八十五話 異形
「はぁッ!!」
気迫の掛け声とともに、アイネの雷剣が薄暗い研究室に煌めく。
弾け飛ぶ稲妻がバーキロンの頬をかすめる。
バーキロンは眉一つ動かさず電子剣を手元で回し、逆手に持ち替えるが早いか、そのまま薙ぐように振り抜く。
アイネはそれを雷剣で受け止めるが
「──無駄だ、電子剣は全てを切り裂く」
バーキロンが力を籠めると、刃の接触部分から激光が渦巻き、次の瞬間に雷剣は一刀両断される。
電子剣は勢いを殺すことなく空気を滑り、光り輝く刀身がアイネの首元に差し迫る。
「……ッ!」
アイネはとっさに身体を横に倒して紙一重で躱す。
耳元で電子剣に纏った風が、勢いよく通り過ぎる音がする。
アイネはその流れのまま両手を地面に付けると、全体重を手のひらに乗せ、勢いよく蹴りを繰り出す。
バーキロンの胸元めがけて繰り出されたそれは、しかし、当たる直前に左前腕に阻まれる。
だが、勢いを殺しきれなかったことに加え、カウンターで体勢を整えられなかったため、バーキロンは思わず後方によろめく。
その隙を使ってアイネも距離を取って、息を整える。
顔を歪めると、不意に血の塊が喉の奥からこみ上げてくる。
咽るようにして咳をした後、大量の血が地面に撒き散った。
だが、それでもアイネの瞳から光が消えることはない。
真っすぐにバーキロンを見据え
「……惜しかったわね。それとも、手加減してくれてるのかしら」
強がりともとれるセリフを口にして、血を腕で拭った。
「……」
バーキロンは答えずに、アイネの顔をじっと見つめる。
最初から気にはなっていたが、戦っていく過程で彼女は見る見るうちに外見の人間性を消失していくのに気づいた。
そして今、改めてよく見ると、彼女はおよそヒトらしさをほとんど残してはいなかった。
顔半分を覆っている爬虫類のような鱗。
片目だけ赤く光り、瞳孔は蛇のように切れ長に開いている。
そして頭からは歪な尖った骨が二本、不揃いな形で突出している。
左手の指は二つほど消え失せ、代わりにあるのは猛鳥類のような鋭い鉤爪が三つ。
右手はまだかろうじて人間の原形をとどめてはいるが、変色・変形しつつあるところを見るに、時間の問題なのだろう。
さらに彼女の片足は大きく膨れ上がり、血管がミミズのように蠢いているのが見て取れる。
時折、皮膚の中から何かが出てこようとしているのではないかと思うほどに、うねることもある。
極めつけは、全身に刺青のように張り巡らされた、黒くひび割れた模様。
身体に張り付いたその模様を、バーキロンは確実にどこかで見たことがあったのだが、喉の奥まで出かかった答えは、口をついて出るまでには至らなかった。
代わりに出たのは
「──今のが本気だと思っているなら、その甘い考えごと打ち捨ててやる」
どこまでも冷たい口調のセリフだった。
異形の姿かたちをしているからと言って、何かしらの感情を抱いたわけではない。
バーキロンにとって、彼女はこの上なく目障りな存在であることに変わりはないのだ。
アイネの理想は『皆が笑って過ごせる世界』を創ること。
おおげさに表現すれば、それはいわば、世界の再創生。
ドセロイン帝国の健全化という理想のために、悪を以て悪を成すバーキロンの前にアイネが立ちふさがるのは、当然のことであった。
互いの掲げる手段や理想がかけ離れていればいる程、より強い因果律が働き、見えない引力によって惹かれあう。
逃れようと思っても、逃れられるようなものではない。
まるで神が仕掛けた運命という悪戯を、二人に施したとしか思えなかった。
──だからこそ、ここで因果に終止符を打つ。理想を成すのは俺の方だ。
電子剣を握るバーキロンの手に、自然と力がこもった。
アイネも仕掛けてくることを察し、雷剣を手に出そうと稲妻を手に纏わせる。
一瞬だけ、身体中の血管に痛みが走ったような気がした。
「……もうそろそろ、決着をつけようか」
バーキロンはがらりと纏う雰囲気を変えて、呟くように言った。
「ここで勝った方が理想に大きく近づく。それは互いに理解しているはずだ」
