七十八話 ラスト・フェイズ
ローシュタインが“黒塔”と呼ばれるサセッタ中央管制塔で、コールルイスを倒した同時刻。
その最上階では六戦鬼最強の攻撃力を持つ人造人間──すなわちドセロイン帝国守護者 ボリスが両手をポケットに入れ、鋭い眼光を放ちながら黒く嗤っている。
ダークブルーのウールをメイン素材とした高級スーツに身を包み、足元はシャープなフォルムとキップレザーの質感を調和させた革靴を履いている。
両耳には純金のピアスをはめ込み、まさに金に物を言わせたコーディネートだ。
だがそれらは言うまでもなく、人造人間技術を餌としてHKVという殺人ウイルスから逃れたいという、人間の心理を利用して巻き上げた金に他ならない。
まさに悪の象徴ともいうべき存在だ。
その絶対的な“悪の象徴”と対峙しているのは、サセッタ隊長の一人であるミラージだ。
後ろ髪を一つにまとめ、伸ばした髪は肩甲骨よりもやや長い。
サセッタの黒のストライプの入った専用コートを羽織り、ボリスが壁に開けた大穴から吹き込む熱風が波をつくる。
普段であればニヒルな笑顔を浮かべ、調子のいい言葉を並べているのだが、今は状況が状況だけにその余裕がなかった。
額には汗の玉が光り、コートの裾野はぼろきれの様にくすみ穴が開いている。
それらは一見して、戦闘の劣勢を物語っていた。
「まったく、そんな体たらくでよく六戦鬼を挑発しようと思ったな」
ボリスは鼻で笑いながら値踏みするような眼差しを向ける。
「わざわざ丁寧に貴様らの作戦に乗ってやったんだぜ。それなのにお相手は、自分の姿を消すしか能がない阿呆が一人。笑い話にしちゃあ、手を抜きすぎだ。俺の帝国内だったら、遊ばず速攻でブッ殺してるぜ」
「So cool。まいったな~、私は今の今まで遊ばれていたのか。でもその割には、≪人類の叡智≫を使ってくるじゃないか~」
「阿呆が。遊興に耽ってやってるからこそ、貴様はそこに五体満足で存在しているのだ。そもそも貴様如きが俺の“無天繚乱”を拝謁するのは百年早いということを忘れるな」
事実、ボリスの言う通りであった。
戦闘開始から既に十分が経とうとしているというのに、ミラージは未だ傷ひとつ付けられずにいた。
しかし、360度どこを見ても壁には銃痕が生々しく残り、その数は百を超える。
ミラージが持つ折り畳み式の小型短機関銃から撃たれたモノだ。
これだけ発砲しておきながら、被弾させられないのもおかしな話だが、なんてことはない。
ただボリスが無天繚乱を──引力・斥力を駆使して銃弾を反らしているだけに過ぎない。
「さて、貴様唯一の武器である銃は俺には通用しない。かといってセリアンスロープの能力を使って姿を消すだけでは、ダメージを与えることすらままならない。どうする、忍び足で近づいて殴りかかってくるか?」
せせら笑いながら邪悪な瞳を向ける。
人相の悪さが、より一層彼の持つ“悪”を引き立てる。
「……フー」
しかし、ミラージは挑発に乗ることなく、深く息を吐き出して冷静に状況を整理する。
ここで考えることを辞めてしまえば、間違いなく“悪”の糸に絡めとられ、命ごと持っていかれてしまう。
そんな予感があった。
──Ok、流れはそこまで悪くない。最終作戦のための準備も整った。時間も良い頃合いだ。あとはどう上手く実行するかにかかっているね~。
肩の力を抜いて、大きく息を吸って再びゆっくりと吐き出す。
その様子を見ていたボリスがピクリと瞼を動かす。
「随分と余裕だな、貴様の命は俺が握っているのだぞ」
「Not really、案外それは逆かもしれないよ~。手の内は見せても、まだ奥の手は見せていないんだ」
「……言葉は選べよ、阿呆が。俺の気まぐれで貴様は生かされていると、先ほど言ったばかりだぞ」
唯我独尊を誇るボリスの見ている世界で、彼の意にそぐわないことは決して許されない。
