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チートなしで異世界に飛ばされた件  作者: 結城
第一章 『英雄の息吹』
9/12

パーティ結成

 そのひと言を告げた瞬間、空気が凍った。

 病室の中を重い沈黙が支配する。


「あ……」


 そんな、声ともいえないような音を俺の喉が発した。

 俺は今、なんて言った?


『イズミ、俺とパーティを解消してくれないか』


 俺は一瞬前の自分の言葉を反芻する。

 きっと俺はその言葉を告げられたイズミ以上に混乱していた。


 そんなこと、言うつもりはなかったのに。

 なぜ、どうして……。

 俺は自分で自分がわからなくなった。


 パーティを解消するという選択肢は、存在した。

 しかしそれに関しても、一時的に他のパーティを体験するという名目で話すつもりだった。

 こんな、一方的にパーティを解消してほしいといきなり告げる予定はなかった。


「いや、その。な」


 喉がカラカラに渇いていく。

 次にどんな言葉を発するべきなのかわからない。

 その状態のまま時間だけが過ぎて、ようやく言い訳のような言葉が口に出る。


「ずっと考えてたんだ。イズミがこのまま才能値を十分に開放したら、その時俺は足手まといになるだろう? ほら、パーティを解消する原因って一番が人間関係の悩みで、次に攻略できるクエストに差が出てきてしまった時だろう? 別段珍しいことじゃないんだ。イズミなら気にせずパーティを組んでくれるんだろうけど、クエストのレベルも合わせてゆっくり攻略しようなんて言ってくれるんだろうけど。そうなったらきっと俺は耐え切れなくなる。そういう負い目を感じたくない。だから今のうちにパーティを解消して、才能値の近い人同士でパーティを組むべきなんじゃないかって考えてる。本当に勝手で、ごめん」


