キークエスト
ランクアップに必要なクエストをあらかた終え、ギルドポイントも十分たまった。
そろそろギルドランクを上げてもいい頃だろう。
そんなこんなで、こうしてミリアさんに時間をとってもらって相談をしている。
「まあ、カイさん達の実力なら特に問題はないでしょうが……」
そこでミリアさんは一旦言葉を止めた。
「えっと……何かまずいことでもありますかね?」
「わかってて聞くんですからぁ」
にっこり笑みを浮かべながら、少し舌足らずな言葉遣いで喋るミリアさん。
俺は背筋がゾクゾクした。
なんか変な趣味に目覚めそうだ。
ミリアさんが言っているのは、十中八九イズミとの正式なパーティ結成のことに関してだろう。
俺は未だにイズミと正式なパーティを組むことに気後れしていた。
パーティを組むメリットはたくさんある。
一つは攻略の際に必要に迫られてするもの。
例えば、単純に人数が増え、戦力が増強することにより行動範囲が広がること。
ソロで行くことができないようなダンジョンでも、パーティを組めば比較的安全に攻略することができる。
そして現れるモンスターの魔素保有量が高ければ高いほど、レベルアップの速度もあがる。
チマチマと安全マージンを大幅にとったダンジョンをソロで攻略するより、一つでもランクが上のダンジョンをパーティで攻略する方がレベルアップは早いのだ。
他にも、必須ではないがパーティを組むと便利な特典を得られる。
例えば、パーティを正式に組むとパーティ自体にもランクが与えられるのだ。
このランクによって所属メンバーのギルドポイントにボーナスがついたり、ギルドで購入できる消耗品の価格が下がったりする。
対してデメリットは……ほとんどない。
本当に決定的な問題が起これば、パーティは解散すれば良い。
パーティ解散には、これまで積み上げたものが消える以外にデメリット……ペナルティは特にないからだ。
仮登録のままクエストをこなすメリットは皆無だ。
デメリットもそんなに多くはないが。
しかし確実に損はしているだろう。
「……」
という至極もっともな疑問を、無言で促してくる。
確かにこれは俺自身の心意気の問題だ。
今後確実に浮き彫りとなる実力差を、一人で勝手に憂いているだけ。
はあ、とため息をつくミリアさん。
「ランクアップするまでパーティを組み続けて、正式なパーティにならないなんてほとんどありませんよ?」
無言のままやり過ごそうとした俺を追い込むように、ミリアさんが現実を突きつける。
一応、これ程早くランクアップするパーティは極々稀なので、そういう言い訳はきくのだが。
「その……タイミングを逃しまして。どう切り出していいかわからないんですよね」
「とりあえずプレゼントでも送って『イズミ……俺と、俺とだけ正式にパーティを組んでくれないか。君が欲しいんだ』とか言えばいいのではないでしょうか」
「なにそのプロポーズ。ハードル高すぎやしませんか?」
「平気ですよ。女の子はプレゼントに弱いんです」
※ただし(略。
ミリアさんから話を振ってきた割には対応がおざなりだ。
言葉に気持ちがこもっていないというか。
こんなことを思っては失礼かもしれないが、そんなことも分からないんですかと馬鹿にされているような、そんな感じがする。
「まあ、何かをプレゼントするのは良いかもしれませんね。パーティ申請するかはともかくとして、日頃お世話になってますし。パーティ申請するかはともかく」
「……意気地なし」
「ぐはっ」
ミリアさんからジト目で告げられた一言は俺の心臓を的確に撃ち抜いた。
胸を抑えてその場でうずくまる俺。
数十秒後、ショックから立ち直ろうとしたところで、
「この分ではいつ渡せるか分かったものではないですね」
「がはぁ」
さらなる追撃がきた。
するとミリアさんはくすくすといたずらっぽい笑みを浮かべて言う。
「ごめんなさい。少しからかい過ぎてしまったかもしれませんね。でも、カイさんからのプレゼントなら絶対喜んでくれますよ」
「そうですかね」
「それは保証します。もらったプレゼント抱きかかえて喜んで幸せそうにするイズミちゃん、見たいでしょ?」
「見たい……」
「それだけ聞ければ十分ですかね」
ミリアさんからこれまでの圧が消える。
そのタイミングを見計らって、俺は疑問に思ったことをそのまま口にし、秒速で後悔した。
「喜んでもらえるプレゼントってどんなのでしょうか?」
「んー」
ミリアさんは小さく首を傾げ、少しの間何かを考えるような素振りを見せた。
そして開かれた目は、またジト目だ。
「そこを考えるのは君の仕事。ですよ?」
「ひゃ、ひゃい」
俺のおでこを軽くちょんとつつきながら言うミリアさん。
俺は上擦った声で返事をすることしかできなかった。
「お待たせしました!」
と、そこでギルドでは買えない消耗品の補充をしていたイズミが帰ってきた。
ミリアさんはイズミがギルドホールのドアを開ける2秒前には手を離し、いつものにこやかな笑顔に戻っていた。
気配でも察知したのかな?