指先ひとつの癖や、言葉使い、どれをとっても少しでも彼の琴線に触れれば、世界から排除される。
ボリスにとってこの世の全ては、自分を中心に物事が動いていて当たり前なのだ。
「Sorry、nice guy。私は嘘を言っているつもりはないのさ。なんなら見せてあげたいくらいだ」
「……なるほど、度が過ぎる阿呆との会話がここまで疲れるとは。いいだろう、貴様如きがこの俺を倒せると本気で考えているのなら、その思い上がりをことごとく叩きのめしてやる」
ボリスの纏うオーラが変わる。
突っ込んでいたポケットから右腕を抜き、ミラージに向けて人差し指と中指を伸ばす。
仕掛けてくる。
ミラージは形印を顕現させ、身構える。
コトッ、とボリスの周辺に転がっている壁の破片がひとりでに動いたように見えた。
だがそれは気のせいではない。
次の瞬間、無数の石つぶては地面から弾け飛び、ショットガンのようにミラージめがけて襲い掛かる。
とっさに左へ跳びそれらを躱すが
「甘いぜ」
ボリスはニヤリと嗤い、正面に向けていた二本の指先を右に──すなわちミラージが飛んで逃げた方向にすかさず向ける。
すると一直線に飛来していた石つぶては、宙で弧を描き、さながらホーミングミサイルのように一斉にミラージへと追随する。
「……ッ!!」
反則級の怒涛の攻め立てに、しかしミラージは強引に背中から倒れ、地面に着くギリギリで後方に跳び攻撃を躱す。
空を切った石つぶては地面にぶつかると霰の様にはじけ、より細かい粒となって辺りに散乱した。
それを見たボリスは驚きの口笛を鳴らす。
「思ったよりはやるじゃないか。……だが、こいつまでは無理だったようだな」
強引に攻撃を躱したことで体勢を崩していたミラージは、その初動に気が付かなかった。
ついさっきまでポケットに突っ込まれていた左手が、同じように人差し指と中指をそろえ、既にミラージに向けられていた。
「死ね」
クンッ、とボリスが両指を下に向けた瞬間。
隕石が落下したような衝撃音と共にフロア全体が大きく揺れる。
よく見ると、ミラージの居る場所を中心として、そこら一帯に見えない巨大ハンマーが振り下ろされたかのように、床に深いクレーターが出来上がっていた。
仕留めた。
誰しもがそう思うほど完璧なタイミングであった。
と同時に、当の本人であるボリスはなおさらそう思っただろう。
しかし、
「That’s too bad。どこに攻撃しているのさ~。そんなんじゃ、六戦鬼の名が泣いてしまうよ」
そう言いながら、ミラージはまるで何事もなかったかのように、クレーターの中で立ち上がる。
その姿にボリスは目を眇める。
まず真っ先に何故生きている、と疑問が浮かんだが、すぐにそれは頭から除外される。
確かに今の攻撃には手ごたえがなさ過ぎた。
人間に限らず物を圧殺するときには何かしらの反発力が伝わってくるが、今回はそれが無かったのだ。
その結果だけ踏まえれば“攻撃が当たらなかった”と考えられなくもない。
だが問題はどうやって≪人類の叡智≫の圧殺から逃れたかだ。
現に攻撃範囲に間違いなくミラージは入っている。
となれば、考えられるのはセリアンスロープの何らかの能力と考えるのが筋だろう。
しかし、ボリスの思考はそこで止まる。
否。
止めざるを得なかったと言った方が正しい。
気が付くと、四方に見覚えのある面々が立ち並んでいた。
「……どういうことだ」
流石のボリスも言葉を漏らす。
彼の周囲に立っていたのは、驚くべきことに同じ六戦鬼として名を刻む者達だった。
ボリス以外の六戦鬼。
左手前にキキョウ。
右手前にはバッハノース。
斜め後ろにはゼノとホークゲンが立っている。
そして“無天繚乱”の引力によってつくられたクレーターから、右足を淵にかけのそりとミラージが這い出てくる。
「Do it。言ったじゃないか~、奥の手を見せるって」
そう不敵に笑って言った。
