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七十七話 可異転生



ローシュタインがコールルイスと対峙している同時刻。


「……なぜ何もしてコナイ」


11番街にある小さな公園で、妙に声をこわばらせてコェヴィアンが言った。

相手の真意を図りかねているようだった。


「なぜって言われてもねえ……」


そう答えるのは六戦鬼(セクスセイン)の一人、ホークゲン。

ダメージジーンズにタンクトップ一枚というラフな格好も相まってか、そこはかとなく億劫なオーラを醸し出す。


二人が対峙してから既に十分以上経過していた。

にもかかわらず、他の隊長と六戦鬼(セクスセイン)がつけたような生々しい闘跡はこの場に見られない。

互いの服装は特に乱れているわけでもなく、かといって息を切らしているわけでもない。


あるとすれば、二人の立っている地面の砂利が肉弾戦の応酬があったことを伺わせるような荒れ方をしているくらいだろうか。


だがそれは裏を返せばどちらも真の力──セリアンスロープの能力と≪人類の叡智(カルタシス)≫を解放していないということに他ならない。


そして今も互いに相手の出方を見ているだけ。

いや、正確に言えば戦闘態勢に入っているのはコェヴィアンのみ。対するホークゲンは全くと言っていいほどやる気がなさげだ。

今までの攻防もコェヴィアンが一方的に攻めるだけで、彼はただの一度も反撃をしていない。


もちろん、≪人類の叡智(カルタシス)≫を使う場面があったにもかかわらずだ。


コェヴィアンは一度、第一帝国戦(ファーストエディション)で遠目からではあるが、彼のその実力を目に焼き付けている。

六戦鬼(セクスセイン)はこんなものではない。

それだけに反撃してこないのが不可解だったのだ。


だから尋ねずにはいられなかった。

『なぜ本気でかかってこないのか』と。


ホークゲンはあくびをしながら、両手を頭の後ろに組んで大きく伸びをする。


「何故かあ……。そうだなぁ……」


うわ言のように同じセリフを繰り返し、天井に映し出された青空をのんびり見上げる。


「俺にはもう理由が見当たらないから、だろうねえ」


「理由ダト?」


コェヴィアンは怪訝な表情を浮かべる。


「そっ、お前さん達と戦う理由さ」


息を吐くようにそう言った。


「馬鹿にしてるノカ? 本拠地に攻め込んできておいてどの口が言ウ」


「いやいや、確かに俺はここにいるけど、それはわずかに残っていた忠誠心がそうさせただけだよ。以前の俺だったらいざ知らず、今は決して本心じゃない。……内心迷ってたんだ。このまま俺は六戦鬼(セクスセイン)として帝国に残るべきなのか否かってね」


コェヴィアンの純真で真っすぐな瞳を見る。

信じたものを疑わない瞳。

ホークゲンも記憶を消されたと知る前であれば、彼女の姿勢に何の感情も抱かなかっただろう。


だが今となっては彼女の糸目からのぞく、真珠のような輝きを持つ瞳が眩しかった。



ホークゲンはコェヴィアンから目を逸らす。

今の彼には忠誠心というものがほとんど残っていなかった。


自分の知らないところで認識を操られ、記憶改竄され、その果てに誰もが素知らぬ顔で接してくる。

それがどれほどの不信感を生むか計り知れない。


ホークゲンは普段の言動こそ軽薄だが、義に深く情に厚い六戦鬼(セクスセイン)の中でもかなり温厚な性格をしている。

その片鱗は第一帝国戦(ファーストエディション)でも垣間見えた。

窮地であっても最後までヌチーカウニ―帝国の守護者として、わざわざ帝国王の元に駆け付け共に逃走したことは記憶に新しい。


それゆえに、マセライ帝国が行った裏切り──すなわち都合の悪い記憶を消して付き従わせようとしていた事実は、他人よりも何十倍の傷となって彼の忠義心を損ねる結果となっていた。


「まあ、でも、そうだなあ。お前さんと戦って半分くらいは決心がついたかな」


しかし、ホークゲンは複雑な心境の中、ある一つの答えを導き出していた。


「決心ダト?」


「──俺は六戦鬼(セクスセイン)を辞める。だからどうだい、ここらでお互いに手を引くってのは」


一瞬、コェヴィアンの脳が思考を停止する。

突拍子もない言い分に、理解が追い付かなかった。


「……どういうことダ」


「言葉通りの意味さ、俺は六戦鬼(セクスセイン)の名を捨てる。もちろん帝国も抜ける。裏で人を操ろうと画策する人造人間(レプリオン)たちにいつまでも付き従ってやる程、俺はお人よしじゃないってだけだよ」


