、練習に使う、布でできた人形。小道具係の瑞野が器用に布を縫い合わせ、高島の人形に似せた髪型や服装に仕立てた、縫いぐるみと言うべきか。紅茶で古い下着を染めたら肌の色っぽくなったでしょと、ジャージーの生地を使って、綿やらぼろきれを詰め込んだ人形は、練習で使っているうちに部員たちに愛着を生んだ。練習ごとに埃を払って、有難う、お疲れさまと声を掛け、公演が終わったら持って帰りたいと申し出るのは瑞野一人ばかりではない。

 本番で使う人形は、高島への遠慮から普段誰も触れず、部室の奥にちょこんと置かれたままで、高島だけが手入れをする。高島は男子で目立つ富田目当てで入部してきた、照れて演技をきちんと稽古せずに上品ぶっていると、サークル仲間の一部で受けがよくない。まるでお人形さんみたいに気取っていると。

 気安く触れない物には、近付けない、いや近付かない、と心理的な距離が出来てくるのが自然の流れだ。

 公演の前日、フランス人形を用いてのリハーサルが終わり、あとは当日を待つのみだ。

 乾と瑞野は縫いぐるみ人形に声を掛けた。


「明日はよろしく」


 人形は物言わない。だがここまで一緒に歩んできたと奇妙な連帯感がある。

 当日、フランス人形は主人公の女性訓導役や女子児童役の子たちに抱き上げられ、舞台の目立つ場所に飾られる。練習ではいつもは縫いぐるみ人形が置かれたのにと、乾は思う。

 終盤近くなり、戦争の敗色が濃くなり、敵性語など敵国に関するものを排除する空気が支配する息苦しさを描き出す。


「その人形は捨てろ!」

「ただのお人形に何ができるんです」

「敵国の物を大事にするのは非国民と見做されるぞ」


 別の箱に入れて隠し、人形を保管しようとして見付かった女性訓導は責められる。舞台の端にいる乾は緊張感が高まった頃合い、中央に走り寄り、置かれている箱の側に行く。


「この人形がきっと告げ口したから、兄さは戦争で死んだんだ! 兄さの仇だ」


 乾は箱へ手を入れ、ぱっと人形を持ち上げた。

 重い!

 周囲は演技なしで驚いた。乾が持っているのは縫いぐるみではなく、高島の持ってきたフランス人形。そこに縫いぐるみ人形は無かった。乾はフランス人形を持ち上げたまま、


「こんな人形、こんな人形」


 と唸るようにして時間を稼いだつもりなのに、誰も止めようとせず、人形を取り返そうともしない。これ以上もたもたしていたら芝居の雰囲気が崩れてしまう。

 乾は叩きつけるというより、フランス人形を床に落とした。やっと慌てたように女性訓導役が床から人形を拾い上げる。


「この人形はわたしが捨てます」


 震える声は真に迫っていたようで、客席からは溜息が聞こえた。

 芝居が終わってから、高島一人が人形が人形がと萎れており、千種たちがあれでよかったんだと乾を励ましている。


「どうしてフランス人形があったの? 縫いぐるみは?」


 小道具係の瑞野と木野下に高島が食って掛かった。木野下が鼻に皺を寄せて答えた。


「わたしは舞台が暗転した時に縫いぐるみ人形を持っていって、きちんと所定の位置に置いたわよ。重さが違うんだからま・ち・が・え・な・い」

「そうよ。フランス人形が袖の台の上にあるのを確認しているし、取り違えたりしないわ」


 瑞野と木野下が縫いぐるみを持って行った、フランス人形が残されていたと袖に控えていた部員たちも口を揃えて証言した。


「じゃあなんでこのお人形が床に投げつけられなきゃいけないのよ!」


 誰も判らないし、答えられない。富田が仕方なく高島を宥める。

 毎日練習で使っている人形が手荒に扱われるのは可哀想と乾や瑞野だけでなく、高島以外の部員が感じていたのは確かだ。

 縫いぐるみ人形は会場のどこを探しても出てこなかった。そろそろ会場から撤収しなければならない時間になり、皆焦った。もう諦めようと部員の一人が小道具の箱を持ち上げると、空じゃないと、大声を上げた。箱を開けると、中に縫いぐるみ人形がいた(、、)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 十分すぎるほどホラーでした。 フランス人形が身代わりにされたかもしれませんが、ひょっとしたかばったのか。 どんな意図があるのか、はっきりと分からないのがまた怖い。 [一言] アメリカか…
[一言] まさかのそこが着地点だったのですねーーー! コワイ。これからの展開を考えるともっと怖いです。捨てるもの怖いし。もって帰るとしたら誰が?  今も感じますが、日本人の同調圧力は結構しんどいです…
[良い点] ホ、ホラー!? でもやっぱり、人形やぬいぐるみにはどうしても情が移りますよね。 しかし、そういった情を打ち切ってしまうのも、戦争。今の世界の状況もそれに近いですが、戦争は人間をおかしくし…
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