八十六話 真実
「ちょっとは強くなったみたいすね、ノイア」
両手に特大の鎌を顕現させながら、ブロガントは言った。
正面にはノイア。
幾多もの生々しい切り傷が、先程までの戦いの壮絶さを物語っている。
「はぁ……、はぁ……。っ、ガルネゼーアさんに、鍛えてもらってますから」
ノイアは汗をぬぐいながら、キッと鋭い眼差しを向ける。
それに対し、ブロガントは涼し気な表情を浮かべ
「そうみたいすねー、いろいろ話にはきいてるすよ。新人三人の中だったら、一番の努力家らしいじゃないっすか。どんどん力をつけてるって、ガルネゼーアも言ってたぐらいすからね」
鎌を研ぎながら、そう言った。
「ただ、俺らを裏切るためにその力をつけたって考えると、悲しい気持ちにはなるんすけどね」
「ブロガントさん……」
ノイアは悲し気な表情を浮かべる。
ブロガントは今現在、バーキロンの≪人類の叡智≫によって、催眠支配されている状況下にある。
バーキロンのかけた催眠は、言うまでもなく“ノイアとアイネの組織の裏切り”。
そして“裏切り者には死”という、徹底して二人を抹殺することに重きを置いたものだった。
「まあ、実力をつけたとは言っても、今のこの状況を見ればどっちが強いのかなんてのは、一目瞭然なんすけどね。……最も、ノイアが本気でやっていればの話っすけど」
ブロガントは首を鳴らしながら、にやりと笑った。
ノイアは生唾を呑み込む。
──確かにブロガントさんの言う通りだ……。
先程までの戦いで、ノイアは一度たりとも本気で───すなわち“殺す気”でブロガンドに立ち向かっていたわけではなかった。
あくまでも気絶させるだけ。
錯乱状態にある先輩隊員を、無傷の状態のままで戦いから離脱させようと考えていたのだ。
しかし
──ただでさえ僕の方が弱いのに、その上手加減して気絶させて終わらせようなんて……。そんな都合のいい展開、ガルネゼーアさんならまだしも、今の僕の力じゃ、とてもじゃないけど無理だよ。
改めて師匠との力の差、自身の無力さを痛感せざるを得なかった。
だが、無力さを再認識しても、もうノイアは足を止めるようなことも、泣きそうになることもない。
そんなことは十分理解している。
何度となくそんな自分を呪ってきた。
だからこそ、その壁はもはや彼にとって乗り越えるべき、当たり前のモノとなっていた。
ガルネゼーアとの修行で身に付けたのは、身体的な強さだけではなかったという事だ。
「……ブロガントさん。確かにこの状況を見れば、誰だって僕が負けていると思います。このままの気持ちで戦っていたら、ふとした瞬間にアナタに殺されちゃいます。……なので、僕は今からアナタと“殺す気”で戦います。だから、どうか────」
ノイアは重心を低くし、承十陽拳の型を構える。
纏った空気が冷たくなったことに、ブロガントは眉をピクリと動かす。
「────死なないでください」
動き出しやすい位置を探るようにして足を動かし、腰を据える。
息を深く吐き出した次の瞬間、ノイアが繰り出したのは。
足裏の筋肉のみを使い、滑るようにして移動する独特の歩法───。
承十陽拳 三陽・独歩。
地面に足がメリ込み、刹那に爆発的な推進力が生まれる。
予備動作は一切ない。
そのままの体勢、そのままの姿勢で、地面を滑るようにして一気にブロガントとの距離を詰める。
──速い……!!
ブロガントは眼鏡の奥で驚きの色を浮かべる。
気が付けばノイアの攻撃射程圏内に収まっていた。
すでに掌底を繰り出そうとしている。
しかし
「こんなんでやられるほど、ヤワじゃないっすよ!」
ブロガントも負けじと、すさまじい勢いで右下から突き上げるように、鎌を振り上げる。
そしてほぼ同時に、左上からも大鎌を振り下ろし、迫ってきたノイアを挟むようにして対応する。
攻撃は最大の防御とはまさにこのこと。
これを無視すれば間違いなくノイアの掌底は、ブロガンドに届くだろう。
しかし、その代償として自身の体が三つに切り裂かれることは必至。
──さあ、どうするんすか。ノイア!!