自嘲気味に笑ってそう言った。


この言葉に込められたものは記憶操作だけではない。

統括管制による人造人間(レプリオン)の支配を含めた、マセライ帝国の全ての計画が気に食わなかった。


──ああ、そうか。だから俺はクーデターを……。


以前の自分も同じ考えを辿った確信があった。


もともとホークゲンが六戦鬼(セクスセイン)になったのも、人類史上最悪の死傷者を出し続ける双極帝国戦争を終わらせるためだった。


世の安寧のため。

そして自由のため。


それが彼の心の中にあるモノであり、決して帝国統王が企む桃源郷(ユートピア)を創るためではない。


「まあ、だから今の世界を変えるっていう、お前さん達サセッタ側に就く手もあったんだが……、どうにもそちらさんのボスも信用ならない。一度会ったが、ありゃあ正義の味方って(つら)じゃなかった。だからこの場は一旦終わりにしようって提案したのよ。君らが“本物”だと確信出来たら俺の力を貸してあげるさ」


「言いたいことはそれダケカ……?」


コェヴィアンは無表情のまま六戦鬼(セクスセイン)を睨みつける。

尊敬するローシュタインを侮辱され、さらに都合のいい薄っぺらい内容を叩く減らず口に苛立たずにはいられなかった。


そんな感情の振り切りに呼応するように、コェヴィアンの体に黒い形印(コントラー)が浮かび上がる。


「おー、おー、怖い怖い。そんな恐ろしい顔しなくてもいいじゃない。かわいい顔が台無しだ」


ホークゲンはおどけたような表情を浮かべ、やれやれとばかりにかぶりを振った。


刹那、油断が生まれる──。

次の瞬間、自らの懐にコェヴィアンが入り込んでいることに気が付く。


セリアンスロープの基礎代謝能力向上は回復だけではない。

僅かではあるが速さやパワーといったステータスを引き上げる。


コェヴィアンは勢いそのままに、拳を六戦鬼(セクスセイン)の腹に叩きこもうとするが


「おぉっと!!」


ギリギリで勘付いたホークゲンは身体を退けて攻撃を躱す。


だがそのことを想定に組み込んでいたのか、コェヴィアンは攻撃の慣性を利用して体を捻り、左足を軸足にして蹴りを放つ。

動作に一切の無駄がない。

風を切って迫るその踵を、しかしホークゲンは両手を地面に付き体勢を低くしてやり過ごす。


そのまま四肢のバネを使って宙に跳び、≪人類の叡智(カルタシス)≫──可異転生(デミウルゴス)を発動させ窒素を足場へと変換し上空へと距離を取る。


コェヴィアンが見上げ、ホークゲンが見下ろす。

視界の端には非戦闘員が暮らしていた建物が、轟轟と燃える姿が映って見えた。


「少しは出来るようになったみたいだけど、それでもまだ俺には敵わないね」


ホークゲンは諭すように言う。


「どうかな、そろそろお互いに手を引かないかな。お前さんにとってはメリットしか──」


だが、そこで言葉を止める。

コェヴィアンとの距離はおよそ10m。見逃せるはずがなかった。

先ほどまで能面のように無表情だった彼女が、口が裂けたかのように笑っている。

まるで罠にかかった獲物を捕らえたかのような、そんな顔だ。


その形容しがたい気味の悪さに、ホークゲンは思わずゾッとする。



「……発芽セヨ」



女性にしては低く、そして不気味なまでの声音でコェヴィアンは呟いた。


ホークゲンは警戒し身構える。

しかし、周囲の炎によって温められた熱風が吹くだけで、大きな変化は見られない。

先程までと何ら変わらない。

徐々に火の手が本拠地を飲み込んでいくのみ。


だが、ホークゲンだけがかつてないほどの違和感を感じ取っていた。


──なんだ? この嫌な感じは……。


そう思った次の瞬間、ホークゲンの腕の関節部から菌糸類──いわゆるキノコの形をしたモノが次々と泡のように噴き出す。

それらは尋常でないほどのスピードで成長していき、そのまま六戦鬼(セクスセイン)の腕を侵食していくように覆い尽くす。


「なッ……!?」


だが、驚いている余裕などなかった。

腕だけではない。

脚、首、顔。

あらゆる関節部、正確には人造人間(レプリオン)のボディーにある僅かな隙間からキノコが発芽していく。


ホークゲンが剥ぎ取ろうと腕を動かそうとするが、関節部に菌糸が根を下ろしているためミシミシと鈍い音を立てるだけに終わる。

もがけばもがく程、根は食い込み、さらに動きを封じる。

それに比例するように菌糸も肥大化していき、六戦鬼(セクスセイン)を飲み込んでいく。


コェヴィアンはその様子を地上から見上げ


「油断もいいとこダナ、六戦鬼(セクスセイン)。さっきの攻撃は胞子をより確実に、オマエに付けるための陽動に過ぎナイ」


空中で微動だに出来ずにいる六戦鬼(セクスセイン)に、まるで捕食者のような眼光を飛ばす。


「例えそれを剥ぎ取ったところデ、既に広範囲で胞子が漂ってイル。逃げられはしナイ」


菌糸は留まることを知らず膨張し続け、八方へと笠を伸ばしていく。

それはまるで一つの大樹のようだった。

上空に浮かぶ幻想的(ファンタジック)な光景を生み出すそれは、やがて大地にまで無数の根を下ろす。


「ソイツらはもうすぐオマエの核にも根を張るダロウ。起動装置を潰されれば六戦鬼(セクスセイン)といえども終わりダ」


胞子を撒いてからわずか一分にも満たない。

だが、戦いに勝つには十分な時間だった。


目の前の大樹にも見える菌糸の集合体は、堂々と大地に根を下ろし、幹から伸びる無数の笠は地面に大きな影を作る。

全長7mにもなるそれを見届けたコェヴィアンは、勝利を確信しその場を去ろうとする。


しかし──



「“可異転生(デミウルゴス)”──異物を窒素へ」



空気が弾け飛ぶ。

その衝撃波に思わずコェヴィアンは振り返る。


「なん……ダト……!?」


今度はコェヴィアンが驚く側だった。


つい先刻まであった巨大な菌糸の集合体は、今や見る影も無く消失している。

根が張り付いていた大地には無数の丸い足跡が残り、過去に存在していた事だけを告げていた。


「いやぁ、さすがに驚いた。まさか“不侵砂膜”に掛からないなんてねえ。あと数秒冷静さを取り戻すのが遅かったら、間違いなく核を潰されていた」


ホークゲンはまるで何事もなかったかのように、両手をポケットの中に突っ込んだまま、数刻前と全く同じ場所からコェヴィアンを見下ろす。


「他の六戦鬼(セクスセイン)相手だったら、お前さんの勝ちだったよ。だけど悪いが、俺との相性は最悪みたいだ。今のもかなりの大技と見たが、現実はこの通りさ。どうする? このまま続けるかい?」