 俺はそこまで一気に言葉にして吐き出した。

 言葉に出してみて、ようやくわかる。

 今までうまくやれていたから感じていなかったプレッシャーが、ランクアップ直前にして大きく圧し掛かっていた。


 ここまでうまくやれていた大きな要因である、神知識はもうほとんど使い物にならない。

 Eランクのクエストを超える知識は全く存在しないと言って良いだろう。

 採取のアイテムはもちろん、モンスターの知識や、探索時の注意点、戦闘の仕方に至るまで。

 基本を越えるものについては一切知識がなくなる。


 そうした知識がなくなった瞬間、これからどんどん差が開いていく。

 俺はそのプレッシャーを感じたくなかっただけだった。


 今現在は、お互いがお互い高め合うような理想の関係であるといって良いだろう。

 このまま最高の形のままで終わらせたくて――。

 そんな気持ちがあることに気付いた。


 この選択はスイやミリアさんの期待を裏切るような結果だ。

 俺たちがパーティを解消したと知れば、彼女たちは疑問に思い、そして悲しそうな顔をするだろう。

 二人の表情が鮮明に脳内に浮かび上がるかのようだった。


 イズミだって、いきなりパーティを解消しようと言われて困惑しているはずだ。

 冒険をはじめてから今日に至るまで、ずっと、良い関係でいられ続けたのだ。

 だから、この提案は突拍子もないもので。

 怒りに任せて糾弾されても仕方がないと思っていた。


 それがどうしようもなくこわくて、イズミの顔を見られなかった。

 しかし、それも限界だろう。

 イズミは先程からずっと沈黙を保っている。

 こちらが向き合う覚悟を持つのを、待ってくれているのだろうか。


 俺は恐る恐るイズミの表情を窺った。


「な、んで……」


 そして頭の中に疑問符が満ちる。

 こちらを見るイズミは、少し悲しそうだった。

 けど、それだけだ。

 突拍子もないはずの俺の言葉を平然と受け入れていた。

 まるで俺がこの言葉を発することを予想していたかのように。


「カイさんが本当にそうしたいのなら、受け入れます。だけど一つだけ言わせてください」


 イズミは悲しそうなままその言葉を問いかける。


「私だけなんですか」


 自分に言い聞かせるように呟かれた言葉は、俺に心の奥底まで確かに届いた。


「カイさんとパーティ組めてうれしかったの」


 胸に手を当て、瞳を閉じて。

 本当にうれしそうに、これまでのことを話していく。


「一緒にクエストに行って、新しい風景を二人で見て、これからもずっと隣で冒険したかったの」


 一週間という短い時間ではあったが、本当にいろんな場所に行った。

 神知識で大体の地形は頭に入っていたが、実際に目にしてみると壮観だった。

 それこそ、この世界ではじめて見た景色のほぼ全ては、イズミと一緒に見たものだ。


「私だけなんですか」


 悲しそうに、彼女の瞳が歪む。

 俺はそれを見て、耐え切れなくなった。


「ち、がう……」


 そんなわけがない。

 俺は、ずっとイズミと一緒にいられて、でもいられなくなることを考えて――。


「俺だって! 俺の方がずっと、イズミの隣にいたいに決まってるだろ!」


 大好きなんだ。

 彼女の才能が眩しいくらいで。

 いっそのこと、こんな才能なんて持たずにいてくれたらよかったのに、なんて逆恨みしたりもした。

 そうすれば、ずっと俺がいろいろなことを教え続けられて。

 必要ない、なんて、言われるようなことには絶対にならなくて。


「いーえ違います! 私がカイさんといれてどんだけ嬉しかったのか、カイさんは分かってないです」

「そんなのわかるわけないだろ!」

「だからそんな台詞が言えるんですよ! カイさんのデリカシー不足! 鈍感!」

「わるかったなぁ! こちとら空気ぶち壊すことには定評があんだよ!」


 人の気持ちなんて分かる訳がない。

 分からなくても生きてはこれた。


 イズミは俺が隣にいて嬉しいという。

 だが、俺にはそれが分からない。


 俺はイズミに何かしてあげられただろうか。

 魔法を教えることはできた。

 剣技の修練をすることもできた。

 だが、イズミからもらっているものと比べると……それはあまりにも小さいものに思える。

 わからないのは、ただただ怖いだけなんだ。


「そんなの、私だってわからないんですよ」


 イズミは小さく首を振って、想いを告げていく。


「カイさんに教えてもらえて、魔法を使えるようになりました。剣技だって今までにないくらい上手く使えるようになりました。でも、そんなの全然関係なくて! 素敵な景色を見た時に無邪気に笑う姿だったり、剣を振る時の真剣な表情だったり、時々変な顔で笑おうとしたりするカイさんが隣にいるだけで嬉しくなるんです」


 ただ嬉しいとだけ繰り返すイズミの言葉が胸にしみこんでいく。


「どうして嬉しいのかなんて、私にだって分かる訳ないじゃないですか。でも嬉しいんです。理由なんていらないんです。理屈なんかいらないくらい嬉しいんです。カイさんは違いますか」


 そんなことはない。

 俺だって同じだ。

 理屈なんていらないくらい、イズミが隣にいるだけで嬉しくなる。

 だけどそれを言葉にする勇気はなくて。


「だから――そんな風に、泣かないでください」


 言われてはじめて気付く。

 いつの間にか頬を伝う雫を、イズミがそっと拭い取った。

 そしてそのまま、イズミの手が俺の背中に回されて抱き寄せられる。


「――」


 ぎゅっと。

 薄いが、確かに柔らかさのあるイズミの胸全体に頭が包まれていた。

 顔全体に熱が集まっていく。

 きっと今の俺は耳まで赤くなっているだろう。


「ずっと無理してましたよね」

「無理なんて……」

「そうですか?」


 発した言葉はいつの間にか消えていく。

 イズミは否定しなかった。

 代わりにぎゅっと抱きしめる力が強められる。


 彼女の高めの体温がこれでもかと伝わってきて。

 後ろに回された手が優しく背中を撫でる度、熱くなる体とは別に思考が落ち着いていく。


「剣を振るう時だって、一度のミスも許せないかのようにずっとずっと緊張していて。魔法を教えるときだってそうです。私がちょっとでもつまずいたときは、翌日にはもっと分かりやすい教え方を考えてくれていて。役に立てなければいらないんだって、ずっとそう考えていて……」


