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八十一話 再来




アイネとノイアは薄暗い研究室に足を踏み入れる。


「うわっ、すごい……」


ノイアは思わず口をついて言葉がでた。

そこにはフィクションのような光景が広がっていた。


見たこともないような機材の数々。

ノズルでつないである2つの大型カプセルや、電子顕微鏡、棚には液体に浸かった生物のサンプルなど、子供にとっては好奇心のそそられる博物館だった。


「ほら……、ノイア、行くわよ」


アイネは後ろで、目を輝かせるノイアに向けて言った。

少し体調を持ち直してきたのだろう。

アイネの先程までの辛そうな表情は薄れ、顔色も良くなっているようにみえた。


「う、うん」


ノイアは小さく顔を縦に振る。

そう、今は遊びに来ているのでは無い。

今後のレジスタンスの活躍に大きく関係する、大切な任務中なのだ。


先を行くアイネを追いかけるようにして、小走りで進む。


薄暗い部屋の至る所にシャーレやピンセットが、無造作に置いてあるのが目に入った。

培地が乾燥していたり、カビが生えているところを見るに、もう随分と人の手が入っていないのが分かる。


やがて二人は足を止め


「……ここね。データの入っているパソコンは」


「うん、間違いないよ。アスシランさんの指示通りの場所だもん」


部屋の奥にあるデスクに、最新の光学投影PCがあるのを確認した。


「ノイア、悪いけどパソコン起動してくれるかしら」


「……? いいよ」


すぐ目の前に起動ボタンがあるにもかかわらず、自分でやらないことに疑問を覚えつつ、ノイアはパネルに触れる。


しかし


「あれ? おかしいな、起動しない」


「どうしたのかしら」


「電源は繋がってるし、なんでだろ」


しばらく手探り状態でいろいろな場所を触るが、どうにも手ごたえがなかった。

お手上げ状態と言わんばかりに、ノイアは透き通った白髪をかき上げる。


「えー、どうしよ。アスシランさん場所だけしか言ってなかったもんなー。こんなの聞いてないよ」


「そうね……」


「第六感でもこうなることは、分からなかったってことなのかな。そんなに便利なものじゃないってよく言ってるし」


「……でも、ここまでの経路も、パソコンの位置も想定通りなのに、肝心のデータに関する部分を見落とすなんて、そんなことあるのかしら。あの人のことだし、何か突破口があると思うんだけど」