「…………ワタシがローシュタイン総隊長から受けた命令は、退くことではナイ」


感情を押し殺した声で答える。


「はあ……、しょうがない()だ。このまま見逃してくれそうにもないし、隙は自分で作るしかなさそうだ」


そう言って、ずっと手に握っていたあるモノを頭上にばら撒く。

それはコェヴィアンの蹴りを躱した時に掴んでいた、きめ細かい“砂利”だった。


「逃がすと思うのカ? この──」


だが、コェヴィアンが言葉の続きを発することはなかった。

意識して行ったことではない。

自然と、そして無意識のうちに言葉が出なかった。


糸目を見開き、その光景に唖然とする。


対等に渡り合えていると思っていた。

例え≪人類の叡智(カルタシス)≫を行使した状態であっても、六戦鬼(セクスセイン)と互角であると。

隊長はそれを基準に選抜していると、敬愛するローシュタインが言っていたのだから、彼女は疑うこともしなかった。


だが、六戦鬼(セクスセイン)がその真髄を見せた今、そんなことを思う余裕すら完全に無くなっていた。




「──さて、避けきれるかな」



ホークゲンは軽い準備運動でもするかのように言う。


見ると彼の頭上には何千種類といったあらゆる武器が浮かんでいる。

第一帝国戦(ファーストエディション)で見せた“鉄針”も健在にして、刀剣や槍、ランス、そして極めつけは質量・物量共に最高値を誇る弾道ミサイルが姿を現す。


それらは全て可異転生(デミウルゴス)で生成されたモノであり、その元となったのは言うまでもなく先程上空に撒いた“砂利”。

一握りとはいえ、きめ細かいそれを数えることなど不可能。


それはすなわち逆説的に考えて、ホークゲンが創り出した武器の総数であることに他ならない。


「……ッ!!」


コェヴィアンは胸元から顔にかけて広がる黒い形印(コントラー)を、より一層濃くする。


上空に立つホークゲンが手を振り下ろした。


連動するようにして、飛来してきたのは鉄針や刀剣などの刃物。

迫りくる凶器に、コェヴィアンは立て続けにバク転を四回繰り返し、それら全てを躱していく。


「やるねえ! だけど、次のはそんな動きじゃあ避けきれないよ」


そう言いながら、ホークゲンが続いて放ったのはただの鉄棒。

しかし、それは空気を切り裂きながら飛んでいる間に巨大化していき、刃物を躱しきったばかりのコェヴィアンにたどり着くころには全長・直径共に10mの圧殺兵器と化していた。