そして──
五人が同時にボリスに向かって戦闘態勢を敷く。
キキョウが拳法の型を取り、バッハノースが剣の柄に手を添え、ホークゲンが石つぶてを鉄針に変え、ゼノが手のひらを向ける。
四方を囲まれ、さらに正面からミラージが風を切って走り迫る。
万事休す。
右に避ければバッハノースの太刀が。
左に避ければキキョウの承十陽拳が。
後ろに逃げれば右からホークゲンの鉄針、左からはゼノの“一閃零虚”が襲い掛かるだろう。
1つに対応すれば三方からの攻撃が迫る。
上に跳べば天井が邪魔をし、突き抜ける前に六戦鬼全員が仕留めに掛かってくる。
逃げ場はない。
その事実を瞬時に判断したボリスの眼に力が入る。
疑問はいくつもある。
何故、各所に散った六戦鬼がここにいるのか。
何故、彼らは自分に矛先を向けているのか。
理由なぞ知る由もない。
問わねばならぬことが多すぎた。
「──六戦鬼を……」
だがそれはボリスにとって、もはやどうでもいいことだった。
「──俺を……」
自分の思い通りにならぬ玩具など、存在していても無価値。
持ち主を興じさせることのできない遊具など、あって何になるというのだろうか。
ならば、捨てる以外の選択肢はない。
それこそ、この世に跡形も残すことなく。
それは誰であっても、唯我独尊たるボリスにとっては等しく同じだった。
「────なめるなァ!!!」
刹那、ボリスを中心に波動が駆け巡る。
それは言うなれば≪人類の叡智≫による斥力の集合体。
球体状に一瞬で広がっていくそれは、触れたモノ全てを反発し破壊し尽す。
故に。
天井・壁・床、斥力の通る道にある遮蔽物の一切が吹き飛び、その跡には塵ひとつ残らない。
ボリスが無差別的に放った無天繚乱は、閉鎖された“黒塔”最上階フロア全てを破壊するには十分すぎる程だった。
吹き飛んだ破片たちは流星群となって地上へと降り注ぐ。
そのせいか本拠地全体が不気味に大きく揺れる。
火に包まれつつあるサセッタ本拠地に、無数の隕石が堕ちてくるその光景は、もし地上にいる人間が見たらこの世の終わりだと思うに違いない。
それほどまでに絶望的で、世紀末じみた光景だった。
“黒塔”最上階のあった場所で、横目でそれを感じながら、ボリスは雲のように悠然と宙に立つ。
見下ろす視線の先には床などあるはずもない。
そしてもちろん、壁も天井も──。
彼の攻撃範囲は元々いた最上階のフロアだけでなく、塔の六層下ほどまで及んでおり、その威力と範囲規模の圧倒的差を見せつけた。
遠くから見ればその脅威がよくわかる。
まるで折れた木の枝のように塔の中ほどまで歪に削られ、見るも無残な姿になっていた。
ボリスはゆっくりと下降していき、斥力によって削られた塔に足をつける。
そのとき、再び本拠地全体に大きなうねりが生じた。
地震にも似たような感覚が続く。
しばらくするとその揺れは収まり、何事もなかったかのように静まり返った。
しかし、ボリスは気にせず降り立った場所を見渡す。
もはやこの場所が何階だったかすら分からない。
周囲は崩れ落ちた瓦礫の山ばかりで、空襲にでもあったかのようだった。
「いつまで瓦礫の影に隠れているつもりだ。奥の手はもう終わりか」
前方に転がる巨大な瓦礫に二本の指を向け、クイッと上にあげる。
岩はひとりでに宙に浮いたかと思うと、その奥から血にまみれたミラージの姿が出てきた。
白いサセッタのコートにべったりと血のりがついている。
うち伏せられた敵の姿を見て、ボリスは思わず嬉しそうに身震いする。
もし体が生身であったなら、間違いなく興奮のあまり鳥肌が立っていただろう。
沸き立つ血の気を抑えながら、ボリスはゆっくりと口を開く。
「さっき他の六戦鬼が沸き出てきたのは、貴様の能力か。つまらんことを……。少しばかり無天繚乱の出力を解放してしまっただろうが」
その言葉が聞こえたのか、ミラージは重い瞼を上げる。
