茅ヶ紫原の夢魔【キアス視点】2
何度も生死の境を彷徨った数か月。
いつでも気を抜いてはいけないと、疲労した体に染みついた警戒心。
休んでいても、いつ敵が近づいてきていいように、常に意識は半覚醒した状態で……
……そんな、頑ななまでの決心が、もろくも崩れ去ったことを知ったのは、すっきりと目の覚めた僕の目の前に、物珍しさそうに顔を覗き込む少女の姿を見つけた時だった。
すでに日は高く上がっていた。
少女は自分が目覚めるのを待っていたように、にっこりと微笑む。
あんなに気を抜かないと心に決めていたのに、少女が隣に来たことにも気づかず眠りこけるなんて、恥ずかしくて赤面しそうだった。
もちろん、そんな事情を知らない少女は、様子を伺うようにじっと僕の目を見つめてくる。
僕も、平静を装い、少女を見つめ返した。
なんだ?この女?
人魔?影が薄いな……精魔族か?
近寄られたことは不覚だったが、敵意もなければ力もなさそうだ。
少女の珊瑚色の瞳が細められる。
「狼さん。よく眠れた?」
「……お前、なんだよ。」
「私、ルフィア。夢魔って知ってるかな?あなたの夢はとてもおい、、ッケホ、……悲しかったよ。」
―――夢魔。
何代か前の族長が使い魔として使っていたと聞いたことがある。夢を覗き見たり、夢を操ったりできる特殊な力を持つらしい。
「夢を……見た…?」
見られた―――!
僕の顔色が変わったのを見て、少女が慌てる。
「ちがっ、や、違わないけど!話があるの!!……キアスってあなたのこと?」
夢魔の少女が言うには、数日前に同じような夢を見たのだという。
そして、その夢の持ち主がキアスという名を呼んでいたとも。
「……兄さんだ。」
「え?」
「僕を探してるようだったんだよね?誰かから逃げながら……。それなら、その夢はきっと兄さんのだと思う。ねえ!どのくらい前だった?彼がどっちに向かったか知らない?」
こんなところで兄さんの足取りが見つかるなんて!
もしかしたら、僕以外みんな両親のもとへ行ってしまったのではないかと、不安で仕方なかったのだ。
「……10日位前だったかな?行先は―――ごめん。わからないの。」
「……そっか。」
それでも、兄が生きていることが確かになって、体か軽くなったような気分だった。
彼女の現実離れした容姿、僕しか知らないはずの出来事を話す姿に、警戒心もすっかり溶けてしまっていた。
教えてくれてありがとう、というと、心底嬉しそうに笑う。
つられて笑って、本当に久しぶりに笑ったことに気付いた。
思い返せば、自分はひどい有様だ。
今までやけくそのような気持ちで生きていた。
かなり無謀なこともした気がする。
毛皮はぼろぼろ、あちこちに小さいけがをしているし、ろくに食べていないので痩せてしまっていた。
家族が命がけで救ってくれた命を、自分が疎かにしていた。
僕はやっと、自分が現実を受け入れ始めたのを感じた。
長い悪夢から覚めたようだった。
それから僕は、茅ヶ紫原を中心に近くの集落で兄を探した。
また、自分を鍛え始めた。
いつか自分の力で一族の村に帰るときのために。
仇を取りたい気持ちもあったけれど、今はまだその時ではない。
そして、当面は茅ヶ紫原を縄張りにしようと決めた。
…………。
なぜって、ルフィアが相当な変わり者だということが次第に分かったからだ。
吹けば飛びそうな生き物のくせに、力を与えてくれる主人を持つ気もないときている。
しかも、茅ヶ紫原の噂を聞きつけた魔族から、たまに強引な勧誘もあるようなのだ。
何度かそんな奴らから逃げ惑うルフィアを庇ったりもした。
「ぜ……ったい!あんなやつらの使い魔になんか、ならない!」
息まく勢いだけは立派だったが、一族の長や、力のある魔族からすれば、毛を逆立てた子猫のようなものだ。
首根っこを摑まえられたら、嫌でも言うことを聞かないといけなくなる。
でなければ、あっというまに消されてしまいそうだ。
輝きを取り戻した僕の毛皮を気持ち良さそう撫でる小さな手。
もうちょっとだけ、とくったくなく笑う瞳。
このか弱い生き物が、幸せに暮らしていけるように守りたい、と思った。