アイネは周囲を見渡して、ヒントになりそうなものを探す。

しかし、部屋が薄暗いため、遠くにあるモノまでは細かく分別できない。


「電気付けてくれば良かったわね」


「あ、そういえばそうだね。僕つけて来るよ」


そう言って、小走りで入り口付近のスイッチを押す。

カチッと音が鳴るが


「あれ? つかない」


試しにノイアは何度かスイッチを押す

しかし、照明どころか豆電球すらつく気配もない。


「電球が切れてるのかなあ」


ノイアは不思議そうに天井を見上げながら戻ってくる。

一方でアイネは、何かに気付いたように神妙な表情を浮かべている。


「どうしたの、アイネ。また体調でも悪いの?」


ノイアが心配そうに尋ねる。

しかし、アイネはかぶりを振り


「ノイア、ちょっと片手を出して欲しいんだけど……」


「え、どうしたの。突然」


「驚かないでね。私、今からあなたの手を握るから」


そう言って、差し出されたノイアの手を握る。


「……? アイネ?」


ノイアは不思議そうな顔をする。

アイネから伝わって来るものは、弱々しい微弱な力。

『握る』というよりは、『触れる』と表現した方がいいくらいの強さだ。


「おかしいでしょ、これが今の私の普通なの。頑張ればもう少し力は入るけど、いつもみたいな力は出ない。正直いつ倒れてもおかしくないところまで来てるわ」


衝撃の告白にノイアは驚きの表情を浮かべ、そしてその後には下唇を強く噛みしめる。


「……無理してるのはずっと分かってたけど、何でこんなになるまで無茶したのさ!!」


最初は小さな声だったが、感情の高ぶりと共に次第に大きくなり、勢い余ってアイネの両肩を掴む。

その眼には心配するあまり、大粒の涙が溜まっていた。


アイネは優しく微笑んで、ノイアを胸元に抱き寄せる。


「私はね、絶対後悔したくないの。みんなが笑って過ごせる世界を、取り戻せるチャンスがあるのに、そこで動かないなんて選択肢はないのよ」


「でも……、やっぱり自分も大切だよ!! そこまでしてアイネが頑張らなくても──」


「他の誰かがやるから動かない、っていうのは私じゃないわ。私がやりたいからやるの。それにもう、やり遂げなければならないだけの“想い”を背負ってしまったもの」


アイネはそう言って、左腕に巻き付けた“誓いの紅布”に触れる。

それはドセロイン帝国兵に、ただ一方的に虐殺された、今は亡き仲間たちとの歪な絆。

かつて家族と呼んだ、孤児院の子供たちの無念を汲んだものだ。


アイネは理不尽な出来事がまかり通る法を目の当たりにし、『みんなが笑って過ごせる世界』を創ると決めたのだ。


「だから、ね。今から私のお願いを聞いてほしいの」


「……」


ノイアは無言のまま小さく頷いた。

アイネははにかんで「ありがとう」と呟き、踵を返して再びPCを見つめる。


「たぶんだけど、この部屋電気が通ってないのよ。以前からか、この戦いのせいなのかは分からないけど。だから、パソコンが()かなかったんだと思う。アスシランさんはそれを見越して、私を行かせたのよ。……セリアンスロープの能力で、電気を起こして起動させるために」


アイネは手の感触を確かめるように、開いたり閉じたりする。

ノイアはそれをじっと見つめる。


「データを抜き取るまでは頑張ってみせるわ。だけど限界を超えて、それでもし私が倒れたりしたら、ノイア、データだけ持って私をここに置いて逃げて」


「そんなことできるわけない……、できるわけないよ!!」


声を若干荒げ、ノイアは激昂した。


第二帝国戦(セカンドエディション)が終わったら、戻ってきて助けてくれればいいの。第一優先はデータでしょ?」


「絶対に嫌だ! いくらアイネのお願いでも、それは聞けないよ」


頑として首を縦に振ろうとはしない。

今までに見せたことがないノイアの態度に、アイネは少しばかり驚く。


「僕はアイネの──二人の役に立ちたくて、ここまで頑張って来たんだ! 情けない自分を変えたくて、努力してきたんだ! だから今までと同じように、また守られて逃げるのだけは絶対に嫌なんだ」


