プロローグ
ある日俺は豆腐に足を滑らせて死んだ。
信じたくないが、俺の死因はそんな情けないものであったらしい。
目の前でその瞬間の映像を見せられては仕方ない。
「だから、もう、その映像を流すのはやめてくれ。いえやめてくださいお願いします」
「そうかい? こんな愉快な死に方をする人間なんて久しぶりだからね。いやー、笑った笑った。大爆笑だよ」
この野郎、人が死んだというのにさんざん馬鹿にしやがって。
ろくな死に方しないぞ。
それに笑ったとか言いながら無表情だったし。
「神様だから死なないけどね」
「……人の心を読むの止めてもらえませんかね?」
「君は自分に関係することをぶつぶつと呟いてる人がいて、それを無視できるかい? 私には無理だね」
なるほど。
確かにそれは無理かもしれない。
でもオンオフの切り替えはできないのだろうか。
「できるけどね」
「じゃあやれよ」
「では聞くけど、明らかに悪口を言ってると分かる人が傍にいて、心を読める能力があったら使わないでいられるかい?」
「速報、神様は陰キャだった……」
「まあそれはともかくとして、話を進めようか」
神様が言うには、どうやら俺は生き返ることはできないらしい。
ついでに転生することもできないらしい。
え? 何俺消されるの? とビクビクしてると、神様は深刻そうな無表情で事情を説明してくれた。
「実は豆腐に足を滑らせて死んだ君なんだけどね」
「その話はもういいんじゃないんですか」
真面目に蒸し返すのはやめてほしい。
しかし神様的にはそれが重要だったらしい。
「僕には人間の運命すべてが見えている。誰がいつどうやって死ぬかは決まっているんだ」
俺が豆腐に足を滑らせて死んだのも運命だったというのか。
悲しすぎるだろ。
「いや、そうではないんだ。君はあと数年後に美人局に引っかかり多額の借金を負って自殺する予定だったんだけどね」
「わーい、俺豆腐に足滑らせて死んでよかったぁ」
「つまり君は神の力を超えて運命を捻じ曲げたんだ。豆腐に足を滑らせて死ぬことによって」
「すげえや。どっからツッコんでいいかわかんないよ」
「異分子である君には魂をそのまま浄化させることも、神の不祥事による特典を与えることもできないんだ」
じゃあどうするというのか。
「君の肉体をそのまま複製して魂をぶち込んでどこか別の世界に飛ばそうと思う」
なぜ?
俺は喋るのがめんどくさくなったので心を読んでもらうことにした。
「まず、肉体の複製だけならさほどエネルギーを使わず容易にできること。魂はここにあるけど浄化させることもできないのでそのまま肉体に入れておくこと。そしてこの世界の神……ようは私の力が安定していない疑いがかかっているので他の神の管轄の世界で経過観察してもらうためかな」
つまり異世界転移ですね。
もったいぶらずに一言そういえばわかるでしょうに。
「さっきも言ったけど、僕が悪いことしたわけでもないからね。特典はあげられないし、君の行動には一々監視がつくと思っておいてほしい」
悪いことできないですね。
「それは別に。神は人間の善悪に関与しないよ。カルマ値とかがたまるわけでもないから好きにしたらいい」
「えぇ……」
もうしゃべらなくていいかと思っていたのに思わず声出しちゃったよ。
「とはいえ、特典なしだと現地人とほぼ同等の性能だからね。下手なことをすると吊るしあげられるから注意ね」
それだけ言うと、神様は何やら複数の画像を空中に映し出した。
受け入れ可能な異世界のリストらしい。
その中で俺は一番無難そうな、魔法により日本並みに衛生管理が整っていて種族人間が安定した地位を持っている世界を選択した。
神様は割と親切で、向こうの常識なんかも思考の共有でインプットしてくれた。
「では、いってらっしゃい。君の運命のズレが私のせいでないと判明するまではがんばってね」
「なるほどそれが本音か」
「利害が一致しているんだからいいじゃないか。特典なしで私ができることは全部したと思うよ」
「それはまあ、ありがとうございます」
神様のいうことももっともなので、一応頭を下げておいた。
この神知識のおかげで、向こうに行ってから即死するようなことはないだろう。
「とはいえ、私も神とはいえ全知全能ではない。君がこうなった原因もわからないわけだし。あまり無茶はしないこと。そしてこれが一番大事だが……」
そこで神様はいったん言葉を区切る。
無表情ながら、これまでで一番真剣な顔をして言った。
「向こうの現地神と接触したら何があっても従うこと。これは別に強制力が働く命令ではないけど、何よりも君の身の安全を考慮したうえでのアドバイスだ。理由は言わなくてもわかるね?」
「……わかりました」
まあ、俺も馬鹿ではない。
さすがに神に逆らうような真似をすることはないだろう。
経過観察されるとあるが、命があるだけましだ。
「いってきます」
そうして俺は突然現れた巨大な扉の前に立ち、軽く押す。
ぎぎぎ、といやな音を立てながら扉が完全に開き切ってから、異世界への一歩を踏み出したのであった。