 イズミにかけられた言葉に対して、俺は何も返すことはできない。

 その通りだと思った。

 人間なんて結局は利害が一致しているかどうかで動いていく。


「どうし、て……」


 わかったのかと。

 そう問う言葉がようやく出てくる。

 遠回しな肯定を彼女は受け止める。


「だって私も同じですから。ずっと落ちこぼれって扱われ続けて。魔法も誰にも教えてもらえなくて。唯一、剣だけは与えられたんです。それで精一杯期待に応えようとしたんですけど……」


 イズミの表情から察するに、そのがんばりは実にならなかったのだろう。


「完璧にこなそうとしても、全然無理でした。カイさんだって同じですよ? いつも完璧なように見えますけど……。それでも、やっぱりカイさんはカイさんなんです。普通のヒトなんです」


 いつも完璧に生きれるように動いてきた。

 そうでなければすぐに置いていかれると思ったから。

 でもそれすらイズミには見抜かれていた。

 だから、そこまで無理はしなくていいのだと、イズミは言う。


「カイさんはがんばりました。きっとこの世界の誰だって、神様だって同じことはできません」


 後頭部に寄せられていた手が、ゆっくりと、落ち着かせるかのように髪を撫でていく。

 時折櫛をかけるように丁寧に。

 頭を優しくぽんぽんと叩かれる時もあった。

 ともすれば子供扱いされていると感じるそれは、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 ただ心地良さだけが残る。


「本当に尊敬しています。でも、私はそこ以外の、そこを含めたカイさんの全部が、その……好きなんです。カイさんが信じられないのなら、何度だって言います。私はカイさんと出会えて良かった。一緒に過ごした時間が楽しかった。そこに理屈なんてないんです」


 ふと、そこで考える。

 どうしてイズミは俺にここまでしてくれるのだろうか。

 俺はイズミに何を返せるだろうか。


「俺も、楽しかった」


 俺は素直な気持ちだけを伝える。

 他に返せるものが思いつかなかったから。


「それなら良かったです」


 耳元でイズミが囁く。

 その瞳からは涙が滲んでいた。

 こんな言葉で良かったのだろうかと疑問思う。

 けれどそれも、イズミの表情を見てどうでもよくなっていった。


 それから、二人でこの一週間で楽しかったことや嬉しかったことを伝え合っていった。

 イズミから一つ楽しかったことを聞く度、俺の中でたくさんの"楽しかった"が思い起こされていく。

 永遠に終わらないのではないかと錯覚するほど、その時間は長く、そしてあっという間に過ぎていった。


 どれくらい時間が経っただろうか。

 イズミが少し呆れたような口調で、俺の幸運値について触れた。


「だいたい、悪魔の遣いが現れたのがカイさんのせいだっていうのなら……眠り草が見つかったのは私のせいじゃないですか」

「そんなこと……」

「あるんです。カイさんが言ったんじゃないんですか。幸運値が普段の行動に現れてくるなんて馬鹿げたこと」

「そ、それは客観的に見てだな」

「まあ、それはいいんです。カイさんがそういうんなら私も付き合います。幸運値がモンスターの出現率に関わってくると仮定したら、アイテムの発見率にも運が関わってくるはずですね?」

「いや、それは」

「ですね?」

「あっはい」

「つまりです。幸運値が気持ち悪いくらい高い私がいたからこそ、眠り草なんていう超レアな素材が手に入ったわけです。そうですね?」

「その通りです……」


 イズミの有無を言わさぬ口調に、反論する気すらなくなっていく。

 どちらにせよ、幸運値なんて曖昧なものを頼りに論ずること自体が間違っている。


「じゃあ今回の件はカイさんと私、両方の運が悪い方に作用したわけです。でもですよ? 今回、これだけ大変なことになってしまいましたけど……もしそれが良い方に作用したら、きっと私たちにできないことなんてないと思うんです」