血反吐を吐く程の努力を重ね、ノイアは『承十陽拳』を会得した。

まだ完成度としては七割程度だが、それでもかつてない自信が彼にはあった。

今までシオンとアイネの背中に守られ、追うばかりだった彼は、ようやく二人の横に立ち共に歩んでいけると思っていたのだ。


しかし、アイネの口から出てきた言葉は、ノイアを守るための手段。

いわば、まだ隣に立って歩くことを、認められていないのだ。


その悔しさと、未だ心配をかけさせてしまっている、己のふがいなさに声を荒げざるを得なかった。


「だからアイネが何と言おうと、僕は見捨てないよ。それをしないために、僕は努力してきたんだから」


「ノイア……」


少し見ない間に、雰囲気が随分変わった。

アイネはそう思った。


改めてよく見ると、昔のノイアとはずいぶん体つきが違うことに気が付く。

枝のように細かった腕は、平均的な子供よりも筋肉質になり『男』を感じさせる。

身長も伸びて、今ではノイアの方が僅かに高い。


裾からのぞく肌は生々しい傷跡が見え、関節部分にはテーピングが巻かれている。

厳しい修行の代償だろう。


こんなにも近くにいたのに、全くそのことに気が付かなかった。

『男子、三日会わざれば括目して見よ』とはよく言うが、自分の身近で──それもノイアがそうなるとは夢にも思わなかった。


アイネとしては幼いころから知っているだけに、そのぶん衝撃が大きい。

面倒を見てきた弟が、手元を離れいく一抹の寂しさがあった。


だが、今は感傷に浸っている場合ではない。

アイネは気持ちを切り替えるように、頭を小さく振る。


「…………分かったわ。なら、私が動けなくなったら、肩でも貸してもらおうかしら」


「任せて! もし敵がここを嗅ぎ付けて来ても、僕が何とかする!」


未熟とは言え、ノイアの『承十陽拳』の腕はガルネゼーアの折り紙付きだ。

自然と言葉に自信がみなぎる。


アイネはコクリと頷いて、光学投影PCについているプラグに触れる。

全身を這うような黒い模様の形印(コントラー)を顕現させ、電気を流す。

ジワリと汗が浮き出る。呼吸も徐々に荒くなる。


──まただ。

アイネは思う。

能力を使おうとするたび、形印(コントラー)を浮かばせるたびに、体が自分のモノでなくなっていくような感覚。

身体の内で何かが蠢いて、細胞一つ一つを乗っ取られていくみたいだった。


だが、ここで辞めるわけにはいかない。

止まっている暇などない。

成す術も無く殺されていった家族たちの方が、よほど痛く辛い思いをしているのだから──。


アイネは左腕に巻き付けた『紅い布』に触れ、出力調整に集中する。

一気に放出するようなことがあれば、壊してしまうかもしれない。

かといって微弱過ぎてもPCが起動しない。


探りを入れるように電気を流し始めて、90秒が経とうとしていた。

ようやく永い眠りから覚めたように、投影部に立体映像(ホログラム)がおぼろげに映し出される。


「ついた!」


ノイアは浮かび上がる光学パネルを操作し、ロック画面を解除すべく“CDCカード”を接続しようとする。


しかし。

その刹那に画面が気泡のように空気に溶けていき、部屋に再び闇が訪れる。


「えっ、なんで……」


だが、ノイアが困惑したのは一瞬だった。

原因は明確である。

すぐ側に立っていたアイネが、いつの間にか地面に倒れていたからだ。


さっきまでの穏やかな表情とは一転、再び息苦しそうにして喘いでいた。

さらに短時間でかくには異常なほどの汗が噴き出している。


「ア、アイネ……!!」


ノイアは抱き上げようと手を伸ばすが、しかし、アイネはその手を払いのけるようにして立ち上がる。


「まだッ……!! 動ける……わ!!」


顔を歪めながら再び電気を流す。


「ほら……、ノイア。手を動かして……」


苦し気にそう言うアイネの体には、かつてないほどの歪な黒い影が侵食していた。

艶のある白い肌はほとんど見えていない。

顔に、胸元に、手先に、足首に。

黒くひび割れた形印(コントラー)が、蛇のように絡みついていた。


「……ッ!!」


ノイアは必死に出かかった言葉を呑み込む。

これ以上、アイネの辛そうな顔は見たくなかった。

今すぐにでも辞めさせたかった。


おそらく、シオンならアイネを殴ってでも止めに入っただろう。


だが、ノイアの行動理念は『二人の役に立つ』『二人と共に肩を並べて歩く』から来る。

それが彼の矜持であり、すがるものであり、護りたいものなのだ。


故に、ノイアがたどり着く結論は、シオンとは異なる場所になって当然だった。


──アイネには身を削ってまで、成し遂げたいことがあるんだ。なら僕は、一刻も早くそれを終わらせるために動かないと……!!