「あれ? 二人ともどうしたんですか?」
微妙な雰囲気を敏感に感じ取ったイズミが尋ねてきた。
正直に答えるわけにもいかない俺は口をつぐんでしまう。
するとイズミの尻尾が怪しげに揺れ、耳はぴんと立った。
たまに見せる警戒するポーズだ。
かわいい。
「安心してください。カイさんは浮気とかしたりしませんよ」
『うわっ』
俺とイズミの声が重なる。
その言い方だとまるでイズミが俺の彼女みたいじゃないか。
イズミが彼女かぁ。
俺は一瞬で脳内で制服姿に着替えさせたイズミと放課後の下校途中でお互い少し恥じらいながら手をつないで帰る妄想をして悶絶しそうになった。
もしイズミが彼女だったら……。
休みの日にはお家デートで好きなゲームとかやりつつゴロゴロイチャイチャしたり!
天気の良い日は公園でお散歩しつつレジャーシートを広げてお弁当食べたあとは膝枕なんてしてもらっちゃったり!?
するのではないだろうか!!!
……あれ、でもそれって今も似たようなことしてもらってるよな?
俺、もしかしたら今が幸せの絶頂にいるのかもしれない。
そんな幸せをかみしめながら、今日もイズミと一緒にデート……クエストの攻略をしていった。
†
ミリアさんにランクアップの相談をしてから二日が経った。
「とりゃー!」
気の抜けるような掛け声とともにイズミが剣を振るう。
同時に、冗談のような勢いでモンスターが宙を舞った。
俺はその飛ばされたモンスターの死体を確認していく。
「おお……討伐証明部位が一切かけてないな」
俺は感嘆の声をあげた。
数日前はスライムのコアごと潰す勢いで討伐していたのと同一人物とは思えない上達ぶりだ。
「えへへぇ。練習したんですよ」
誇らしげに胸を張るイズミ。
何を相手にどう練習したのかは、ちょっとこわいので聞かないでおいた。
そうして俺たちは何事もなくランクアップ前、最後のクエストを終える。
イズミの成長速度もあり、最早Eランクのクエストでは肩慣らしにもならないレベルだ。
俺はランクアップのためのキークエストを発行してもらうことを決めた。
ミリアさんにお願いすると、事前に話を通してあったためかすぐ対応してくれた。
他にEランクのキークエスト申請者はここ最近出ていないらしく、あっさりと申請が通ったようだ。
「ミリアさん、いつもありがとうございます。俺、今日無事クエストを終えたら――決めてきます」
「はいはい。良い報告が聞けることを期待して待ってますよ」
口調は同じだが、いつものあしらい方とは少し違う気がする。
ミリアさんも本当に期待してくれているのだろう。
がんばらなくては。
ちなみにプレゼントは選び終えている。
つい最近、臨時収入があったんだ。
そのおかげでちょっぴり豪華かつ実用性もバッチリの品を用意できた。
明日のランクアップ……キークエストを無事に終えたら、その時はこれを送ろう。
そしてその感触が良ければ、そのままパーティ申請だ。
「俺、このキークエストが終わったらイズミに伝えたいことがあるんだ」
「え? それって……」
「まあ、無事終わったら。そのときね?」
「はい……」
イズミの瞳が揺れる。
それは期待だろうか?
