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七十六話 信号弾の行方




「まだ力の差が分からんか。退けば見逃してやる」


「あらあら、お優しいですわね。でも私もここを引くわけにはいきませんの」


八番街──黄色の信号弾が打ちあがった巨大な木造仕立ての倉庫の中。地面には資材やドラム缶が散乱しており戦いの傷となって残る。蛍光灯は無残に破壊され、ところどころに空いた大穴から光が差し込む。光の柱に浮き出る埃が、どこか幻想的な空間を生み出していた。


その空間に男女が二人──六戦鬼(セクスセイン)とサセッタ隊長がにらみ合う。


バッハノース。

そしてアイリスだった。


バッハノースは腰に刀を携え、闘いの最中とは思えない程に涼し気に立つ。彼の顔には深々とシワが刻まれ、それは自らに一切の甘えを許さない人相となって滲み出ていた。

わかめのような長髪が、時折吹き込むそよ風で海のように波打ち、それがより一層彼の厳かさを際立てていた。


その峻烈(しゅんれつ)によって培われた実力なのだろう、五分以上戦っているというのにバッハノースの着物には一切の汚れが無い。『神の太刀』と謳われる剣技を以てして、アイリスの攻撃全てを無効化していた。



その速さは神速と言われ、その一刀の威力は計り知れない。

埃ですら正確に切り裂く精度を併せ持っており、およそ人には届かぬであろう領域故、いつしかそう呼ばれるようになったのだ。


余裕を持つバッハノースとは対照的に、アイリスはサセッタのコートが無数に切り刻まれている。これだけでもどちらが優勢だったか一目瞭然だが、それ以上にアイリスには決定的な傷跡があった。


額が刀によってぱっくりと割かれ、夥しい量の鮮血が顔半分を紅く染めていたのだ。


人間の額には他の部位に比べ血管が多く集まっている。そのため浅い傷でも信じられない量の出血が伴うのだが、アイリスのそれは思っているより深いと考えられた。


セリアンスロープには基礎代謝の向上──簡単に言ってしまえば、傷や体力の回復を飛躍的に高める基本能力が備わっている。体力が衰えた者でも一度限界を迎えさせれば、次の時にはその限界値は大幅に引き上げられた体になっていることもしばしばだ。


個人差はあるものの、アイリスとてその例外ではない。


彼女の回復力は決して高い方ではなかったが、しかしそれを踏まえても出血している時間が長すぎた。恐らくあと一瞬回避行動が遅れていれば、鋼の切っ先は脳に到達していたかもしれない。

顔には出さないようにしているが、彼女にとってはまさに背筋の凍る思いだ。


「そうまでして何を求める。己が為というわけでもないだろう」


バッハノースがすり足で一歩進む。

納刀した柄に手を置いた。


「まあまあ、同じ剣士さんでもクロテオードさんとは大違いですね。いい男は乙女心を察するものですよ」


アイリスは無意識のうちに一歩引く。

自然と固唾を飲んだ。


「……拙者は人造人間(レプリオン)としての立ち振る舞いは完璧だが、人間としては欠陥品だった。剣にしか興味がなかったからな。人間味のない拙者にそれを求めるのは無意味だ」


「あらあら、まあまあ。それは……悲しいですわね」


「悲しい、か。汝がそう思った理由さえ拙者には分からん」


その言葉の奥底には、自分が人造人間(レプリオン)で良かったという安堵のようなものが伺えた。


ふと気が付くと倉庫に差し込む光が、薄明から熱気を帯びた色に変わっている。壁に空いている虫食い穴からは、轟轟と燃える火の手が上がっているのが見えた。侵入した人造人間(レプリオン)兵たちが本拠地に火を放ったのだ。


バッハノースは眉間のシワをより一層深くする。


「……あの愚か者ども。ボリスの命令をそのまま実行しおって」


一瞬、バッハノースの気がアイリスから()れる。

それを見逃す手はなかった。


アイリスは両手を突き出し、太腿に形印(コントラー)を浮かび上がらせる。

手は一様に無数の樹木の根となり、尋常ならざるスピードでバッハノースめがけて伸びていく。その先端は矢じりのように鋭く、人造人間(レプリオン)の装甲を軽く貫通するほどだ。