再び投影部に立体映像(ホログラム)が映し出される。

“CDCカード”を接続し、パスコードを解除する。

ホーム画面が現れると、そこからは全てアスシランから渡された指示書に従い、操作を行う。


「グッ……!!」


隣のアイネから、呻きを喰いしばるような声が聞こえた。

しかし、ノイアはあえて見ない。

目を向けてしまえば手が止まり、より一層アイネが苦しむ時間を長くしてしまう。


下唇を血が滲み出すほど、強く噛みしめる。

目に真珠のような涙を溜め、手引きに従って操作を進めていく。

そして


「あっ、あった! これだ!」


ノイアが画面をタップすると、いくつものファイルが画面上に展開される。

その中の一つを急いで“CDCカード”内へコピーする。

だが、容量が大きい為か、一瞬では事が終わらない。

完了指標の一分間ゲージが表示される。


「一分……」


それはあまりに長すぎる時間だった。

一分もあれば、どんな状況も一変する可能性が充分ある。

ブロガントがT字路の廊下で食い止めているとはいえ、いつ人造人間(レプリオン)が駆け付けてきてもおかしくはないのだ。


そして何より──


「アイネッ……!!」


ノイアが目を向けると、そこには血反吐を吐きながら、気力だけで立っているアイネの姿があった。

息も絶え絶えになりながら、目の焦点が合っていないようにみえる。


だが、異変はそれだけではない。

右頬は鱗に覆われ、爪は猛鳥類のように鋭く尖り、足の一部分は水ぶくれの比ではないくらい大きく膨らんでいる。


それら全ては言わずもがな、アイネが意図的に起こした変化ではない。

しかし、セリアンスロープの能力の暴走とはまた少し違う。

かといって、それに関するものではないと言われれば、間違いなく否だろう。


理由は分からない。

原因は分からない。


だが、致命的に見過ごしてきた何かが、積もりに積もって決壊したダムの如く、一気にアイネに襲い掛かっているという事だけは直感していた。


「そんな……、どうして……」


ノイアは狼狽する。

そんな彼を見て、アイネは苦しそうに笑う。


「大丈夫よ……、私はまだ立てるわ。それより……、あとどれくらいかしら」


「あ、あと三十秒だよ……」


「……そう。なら、もう少し……、頑張らなくちゃ」


定まっていなかった焦点が、再び生気を帯びていく。

歯を食いしばり、絶えず一定量の電気を放出し続ける。

恐るべき気合と技巧だ。

生半可なレベルではない。


人間が一定の力を出し続けるのは、およそ不可能に近い。

どうしても、力が入りすぎる瞬間だったり、抜ける瞬間だったりが存在する。

満身創痍であれば、こと力加減においてはなおさらだろう。


セリアンスロープであってもそれは変わらない。

常に同じ力を出し続けるというのは、おいそれと上手くいくはずもない。


だが、彼女はそれを成し遂げている。

ひたすらに。

ただ一心に。


全ての想いを背負い、誓ったのだ。

完遂して見せると。

世界を救うと。


左腕に巻いた『紅い布』に──。



そして、ついにその時が訪れる。



静寂の満ちた部屋に、簡素な電子音が響く。


「一分……!! アイネ、データのコピーが終わった!!」


ノイアは歓喜の声を上げた。


その声とほぼ同時に、投影部に映っていた立体映像(ホログラム)は闇に消える。

それはすなわち電気の供給がなくなったことを示す。


限界だったのだろう。

次の瞬間アイネは膝から崩れ落ちた。


「アイネ!!」


ノイアはとっさに彼女の体に手を伸ばし、地面に激突する手前で受け止める。


「ゴホッ、ゴホッ!! ハァ……、ハァ……」


アイネがせき込むと、口から大量の血が吐き出される。

ぬるりとした熱い感触が、支えていたノイアの腕にまとわりつく。


「アイネ、しっかりして……!!」


四つん這いになりながら、なおもせき込みながら吐血し続けるアイネを傍らに、若干のパニックになりながらも背中をさする。

髪の毛を結んでいたゴムはいつの間にかほどけ、流麗な黒が顔を覆う。


その時、ノイアは見た。

いや、見てしまった。

黒髪の隙間から垣間見えた彼女の顔を。


それはもはや人間のそれでも、セリアンスロープのそれでもなかった。


「アイネ……」


ノイアの声が聞こえたのか、アイネは息を荒げたまま、床にまき散らした自分の血をじっと見つめ、それからゆっくりと顔を上げる。


正面の実験機材が偶然にも鏡の役割を果たし、一部が反射して自身の全容を映し出す。


「……」


それを見て、アイネは一言も発さなかった。

彼女の表情からは『絶望』とも『困惑』とも違う、何か別の色が伺えた。


人からもセリアンスロープからも離れすぎたその姿は、まさに“ヒトならざる者”へと変貌しているというのに──。



片方の瞳は赤くなり、蛇のように瞳孔が細長く開いている。

頬に現れていた鱗は、その範囲を広げ、いつの間にか顔の右半分まで侵食している。

さらには今まで無かった犬歯が肥大化し、唇をめくり上げ姿を覗かせていた。


極めつけは全身に広がる、黒くひび割れたような形印(コントラー)