それとも……。
俺は不安を振り払うように頭を振ったあと、気を取り直してクエストに向かった。
その日は珍しく、今にも土砂降りの雨が降りそうなほどの分厚い雲が空を覆っていた。
†
王国領北部、旅立ちの平原にて。
この世界の魔物は北に行けば行くほど強くなる。
それは北に魔王城があり、そこから大量の魔素が生み出されているせいだと予測されている。
そのため昨日までは南部の『はじまりの平原』や東部の『エルフウッドの森』、西部の『魔銅鉱山跡地』を主に探索してきた。
ここからは魔物のレベルがほんの少しだけあがることだろう。
今回の討伐目標はシルバーウルフだ。
E級脱却の最後の関門と言われているモンスターである。
王都近郊のどのモンスターよりも素早さが高く、さらに群れで行動するため一筋縄ではいかない相手だ。
しかしそれも、一般人の枠に収まるEランクの冒険者にとっての話になる。
シルバーウルフは確かに素早い。
素早いが……ここ数日の鍛錬で、イズミの速さはそれを軽く超えていた。
自身の身の丈ほどの大剣を背負っているにもかかわらず、群れで連携し波状攻撃を仕掛けてくるシルバーウルフを確実に倒していく。
また、当然のように討伐証明部位には一切傷を負わせていなかった。
このレベルの魔物になってくるとイズミと同じように討伐報酬部位に傷をつけないように立ち回るには気を遣う。
そろそろ戦闘分野では追い越されてしまうか。
「あと少し……ですね」
「そうだね」
その言葉に別の意味を感じ取りつつ、相槌を打つ。
気が付けば、討伐完了数まであと数体となっていた。
そこで群れの襲撃が途切れる。
どうやらこの群れの大半は狩りつくしてしまったらしい。
すんなり終わると思ったが、ここからは獲物を探していかなければならないだろう。
でも、それもちょうどよかった。
俺は道端で見つけた光る薬草をポケットに取り込んでいく。
「これがランクアップ前最後のクエストだからね。どうせなら完璧に終わらせたいかなって」
「良いですね。大賛成です。私も一緒に探しますよ!」
今回のサブクエストは王国北部で採れる月光草を規定数集めるというものだ。
魔力をほんのりと蓄えていて、様々なクラフト――調合の原材料になる。
神知識で判別できる薬草はこれが最高レベルだった。
いよいよ初心者レベルを脱却するのだなという実感が湧いて、少し感慨深い。
こうして、月光草を採取しつつシルバーウルフの群れを探すこと数分。
「でも、こうしてカイさんと一緒にパーティを組み続けられるとは思ってもみませんでした」
イズミが唐突にそんなことを呟いた。
「ん? どうして?」
「だって……」
理由を聞くと、彼女は少し言いづらそうにして言葉に詰まる。
「カイさんって本当はすごい冒険者ですよね。初級クエストに至っては知らないことなんてないんじゃないかって思います。それだけじゃなく、ヒトに教えるのだってうまいですし。今までのクエストだって全部私がいなくても問題なくこなせましたよね? 戦闘での立ち回りを見ていれば分かります」
「そんなことないさ。まあ、教えるのうまいって褒めてくれるのは嬉しいけど……」
俺は月光草を集めながら、内心の動揺を隠すことができなかった。
言葉に詰まる。
イズミは気付いていないんだ。
知識さえあれば、いや、なくたってイズミの才能値なら普通に今までのクエストは楽にこなせた。
ギルドのクエストは一般人でも順を追っていけばこなせる難易度設定になっている。
俺は、少し知識があっただけで……それも一つ上のランクからはほとんど役に立たないだろう。
「すぐに俺なんて目じゃないくらい成長できるさ」
結局俺は、そんな誰でも分かりきっているような事実しか言えなかった。
「はい! 早くカイさんの役に立てるようにがんばりますね」
「今でも十分、役に立ってるけど、ね……」
イズミの笑顔が眩しい。
どうしてそこまで人を惹きつける笑顔ができるのか、心底不思議だった。
「すごい、よな。どんどん、好きに、なってく」
「え!? 何がですか!?」
「あ、あれ。言葉に出てた? いや、最近王都のスイーツでお気に入りが、ね」
危ない危ない。
俺は薬草を単調に採取し続けたためか、強い眠気に襲われていた。
ぼーっとして心の中でつぶやいたはずの声が出ていたらしい。
「あ、あの新しくオープンしたところですよね! 私あそこのミルフィーユが本当に好きで……カイさん? 大丈夫ですか?」
「……ああ」
まずいな。
相当に眠い。
イズミの声が遠く聞こえる。
「あれ、カイさん。そこにある薬草って……」
ん? どうした?
俺は声に出そうとして、喉の奥に引っかかったような感覚だけが残った。
うまく、声が出ない……?