「ええ……。でも、私はできることなら戦いたくないわ」
「この局面に来てまで、まだそんな甘いことをいうのか。脳みそまで綿菓子で出来ているとしか思えんな」
バーキロンは呆れたようにかぶりを振る。
「所詮はその程度なんだよ、君は。大切な理想のために戦うことから逃げて、命もかけられないようじゃ、到底望みに届くはずもない」
それを聞いて、今度はアイネがため息をつく番だった。
「懸けるモノを重くすればいいってものじゃないわ。それに以前にも言ったわよね。アナタは殻に閉じこもって、現実を見ようとしない人だって。だから、アナタの戦いは自己満足のモノにすぎない。命を懸けるどころか、いたずらに人の命を奪っていることに、どうして気付かないの」
「……馬鹿げた妄想を、理想と語るお前よりは見えているつもりだ。堅実で着実に進めて何が悪い。時には断腸の思いで、切り捨てなければならないこともあると、俺も以前に言ったはずだが」
「その思い込みが、自分を傷付けているという事も分からないのね……。本当に可愛そうな人よ、アナタ」
アイネは慈愛の眼差しを向ける。
演技でも挑発でもなく、心の底から哀れな人間に対して向けられるその瞳は、バーキロンにとってたまらなく腹立たしいものだった。
大きく息を吐き出し、瞑想するように目をつむる。
バーキロンはしばらく黙りこくった後、ゆっくりと目を開ける。
「もはや─────問答は無用だな」
一歩、踏み出す。
「終わらせよう、この戦いを。……これまでの戦いを」
電子剣の軌道音が、不気味に二人の間に鳴り響く。
そして。
ダンッ! と強く地面を蹴り出し、先手を取ったのはバーキロンだった。
研究室の机の上に飛び乗り、回り込むようにしてアイネに迫る。
頭上の優位を取られたアイネは、しかし怯むことなく体から電流を全方位に放出させる。
その電気に反応するようにして、部屋中にある貴金属全てが、アイネの元に引き寄せられる。
針金やピンセットのような小さなものから、研究で使用していたと思われる冷蔵庫などの大型家電まで、大きさ重さに関係なく全てが一堂に会する。
「ゴホッ……!!」
アイネはまたしても口から血を吐き出す。
腕の一部の皮膚が張り裂け、鮮血が飛沫となって頬に張り付く。
さらには尾てい骨のあたりから、突如、ズルリと野太い黒い尻尾が顔を出す。
アイネのセリアンスロープ由来のモノではない。
明らかな異常だった。
その姿はもはや人間のものではなく、合成獣と表現した方が適切と思えるほど、本来の姿からかけ離れたものだった。
だが、それでもアイネは辞めようとはしなかった。
「……ッ、いくわよッ!!」
アイネは叫ぶ。
ここで止まるわけにはいかない。
動かずただやられてしまえば、バーキロンを認めたことになる。
それだけは断じて嫌だった。
絶対に負けられない。
無念のまま殺されていった、孤児院の仲間たちの想いを、腕に巻いているのだから──。
「───飛龍雷炸砲!!」
電気に呼応して宙に浮いていた、あらゆる金属が超スピードで弾け飛ぶと、一斉にバーキロンに襲い掛かる。
「カルジェストエンジン、起動!」
それに対して、バーキロンも自身の持つ最強の切り札を切る。
二秒後の世界を支配するそれは、しかし、高性能の高速演算処理機能を必要とするため、今のバーキロンでは三分が使用限界だ。
それを過ぎれば自動制御装置による強制終了措置が取られ、その日のうちに再使用することは難しくなる。
しかしながら、それは何もアクションを起こしていない、通常の場合に限る。
今回だけは例外の状況にある。
ブロガントを≪人類の叡智≫で催眠下に置き、支配しているため、演算処理スペースを半分ほど使用しているのだ。
≪人類の叡智≫との同時使用。
すなわちそれは、カルジェストエンジンの使用限界をさらに縮めるに等しかった。
「オオォォオッ!」
バーキロンは二秒後の世界を支配し、飛来する物体を次々と電子剣で焼き切っていく。
およそ人間には捌ききれぬ投擲量だが、未来予測が出来る彼は、必要最小限かつ最も効率のいい動きでそれらを切り捨てる。