今にも体を引き裂き、内に潜む何かが暴れ出そうとしているようにも見える。

かつて母親が死んだときの光景が頭をよぎった。


「ア……アイネ……」


ノイアは震える声を必死に悟られまいと(ぎょ)し、手を差し伸べる。


アイネを避けるようなことはしてはいけない。

その行為は彼女を傷つけてしまう。

一番状況を理解できずに、パニックになっているのは自分以上にアイネなのだ。


その思いだけがノイアを突き動かしていた。


「……ありがと、ノイア」


しかし、意外にも返事は冷静さを欠いている様子はなく、しっかりと芯の通った声でそう答えた。

アイネはグッと体に力を入れると、多少はよろめくが立っていられない程ではない。


そのままゆっくりと立ち上がり、側の机を手すり代わりとしてゆっくりと立ち上がる。


「だ、大丈夫なの? アイネ」


「えぇ、……もちろんよ」


アイネが纏う覇気は力強くも無かったが、かといって弱々しいわけでもない。

変わり果てた風貌のせいもあっただろう。

すぐ側にいるノイアは、不思議な感覚に包まれていた。


「でも、体調の変化に波があることに間違いないわ……。さっきの発作が今までで一番大きかった。もし次、今以上のが起これば──」


とその時。

アイネが片耳に付けているインカムに通信が入る。


耳に手を当て、「はい、こちら研究室(ラボ)潜入班です」と応答する。


『無事か、アイネ!!』


通話の向こうから爆発音がひっきりなしに聞こえてくるが、この声を聞き違えるはずもなかった。


「無事よ、シオン。もちろんノイアもね。ついでにミッションもやり遂げたわ」


『そうか……、よかった』


安堵の声が聞こえてくる。

胸をなでおろしている姿が想像でき、アイネはくすりと笑う。


だが、彼女とは対照的に、ノイアは下唇を強く噛みしめて必死に声を押し殺していた。


──なにが無事なもんか……!! そんな姿になってもまだ、気を使って……。


彼女の姿かたちは、先ほどから一切変わっていない。


しかし恐らくだが、セリアンスロープの能力は解除している。

なにせもう電気を流す必要などないのだ。無駄に苦しむ必要がない。


にもかかわらず、おどろおどろしい風貌のままという事は──。



そこまで考えたところで、ノイアは思わずアイネから目を背ける。

心が痛かった。

今脳をよぎった最低最悪な想像を振り払う。


だが、それが偶然にも、二人の身に迫っていた危機を察知することになる。


ノイアが目を背けた先──すなわち出入り口の通路の前に、一人の青年が立っていた。

光り輝く電子剣(エターナルサーベル)を片手に握り、透き通った青色の瞳が闇に浮く。



「──ここで何をしている」



青年は落ち着きのあるハッキリとした口調でそう言った。

明らかに敵意を感じさせる雰囲気を放っている。


不意に現れた刺客に、思わずノイアはたじろいでしまう。

そしてその声、その存在は、後ろにいたアイネにも届いていた。


どこか遠くで聞いたことのある声に、ゆっくりと振り返る。

だが、それはほとんど確信だった。

彼女にとって、その声は決して忘れられるものではなかった。


近いようで遠い。

遠いようで近い。


自分とは決して交わることのない道を征く存在。



「……久しぶりね」


目と目が合う。

果たしてその男は、アイネが想像していた通りの人物だった。


太陽のように明るい髪の毛。

凛とした爽やかな顔立ち。

ドセロイン帝国の軍服を身に纏い、右腕には“誓いの紅布”が巻き付けられている。