 根拠など何一つない。

 曖昧な理論だ。

 だいたい、俺の運の悪さが良い方へと転じるとはどういうことなのか。

 理解はできなかったが、イズミの持つ運を鑑みると、それすら超えてイズミの言う通りになってしまう気がして不思議だった。


「それは……恐ろしいな」

「でしょう?」


 イズミは照れたように笑った。

 そして一転、表情を引き締めてからイズミは言う。


「私が目指すのは英雄です。史上最高の冒険者となって、誰も為し得なかった偉業を達成します」


 イズミの目指す場所が想像以上に高いことに、俺は驚愕した。

 そして、なぜこのタイミングで話したのかを考える。

 今回の件は、俺がイズミとの才能差を勝手に嘆いて拗らせたのが問題だった。


「理由は……私の大切なものを守りたいからです。詳細はいずれ必ず話します」


 だが、史上最高の冒険者――ここまで高い理想を聞くと、才能値の差で嘆いていたこと自体が馬鹿らしくなってくる。

 そして、見たくなった。

 イズミが英雄に至るその道程を。

 イズミの隣で、目を逸らすことなく。


「でもそれは、運くらい味方につけられないと、実現できないことだと思っています」


 だから、協力してほしいと。

 そう言ってこちらに手を伸ばすイズミ。


「もしカイさんが辛いなら……嫌ならば無理にとは言いません。ですが、ですが私は!」


 イズミは蒼い瞳を真剣に見開いて。

 そこには未だ不安が宿っている。

 けれどそれを上書きするほどの強い意志もまた宿っていた。


「カイさんに私の隣にいてほしいです」


 勇気はもう、十分すぎるほどもらった。

 あとは言葉に出すだけだ。

 俺は大きく息を吸って深呼吸した。


「イズミ」

「はい」


 真剣にこちらの言葉を待つ少女を、これ以上ないくらい真剣に見つめる。

 永遠にも感じられる時間の中、俺はそのひと言を告げた。


「俺とパーティを組んでくれないか」

「はい。喜んで」


 たくさん言葉を用意したはずだった。

 いろんな言葉で飾って、かっこつけて。

 そんな理想は彼女を前にして一瞬で砕け散った。

 あとに残ったのは、シンプルな言葉のみ。

 しかしそれはこの一週間、ずっと口にしたくて、けれどできなかった言葉だ。


 イズミの瞳から、一筋の涙が頬を伝って落ちる。

 涙の通ったあとは、宝石のようにきらきらと輝いて、彼女の姿を何倍にも魅力的に映した。


 こうして俺達二人は、正式にパーティを組んだ。

 このあとどんな困難が待ち受けようとも……一度正式に組んだパーティだ。


 スイの言うように、二人して冒険を精一杯楽しんでいこう。

 ミリアさんの期待に応えて、イズミの隣を胸を張って歩けるように英雄を目指そう。


「あ、そういえば……」

「どうしたんですか?」

「プレゼント、用意してたんだけど、渡しそびれた……」

「? 今渡せばいいじゃないですか」


 その通りではある。

 しかし、しかしだ。

 ここまでプロポーズっぽい流れで渡すことになるとは思っていなかったのである。

 そして、今このタイミングで渡したら完全にプロポーズなのではないか。

 そう思えるようなプレゼントなのである。

 値段も給料三か月分じゃ足りないし。


「私、カイさんからのプレゼントなら何でも嬉しいですよ?」


 そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、イズミが無邪気な笑顔でプレゼントを促してくる。

 たぶんイズミなら草原から拾ってきた一輪の花ですら笑顔で受け取ってくれるだろう。

 そう予感させる笑みだ。

 だからこそ今の俺にはプレッシャーとして感じる。


「えっと、その……な? また今度じゃダ――」

「今がいいです」

「……」

「今日この日、カイさんと正式に一緒になった日にプレゼントがほしいんです」


 言い方ぁ!