迫りくる凶器と化した根を、しかしバッハノースは避けようとはしない。


ただ悠然と帯刀した鞘を握り、親指で鍔を押す。

右手で柄を握りしめ、鈍色の刀身が僅かに姿を見せる。


そして──


無数の凶器が直撃する刹那──抜刀する。

しかし、その瞬間すら目で追うことは適わず、太刀筋を見ることすら、そして刀を再び鞘に納めるところさえアイリスには分からなかった。


神速を以て全ての攻撃を制す。


アイリスの手から放たれた無数の根は、余すとこなく無残に切り捨てられ、『神の太刀』を前にして傷ひとつ付けることすら叶わなかった。


だが、六戦鬼(セクスセイン)の実力は今までの攻防で十分把握していた。

これしきの事では動じない。

想定の範囲内だ。


アイリスは次の攻撃に移る。

彼女は既に種を蒔いていた。確実に仕留めるための攻撃の種を。


先程会話をしながら一歩引いたその時に、足の裏から地面に根を伸ばしていた。


その根は果たして、バッハノースの死角から地面を突き破り足に巻き付く。

ひとつ前の攻撃は陽動。

アイリスの本命はこっちだった。


「はあッ!!」


アイリスの息と呼応するように、根全身が地面を割って姿を現す。


足を絡めとられたバッハノースはそのまま宙に浮く。

体勢を崩し胴体ががら空きになる。


アイリスは手をつきだし、再び根を六戦鬼(セクスセイン)向けて伸ばそうとする。


「終わりよッ!」


空気が震える。

先程の攻撃とは比較にならないほどのスピードで根が伸びていく。


陽動、そして同じ攻撃の体感速度のズレ。

計算されつくされた一撃必殺は、寸分の狂いなく六戦鬼(セクスセイン)の核へと向かう。


だが──



「──まさか失念しているわけではあるまいな。拙者にも≪人類の叡智(カルタシス)≫があることを」



バッハノースは冷たい表情を向ける。


刹那、宙で根に巻きつかれ、動きを封じられていたはずのバッハノースが姿を消した。


否。

消したという表現は正しくない。

正確には入れ替わったと言った方がいいだろう。


アイリスから伸びる根には、まだ巻き付いているという感触があった。

ただその対象が変わっていたのだ。

バッハノースを捉えていた根には、いつの間にか倉庫に転がっていたドラム缶が掴まされていた。


決してアイリスが気を抜いたわけでも、幻覚を見ているわけでもない。

紛れもない現実だ。



互換質位(クロノス)