「眠り草じゃないですか?」
「おっ、マジか……」
ようやく声帯が震えて声が出た。
道理で眠いと思った。
眠り草はその名の通り睡眠薬等によく使われる薬草である。
ちなみに読み方は『ねむりそう』だ。
そのままでも十分に強い睡眠導入作用があり、香りを嗅いだだけでも眠くなることがあるほど効果が高い。
つまり俺は今、ピンチだった。
眠り草はその効果の高さから、魔素の濃い場所にのみ自生する植物だ。
つまり、こんな低レベルの狩場で本来見つかるようなものではないはずだが。
しかし、実際見つかってしまったのは仕方がない。
今重要なのは、眠り草の香りを思いっ切り吸いこんでしまい、今にも寝てしまいそうな俺の体調だった。
「困りましたね……私まだファーストキュア覚えてないんですよ」
イズミのレベルなら確実に覚えているはずの魔法は使えなかった。
これがハーフないしクォーターの弱点の一つだ。
本来レベルアップで覚えるはずの魔法がなぜか習得できないことがある。
そんなに頻繁に起こることでもなく、大抵は高レベルになれば思い出したかのように習得できるので大きく問題視されてはいない。
毒消し、麻痺直し、ライフポーション、マナポーションは常備してある。
しかし、眠気覚ましは持っていなかった。
ここ王都周辺では睡眠の状態異常を付与してくるモンスター等はいない。
その常識が、油断を生んだ。
準備不足も良いところである。
仕方ない、ここは眠ってしまったところをイズミに思いっきりビンタしてもらって起こしてもらおう。
薄れゆく意識の中で、なんとかそのことを伝えようと喉を動かし――。
「……ッ」
唐突に悪寒がした。
ゾクゾクとした寒気が背筋をかける。
眠り草の効果というわけではない。
眠り草は強力な睡眠剤として機能するが、ヒトに幻覚を見せる作用はない。
そこで、閉じそうになる瞼の先に信じられない光景を目にした。
黒い、全身が真っ黒な毛並みで覆われた獣だ。
頭部から生えた二つ耳がピンと立ち、尻尾がゆらゆらと揺れる。
イズミをもし猫に戻したら同じような見た目になるのではないだろうか。
デビルキャット。
別名、悪魔の遣い。
それはここ王国領で現れるにはあまりに濃い魔素をその身に宿すモンスターだ。
普段見かけることはなく、自然発生ではなく凶兆を知らしめるために現れるのではないかと言われるほど……。
最後に王都に現れたのは……約17年前だ。
なぜ、どうしてこのタイミングで。
そんな疑問だけが頭の中を支配する。
見た目だけならイズミと良く似た特徴を持つ大きめの黒猫だ。
しかしイズミと決定的に違うのは、ヒトの特徴を宿すかどうかではない。
その表情――。
獲物を見つけ、嫌らしく口元を歪め、真っ赤な瞳を楽しそうに細める。
人間の悪意をそのまま映したかのような表情が異質で、不気味だった。
デビルキャットは俺たちの周囲をゆっくりと回りながら、地形とこちらの戦力を分析しているようだった。
イズミや俺が持っている武器に視線が移動する。
知能が高く、警戒心も相当高いようだ。
「いいか、イズミ。君は逃げてくれ」
「えっ」
信じられないといった表情でイズミが聞き返す。
「なんでですか! わ、私も一緒に戦います!」
「ダメだ」
「ど、どうして……」
「わからないのか?」
なおも食い下がるイズミの瞳を、まっすぐ射貫くように見つめた。
すると、彼女は弱々しい雰囲気をさらに増大させ、怯えたような表情を見せた。
そうだ、それでいい。
これは俺の油断が招いた事態だ。
悪魔の遣いの存在について知っていたのに、現れる確率の低さも知っていたので出会わないなどと決めつけていたのだ。
自分の尻拭いは、自分でする。
「震えてる」
「……ッ」
「足も、体全体も、そして何より心が震えてる」
「あ……あぁ……」
言われて、ようやく気付いたのだろう。
自分が今どういう状態なのか。
イズミは項垂れて、その表情に絶望を宿す。
溢れ出てきた涙を、そっと拭い取る。
「笑って」
「え……」
「俺、イズミが笑ってる表情が好きだ」
本当はもっともっと好きなところなんてたくさんある。
でもイズミの笑顔が一番好きだから。
「だから笑ってくれ。そして、行ってくれ。ギルドに、ここに悪魔の遣いが出たって伝えてくれ。君にしかできない仕事だ」
イズミにだけ笑って、なんていうのも難しいだろう。
だから俺は精一杯歯列を見せつけるように満面の笑みを浮かべた。
「……」
イズミの目が大きく見開かれる。
ゆっくりとその目が閉じられていき。
次にそのきれいな碧眼が開かれたときには、彼女は俺の大好きな最高の笑みを浮かべていて――。
「い、や、で、す」
「はひ?」
イズミの震えはいつの間にか止まっていた。
イズミは俺をかばうようにして前に立つと、大剣を構える。
手の震えは一切なく、ぶれることなくデビルキャットに大剣の切っ先を突きつけていた。
「そんな、バカな」
どうして逃げてくれないんだ。
調子に乗ってサブクエストを完璧にこなそうとして、集中を欠いて採取した結果眠り草まで摘んで、ここ数年現れていないからって魔物への対処を怠って。
そして何より、豆腐に足を滑らせて死ぬような俺だ。
きっとこうやって厄介ごとを呼び寄せてしまうのは全部俺のせいなのだろう。
「わからないんですか?」
イズミが問いかける。
しかし、なんのことなのかはわからなかった。
イズミは正解を口にしてくれないまま、ゆっくりと歩を進めていく。
「カイさんは、ここで。少しだけ休んでいてください。私が必ずカイさんを守ります」
わからない。
どうして。
なんでそんな結論に至る?