「─────バーキロン」




アイネはその名を口にした。



相反する理想が両立することなどあり得ない。

一方が理想を前に倒れるしかない。

それはあの時瓦礫の下で、言葉による衝突を孕んだ際に、互いが直感し理解していた。


次に会った時は、矛を交えるのだと。

そして最後に立っているのは、どちらか片方だと。


だが、アイネにもバーキロンにも背負った“想い”がある。

譲れない“覚悟”がある。


そこに善悪などない。

そこに重さなどない。


あるのは互いがそれぞれ誓った、血の染み渡った布切れ一枚のみ。


だからこそ対峙する。

だからこそ立ちはだかる。


そして──。

まさに今この瞬間。

二つの『誓いの紅布』が、二度目の“交錯”を果たしたのだった。







シオンは通話越しに、アイネが口走った名前に耳を疑った。


「バーキロン……だと……!?」


最悪の敵。

理想のためなら手段を択ばぬ、歪んだ正義を持つ男。

さながら己が神にでもなったかのように他者の命を天秤にかけ、自分の都合のいい方を理想の名のもとに切り捨てていく最重要警戒人物。


かつて父親がそうだったように、そういう生き方をしている人間の危うさを、シオンは誰よりも理解していた。


「アイネ!! そこから今すぐ離れろ!! おい、聞こえているのか!?」


だが、反応はない。


心臓が早鐘を鳴らす。

息が不規則に荒くなる。


一刻も早く二人の元に駆け付けなければ。

また何もできずに、大切なものを失いたくはない。

手遅れになる前に何とか──。


シオンは目を素早く動かし、周囲の状況を分析する。



アイネたちの居る南館は正反対。

しかし、周りは敵だらけ。

回り道をするために、ここから抜け出すことは難しい。

最短ルートなんぞもってのほかだ。


シオンは生唾を呑み込む。

だが、分かっていた。

それはあくまで、スリーマンセルを組んでいる二人が居ることを、前提とした条件だ。


ルナとランプ。

二人を置き去りにし、一人で向かえばあるいは──。


しかしそれは、現在三人でギリギリ拮抗している戦線が、崩壊することを意味する。

そうなれば、その後の戦いがどうなるかなど想像に難くない。


シオンの脳裏にデヒダイトの言葉がフラッシュバックする。



『情に左右されて、何かあってからでは遅い。与えられた使命を(まっと)うしろ』



それは第二帝国戦(セカンドエディション)が始まる前に、病室で言い聞かせられたセリフだった。


シオンはランプとルナ、二人を一回ずつ見る。

どちらも必死に戦っている。

どちらもサセッタという組織のため、そして明日の未来のために懸命に立ち向かっている。

そんな中で、自分一人が勝手な行動をしていいのかと雑念がよぎる。


だが、迷いは一瞬だった。

そんなものは考えなくとも──天秤に乗せるまでもない。

何が大切か。

何を守りたいか。


シオンにとってその問いは、あまりに単純明快だった


「……すみません。ルナさん、ランプ」


そう呟くと、グッと足に力を籠める。


形印(コントラー)をより一層濃くして、“眼”の能力値を限界の一歩手前まで上げる。

風の流れ、人の動き、飛び交う閃光、万物の動きがシオンの眼には静止して見えていた。

正確にはどれも極限にゆっくりと動いている状態だ。


普段の“眼”はここまでスローの世界を見ることはできない。

亜音速のレーザー弾を見切るのがせいぜいだろう。


その能力最大解放近い“眼”を動かし、敵陣に開いた僅かな隙間を見つける。