「くッ……!!」


前後左右、彼女の立つ地面全てに影が映る。

どう逃げても押しつぶされる。

躱しきれない。


すぐさまそれを察したコェヴィアンは、体中から菌糸を大量に発芽させる。

瞬く間にそれは全身を覆い、白い球体となる。


その次の瞬間、ズシン! と地の底まで響くような決して派手ではないが、大きく低い音がサセッタ本拠地を揺らした。

砂埃が大量に舞い、周囲の木造住居が跡形もなく破壊される。


巨大鉄棒で押しつぶしたことを空から確認したホークゲンは、一仕事終えたかのように軽くため息をついた。


「やれやれ、まったく。死んじゃあいないとは思うけど、しばらくはそこで大人しく寝ときなよ」


そう言い残し立ち去ろうとしたが、眼下に漂う砂埃の煙幕の中で何かが動いたように見えた。

すると砂埃の幕を突き破るようにして、中からコェヴィアンが飛び出してくる。

サセッタのコートは砂まみれになり、顔には擦り傷が多数みられる。


空中に漂う胞子を瞬時に発芽させ、それを足場としてホークゲンに果敢に立ち向かう。


「……痛々しいね。見るに堪えない」


使命を全うしようと己の命さえも省みず、全身全霊を込めて向かってくるコェヴィアンを見て呟いた。

だが、それは同時に自虐のようにも聞こえた。


「信じるということは思考の放棄と同義だ。盲目と何ら変わらない。──だから……、見えないところからの攻撃に気付かないんだ」



上空に佇む六戦鬼(セクスセイン)に集中するあまり、彼女は気付くのが遅れた。


弾道ミサイル。


その流麗を極めた悪魔の兵器が背後からが迫っていることに。


それはホークゲンが刀剣などの刃物を射出した際に放っていたモノに他ならない。

コェヴィアンが初撃を躱している間に、上空で大きく弧を描き背後に移動していたのだ。


果たしてそのミサイルはコェヴィアンに直撃し、赤く火を噴いたかと思うと盛大に爆発を引き起こす。


大気が震える。

爆風が生じる。


連鎖的によって生み出された奔流の渦は、地表に溜まっていた砂埃を一掃し、家々を吹き飛ばす。

ミサイルというだけあって、その破壊力は申し分ない。


目の前で起こった爆発に、しかしホークゲンは微動だにせず、かき上げている髪が激しく波打つ。


爆心では風にあおられた黒い雲が、しだいにゆっくりと時間を過ごしている。

その中から煙に覆われた一筋の流星が地面に落ちていく。


コェヴィアンだった。


黒煙を纏いピクリとも動かず、その姿を炎の向こう側に消していった。


それを無言のまま見つめるホークゲンが何を思ったかなど、誰も知る由がない。

彼はそのまま背を向けて、サセッタ本拠地から姿を消した。






「ん、随分と手ひどくやられたね」


右腕全体が大やけど、全身黒焦げになりながらも、かろうじて生きて地面に転がるコェヴィアンに近づく者がいた。

その穏やかな声に目が覚める。


「……ローシュタイン総隊長。スミマセン、ワタシは……」


敬愛するローシュタインが目の前に現れ、寝ているわけにはいかないと思ったが、どうにも力が入らない。

脱力状態から抜け出せず、頭を上げるので精一杯だった。


「無理に起き上がらなくてもいい、よくやったね」


「ですが、これでは作戦の最終段階ガ……」


取り乱すコェヴィアンを制止するように、優しく頭を撫でる。