明らかに足手まといである俺がここに残った方が良いはずなのに。
「笑っていてください」
今にも消え入りそうな声。
言葉の裏に、私がいなくても、なんて、そんな想いが込められていた気がして――。
それだけ言ったイズミはデビルキャットに跳びかかった。
「はああああああ!!」
イズミはモンスターと共に、近くの小さな崖下まで転げ落ちていく。
「い、ず……み」
待ってくれ。
今からでもいいから。
逃げて、生き残ってほしい。
デビルキャットは警戒していたが、本来そんな警戒など必要ないほどの戦力差があるのだ。
17年前、状況が悪かったとはいえ王都で死者100人以上の被害を与えた魔物は――今の俺たちには倒せない。
苦しい。
つらい。
悲しい。
そしてそんな感情すら、強烈な眠気が奪い去っていこうとしている。
どうにもできないのだろうか。
所詮俺はチートなしで異世界に飛ばされた、無力な人間だ。
イズミを――大切な人を助けたいと思うことすら、俺には過ぎた願いだったのだろう。
すると――。
――諦めていいのかい?
なんかこの場に相応しくないのほほんとした雰囲気の声が聞こえた気がした。
諦めて、いいのかだと……?
そんなの……そんなのは。
良い訳ないに決まってるだろうがッ!!
全身を怒りの熱が支配する。
俺はいったい、何を諦めようとしていた?
イズミの笑顔を思い出す。
あの笑顔が永遠に失われることを許していいのか?
よくない。
そんなのは世界の財産の喪失だ。
俺はどんな手段を用いたって、必ず、彼女の笑顔を守ってみせる――!
教えろ、俺はどうすれば。
脳内に問いかけようとして、その時にはすでに答えは出ていた。
まずはこの眠気を霧散させなければならない。
スリープを解除する魔法、ファーストキュアはLv4になれば覚えることができる!
俺の今のレベルは3……つまりレベルアップを果たせばこの状況をどうにかできるかもしれない。
すぐにレベルアップできるかという問題はある。
それにファーストキュアが眠り草の眠気に効く保証なんてない。
ほぼ不可能だ。
だけど、そうなったら彼女は死ぬ。
だったらやるしかないじゃないか。
多分、持ってあと1分――いや、30秒だ。
その間に、レベルアップを成功させる。
大丈夫、あれからかなりのモンスターを倒している。
イズミから聞いた話、そしてこの世界の常識を照らし合わせ、実際のレベルアップ速度に補正を加え……。
そろそろレベルが上がる頃だと思っていた。
少なくとも今回のクエストでは、多少モンスターを多めに狩ってでも確実にレベルをあげる予定でいた。
分の悪い賭けではないはずだ。
そう、これは運命とかそういう話ではなく……この世界のシステムの話だ。
経験値がたまる、たまらないに運のステータスは関係ない、と思いたい。
「ウィンドカーテン」
俺は魔法剣士のクラススキルを唱えた。
花びらを美しく舞わせたりするのに使えるネタスキルとして扱われている。
だが、狭い範囲に限定するならば、こういった使い方もできる。
俺は広げたウィンドカーテンに"ほつれ"が出てこないかを慎重に見極めていく。
こうすることで簡易的な索敵を行える。
しばらくして、この範囲にはいないかと諦めかけたとき、効果範囲の端にうごめく何かを捉えた。
そこに向かって移動する。
そこにいたのはホーンラビットだ。
一言で言うなら角の生えたうさぎである。
可愛らしい瞳をしているもふもふだが、れっきとしたモンスターである。
「スラッシュ!」
視界に入った瞬間、すかさず斬撃の魔法を放つ。
ホーンラビット程度ならこの一撃で十分だ。
予想通り、一瞬で絶命したホーンラビットは断末魔の叫び声をあげた。
俺は体内に魔素がたまる瞬間を確かに感じ取り……。
「ちく、しょう……」
レベルアップに満たない現実を突き付けられた。
俺は念のためホーンラビットの死体にスラッシュを放つが、当然効果はない。
周囲に魔物の気配はない。
俺は少しでも索敵範囲を広げようと足を動かした。
だが、重い。
一歩足を進めるごとに、石の重りを括り付けられているかのような感覚を覚える。
さほど移動できないうちに、足が木の根にもつれ、倒れこんでしまう。
「ウィンド……カーテン」
索敵開始。
効果範囲にモンスターの気配なし。
目の前が真っ暗になったような感覚が全身を支配する。
錯覚ですらない。
物理的に瞼が落ちかけている。
「く、そ……」
このままイズミに全てを任せて、気絶するだけか?