大人では気付かず、子供一人が通れるほどの小さな空間だ。

そこを突き抜けていけば、最短ルートで城内に潜入できる。



「──二重加速(ジ・アクト)!」


シオンが蹴り出した足は芝生をめくり上げ、一気に敵陣への距離を縮める。


「来たぞ!! 撃てェ!!」


人造人間(レプリオン)兵の一人が叫ぶ。


この時シオンは、驚くべきことに『二重加速(ジ・アクト)』を解いていた。

今のコンディションで三秒以上加速し続ければ、敵を前に意識を失うかもしれない。

そうなる前に対策を打って出たのだ。


しかし、銃口はシオンに向き、一秒も経たないうちにレーザーを射出するだろう。

このままいけば蜂の巣にされることは間違いない。


だからこそシオンは賭けに出ていた。

突っ込んでいく前に限界近くまで引き上げた“眼”。

それが相手を出し抜くための策だった。


シオンが“ハエ”の能力精度を限界近くまで上げたのには訳がある。

確かに普通の状態であっても、レーザーを『見切る』ことは可能だ。


しかし、それで終わりだ。躱すことはできない。

それは『重加速(アクト)』があって初めて完成する、人間離れした芸当なのだ。


だからこそ、その穴を補完するために考えたのだ。

通常の動きであっても、『見切る』精度が上がれば躱せるはずだ、と。



果たしてそれは悪い賭けではなかった。


幾百もの閃光が銃口から出てくる瞬間が、ハッキリと見て取れる。

それだけ見えれば、どこにどう飛んでくるか手に取るように分かるというものだ。


シオンはステップを踏み、華麗に躱していく。

一秒も経たない間に射出された百のレーザーによって、次々と地面がえぐれ土が宙を舞う。

だが、どれ一つとっても、シオンには掠りさえしない。


──よし、このまま……!!


シオンがそう思った次の瞬間だった。

今まで感じたことのない痛みが、波のように脳に押し寄せる。

引き裂かれそうな激痛だ。


それはセリアンスロープ、ハエの“眼”の能力の代償。

情報過多による脳のオーバーヒートとでもいうべき現象だ。


「ぐッ……!!」


シオンは歯を食いしばりながら、それでもなお能力行使し続ける。


脳が熱い。

沸騰しているようだ。


だが、止めるわけにはいかない。

何せ今は敵陣のど真ん中。

右にも、左にも、前にも、後ろにも、見渡す限りドセロイン帝国の軍服を着た人造人間(レプリオン)兵がいる。


せめて次の『重加速(アクト)』で逃げ切れるくらいまでの距離を、“眼”だけで進まなければ。



鼻から血が垂れる。

続いて目から、そして口から紅色の雫が零れ落ちる。


──まだだ、あと少し……!!


眼前には城の窓が見える。

ガラスの窓で閉まっているが、加速して飛び込めば中に入り込むことはできるだろう。


問題はその手前に、十数人の人造人間(レプリオン)兵が居るということ。

そのためには、彼らの攻撃を躱すことが必須になる。


だが、既にシオンの『見切り』は限界に達していた。

もはや目を開けていられないほどの、フィードバックダメージが蓄積している。

攻撃を一つの能力だけで躱すエネルギーは、もうどこにも残ってはいなかった。


「死にさらせェ!!」


正面の敵が叫びながら、銃を向ける。


「……ッ!!」


シオンは顔を歪める。


“眼”だけでは躱せない。

かといって、『二重加速(ジ・アクト)』を使ったとしても、城まで二秒以上かかってしまう。

どうすればいい。

しかし、迷っている暇はなかった。


──ほんの少しで良い! 自分の限界を超えろ……!!