視認した対象と自身を瞬時に入れ替える力。

それこそがバッハノースの≪人類の叡智(カルタシス)≫だった。


バッハノースと入れ替わりでドラム缶が出現した。

であれば、もともとドラム缶が転がっていた場所には、何が現れるかなど言うまでもない。


すなわち──


アイリスの背後。

着物を揺らし、既に抜刀した状態の男がそこにいた。



時が、止まる。



「最期に問おう。先に汝が口にした、クロテオードとやらの剣士としての実力は如何に」


「──最高のお人ですよ」


「……そうか。それは、楽しみだ」


バッハノースはそのまま踵を返した。

ゆっくりと刀を鞘に納めていき、パチンと鍔と皮革が接触した音が鳴った。



そして──時が動き出す。



アイリスの体から血しぶきが上がり、両腕が胴体からズルリと落ちる。

次の瞬間には胴体そのものが骨盤を滑り、地面に投げ出された。


バッハノースは振り返ることなく倉庫から出ていく。

その影の向こう側には、根で固定されたアイリスの両足だけが直立していた。







「はぁぁぁああ!!」


タモトが拳周りに空気を纏わせ殴りかかる。

螺旋状に放出されるそれは、拳の威力を数倍に引き上げ、およそ人間離れした破壊力を生み出す。


それを受けるは六戦鬼(セクスセイン) キキョウ。

身をひるがえし手刀でタモトの手首を叩きつける。


「くッ……! まだまだ!!」


前のめりに体勢を崩しながらも、両手を地面に付き大旋脚を繰り出す。

同様に空圧波(エアー・クランプ)を纏わせ破壊力を上げる。


だが、陽炎(かげろう)のように捉えどころのないキキョウの動きに、連続で放たれる足技は全て躱される。


「……ッ、それじゃあ、これならどう!?」


タモトはバク転で距離を取ると深く息を吸い込む。胸が膨れ上がり、空気を限界まで取り入れる。


空気大車輪(エアーリング)


第一帝国戦で山脈のように厚く連なった人造人間(レプリオン)兵の壁に、大穴を開けた技だ。


「パッッッ!!」


炸裂音にも似た高音が響き、周囲の石つぶてが見えない空気の渦に巻き込まれていく。

放たれたそれは地面をえぐり、一直線にキキョウめがけて進む。

万物を壊す破壊神のようなそれに生身で触れれば後はない。

肉がねじ切られ、骨はいとも簡単に断ち切られる。


例え人造人間(レプリオン)であっても、その道理から外れることはない。


しかし。


キキョウは退屈そうな表情を浮かべ、片腕を突き出す。


「──二陽・旋華」


一瞬の出来事だった。


それはノイアが第一帝国戦で見せた業より遥かに速く、威力など比較にならない。

腕全体をきりもみ状に穿つと、空気が何重にも層となって光を歪め、刹那の間に竜巻にも似た突風を創りだす。


果たしてそれに空気大車輪(エアーリング)が触れた瞬間、冗談のような衝撃に大気が震える。

輪を(かたど)った破壊神は四散し、巻き込まれていた小石が炸裂弾のように飛び散る。

流星となって大気を駆け抜けるそれは、頬をかすめ、服を貫き、地にめり込んだ。


「はぁ……」


やれやれとばかりにため息をつき、キキョウは伸ばしていた腕を下ろした。

相殺した瞬間に舞った砂埃が着物についているのに気づき、丁寧に払い落とす。


「どうした、終わりでありんすか」


綺麗になったことを確認してから、正面に立つタモトに問うた。


キキョウとは対照的に、タモトは呼吸を整えるために肩を揺らしていた。

額には小さな汗の玉がうっすらと浮かび、一筋の紅い雫が頬を流れ、顎から地面に滴る。


「……噂には聞いてたけど、六戦鬼(セクスセイン) キキョウ。さすが人間離れしてるね」


整った呼吸に最後にもう一度深く息を吐き出し、タモトはそう言った。


「まあ、わっちは人造人間(レプリオン)であるゆえ、人間離れしてるのは当たり前でござんしょう」


「そうじゃないよ、アナタの拳法のことだよ。今のは確か“旋華”だったっけ?」


ピクリとキキョウの眉が動く。


「聞こえておったかや。今の言い方だと知っている風な口ぶりでありんした。言い方に気を付けなんし」


若干口調が堅くなり、纏っていた雰囲気に黒が混ざる。いかにも気が立っていることを隠そうともしない。


その雰囲気を察し黙り込むものと思いきや、しかし、そこはタモト。天然を発動させ、お構いなしに会話を続ける。


「あー、ううん。ホントに知ってるのよ、私。アナタの他にも承十陽拳の使い手が身近にいてさ、面白そうだから何回か教えてもらったことあるの。結局、難しすぎてすぐ辞めちゃったけどね」