そんなの……そんなのは許せない。
俺が死ぬのはいい。
けれど彼女が死んだら……俺は……。
あと、10秒……。
俺は地面を這いながら、距離を稼いだ。
「ウィンド……」
もう一度ウィンドカーテンを唱えようとして、ふと気づく。
ウィンドカーテンの効果範囲。
それは自分を中心とした半径10メートルほどの範囲内だが。
実際には風の効果範囲を薄く引き伸ばしている関係で、地下や上空の索敵をすることができない。
地下は無理だ。
地面を掘り起こす魔法はまだ習得できない。
だが、上空ならどうだ?
俺は弾かれるように上を見上げた。
すると、高く成長し切った謎の針葉樹の枝の一端。
そこに小さな黒い影を見つけた。
ナイトフクロウ。
その名の通り、完全に夜行性のモンスターだ。
こんな昼間から見かけるなど、本当に運が良い。
あるいは、お前の運が悪かったというべきか。
「ステッ……プ」
かなり距離がある。
しかし、靄のかかる頭とは裏腹に、ゾッとするほど冷静に判断できた。
俺は宙に形成した力場を掴み、無理やり体を起こした。
「スラッシュ」
ナイトフクロウはほとんど眠っていた。
そのため完全に不意を打ったが、一撃では倒すことができなかった。
しかし翼に当たって飛ぶ力を失ったのか、ナイトフクロウは地面に墜落した。
「すら、……しゅ」
地面の先に向けてスラッシュを放つ。
レベルアップの効果音はもう聞こえなかった。
けど、たぶんきっと大丈夫。
根拠のない自信に促されるように、声を、あ、げt――。
「フ――」
視界が、黒く――染まる。
揺り籠で永遠と揺られ続けるような感覚。
意識が消えていく。
なくなっていく。
†
その、寸前――。
見えるはずのない先に、一人、孤独に戦い続ける少女の姿が見えた。
「…ァース、ォキュ…ぁ」
バチリ、と。
全身を襲っていた強烈な眠気が音を立てて消え失せた。
倒れかけていた体を支えることができず、ちょうど真下にあった窪みに足を滑らせてしまい。
「うおおおお!」
転がり落ちる。
小さな崖の下まで落ち切ってから、ようやく止まることができた。
全身の痛みを無視して起き上がる。
「クソッ! ついてねぇ! イズミはどこだ!?」
ファーストキュアがきちんと効いただけましか。
すかさずウィンドカーテンを発動させ、周囲の状況を探ろうとして。
何もいない。
魔物の気配一つなく、当然イズミがどこにいるかなんてわからなかった。
「バカか、俺は! ウィンドカーテンなんか展開している暇があったら走った方が……イズミィィィィ!! どこだああああああぁぁぁぁ!!!」
叫びながら全速力で、神に祈るような気持ちで道を駆け抜ける。
すると、さほど移動しないうちに真新しい血の跡を見つけた。
「――ッ! イズミ―――――――!」
焦りだけが増していく。
返事はなかった。
まさか、もう既に……。
そんな最悪の予感が全身を襲う。
怖い――。
それは純粋な恐怖だった。
イズミが、俺のせいでイズミが死んでしまったら、俺はなんのために……!