「ん、さあてね……」
頭だけでなく、体中から血を流しているとは思えない程の軽快な声を上げながら、ミラージは膝に手をつきゆらりと立ち上がる。
「Let’s see、皮膚片を部屋中に貼り付けて起こさせた錯覚さー。光を操るカメレオンのセリアンスロープならではだ」
「…………貴様、何者だ。さっきの奴とは違うな」
ボリスは眉間のシワをより一層深める。
明らかに先程までのミラージとは雰囲気が異なる。
目の前にいるのは、確かに先ほどまで戦っていた男の見た目に相違ない。
姿、形、声、何から何まで同じである。
しかし、ボリスはこの何とも言えない違和感を、“ミラージでない別人”として認識した。
それを聞いた目の前の男は
「一発で看破か。さすがは六戦鬼といったところか」
突然口調を変え、くつくつと笑いながら、仮面でも外すように一瞬だけ手で顔を覆う。
「すまないね、さっきのは私の予想だ。まあ、当たらずしも遠からずだとは思うがね」
そこから出てきたのは一人の壮年の男だった。
白くなった髪をオールバックにまとめ、優し気な目元にはシワが刻まれている。
先程まで流れていた血はいつの間にか消え失せ、傷ひとつ無い体になっていた。
「貴様は……!!」
ボリスが目を見開く。
「いい反応だ。ミラージ風に言うなら、Nice reactionといったところかな」
そこにいたのは、まさしくローシュタインその人だった。
サセッタ創設者にして最高指揮官。
世界中で電波ジャックを行った今、顔を知らぬものなど今や存在しないだろう。
そしてもちろん、敵対関係にある六戦鬼のボリスが、彼の男を知らないはずがなかった。
さらに言えば、今回のサセッタ本拠地襲撃作戦の『最優先抹殺対象』として位置付けられているのだ。
どうして見間違うことがあろうか。
思いもしていなかった事態に、しかしボリスは冷静さを欠くことなく対応する。
「入れ替わったのか。どういうカラクリか知らんが、次の相手は貴様ということで良いんだな」
「そうだ……、と言いたいところだが、今の私では六戦鬼に──ましてや君を倒すことなど到底不可能だ。もって三分が限界だろう」
言葉とは裏腹にローシュタインは涼し気な表情を浮かべる。
そして刺すような鋭い眼差しを向け
「だが、三分もあれば充分だ。君に勝つにはね」
「言葉の歯車がかみ合ってないぞ。それとも真性の阿呆なのか、貴様は」
「失礼した、言葉足らずだったな。私は足止めをするだけさ、直接手を下すわけではない」
どこまでも遠回りな言い回しで意味深に笑う。
「要領を得ない返事だな。……何が言いたい」
「そう答えを焦らなくとも、すぐに分かる」
刹那。
ドンッ、と衝撃音ともとれる地響きがなり、ボリスの体が一瞬宙に浮く。
そして間髪入れず、尋常でないほどのエネルギー量が本拠地全体を駆け巡り、まるで荒れ狂う大海原にいるような揺れが本拠地を襲う。
あらゆる建物が倒壊し、青空を映し出していた天井のパネルが次々と落下する。
連鎖的に地割いれが起き、建物や各所に散らばっていた人造人間らが、次々と闇へ飲み込まれていく。
「なんだ、これはッ……!?」
突如として厄災の降りかかった本拠地の豹変ぶりに、思わずボリスは声を荒げる。
そして──
闇の奥で、何やら赤く怪しい光が蠢くのをみた。
次の瞬間、地割れの奥から湯水溢れる間欠泉の如く、マグマが一斉に噴き出す。
もはやそこは未曽有の領域、地獄絵図と言って差し支えないだろう。
およそ人間が考えうる全ての自然脅威が、同時にこの閉じられた空間に起こっているのだ。
それは人間の理解などとうに超えていた。
だがボリスには、このでたらめな現象に僅かな心当たりがあった。
本拠地襲撃数日前に行ったバーキロンの報告だ。
──奴はあの時なんと言っていた。レジスタンスのアジトを見つけ、それから……、それから……ッ!!
