八十二話 危機
『アイネ!! そこから今すぐ離れろ!! おい、聞こえているのか!?』
インカムからシオンの動揺する声が聞こえてくる。
しかし、アイネはそれに応えるそぶりを見せない。
いや、その余裕がないと言った方が正しいか。
コバルトの研究室にあるデータを取得するというミッションを終え、いざ出口に向かおうとしたその矢先に、二人の前に立ちはだかる男がいたのだ。
バーキロン。
邪魔になると判断したなら、力なきものでも平気で切り捨て、理想を成そうとする。
『皆が笑って過ごせる世界』を目指すアイネとは、対極の道を征く青年だ。
その道のズレは、生涯にわたって互いが認め合うことはないだろう。
むしろ理想を成すうえで、邪魔な存在ですらある。
サーモルシティーの瓦礫の中で、二人はそれを痛感した。
その経緯の中、バーキロンは電子剣を片手に呻らせ、その姿を再びアイネの前に現した。
これが何を意味するかなど、改めて明言するまでもないだろう。
「少し見ない間に随分と様変わりしたな、アイネ」
バーキロンはアイネを冷たく見据える。
「以前会った時は、そんな恰好をしていなかったと思うが」
「……あなたには関係のない話よ」
「まあ、それもそうだな。ここで死ぬ奴のことを知っても、何の得にもならないからな」
電子剣の不穏な起動音が、静けさに満ちた部屋に広がる。
二人の間に流れる因縁めいた空気を、ノイアは肌で感じていた。
ノイアには彼らがどういう関係性かなど知る由もない。
ただ、金髪の人造人間は、ノイアがいままで殺り合った兵士とは一味も二味も違う男である、という事だけは分かった。
生唾を飲み込み、アイネを横目でちらっと見る。
──約束したんだ、アイネの役に立つって。僕が戦わないと!
その時、バーキロンの背後から見覚えのあるコートを纏った男が一人。
闇のカーテンを身体全体で滑らせるように姿を現す。
ノイアは思わず口に出して彼の名を呼びそうになったが、済んでのところで喉の奥でせき止める。
──ブロガントさん!! そうか、足止めしていた敵を全員倒して……!!
二対一なら余裕で勝機はある。
ブロガントがバーキロンの後ろにいるのなら、それを悟らせないために正面で気を引いておけば、挟み撃ちで仕留められる。
ブロガントも同じ考えなのだろう。
形印を顕現させ、手を大鎌に変形し戦闘準備を整えていた。
ノイアは覚悟を決める。
大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だ。
心で三度、呪文のように自己暗示をかけ、そして───。
拳を握り、バーキロンめがけて走り迫る。
それが合図だったように、ブロガントも同じく勢いをつける。
「承十陽拳 一陽───」
ノイアが掌底を放とうとした、まさにその時
「ノイア……!! ダメ!!」
後ろからアイネの叫び声が聞こえる。
次の瞬間。
ブロガントが地面を強く蹴り、宙を飛ぶ。
そして、あろうことかノイアの前に立ちふさがり、大鎌を横薙ぎに振るう。
「えっ……」
ノイアは目の前の状況が理解できなかった。
仲間であるはずのブロガントが、なぜ人造人間を守るように立ちふさがるのか。
なぜ、自分に攻撃するのか。
だが、そんな疑問も一瞬だった。
鉄をいとも簡単に切り裂く大鎌が、死神の手の様にノイアの首に触れていた。
☆
「久しぶりだなあ、悪ガキィ! こうして会えたのも、普段の行いが良かったからだな。神様に感謝しな~」
細い閉鎖された一本道の廊下。
そこの奥から、カースがねっとりとした口調で喋りながら姿を現す。
辺り一帯はカースが射出したレーザー銃によって壁が破壊され、粉塵がもうもうと立ち込めている。
その中にシオンが居るはずだが、今のところ出てくる気配がない。
「どうしたんだー? 早くおじさんに姿を見せてよ。じゃないと……」
カースは黄色い歯をむき出しにして、ゲス色の笑い顔を浮かべ
「レーザー弾、いっぱいあげちゃう♡」
言うが早いか、そのまま砂煙に向けてフルオート射撃で閃光を放ち続ける。
「ひゃははははははッ!! オラオラオラ!! 死ねッ、死んじまえ! あ、いや、やっぱ死ぬな。いい感じに瀕死になって、嬲らせろ!!」
高笑いと銃声のハーモニーが廊下一帯に響く。
次々と閃光が粉塵の中に吸い込まれていき、無差別に壁を破壊する。
もはや付け入る隙がない。
だが、その時──。
ダンッ! と地面を蹴り上げる音がしたかと思うと、続けて同じ音がもう一回、砂煙の中から力強く聞こえてくる。
勢いよく飛び出してきたのは、顔の右半分を血だらけにしたシオンだった。
肉がえぐれ、さらによく見ると右耳もない。
不意を突かれた最初の攻撃で、負った傷だった。
シオンは三角飛びの要領で、地面、壁、と跳んでいき、天井に足裏をつける。
およそ超人的なまでの跳躍力だが、セリアンスロープとなっている今では、難なくこなせる大道芸だ。
刹那の世界ではあるが、重力を無視したシオンは、そのまま握っていた銃の引き金をひき、カースの武器を打ち落とす。
「チィ……!!」
カースは忌々しそうに舌打ちをして上を見上げる。
それとほぼ同時にシオンは天井を蹴り、顔から紅い雫を散らし、勢いよく迫る。
拳銃を投げ捨て、左手に握っていた漆黒のダガ―ナイフを右手に持ち替える。