「ああああああああああああ!」
そして、森が拓けた場所に出る。
いや、そこは拓いた、と表現する方が適切か。
ところどころに大剣を薙ぎ払った跡や、モンスターの鉤爪で切り裂かれた跡が残っている。
どれほど壮絶な戦いをしたというのか。
それでも、デビルキャットの方にはほとんどダメージが入っていないように見える。
化け物が……。
自身の血に塗れ……それでもなお、美しさを保つイズミがゆっくりと振り向いた。
「カイ……? よかった、生きていたんだね」
「バッ……」
なんで余所見なんてするんだ。
そんな声も出なかった。
なぜなら、彼女は笑っていたから……。
その瞳に――赤く、紅く、朱い狂気を宿しながら。
バーサーカー。
その戦闘スタイルは、その名に表す通りである。
一言でいうなら、狂っている。
防御を端から捨て、少しでもダメージを与えようとする戦闘方法は、俺にとっては到底受け入れがたく……。
イズミが意図的に作った隙に、モンスターが飛びついた。
「――!」
イズミが声にならない叫び声で呪文を一気に唱えた。
もしかしたら俺の耳に聞こえていないだけかもしれない。
だが、何をしているか、どんな魔法を唱えているかはイズミの瞳を見れば簡単にわかった。
スキル『狂戦士化』。
攻撃を防ごう、避けようとする理性を奪い、攻撃力を高める魔法。
スキル『諸刃の剣』。
防御を大幅に低下させるが、その分攻撃力を大幅に高める魔法。
スキル『虎視眈々』。
素早さを大幅に低下させるが、その分命中率を大幅に高める魔法。
や、やめてくれ……。
まるで走馬灯のようにゆっくりとした時間が流れていく。
心の奥底から祈った言葉は、声に発することができない。
想いはイズミに届くこともなく宙に霧散した。
スキル『アヴェンジャー』。
次の攻撃までに受けたダメージが大きければ大きいほど、次の攻撃の威力を高める魔法。
ただしその間、被ダメージは増加する。
今のイズミは……モンスターの一撃を食らえばまず間違いなく――死ぬ。
「コンフュ!!!!!!!」
咄嗟にあげた幻惑魔法はほとんど効果をなさなかった。
恐らくこれまでの動きと獲物の匂い、気配などを感じ取っているのだろう。
デビルキャットはイズミのはらわたに食らいついた。
鮮血が舞う。
冗談かと思うくらい大きな血飛沫が、辺り一帯を染め上げる――。
俺はその光景を呆然と見つめることしかできなかった。
なぜなら――。
それだけのダメージを受けてなお、彼女は立っていたから。
剣の柄を離さず、いまだ戦意を失わず。
どうしてだよ。
さっきまで震えていたくせに。
どうしてそこまで……がんばれるんだ。
血で濡れたためか、充血したせいか、それともスキルの効果なのか。
イズミの瞳は依然、紅玉のように真っ赤な光を宿していた。
「はあああああああああ!!」
朱鬼剛腕流、一の型――『剛掌・打降』。
剣を上段から振りかぶり、力任せに打ちつけるだけのスキルだ。
単純だが、その分剣技の補正がかかり通常ではあり得ないような速度、威力で大剣が振り下ろされた。
――グギャッッ!
剣を振り下ろされ、避けることもかなわなかったモンスターは数メートルの距離を軽々と吹っ飛んだ。
朱一色だった地面に、ところどころ緑色の異物が混じる。
俺はそこで意識が現実に戻った。
「イズミ!」
大切な臓器を避けたのだろう。
派手に出血しているが、本当に奇跡的な確率でイズミは一命をとりとめていた。
だが……。
血の池が広がる。
明らかに血を流し過ぎている。
まだ死んでいないのが、奇跡のようで――。
「ヒール――!」
俺はイズミの体を傷付けないように抱き留めると、これまでで最大の魔力を込めヒールを唱えた。
――効いては、いる。
手ごたえはある。
大丈夫だ。
まだ、死んではいない。
ヒールを連発しようとするが、その時にはすでにデビルキャットは起き上がっていた。
仕込んでいた幻影が一瞬で食い破られる。
速すぎる――。
が、まだ騙されてくれた。
敵を観察すると、デビルキャットの鼻はイズミの血糊と自身の緑色の血液に塗れている。
嗅覚が多少麻痺しているらしい。
「ヒール」
イズミをそっと地面に横たえ、もう一度だけヒールを唱えた。
それだけの時間を得られたことに感謝しつつ、剣を構えた。
ここから先、幻影に対してはさらなる警戒があると思っていいだろう。
俺は武器に炎属性を付与し、モンスターと対峙する。
デビルキャットの弱点は不明だが、エンチャントは単純に威力を上げる効果もある。
それを振りかざすと、強い警戒と殺意がひしひしと伝わってきた。
イズミは考えられ得る最高の条件で、自分ができるベストを尽くした。
一つ誤算があったとするのなら――。
それはデビルキャットの耐久が、イズミの予想する何倍もあったことだろう。
真っ赤な瞳には憎しみが宿っている。
まずはお前だ、と。
そしてそのあとゆっくりこの女をくうぞ、と、そう言っている気がした。
だが、たぶん、宿す憎しみの量ならば、確実に負けてないだろう。
落ち着け、俺。
冷静になれ。
だが。
「ハァ、ハァ……」
これが、落ち着いていられるのか?
思考が乱れる。
戦闘のみに集中ができない。
イズミはどれくらい血を流した?