一秒でも早く二人の元へ。

その思いがシオンを突き動かす。


三重加速(トリ・アクト)!!」


それは一瞬の出来事だった。

ペース・オブ・チェンジの効果もあっただろう。

三倍速となったシオンの動きを、人造人間(レプリオン)兵は捉えきれない。

分かったのは、僅かに出来ていた隊列の隙間を、残像が通り過ぎたという感覚だけ。


振り向いた時には、既にシオンは宙を飛び、地上から二メートルほどの高さにある窓に、飛び込んでいるところだった。

シオンが頭の前で腕をクロスさせたかと思うと、次の瞬間、窓ガラスが盛大に音を立てて割れる。


「くそ! おい、追うぞ!!」


取り残された人造人間(レプリオン)兵は、慌ててシオンの後を追おうとするが


「……まずいッ!!」


人造人間(レプリオン)の一人が、仕掛けられた罠に気付く。


「おい、やめ────」


彼が見たのは、空中に放られた小型時限式爆弾の群れ。

シオンが敵を抜き去り、飛んだ瞬間に懐から巻いたものだった。


人造人間(レプリオン)兵が、シオンの置き土産に気付いた時には、もう遅かった。


秒単位でセットされたそれは、連鎖的に爆発を巻き起こし、後を追おうとしていた人造人間(レプリオン)兵を全て破壊し尽す。

ゼロ距離からの爆破に人造人間(レプリオン)兵らは成す術も無く、木っ端微塵に吹き飛んだ機械仕掛けの体が、(あられ)の様に無機質な音を立てて次々と落下していく。


その音をシオンは乗り込んだ城の中で、朦朧とする意識の中でそれを聞いていた。


既に口にはボンベに直結しているマスクをして回復に努めているが、今度ばかりは限界を超えすぎたのだろう。

重く座り込んで、ひんやりとした壁に背中を預けぐったりとしている。

身体のけだるさと息切れ、意識に霧がかかったような感覚がなかなか抜けなかった。


「く……そ……」


吸引し始めてから30秒くらいたっただろうか。

ようやく意識がハッキリとしだしてきて、体にも力が入る。

シオンは手を握りしめ、回復したことを確認する。


一秒でも早くアイネとノイアの元に駆け付けたい時に、許容範囲を大きく超えたロスタイムを過ごしてしまい、ぶつけどころのないもどかしさが心を乱す。

急いで起き上がり、二人のいる南館に向かおうとする。


だが、焦燥がシオンの気を駆り立て、最悪な形となって視野を狭めることとなる。

それ故に、普段なら気付けるはずのものを見逃してしまっていた。



シオンが今いるのは、細い一本道の通路。

壁には固く閉ざされた鉄の扉が、点々と不気味に存在する。

周囲の電気は切れ、奥に行くにつれ闇が増し、視界を奪う。


その暗闇に一人。


男はガラスの割れた音を聞き、駆け付けていた。

そして立ち上がろうとするシオンを確認するが早いか、レーザー銃を構える。

弾け飛ぶ閃光は闇を駆け抜け、一直線に襲い掛かかる。


シオンが認識できたのは、視界の端で何かが光ったという事だけ。


「しまッ──────!!」


レーザーはシオンを巻き込んで背後の壁ごと破壊し、粉塵が周囲に漂う。


その様子を見て、人造人間(レプリオン)は闇の奥から意地汚く笑う。

革靴をコツン、コツンと響かせ、レーザー銃を握った男が暗がりから姿を現す。


「そんなものじゃあ、死なないよな~。俺がお前から受けた痛みは、きっちりと十倍返しさせてもらいまちゅよ~~~~」


嫌悪感を抱かせるその表情。

人を小馬鹿にしたような喋り。

ドセロイン帝国の軍服を身に纏ったその男は、他ならぬカースであった。




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