「心配しなくてもいい、誤差の範囲内だ。それよりも早く脱出しよう、そろそろサセッタ本拠地最終作戦(ラスト・フェイズ)に移行するからね」






コェヴィアンがホークゲンに撃ち落とされた同時刻。


「どうした、息巻いていた割には随分と辛そうに見えるが」


サセッタ本拠地 中央黒塔内部一階。

そこで総隊長ローシュタインの声が空気を揺らした。


ガラスを張り巡らされた壁からは、めらめらと踊る炎から生み出された光が差し込む。

数分前までは本拠地全体の一割にも満たない火の手だったが、いまや半分がその手に侵されていた。

熱を帯びた光は二人のいる密閉された会議室の温度を急上昇させる。


しかし、長袖の白衣を着ながらもローシュタインは汗ひとつかいていない。

右手にはシルクのような、半透明な糸を重ね合わせて創られた剣が握られており、僅かに動くたびに光が屈折しその存在を不確かなものにする。


そして。

ローシュタインの他にもう一人。


否。

一人という定義がこの場合適用されるか判断に迷うところではあるが、あえて同一人物を“異なる人物”として一人ずつカウントしていくのであれば、それはおよそ二十人を超えるだろう。

ただ、そのどれもがローシュタインの足元に無造作に転がっていたり、壁ごと串刺しにされていたりと、あまりにも無残な姿が多すぎた。


そして唯一、床に足をつけ五体満足で残った男が、ローシュタインの前に顔を歪めながら立つ。


コールルイスだ。

暑さのせいもあってか、彼の頬から顎にかけて流れ星のように一粒の雫が駆け抜ける。

顎に溜まった汗はやがて大粒となり、地面に落ちると花火のように弾けた。


「ゴホッ、ゴホッ……!! 僕が辛そうに見えるんだったら、それは暑さで頭がやられたということでしょう。早々にここから出ることをお勧めしますよ」


コールルイスは眼の下にクマを浮かべながら強気でそう言ったものの、その息遣いや周囲の状況を見れば誰一人として彼が優勢だと思う人間はいないだろう。


だがそれは仕方のないことだった。

実力差を除いたとしても、密室された部屋の温度は50℃に差し掛かろうとしており、およそ人間が正常な状態で立っていられる空間ではない。


呼吸1つ乱さず、汗一粒すら流さないローシュタインが人間離れしているだけだ。


「ん、暑さで冗談のキレがいつもより増しているね。少し面白かったよ」


その余裕もあってかコールルイスの挑発をあっさりと流し、白い歯を見せて笑った。

絶妙に苛立たせるポイントを踏み抜いてくるそのセリフに、コールルイスは目尻を痙攣させる。

暑さと戦いによる疲労の蓄積も相まって、意識の外からも脈打つように激しく動く。


「こほッ……。随分と余裕そうじゃあないですか、ローシュタインさん」


コールルイスは一つ大きく息を吐き出すと


「見えているでしょう? 外は大火事だ、サセッタの部隊が第二帝国戦(セカンドエディション)に出向いている今、非戦闘員を守る者は誰もいない。隊長たちも六戦鬼(セクスセイン)の相手で精一杯とくれば、外は今頃焼死体が山ほど転がってるんでしょうね」


「……そうかい? 一応全員避難させたんだがね」


「甘いですよ。基地内にある五か所の緊急避難場所は既に襲撃場所に含まれています。それにアナタが秘密裏に造っていた、五番街の地下空間も把握済みです。だてに十年もサセッタにいませんよ」