右に避けるか。
左に避けるか。
はたまた、後ろに跳んで躱すか。
どれをとっても、一旦攻撃を仕切りなおす選択肢を迫られる。
戦いの中で掴んだ流れを一度離すと、再び取り戻すのは倍以上の労力が伴う。
ノイアとしてはここで勝負を決めたいところだろう。
その時。
刹那の中でブロガントはノイアと目が合う。
──なんすか、この強気の眼は。絶対に退かない強い意志を感じる。
右でも左でも後ろでもない。
そもそもノイアからは、避けようとする意志を感じない。
その証拠に、鎌の切っ先が数ミリにまで体に差し迫っているというのに、その類の動作を一切見せない。
ブロガントは嫌な雰囲気を直感する。
──なんだ、何か見落としてる……? いや、大丈夫! このまま振り抜けば、俺の勝ちっすよ。
その意思を刃に乗せて、ブロガントは渾身の力を籠めて腕を振り抜く。
「はぁああッ!!」
その大鎌は確かにノイアを───引き裂いたはずだった
ブロガントの眼にも確かにそう映った。
鋭く光る大鎌が、間違いなくノイアの体を切り裂いた。
だというのに。
血は出ず、身体はバラけず、ノイアという存在は傷ひとつ無いまま、そこにいた。
困惑と動揺がブロガントを襲う。
「いきますよ、ブロガントさん!!」
ノイアが叫ぶ。
そして次の瞬間、目の前から少年が陽炎のように消えていき、その靄の中から“真”のノイアが姿を現す。
ブロガントは目を見開く。
──くそッ、そういうことすか! カメレオンのセリアンスロープで……!!
まさしくブロガントの予想通り、ノイアはカメレオンの能力で光を操り、自身の位置をほんの少し前に映し出していたのだ。
そして。
今度こそ本当にブロガントの懐に入り込んだノイアは、再び掌底を繰り出す体勢を取る。
だが、ブロガントもただ黙って見ているだけではなかった。
腐っても先兵特化部隊の一員。
こと戦闘力に置いては、他の隊の隊員よりも勝っているという、それなりの自負がある。
それにノイアの先輩であるという立場でもある。
「ウォオオオオオ!!」
ブロガントの両腕は、先程の攻撃で振り抜いてクロスしている状態。
それを雄たけびを上げながら強引に引き戻し、刃の裏側でノイアを打ち落とそうとする。
だが。
それこそノイアの狙っていたものだった。
「───五陽・衝痺!!」
ノイアの掌底とブロガントの大鎌の峰の部分がぶつかり合う。
骨の髄まで響き渡るような衝撃が、ブロガントの体全体を襲う。
だが痛みがあるわけではない。
対するノイアは、僅かだが体勢を崩している。
ブロガントは勝機を見出した。
「終わりだ、裏切者!!」
しかし───
──…………!? 体が、動かない!?
まるで金縛りにでもあったかのように、首より下が微動だにしない。
さながら借り物の体に魂が迷い込んだがごとく、意識と現が乖離していた。
その起因となったは言うまでもなく、ノイアが繰り出した承十陽拳の『五陽・衝痺』。
自身の打撃で生じた衝撃を、接触部分から相手の体内に強制的に送り込み、生体内電気信号を一時的に相殺し、麻痺状態に陥れる業だ。
すなわち、それを受けたブロガントは身動き一つ取れず。
そして次の攻撃を出すことは叶わず。
その隙にノイアは崩した体勢を立て直し。
右腕を後ろに引き、すばやく掌底を繰り出した。
「一陽・絶波!!」
果たしてその業は、寸分の狂いなくブロガントの胸めがけて、吸い込まれるように放たれる。
ミシミシという胸骨が軋む鈍い感触が、手のひらを通して伝わってきた。
「ぐッ……そ……!!」
ブロガントは目を血走らせながら、きりもみ状に吹き飛んでいく。
バンッ! と激しい音を立て、そのまま壁に打ち付けられると、糸の切れた人形のように力なく地面に崩れ落ちていった。
「ブロガントさん……!」
ノイアは慌てて地面に横たわるブロガントに駆け寄る。
右手の甲を口元に近づけ、左手で首の脈を取る。
──……よかった、死んでない。でも、肋骨は折れてるかも。目が覚めたら、謝らないと。
ホッとノイアが胸をなでおろした時だった。
背後の少し離れた場所から、聞いたこともないような獣の雄たけびが上がり、研究室全体を揺らした。
背筋にゾッと悪寒が走る。
──後ろには確かアイネが……!
ノイアは立ち上がって振り返る。
そこには────
全身が黒に覆われた、異形の姿をした怪物が居た。
瘴気を纏い、口と思われる場所からは、夥しいほどの紅色の液体が流れ落ちている。
胸には大きくぽっかりと孔が開いており、心臓が動いているのか、一定の間隔で血らしきモノが溢れ出していた。
「な……なんだよ、あれ……。いつの間にあんな奴が入り込んだんだ」
ノイアは狼狽する。
慌ててアイネの姿を探すが、見当たらない。
代わりに見つけたのは、アイネと戦っていた人造人間───バーキロンが、その怪物と対峙している姿だ。
頭の整理が追い付かなかった。
だが、限りなく嫌な予感がノイアにはあった。
──馬鹿げてる!! そんなのあるわけがない!!