徐々にボリスの瞳が見開かれていく。
バーキロンの言葉がフラッシュバックする。
『オーシャン帝国内最南端に位置する場所です。有名な活火山がいくつもある場所で───』
ボリスの眼が血走り、かつてないほどシワで刻んだ顔でローシュタインを睨みつける。
「貴様……、最初からこれを狙っていたのか!?」
「狙っていたかと言われれば、“そうだ”と答えるほかない。逆に元々この作戦で行くつもりだったのかと問われれば、それは“否”と答えただろう。私が手札を一枚しか持たず、世界を牛耳るマセライ帝国に挑むと思うかね」
どろどろのマグマが地を這い、人造人間が放った火さえ飲み込んでいく。
灰塵も残らぬその光景が、数十メートル下の地上を占領していくのが分かった。
なおも本拠地は揺れ続け、これが終焉の序章であることを告げる。
「今回の第二帝国戦での作戦は大きく二つに分けられる。一つは言うまでもなくドセロイン帝国の統括管制室クラッキング。そして二つ目がこの本拠地を囮にした六戦鬼殲滅作戦だ」
守護者を務める帝国の名前が出てきたところで、ボリスはぎろりとローシュタインに視線を戻す。
「貴様、今何と言った。俺の帝国に手を出しただと……!?」
しかし、ローシュタインはボリスの怒りなど素知らぬ顔で話し続ける。
「この殲滅作戦が難儀でね、三段階条件をクリアしなければならなかった。一つが六戦鬼を本拠地の中に入れ、各隊長が押しとどめること。二つ、脱出するために私と入れ替わること。まあ見てのとおり、ここまではほぼ私の計算通りに事が進んでいる」
両手を下に広げ、自分の存在をアピールする。
「そして最終作戦──侵入者全てを大自然の力のもとに消し炭にすること。もっとも、六戦鬼全員が釣れるとは思いもしなかったがね」
「消し炭にするだと? 六戦鬼最強と謳われるこの俺を? 笑わせてくれる、このジジイの漏らしションベンみたいなスピードで流れているマグマでか?」
「ああ、可能性の一つとしてはね。面白いじゃないか。“人類の叡智”と“大自然の脅威”、どちらが真の支配者か腕比べと洒落込もうか」
「貴様……、余程死にたいらしいなァ!!」
ボリスが吠え、右腕を突き出す。
その手で虚空を握りしめたかと思うと、連動するようにローシュタインの体も締め付けられる。
左右からの引力で圧殺する気だ。
「捉えたぞ、もう逃げることは出来ん!! このまま押しつぶされるがいい!!」
手に力を込めていく。
ローシュタインの体から鈍い音が立て続けに鳴り、口から血を吐き出す。
しかし、そのような状況の中で、なおも余裕の表情を見せ
「ん、言っただろう。今の私では君を倒せない。足止めだけだと」
最後ににやりと笑う。
「──そして三分はとうに過ぎ去った。私の勝だ、六戦鬼」
次の瞬間、かつてないほど大地が激しく揺れる。
それはまさに咆哮だった。
耳をつんざくような重低音が鳴り響き、基地全体が絶叫する。
今までとは明らかに様子の違う揺れ方に、ボリスは括目する。
「貴様、何をしたッ!!」
その様子を見て口から血を溢れさせながらも、ローシュタインは満足げな表情を浮かべ
「そうだな……。確かに君の言う通り、このスピードと量のマグマでは六戦鬼を捉えることはできない。だが、それを可能にする方法が一つだけあるのだよ」
まるで自らの死さえも受け入れたように、こう言った。
「──本拠地全土を巻き込んだ噴火を起こすとどうなるかな」
その瞬間、大地の奥底から何かが走り抜けてくる感覚が、大気を通して全身を襲う。
膨大なエネルギーが空気を痺れさせ、生存本能が生命の危機を訴える。
「苦労したよ、ここら一帯のマグマ全てをこの本拠地の真下に集めるのは」
流石のボリスもこれには焦りの色を浮かべるが、しかし、既にその時は訪れていた。
「───さらばだ、六戦鬼」
「貴様ァァァァァアアアアア!!!!」
ボリスは目を血走らせながら、突き出していた拳を力の限り握りつぶす。
次の瞬間、 “無天繚乱”が最大出力を発揮し、引力に捉えられていたローシュタインはバチュンッ! と小気味いい音を立てて押しつぶされる。
鮮血が花火のように四散し、その飛沫の一部がボリスの頬にべったりと付着する。
ローシュタインは原形も残らない程に押しつぶされ、その跡には高密度の薄い肉塊だけが血の海に沈んでいた。
ボリスはそのまま急いで上空に飛び立ち、侵入してきた場所から脱出しようとするが、既に出口は火の海の中。
ローシュタインが稼いだ三分は、まさにこのためだった。
「おのれェ……ッ!!」
溜まっているマグマを≪人類の叡智≫で弾き飛ばそうとした、まさにその時。