「もしかして私、わがままだったでしょうか……」

「いや、そんなことないよ。てか俺から話題に出した訳だし。やっぱり渡すべきだよな……」


 沈んだ表情を見せるイズミ。

 それを見て、俺の中の羞恥心やら葛藤が全て吹き飛んだ。

 やっぱりイズミには、できるだけ笑顔でいてほしい。


「これ……嫌じゃなければ是非もらってほしい」


 そう言ってポケットから取り出したのは、リング型の装備である。

 臨時報酬のほぼ全てを注ぎ込んで購入したそれは非常に有用な効果を発揮する装備だ。

 簡単に言えば『発動条件の緩いきあいのタスキ』である。

 ヒールが優秀なこの世界においては、チート級の装備と言えるだろう。

 繰り返すが、ちゃんと有用な魔法が込められた装備品なのである。


 それを見てイズミは目を丸くする。

 目の前にあるものが何か信じられないといった様子で、それでもゆっくりとリング型装備を受け取る。


 俺、どうしてこの形のプレゼント選んじゃったんだろうなぁ。

 今更後悔の念が宿る。

 しかし、指輪の性能を見た瞬間に買わずにはいられなかったのだ。


「こ、これって……」

「いや、ちがうんだ。あ、ちがくはないかもしれないんだが。それともちがくて。つまりだな」


 おれは こんらん している!


「そ、そういうことでいいんですか?」

「そう! すっごい性能なんだよ! 一目見ただけで分かるなんてイズミはやっぱりすごいなぁ! ある一定以上のダメージは自動的に無効化してくれる優れもの! まさにバーサーカーにピッタリダヨネ! きっとイズミにも似合うよ! イズミは何着てもつけてもきれいでかわいくて見ているだけで幸せになれる好きだ」

「……」


 あれ?