「……なに?」


キキョウは低い声で唸るようにして言った。


「承十陽拳は一子相伝。今はわっち以外に使い手はありんせん」


「あー、なんかだいぶん前にそんなこと言ってたなあ。師匠に認められてないとかなんとか」


「……」


「あれ? 弟子だったんでしょ。ガルネゼーアだよ」


その名が発せられた瞬間、キキョウの眼の色が変わった。

さすがのタモトもこの異変を察する。空気が痛いと感じたのは初めてだった。


熱を帯びた風が二人の間を駆け抜ける。

気が付くと至る所から火の手が上がり、本拠地全体をゆらゆらと赤く染めていた。


「……ガルネゼーアは生きてここにいるのか」


キキョウは呟く。

まるで彼女が生きていることを、今の今まで知らなかったような口ぶりだ。


だが、決して演技ではない。

言うなれば、“確信”と“希望的観測”の境界線に立つ者が、“確信”へと傾いた瞬間の感情がそのまま口をついて出たようだった。


「ようやくわっちの汚点を消し去ることができる。どれだけこの機会(とき)を待ったか」


キキョウは額に手を当て、くつくつと愉快に笑った。


「消し去るってどういう意味……?」


「言葉通りの意味ざんす。ああ、(ぬし)には感謝せねばな。まさか未熟者が指導者ごっこをしていると聞く日が来ようとは。六戦鬼(セクスセイン)にまでなった甲斐がありんす」


若干小馬鹿にした言い方が癪に障ったのか、タモトはむっとした表情を浮かべる。


「ごっこじゃないよ。ちゃんと教えてくれたよ。正式な後継者だっているんだから」


「……そうでありんすか。ならば、なおさらわっちのやるべきことは定められた」


キキョウは袖口から紐を取り出す。

口でそれを咥え体全体に八の字に回し、着物の袂を動かぬよう固定する。

キュッと紐の両端を固く結び、両腕を一回ずつ軽く回した。


透明な艶やかな腕が露わになり、彼女の雅さを引き立てる。

動きやすい格好になったことで、いよいよ六戦鬼(セクスセイン) キキョウがその真髄を見せようとしているのが分かった。


タモトも十分警戒しながら、戦闘態勢を取る。

彼女も今まで何の考えなしに呆けていたわけではない。

キキョウとの会話で、底をついていた酸素を補給しておりいつでも戦う準備は整っていた。


「聞きたいんだけど──」


緊張の最中でも、タモトにはどうしても尋ねたいことがあった。


「なんで弟子を全員殺したの?」


今までの会話からでも十分にタブーだと分かる地雷にタモトは足を踏みこんだ。

どうなるだろうか。

怒りに身を任せて仕掛けてくるか、はたまた呆れた表情を浮かべるのか。

タモトは何があってもいいよう重心を低くとる。

距離は十分にある。何が起こっても見てから対応できる遠さだ。


しかし、タモトの予想に反し、キキョウは動くそぶりを見せなかった。

彼女は口角を上げながら、落ち着き払った声で言う。


「先にも言っただろう。承十陽拳は一子相伝、継承者はただ一人のみでありんす。……であれば、この先はもう言う必要もないでござんしょう」


「でもガルネゼーアも殺そうとしたんでしょう? それじゃあ誰も継承者がいなく──」


キキョウはタモトの言葉を遮る。

だがそれは会話ではない。

「もちろん、教えてもらった時点でその者も継承者候補。例えその指導者が未熟者であったとしても、業を(かじ)った時点で──」


それは間違いを正すためでも、話を逸らそうとしているわけでもない。


ただ悠然と、己の定めた使命を全うするための宣告。

その不気味なまでの平坦な口調が、刹那の間にタモトの警戒本能に最大の警鐘を鳴らす。



「──わっちの抹殺対象じゃ」



刹那、自分の死ぬ幻影が見えた気がした。

懐に入られ、ただ一突きで五体が吹き飛ぶ幻影。


タモトは足に空圧波(エアー・クランプ)を生じさせ、横っ飛びで回避行動をとる。

果たしてその次の瞬間には、タモトがいた場所にキキョウが掌底を放っていた。


その威力だけで砂埃が天に巻き上げられ、骨の髄にまで響く衝撃波が大気を走る。


「なるほど、空気は読めんが直感は鋭いようでありんすね」


横目を向けながら小さい口を動かしてそう言った。

まさに紙一重で攻撃を躱したタモトは、そのまま一回地面を強く蹴り上げ、再び距離を取る。


──早すぎるッ!! まったく見えなかった!!