対するカースも、腰から電子剣の柄を抜き取り、光り輝く刀身を出現させる。
「ハァッ!!」
「死ね、クソガキ!!」
ナイフと電子剣が触れ合い、耳をつんざくような高周波が骨を揺らす。
「くそ……!」
完全に勢いを殺され、鍔迫り合いのような体勢に持ち込まれたシオンは、思わずそう言葉が漏れる。
「おー? 少し見ない間に大きくなったかな? ぷぷっ、他の孤児院のガキたちも生きていれば、お前くらいになってたと思うと、胸が締め付けられるねえ」
「外道が……!! どの口が────」
「お、油断した」
その瞬間、カースは一気に電子剣に込める力を強くする。
万物を切り裂く電子剣は、いとも簡単にダガ―ナイフを真っ二つに分断し、光り輝く刀身が、そのままシオンの脳天めがけて振り下ろされる。
「ッ!! 二重加速!!」
とっさに加速しながらバックステップを踏み、紙一重で攻撃を躱す。
「あぁ……、なるほど、なるほど。そういうことか。お前、動きを早くできるのか」
確実に仕留めたと思った獲物が、目の前で人間離れした動きをし、加えて前回の戦いのデータも含めて分析すれば、カースがその結論にたどり着くのは至極当然のことだった。
「セリアンスロープというやつか。だが、種が分かればなんてことはないわなあ。今度は前の様に遅れはとらんぞ」
我が意を得たりとばかりに意地汚く笑う。
その顔を数メートル離れた位置で、シオンは無表情で見つめる。
先程はカースの挑発に乗って感情を乱したが、今の命のやり取りの狭間で冷静さを取り戻していた。
右目に入ろうとする血を人差し指と中指で拭い、唾を吐き捨てると、紅い塊が地面に花火の様に弾けとんだ。
そっと右側頭部を触れると、やはり右耳がえぐり取られているようだった。
──耳の中に血の塊が入ってやがる。ほとんど聞こえないな。
シオンは刃が切り取られた武器を捨て、腰から予備のナイフを引き抜く。
──すぐにでもアイネとノイアの元に行きたいが、一本道の廊下じゃあ、目の前のこいつを倒していく他に方法が無い。早めに決着をつけないと……。
無意識のうちにダガ―ナイフを握る手に力が入る。
形印を顕現させ、早期決着の戦闘へと準備を整える。
だが、懸念材料が一つだけあった。
それは先ほどカースが口走ったことについてだ。
『二重加速』が通用するか否か。
もし通用しなければ、さらに加速せざるを得ないかもしれない。
仮にその状況に追い込まれたとしたら、その瞬間に決着をつけなければ、シオンを待ち受ける運命は“死”だけだ。
──アスシランさんからもらった『小型ボンベ』か『回復ペン』。このどっちかさえ戦いの最中に使えれば……。
だが、状況を整理するのもそこまでだった。
電子剣を握りしめたカースが、体を前のめりにしたかと思うと、そのまま体重移動を行い、勢いをつけてシオンめがけて突っ込んでくる。
「フンッ!!!」
下からえぐるようにして電子剣を振り抜く。
シオンはたまらず後ずさる。
「躱すなよ!! このクソが!」
カースは立て続けに電子剣を振るい、反撃の隙を与えない。
一方的に攻められ続けるシオン。
だが、その眼は何かを企む怪しい光を宿していた。
──まだだ……、まだ隙が小さい。もっと大振りになるまで待つんだ。
電子剣という圧倒的な切断力を誇る武器を前にしては、例え鉄の刃であっても小枝のように切られるだろう。
剣の打ち合いをするなど愚の骨頂。
狙うは攻撃を躱した瞬間に加速し、一撃のもと人造人間の核を貫く。
これ以外にシオンの選択肢はなかった。
「オラ! オラオラオララ!!」
ふざけているのか、リズムを口ずさみながら剣を振るう。
よだれをまき散らしながら電子剣を薙ぐその姿は、まさしく快楽殺人者のそれであった。
しかし、どれも風を切るばかりで、一向に当たる気配がない。
「ちょこまか……とッ!!」
次の瞬間、苛立ちに身を任せた一撃が、シオンの脳天めがけて振り下ろされる。
──来た……!!
シオンはセリアンスロープの能力である“眼”で、電子剣の軌道とカースの重心を見切る。
そして────
「二重加速!」
軌道を変えられない位置まで電子剣を引き付け、加速する。
そのままカースの懐に入り込むが早いか、右手に握るダガ―ナイフを逆手に持ち、内側に振りかぶり、核めがけて突き立てる。
果たして、刃に切っ先は何物にも邪魔されることなく、カースの右腹直筋鞘より五センチ上を貫通した。
全ての人造人間の急所。
エネルギー源たる核を潰されれば、例え六戦鬼であろうとたちどころに機能を失う。
一切、例外はないのだ。
「……よし、早く二人のところに────」
シオンはナイフを抜き取り、勝利を確信する。
しかし。
次の瞬間。
「アッハ! 馬鹿が、まんまと餌に掛かったな!!」
興奮し裏返った声がしたかと思うと、カースは目にも止まらぬ速さで、ナイフを持ったシオンの腕を力強く握りしめる。
「なっ……!?」
シオンは驚愕し、咄嗟に振り払おうとするが、尋常ではない馬力を前に微動だにすることができない。
視界の端で光り輝く刀身が映る。
「三重加────」
「死ね!!」
“眼”では見切れていた。
だが、肝心の加速が間に合わない。
そう思った時には、全てが遅かった。
シオンが加速するよりも一瞬早く、カースの電子剣が喉を貫いた────。