本拠地全体が山のように盛り上がり、大地の震えと共に大自然の脅威が牙をむく。
そこから襲い掛かってくるのは、火柱などという生ぬるいモノではない。
見渡す限り灼熱の炎──眩いくらいの光を放つ赤い大地が姿を現していた。
「クソがァ!!!!」
ボリスは吠えたて両腕を突き出す。
未だかつてこの男は本気を出したことがなかった。
どのようなときであっても、六割程度の実力しか見せることはない。
六戦鬼最強と謳われる所以となった双極帝国戦争の時でさえ、それを超えることはなかった。
しかし──
今。
六戦鬼となってから、初めてその真の力を解放しようとしていた。
「この程度で俺を倒せると思うなよッッ!!」
ズンッッ!! と思い衝撃が走る。
目に見えぬ壁に阻まれるように、マグマの波がボリスを呑み込む数メートル手前で、その勢いを完全に殺す。
≪人類の叡智≫──無天繚乱の最大出力を以て、大自然の脅威たる炎の大地を抑え込む。
「ぬ、ォォオオオッ……!!」
歯を軋ませ、鬼の形相を浮かべながら、決して人間が手なずけることのできないエネルギーの塊をねじ伏せ続ける。
それどころか、僅かではあるがマグマを押し戻しているようにも見える。
押し勝てる。
ボリスはそう確信した。
だが──。
ボリスは極限のあまり失念していた。
ローシュタインは口に出してハッキリと言っていた。
『ここら一帯のマグマ』を真下に集めたと。
すなわち。
今ボリスが押しとどめているのは、全体のほんの一部に過ぎず──。
続く第二弾が奥底からその脅威を増幅させる。
「……ッ!!!」
ボリスの眼が極限まで見開かれる。
抑え込んでいた灼熱の炎が徐々にその威力を増していき、ゆっくりと、そして着実に壁をボリスへと押し返していく。
「グッ……ォォオオッ!!!!」
圧力に押し負けていくごとにボリスの指先が震え、それは腕全体に伝達していく。
初めての経験だった。
六戦鬼として本気を出したのも。
そしてその本気が押し返されていることも。
常に傲慢無礼な態度で真の力を見せず、指先ひとつで敵を屠ってきた男が、この未知の体験に何を思うか。
恐怖。不安。
否。
そこにあったのは、絶対的な自信だけだった。
負けるはずがない。
この俺が押されるはずがない。
その根拠のない自信のみで、迫りくるマグマを寸前で再び押しとどめる。
マグマが数ミリしか離れていないという極限の状態だ。
熱さはない。
痛みもない。
だが、内蔵されている機材は、高速で起動し続けオーバーヒート寸前。
プライドの塊を体現したような男は、矜持を保つために限界を超え──
「オォアアァァアァアアアッッ!!!!」
そして雄たけびと共に、その全てを解放した。
☆
大地が揺れ、史上最大規模の大噴火が起こった。
噴き出した巨大な炎の柱は、さながら天に昇る龍の如く。
それは太陽をも凌駕する明るさで世界を照らしつける。
白龍が通った跡は粉塵が青空を黒く塗りつぶし、まさにこの世の終わりを感じさせるような光景を創り出した。
「ん、計画通りだ。これで帝国最大戦力の六戦鬼は火の海に沈んだ。生きていてもタダでは済まないだろう」
芸術的なまでの火柱を見上げながら、壮年の男は言った。
その後ろには三人の人影がある。
デヒダイト、コェヴィアン、そしてミラージの三人の隊長だった。
デヒダイトも時を同じくして、六戦鬼 ゼノを入れ替わったローシュタインに任せて、本拠地から脱出していた。
「ローシュタイン、タモトとアイリスはどこだ?」
そのデヒダイトが周囲を見渡し、二人の姿がないことに気が付く。
「彼女たちは私の半身と入れ替わる前にやられてしまった」
「……そうか」
デヒダイトは寂し気な表情を浮かべ、それ以上何も追及しなかった。
それを見てローシュタインは踵を返し
「最初から私のプラナリアのセリアンスロープで作り出した半身を、六戦鬼と対峙させるのがベストな選択だったのだが、アレにはデメリットがあってね。分裂中は私から力が割り振られてしまうんだ。確実にコールルイスを仕留めるには、半身の能力値をできるだけ低くしなければならなかった。こればかりは私の力不足だ、すまないね」
申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「……それはもう聞いている。そう何度も言わなくても大丈夫だ。六戦鬼と戦う以上、皆差し違える覚悟はしていたんだからな」
「そうだな……」
ローシュタインは気持ちを切り替えるようにして、一旦うつむき、そして再び顔を上げる。
「さあ、ドセロイン帝国に行こうか。第二帝国戦もいよいよ佳境だ」