冷や汗が滝のように噴き出すのが分かった。


たまたま今回は回避できた。

だがそれは幸運に恵まれたからだ。

次はない。


だが、タモトには考える余裕も息をつく間もなかった。

時が進むよりも早く、六戦鬼(セクスセイン) キキョウが地面を滑るようにして迫りくる。

承十陽拳 三陽・独歩。


足裏のみの筋肉を弾けさせ、移動する歩法。


キキョウは人造人間(レプリオン)であるがその身体は特別製で、筋肉の代替となるミクロンファイバーが幾重にも折り重なり疑似肉体として成り立っている。


故に、予備動作は一切ない。

直立の状態ですら足を動かさずとも移動でき、キキョウレベルになるとその距離は十メートルすらも範囲内である。

そしてその速さは人間の常識を超え、全力で走るスピードと何ら遜色ない。


しかし、タモトは動じない。

一回目は不意を喰らい慌てたが、二度目ともなると具合が分かってくる。

落ち着き、胸を膨らませ、的確に、そして正確に狙いを定める。


距離が瞬く間に五歩分にまで接近する。


──ここだッ!!


迫るキキョウを十分に引き付けてから攻撃範囲(アタックレンジ)・威力ともに最大の空気超大車輪(エアー・ハイドルリング)を口から放った。


「パッッッ!!!」


空気大車輪(エアーリング)とは比較にならない破壊力。

地面をえぐるだけでは収まらず、その凄まじいまでの気流の乱れに周囲の建物が倒壊し、木が根こそぎ地面から剥がれ巻き上げられる。


最大瞬間風速200m。

それゆえの現象。


人が地に足をつけることができるのは、どれだけ頑張っても風速30mに満たない。

自然が発生させる最高値も、風速100mを超える瞬間は未だ観測されていない。


まさに厄災のそれだ。


あらゆるものは空気超大車輪(エアー・ハイドルリング)に引き寄せられ、その存在を粉々に粉砕される。


それはキキョウとて例外ではない。

体の自由を失い、見えない輪に巻き込まれていく。

すなわち一撃必中となりキキョウを屠った──



──かに思われた。



「……八陽・反虚」


エネルギー量が多ければ多いほどその妙技は真価を発揮する。

それは筋繊維の一本一本の弾性を最大限にまで引き上げ、自身に及ぼすあらゆるエネルギーをコントロールする。

サーモルシティーで、ガルネゼーアが上空1000mからの自由落下すら自身の攻撃に還元した業だ。


果たして承十陽拳を極めしキキョウは、空気超大車輪(エアー・ハイドルリング)が巻き起こす引力・圧縮し捩じり潰す風圧すらも自身の運動エネルギーへと変換する。


エネルギーの変換先は推進力。

その全てを前方へ進むためだけに使う。


『三陽・独歩』という特異歩法のスピードに、さらに『八陽・反虚』のよって速さを上乗せした瞬間、キキョウに負荷のかかっていた空気超大車輪(エアー・ハイドルリング)のエネルギー全てが推進力へと変わる。