頭を振って、その悪夢のような予感を必死にかき消そうとする。
ノイアの鼓動が不穏に高鳴り始めだした時、不意に怪物が動き出し、バーキロンに襲い掛かる。
背中から飛び出した八本の触手が、風を切り裂いて迫りくる。
バーキロンは躱しながら電子剣でその触手を切り落としていくが、その切断面から一秒も経たずして、新しい組織が再生していき、元に戻っていく。
「くッ……!!」
バーキロンの表情に焦りが見え始める。
カルジェストエンジンは既に完全停止している。
再び起動しようものなら、接続している演算装置ごとオーバーヒートして、機体そのものが強制終了しかねない。
だが、どう考えても、カルジェストエンジンを使わねば捌切れぬほどの攻撃数だ。
──これは……、まずいッ!
弾丸のように押し寄せる怪物の攻撃を、いよいよ防ぎきれなくなってくる。
漆黒の触手が、左肩を貫通する。
右の太ももを貫通する。
バーキロンはたまらず後方に跳んで、距離を取る。
その時、すぐ近くに人の気配を感じた。
目だけを動かすと、ノイアが困惑の面持ちを残しつつ、警戒しながら怪物とバーキロンを交互に見ていた。
「チィ……、倒したのか」
少し離れたところで、地面に伸びているブロガントを視界の端に捉えながら、忌々しそうに呟く。
二対一となっては分が悪い。
だが、バーキロンはここで逃げ出すわけにはいかなかった。
コバルトの研究室にわざわざ侵入してきたサセッタが、何を目的として何を盗んだか。
それを把握し奪還するまで、おめおめと引き下がれないのだ。
──1人ずつ倒していくしかないか。
そもそもあの怪物は、一対一でも勝てるか怪しいところだ。
であれば、バーキロンがまず狙う獲物は必然的に絞られる。
「ハッ!!」
振り向きざまに、バーキロンは電子剣をノイアに向けて横薙ぎに振り抜く。
不意をつかれた出来事にノイアの反応が遅れるが、紙一重のところで上半身を倒して、攻撃を躱す。
よろめくようにしてバーキロンから距離を取ると、頬から生暖かい血が流れだすのが分かった。
ノイアはキッとバーキロンを睨みつける。
「アイネはどこだ!!」
「どこ? おかしなことを聞くな。君の目の前にいるだろ!」
バーキロンは叫ぶと、ノイアから離れるように跳ぶ。
そのすぐ直後に、ズシンと黒い物体がその場所に飛び込んでくる。
地面が大きく揺れ、床に大きくひびが入る。
そこには。
未知の生命体──異形の怪物が小さく唸り声を上げながら、邪悪な存在感を放ち鎮座していた。
体中から放電現象を巻き起こし、尻尾を激しく周囲の物に打ち付ける。
「ど、どういうこと!?」
なおも理解を拒むノイアに、バーキロンはいら立ちを隠さず、静かに言葉を荒げる。
「言葉通りの意味だ。お前の目の前にいるあの怪物こそが、君の求めている人間だと言っている」
「だって……、そんな……」
ノイアの呼吸が荒くなる。
そんなはずはない。
これは夢だ。悪夢を見ているんだ。
あの可憐な少女が、こんな化け物みたいな風貌になりえるはずがない。
第一、人間ですらないではないか。
本能のままに動く獣だ。
言葉という、人間のみが操る高度な意思疎通の概念が、かの化け物にはありはしないのだ。
だというのに。
そう思い込もうとすればするほど、目の前の怪物にアイネの影が重なる。
この戦いが起こる前に見た、アイネの異常な姿。
黒い影からのぞくサセッタのコート。
右腕に巻きついた紅い布。
そして、化け物が対峙していた相手は、アイネと同じ金髪の人造人間。
なにより、この閉鎖された空間でこれほどの異物が入り込めば、戦闘中であっても、いくらなんでも気づくものだ。
そうなってくると、あらゆる可能性、あらゆる希望が限りなくゼロへと近づき、最悪のそして最低の真実のみが浮上してくる。
どれだけ考えても。
どれだけ現実から目を背けたくても。
ノイアがたどり着く答えは一つだった。
それはこの世で最も認めたくないものであり、しかし、それが純然たる事実であるということを、理解しなくてはならないほどに証拠の揃った残酷な現実だった。
「ア……イネ……」
ノイアの瞳に大粒の涙が溢れる。
だが、そんな感傷に浸ることも許されることなく、目の前の怪物の背中から伸びる触手が、ノイアとバーキロン──両者に弾けるように勢いよく襲い掛かった。
すみません
少し筆を休めます
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