 俺は今なんて……。

 いやまて、わかるぞ、好きと言った。

 言ったが、ここ数日は割と心の声が言葉に漏れていた自信がある。

 つまりイズミに好きと伝えるのははじめてではない。

 そしてその度、イズミは顔を真っ赤にさせつつ、冗談として流していた。

 だが、今が冗談として通じる空気かというと……。


「私もカイさんが好きです」


 100パーセント、何の誤解もなく、俺の気持ちが余すことなく伝わっていた。


「カイさん、これ、つけてくれますか?」


 一度は受け取った指輪をこちらに手渡してくるイズミ。

 そうして突き出されたのは左手だった。

 イズミは目をぎゅっと閉じてこちらを待っている。


 俺は諦めの悪いことに人差し指につけようとして、


「そ、そこじゃないです」


 目を瞑ったイズミにダメ出しされた。

 これはもう、覚悟を決めるしかないか。


 俺はイズミの左手をもう一度手に取り、その薬指に指輪をゆっくりと通していく。


「ん……」


 指輪を通し終えた瞬間、イズミは微妙に色っぽい声を出した。

 ゆっくりと目を開け、左手の薬指に輝くシンプルな指輪を満足そうに眺める。


 どれくらい時間が経ったろうか。

 1、2分だったかもしれないし、30分以上経ったかもしれない。

 もしかしたら1時間以上、二人してその指輪の輝きに魅入られていたかもしれない。


「え、えへへ……」

「あはは……」


 ようやく我に返った時には、気まずくてお互いの顔を見れなかった。

 嬉しさやら照れやら恥ずかしさやらが混ざってわけがわからないことになってる。

 途中で院長さんが検診に来てくれなかったら、そのまま日が暮れていたかもしれない。


 検査は特に問題なく終わった。

 魔力も安定しているらしい。

 しかしこれ以上の無理はしないようにと念を押された。

 場合によっては魔力容量が低下することもあるのだという。

 こういうのは使えば使うほど上がるものだと思っていたが、そんな都合の良いことはないらしい。

 だが一先ずは後遺症のようなものはないらしく、無事退院できた。


 ふぅ、と安心したように息をついたイズミと共に病院を出る。


「今日の記念にお食事でもしませんか?」

「なかなか高くつきそうだ」

「ご安心ください。今日"は"私が奢りますよ」

「それはそれで微妙な気もする」

「いいですから。とりあえずついてきてくださいね?」


 イズミに案内されたのは、ここ王都に来てからはじめて夕食を食べたレストランである。

 そんな高級なところでもない、とても味は良いがリーズナブルなお店だ。

 幸いにして少し早い時間だったからか、よく見かけるガラの悪い冒険者どもは一人もいない。

 俺達は落ち着いた雰囲気の中で夕食を楽しんだ。


「そのメニュー……」


 イズミが選んだメニューを見て、前回俺が頼んだものと一緒であることに気付く。


「カイさんが食べてるの見て私も食べたいと思っていたんですよね! そういうカイさんだって……」


 そういえば、俺のメニューも前回イズミが頼んだものと同じである。

 無意識のうちに選んでいたか。

 そんな小さな偶然も、今はすごくうれしく感じられる。


 ここから――。

 正確にはこれより前に盗賊を追い払ったりスライムを粉砕したりしたが、その瞬間から俺たちの冒険は始まったと言って良いだろう。

 あのときは、ここまで一緒にパーティを組み続けられるなんて思ってもみなかった。

 さらに言えば、正式にパーティを組むなんて夢にも思わなかった。


 それがこうして、パーティを組めて、想いまで伝えることができて――。

 こうして初日と同じように、そして少しだけ違った夕食を楽しめている。


「おいしいですね!」

「ああ……」


 俺は幸せそうにご飯を食べるイズミを見つめて思う。



 どこかぼーっとした、つかみどころのない雰囲気を纏う彼女が好きだ。


 目線が合うたび、はにかむように笑う彼女が好きだ。


 猫なのにチョコを与えると喜ぶ彼女が好きだ。


 たまに神知識による奇行をしたときにジト目でこちらを窺う彼女が好きだ。


 愚直なまでにまっすぐ、芯の通った剣を振るう彼女が好きだ。


 クエスト中、耳をぴこぴこさせて索敵するときの彼女が好きだ。


 割と食べ物に弱くておいしいものを食べると機嫌が良くなる彼女が好きだ。


 何かを不安に感じた時、こちらの変化を敏感に感じ取って、安心させるように笑いかけてくれる彼女が好きだ。



 彼女といるだけで、俺の中の好きがあふれていく。

 彼女を好きと感じる度、俺の胸の中にあたたかいものが満たされていく。

 人を好きになるのがこんなに素晴らしいものだなんて、彼女にはじめて教えてもらえた。


 こんなに幸せでいいのだろうか。

 俺は誰に向けてでもなく問いかけた。

 当然、答えなど返ってくるはずもなかったのだが。


 そんな問いに答えられるのなんて、きっと、全知全能の神くらいだろう。



「……ッ!」



 そこで俺の全身に、形容しがたいほどの悪寒が走った。

 悪魔の遣いと遭遇した時とは比較にならないほど。

 全身からぶわっと汗が噴き出すような感覚がした。

 いや、気のせいではない。

 今も俺の額からは滝のように汗が滲み出ていた。

 そこで気付く。




 じっ、と。




 こちらを見ている男がいた。

 その男の唇が、にやりと、嫌な感じに歪む。


「イズミ、ちょっとごめん」

「え、カイさん……?」


 それだけ言って俺は弾かれたかのように席を立つ。

 不安そうに呼び止めるイズミの声は、今だけは気に留めている余裕がなかった。

 全身を襲う悪寒を無視し、"それ"の前に移動する。


「やあ。君が転移者か」


 そのひと言で俺の警戒レベルはマックスになった。

 警戒したからといって何になる、と全身の感覚が訴えかけてくる。

 目の前にある異質な存在の不興を買った瞬間、俺の命はないのではないか。

 そんな疑念が頭を過ぎる。


「ご察しの通り、私がこの世界の現地神だ」

「は、はじめまして」


 神からの忠告。

 この世界の現地神には逆らうな、という意味を十全に理解した。

 あののほほんとした神は、その力を完全に抑えていたのだろう。


「はい、はじめまして」


 次の瞬間、「ではさようなら」という言葉と共に消されることを覚悟した。

 しかし現実はそれを遥かに超える――最悪だった。


「今日は君に忠告があってきたんだ」


 不吉な予感がひしひしとする。

 どうか何事もなくこの神との邂逅が終わってくれと。

 そう願う想いも虚しく、神は告げた。


「君のパーティメンバー、イズミはもうすぐ死ぬ」


 俺は告げられた言葉の意味を受け入れることができず、呆然と立ち尽くすことしかできない。


「そこで神からの"お願い"だ。彼女が死ぬとき……決してその邪魔をしないでほしい」


 ここ数日王都の空を覆い続けた分厚い雲から、ようやく一つ、雨粒が落ちた。

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