魔力が切れるまでヒールをかけたい。
抱きしめて、その体温を、脈拍を感じ取りたい。
けれど、それはモンスターの悪意が許してはくれないッ!
「ぐ、ぅああああああああああああ」
一瞬で視界から外れたモンスターは俺の右腕に食らいついた。
噛み千切られる――!
俺は咄嗟の判断で、肩まで食い込んだ牙に向けてさらに腕を押し込む。
――ガアアアアアッッ!
喉仏を掴まれたモンスターが苦しそうに呻き、距離を取る。
冗談のような速度で間合いから抜けられ、改めて絶望的なまでのレベル差を痛感した。
それでもモンスターは油断しない。
俺という兎を狩るにも目の前の獅子は全力を尽くす。
相手は俺の目で捉えきれないほど、速い。
速度に対しては――。
予測不可能な変幻自在の剣技で迎え撃つ――!
狂刃黄金虫、一の型――『打降擬き』。
その名の通りニセ朱鬼剛腕流の剣技である。
当時最も栄えていた朱鬼剛腕流とその対策を行った者を騙すためだけに生まれた剣技。
その身に纏う覇気や動きのすべてを打ち降ろし半ばまで模倣して、相手が回避や隙をつく動きをした瞬間に軌道を変える。
一の型がそれでいいのか、と思わなくもないが。
『剛掌・打降』で生まれるはずである隙を確実に狙ってきたモンスターは、途中で軌道が変わった剣に対応できなかった。
小さな血飛沫が舞う。
ダメージが薄い。
やはりレベルの差が大きすぎる。
単純に斬りつけるだけではいくら重ねても決定打に欠けるだろう。
炎属性も……効きにくいか?
わからない。
この世界にはゲームのように弱点を突いた時のポップアップなどでない。
狙うは、イズミの大剣の一撃で斬り開かれた、胸部の大きな傷だ。
『打降擬き』は二度は通じないだろう。
かといって、本物の打降も隙が大きく使うのは自殺行為だ。
蒼燕迅流も速度で大幅に劣るため使えない。
あとは純粋に、剣技に頼らない戦いになる。
「……」
そこで、気付いた。
打降の隙を的確についてきたことや、こちらを警戒するような慎重な立ち回りを思い起こす。
最初にデビルキャットを見てからずっと感じていた嫌な感覚――。
それはモンスターの悪意だ。
見極めろ――。
相手は狡猾だ。
きっと、俺の弱点を狙ってくる。
弱点。
モンスターの目が、今はだらしなく垂れ下がっている右腕の方をちらりと見た、気がした。
「エンチャントフリイイィィィィズ!!」
俺は体を無理に捻じ曲げて、剣を右に突き出す。
その剣の切っ先は、ちょうどその場に現れた敵の心臓に向けて吸い込まれるように進んでいく。
高レベルのモンスターは傷口ですら堅牢だ。
一瞬、抵抗のようなものを感じたが、咄嗟に展開した氷塊が貫通を助けてくれた。
緑色の血の雨が辺り一帯に降り注ぐ。
「ガアアアアアアアアア……」
モンスターは最後まで俺の喉元を食い破ろうと抵抗を続けたが、やがて動かなくなった。
完全に停止したモンスターから剣を抜き取る。
すんなりと剣が抜けたあと、小さく血が噴き出たが、それだけだ。
ボトリ、と。
特に抵抗もなく、力の抜けた肉が地面に打ち付けられた。
勝った。
のか……?
俺は目の前で力を失った赤い瞳を見て呆然とした後、すぐにイズミの元に駆け寄る。
「ヒール!」
回復魔法は……無効化されていない!
俺は狂ったように回復魔法を連発した。
「ヒール! ヒール、ヒール……」
何度魔法を重ねただろうか。
このままイズミが目を覚ますまで延々に回復魔法をかけ続けようかと思っていたが。
「くっ……」
魔法を唱えようとした瞬間、急に立ち眩みを覚えた。
この世界に来てから初めての魔力切れというやつだ。
打てるとしたらあと一発……。
「ヒール」
俺はイズミを背負うため、千切れかけていた右腕に回復魔法をかける。
「ぐ、ああ……」
そこでようやく、忘れていた痛みが滝のように押し寄せるが、かまわずイズミを背負った。
痛みですら今は、薄れそうになる意識を繋ぎとめるために役に立った。
「クエスト、完了だな……」
背中に背負ったイズミから暖かな熱を感じる度、どこまでも力が湧いてくるかのようだった。
俺は疲労がたまった体に鞭を打ち、王都への道を慎重に引き返したのだった。
曇天の空からは、未だ、雨は降り出さない。