ローシュタインの考えを全て先読みしていたかのように言う。

事実、敵襲があった場合、非戦闘民は各区域にある緊急避難場所に移動する手はずで、何度もその訓練を行っている。

さらに言えば予想外の出来事に備えて、ローシュタインが誰にも知らせず五番街の地下に予備食料を備蓄した、簡易的な避難場所を作っていたことも事実である。


まさに用意周到。

逃げ場など一切ない。

長い歳月をかけ調査し、確実に息の根を止めにきていた。


さすがのローシュタインも言い返せなくなったのか、影に顔を隠し黙りこくったまま、身じろぎひとつしない。



さて、とコールルイスは様子を伺う。


ずっとこの時を待っていたのだ。

常に相手を手のひらで転がしてきた男が、逆に転がされるときどんな反応を示すのか。

どう転がってもおいしい展開になるだろう。


コールルイスはここまでの道のりを振り返る。


正面に立つこの男は、遅かれ早かれいずれ内通者の存在を暴き看破すると考えていた。

そうなれば戦うことは必至。

出来るだけ対策を打とうと考えていたが、しかしどれだけ探りを入れても、ついぞローシュタインのモデル生物は分からなかった。


だが、自分が無限に分裂できる以上“負ける”ことはあり得ない。

現に今も二十回以上殺されているが生きている。

計算通りだった。


であれば、コールルイスが内通者として注力すべきは、本拠地をくまなく調べ上げ、一切の退路を断ち、サセッタの動向をつたえること。


完全に、そして徹底的なまでにコールルイスはそれをやり遂げた。


長い道のりだった。

いつ内通者とバレるかもしれないという恐怖。

仲間は誰一人としておらず、連絡は必要最低限。

常に孤独との戦いだった。


おかげですっかりやつれ、目の下には大きなクマが溝のようにできてしまった。


全ては、敬愛する(しゅ)のため、そして主が信仰してやまないボボンボ様のため。

この身がどれだけ犠牲になろうと、やり遂げるための労力をいとわなかった。


だが、悲しかな。

それら全ての感情は≪人類の叡智(カルタシス)≫によって作り出されたモノに他ならない。

唯一の救いは、その思考を自分が生み出したものだと思っていることだろう。


彼の本当の意志など、もうどこにも存在しないのだから。



「……全く、君という男は人の話を聞かないね」


黙っていたサセッタ最高指揮官が不意に言葉を放つ。

その声に感傷に浸っていたコールルイスは、一気に現実世界へ引き戻される。

腹の奥にまで伝わってくる不気味さがそこにはあった。


ローシュタインが一歩、歩み寄る。

革靴が地面をたたき、コツンと音が鳴った。


顔を覆っていた影が月の満ち欠けのように引いていき、その全容を現していく。



「いったいいつ、私が“サセッタ避難区域”に移動させたと言ったかね」



優雅な微笑みのあとに、まるで子供に言葉を教えるように喋りに強弱をつけた。

コールルイスが眉をひそめ、訝しげな表情を浮かべる。


「……どういうことですかね」


「言っただろう、私は君たちが本拠地に攻めてくることを読んでいたと。それを利用して、六戦鬼(セクスセイン)の居ぬ間に第二帝国戦(セカンドエディション)を開始していると」


「だからそれがどういう……」


「私は君たちが来ることを遥か前から計算に入れていた。それこそサセッタという組織を公に出す前からね。となれば、当然対策は立ててある。故に、今日に至るまでの私の指揮に一切の無駄はない。ここまで言えば私が何を言いたいか見えてくるだろう」


しかし、コールルイスは何も答えない。

その眼の色は何かを見落としていないかという焦りが伺える。


ローシュタインは落胆したように浅くため息をついた。


「答えに直結するヒントを出そうか。……我々サセッタは一週間前、何をしていた」


その瞬間、全ての糸が繋がったかのようにコールルイスの眼が見開く。


「そうかッ……!! 第一帝国戦(ファーストエディション)!!」


完全に意識の外だった。

無敵の“要塞”の異名を持つヌチーカウニ―帝国城。

第一帝国戦(ファーストエディション)以降、シェルターが起動して外部からは完全に隔離されている。


内部はサセッタが統括管理を握っているため、人造人間(レプリオン)を意のままに操ることができる。そこに付け込んで第一帝国戦(ファーストエディション)が終わった直後、侵入する際に使った地下通路にまで“根”を伸ばし、非戦闘員を帝国内に避難させていたのだ。