激闘を繰り広げる中、両者、共に時間が無かった。
バーキロンが使用しているカルジェストエンジンの使用限界は、本来の三分の一にも満たない。
だからと言って、アシスト無しでは、とてもではないが全ての攻撃を躱すことは困難だ。
一方でアイネは、原因不明の体調不良によって、身体が限界近い状態にある。
さらに能力を使えば使うほど、その症状は重くなっていく一方だった。
両名、共に狙いは同じ。
であれば、勝負はもはや一瞬で決まる。
時間に追われながらの状態で、確実に勝利を収めるには、互いの最も得意とする一手──すなわち十八番の技でこの勝負を終わらせにかかることだろう。
バーキロンは迫りくる巨大ラックを真っ二つに切り裂き、そのタイミングを伺う。
彼が決め技で狙うのは、言うまでもなくアスシラン戦で見せた、究極の“突き”。
結果として、あえなく第六感の前に躱されることとなったが、常人であれば誤魔化された距離感に加え、腕のしなりと錯覚によって突然伸びたように見えるため、一撃必中の技となって屠ることができる。
──まだだ……、まだ早い。
バーキロンは大陸のように島を作っている研究室の机の上を次々と跳び、飛来する攻撃を躱しつつ、角度を変えながらその時を待つ。
アイネへ迫るための最短ルートが切り開けたとき、一気に勝負を仕掛ける。
そのタイミングを、獲物を狙う肉食動物のように眼光を光らせ、神経を研ぎ澄ましていた。
そして──。
その時は突然訪れる。
バーキロンが電子剣を振り抜き、腕の太さほどある鉄筋を切り捨てたその刹那。
アイネへの直線の道が切り開けたのを見逃さなかった。
──今だ!!
机を勢い良く蹴りつけ、宙を舞う。
アイネも一瞬遅れて反応し、雷剣を手に纏わせる。
バーキロンは着地と同時に、電子剣を脳天めがけて振り下ろす。
しかし、カルジェストエンジンの未来予測では、一歩引いた状態で躱されることは分かっていた。
彼の狙いはその次に来る、アイネのカウンター攻撃。
雷剣を発現させた右手を伸ばしている未来図から予測するに、雷電出力を上げ刀身を伸ばし、距離を取りつつ決めてくる気だろう。
──それだけ分かれば、ケリをつけるには十分だ。
バーキロンの振り下ろした電子剣は、果たしてカルジェストエンジンの予測通り、紙一重の差で空を切る。
そして、アイネはそれを好機ととらえ、カウンターを仕掛ける。
「終わりよ、バーキロン!!」
雷剣の刀身が、激しい稲妻を巻き上げ凄まじいスピードで伸長する。
その切っ先は、寸分の狂いもなくバーキロンへと向けられる。
だが、バーキロンは不敵に笑う。
全ては二秒前に見た光景。動作だ。
「終わりなのは、君だ。アイネ!!」
半身になりカウンターを躱すと同時に、その態勢は整えられる。
両手で握っていた電子剣を、右手へ素早く持ち替える。
腕をしならせ。
遠近を惑わし、リーチを大きくとり。
相手の錯覚と盲点を利用した、究極の“突き”。
──── 幻突 ────
アイネの視界から一瞬、電子剣が消える。
そして────。
次の瞬間。
「ゴホ……ッ」
アイネが息を吐くと同時に、口いっぱい含んだ水でも吐き出した時のように、鮮血が地面に打ち広がる。
今度の吐血は体調不良から来るものではない。
胸のどこかから、生暖かい感覚が広がっていく。
刹那のことで状況理解が追い付かなかった。
視えているのは、雷剣を躱したバーキロンが片手に電子剣を握り、それを自分に向けている光景。
視界の下の方には、切っ先を見せない光り輝く刀身が存在を放っていた。
「……すまないがこの勝負、俺の勝ちだ。理想を捨てるのはお前のようだったな、アイネ」
バーキロンは冷酷な眼差しを向け、そう言った。
アイネは口から血を流しながら、ゆっくりと目線を下げる。
丁度、胸のど真ん中。
そこに孔を開けるようにして、電子剣が綺麗に貫通していた。
時折、孔から滲み出してくる血液は、光り輝く刀身の超振動によって霧のように散って行く。
──ああ、綺麗だな。
私は他人事のようにそう思った。
細かい雫の一粒一粒が、宝石のように輝いて見えた。