世界中の戦力を集めても陥落させるのに三日はかかると言われる“要塞”は、本拠地が特定された今、まさに隠れ蓑にうってつけだったというわけだ。


「だ、だが、ここからヌチーカウニ―帝国までは50km以上離れている!! 馬鹿げている!! そんな長い距離まで“根”を伸ばすことなんて不可能だ!!」


コールルイスは大きく手を振りかざし、分かりやすく動揺する。


「否定から入るのはあまり褒められたものではないな、コールルイス。実にサイエンティフィックでない。否定的な先入観は視野を狭める」


「ふざけるな、どうせハッタリだ!! そんなことできるわけ──」


「それが出来るから、こうして人造人間(レプリオン)たちをここに集めたわけだが?」


まるで長年の研究成果を報告するかのように、彼は両手を軽く広げた。


正面に立つコールルイスは無意識のうちに目を見開いた。

背後の窓から差し込む炎がローシュタインを照らしつける。

彼の背中に放射する忌火が後光となり、さながら神話におけるワンシーン──神との対峙を体験しているようだった。


コールルイスの眼から力が抜けていく。

下唇を強く噛みしめる。



敵わない。

どんなに手を尽くそうと。

どれだけ裏をかこうと。

この壮年の男は必ずその先に回り込むだろう。

全てはこの男の手の内にあるのだから。



じりじりと加熱され続ける部屋は、まるで巨大なオーブンの中のようだった。

一歩も動いていないというのに、コールルイスの汗は滝のように溢れだしてくる。

立っているだけで体力が削られていく。

ふと足元を見ると、バケツでもひっくり返したのかと疑うくらいに汗で床が濡れていた。


──おかしい、暑すぎる。いくら火を放ったからといって、ここまで暑くなるものなのか?


窓から見える本拠地を焼き尽くす炎は、先ほどから範囲を広げているように見えない。

明らかに異常な温度上昇だ。


「……そろそろだな」


ローシュタインが腕時計を見ていった。

そしてあろうことか、コールルイスを前にして背を向ける。

そのまま歩き始め、出口へと向かう。


唖然とした。

まだ決着がついていないというのに、既に事を終えたかのように無防備な背中だ。


それがどういう意味を持っているのか、コールルイスにはすぐに理解した。


眼中にないのだ。

所詮は鬱陶しい羽虫が飛び回っていたに過ぎない。

そう言われている気がした。


「俺を……」


コールルイスは怒りを滲ませる。

それは彼の人生を、生き様を、全てを否定された侮辱にほかならない。


「俺を見ろォ!! ローシュタイン!!!」


懐から銃を取り出し照準を定めようとした次の瞬間、全身の筋肉が硬直するのを感じた。

だがそれだけでは終わらない。


「アッ……、ガッ……!?」


今度は呼吸が止まる。

酸素を求め口を動かすも、呼吸の仕方が分からない。

だ液の混ざった泡を吹きだす。


喉をかきむしる。

眼が血走る。

何が起こっているのか理解できなかった。


そのまま体勢を崩し、ダンッと大きな音を立ててうつ伏せに倒れ込む。

握っていた銃が乾いた音を立てて床を滑り、ローシュタインの踵に当たった。


「な……にを……し、た」


這いつくばった状態でかすれ声を絞り出す。

死の淵にいるような、灯の消えかかっている声だ。


ローシュタインはぴたりと足を止める。


「何を? おかしなことを聞くね。その状態になってもまだ理解できないとは。つくづく度し難い男だ」


踵を返し、足元に落ちている銃を拾う。


「最初の一太刀に私が開発した猛毒を仕込んでおいた。君のセリアンスロープはどんな外傷を負っても、傷口から分裂して死なないことは分かっているからね」


「くッ……そ、がッ!!」


「今更吠えても死を早めるだけだ。おとなしく死を迎え入れる準備をしておく方が、よほど有意義だと思うがね」


撃鉄を下ろし、銃弾の装填が完了する。

そのまま銃口をコールルイスの額に向ける。


「最後に何か言い残すことはあるかい」


「お、まえ……は、六戦……鬼が……たお──」


コールルイスの口元が震える。

口角に泡が溜まっていく。

もはや言葉を発することすらできない状態に陥っていた。


言いかけだったそのセリフを、しかしローシュタインは理解する。


「ん、六戦鬼(セクスセイン)か。確かに脅威だが問題ない。そもそも、なぜ私が君たち帝国側の兵士をこの本拠地に集めたか分かるかい」


死の際にいる相手に問いかける。

しかし当然、その返事は返ってこない。

かろうじて開いている片目が睨みつけてくるだけだった。


ローシュタインはやれやれとばかりに肩をすくめ


「──面倒な敵をまとめて始末できるからさ」


と告げる。


睨みつけていたコールルイスの瞳孔が徐々に大きくなっていく。

ぐったりとした体から、僅かに残っていた生気が消えていくのが分かった。


「どうやって、と言いたげな顔だね。だが、まあ──」


そんなコールルイスを冷たく見下ろしながら、銃の引き金に指をかけた。



「──それは死後の世界で考えておいてくれたまえ。もっとも、科学的に立証されていない世界など、私は信じないがね」





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