全ての光景がゆっくりと映って見え、全ての記憶が脳内を駆け巡る。
それは一瞬だった。
それは永遠だった。
誰かが遠くで呼んでいるのが聞こえた。
誰だろう。
だけど。
もう何も見えない。
もう何も感じない。
……残念。
でも、なんとなく分かった。
きっと彼が来てくれたんだろう。
ぶっきらぼうで、不器用のくせに器用ぶって、本当は優しいのに冷たいふりをして。
“悪い賭けじゃねえ”と口癖のように言うその言葉は、いつも私を救ってくれた。
彼は私を命の恩人だと言うけれど、それは私も同じだ。
私も生きる意味が分からなくなったとき、彼の言葉に救われた。
彼がついて来てくれたから、私はここまで意地を張ってこれた。
その救世主がここに来たんだ。
きっと今度もまた、私を救ってくれる。
だから────もう安心だ。
胸部を貫通させた電子剣を通して、バーキロンは感じた。
アイネの体から、徐々に生気が消えていくのを。
電子剣を引き抜くと、ダムが決壊して溢れだす水のように、せき止められていた血のりがドップリと吹き出てくる。
その液体の一端が電子剣に触れると、例のごとく超振動によって飛沫が弾け飛ぶ。
1つだった塊は2つに分かれ、まるでそこに帰ることが決まっていたかのように、バーキロンとアイネ、両方の紅い“誓いの布”に上書きするように染み渡った。
崩れ落ちるアイネの姿を、バーキロンはただ黙ったまま、無表情で見つめていた。
解せなかった。
死ぬことは決まっているというのに、なぜそんな表情を浮かべていられるのか。
そして自分が、なぜこうも無機質な表情しか浮かべられないのか。
互いに、しかと見たはずだ。
アイネの胸に、ぽっかりと孔が大きく開いたのを。
「俺の理想の前に、お前は敗れたんだ……。いい加減、俺の邪魔をするなァ!!」
バーキロンは引き抜いた電子剣を再び天に仰ぎ、振り下ろす。
その光り輝く刀身は、崩れ落ちるアイネに一直線に迫る。
しかし、次の瞬間。
事態が急変する。
アイネの体表に張り巡っていた黒いヒビ──すなわち形印が、すさまじい速さで彼女の白い肌を乗っ取るようにして、全身を覆っていく。
「ぁ……アアぁ!!」
アイネが白目を剥いて、うめき声をあげる。
全身が完全に黒く覆われ、背中から八本の触手のようなものが弾け出る。
「ぁガアアアアアアアアアア!!」
呻きから、叫びに声が変わり、アイネから激しい稲妻が巻き散る。
「なっ……!?」
タダならぬ異変に、さしものバーキロンも振り下ろしていた電子剣の勢いを必死に殺し、雷撃を喰らうまいと後方に跳んで距離を取る。
その姿は異形だった。
その姿は人間ではなかった。
背中から蠢く八本の触手はもちろん、顔全体には覆うように黒い鱗が。
両手は猛鳥類の鉤爪が。
尾てい骨からは野太い尻尾が鞭うつようにしなり。
右足は獣のように黒い体毛に覆われ、鋭い爪が隙間からのぞいていた。
そして──。
水ぶくれのように肥大化していた左足は、ひび割れた黒い形印が一瞬太くなると同時に、バチュッ! と鈍い音を立て鮮血と引きちぎられた肉が弾け飛んだ。
「は……はははっ」
その様子を見て、バーキロンは乾いた笑いを浮かべる。
やっと思い出した。
体中に浮かぶ黒いひび割れ模様を、どこかで見ていたような気がしたのだ。
どうして気が付かなかったのだろうか。
先程は喉までかかっていたが、今、ハッキリとそれを確信した。
「ははっ。なんだ、その姿は……。まるでHKV感染者のようじゃないか」
乾ききった口で、絞り出すように言葉にした。
全ての遺伝情報を書き換え、人としての生態機能を消失させるHKV。
何故セリアンスロープである彼女が、HKVと酷似したような症状を発現しているか分からない。
その個体はマセライ帝国の評議会や電波ジャックでは、HKVを克服した新人類と言われていたはずだ。
だが。
バーキロンがそんな疑問を熟考している間もなく、
「GRuuaaaaAAAA!!」
もはや人語と呼べるものでない雄たけびを上げながら、アイネだったモノはバーキロンに襲い掛かった。