刹那、それは疑似的なソニックブームを引き起こし、キキョウの移動スピードがおよそ人間の眼で追える速さではないものとなる。


故に。

タモトには気付けるはずもなかった。


キキョウが空気超大車輪(エアー・ハイドルリング)のド真ん中から向かってくることも。

懐に入られたことも。


そして──



「一陽・絶波」



掌底をどてっぱらに突きつけられたことさえも。


手のひらを通してキキョウは感じた。


骨が粉砕する感触。

内臓が体内で破裂する感触。

そして生命の糸が断ち切られる感触。


その全てが勝負に決着をもたらしたことを告げていた。



タモトはきりもみ状に吹き飛ぶ。

その間にも心臓が破裂し、心室に溜まっていた血液が肺を突き破り、口から吐しゃ物のように噴き出す。


後方に建っていた木造の家に背中から衝突するも、それでもなお止まらない。

威力を落とすことなくそのまま突きぬけ、続く二軒目の家で背骨が折れ、三軒目でようやく壁に打ち付けられる。

その際にトマトを思いっきり壁にぶつけたかのように紅い雫が弾け飛んだ。


糸の切れた人形となったタモトは、そのまま受け身を取ることなくグシャりと地面に落下した。


キキョウは気流で乱れた髪の毛と着物を直し、そのまま煙の上がるサセッタ本拠地に姿を消していった。







黒の信号弾が上がったサセッタ三番街。

正確には三番街と二番街を分断する一直線上の大通りであるが、その上に二人の大男が静かに屹立していた。


大通りの両側には歪に立ち並ぶ非戦闘員用住居がある。今は人っ子一人いないような静けさだ。

その建物群に普段では見られないような穴が開いているのが分かる。

綺麗にくり抜かれたような丸い円だ。


意図的に作り出されたものではあるが、人為的に作られたものであるかと言われれば断言が出来ない。

なぜなら、その建物に空いた穴の切断面を見てみると、くり抜いた痕跡が一切見られないからだ。


削って磨いたという次元ではない。

そもそもそこに、物質など存在しなかったかのような切断面だ。


しかもそれが一つだけではない。

そこかしこの建物に、さながら虫食い状態の葉っぱを再現したかのような有様だ。

しかもそれはデザインや芸術といった類のものではないから驚きである。


だがそれは間違いなく意図的につけられたものであり、その原因を作り出した張本人こそ、中央の道路に佇む二人の巨漢なのだ。



デヒダイトとゼノ。



サセッタの隊長である男と、六戦鬼(セクスセイン)の一角を担う男だ。

両者とも身長二メートルはゆうに超える背丈をもつ。


ゼノは先端の尖った独特のサングラスをかけ、素肌の上にロック調のコート羽織るという、一度見たら忘れることのできない突飛な恰好をしている。

余裕の表情を浮かべ、鋭い歯を見せながら挑発するように笑う。


一方のデヒダイトは、毛先の捩じりきった髪の毛を逆立たせ、眉間に深くシワを刻みながら六戦鬼(セクスセイン)の様子を伺っている。

着ているサセッタの白いコートはススや血液こそ付着していないものの、周囲の建物と同じように端々が綺麗に削られている。


その相対する二人の様子から、既に何度も互いの攻撃が交錯し合った様子が見て取れる。

そしてお互いの癖も把握してきたところで、いよいよ熾烈を極めた戦いに終止符が打たれようとしていた。


「……ッフーー」


デヒダイトは肩の力を抜くように深く長く息を吐き出す。


──警戒すべきは奴の手のひらから放たれる≪人類の叡智(カルタシス)≫『一閃零虚(アザトース)』だ。俺のセリアンスロープの能力と相性は最悪だが、その光線さえ気をつけておけば、作戦最終段階に移行するチャンスが巡ってくる。そうすればまだ勝機はある。それまでは焦らず辛抱だ。



一閃零虚(アザトース)』。



六戦鬼(セクスセイン) ゼノに搭載された≪人類の叡智(カルタシス)≫。

彼の手のひらにある射出口から放たれる黒い光線は、触れただけでその存在をこの世から抹消する。

通常、木が燃えればススとなり“木だったモノ”が残るが、一閃零虚(アザトース)であればそのススすらも残らない。存在そのものを──物質を構成する分子、原子、果ては素粒子ごと“無”にする。


その対象は森羅万象全て。

一切例外はない。


ともなれば、必然的に周囲の建物に不自然な穴が無数に生じている理由が判明する。

それはデヒダイトとの攻防で放たれた、黒い光線によって開けたものに他ならない。


それこそが建物にぽっかりと穴をあけた正体だった。


だがそれは、どうあがいてもデヒダイトの劣勢を物語る。

表皮硬化こそがデヒダイトの真骨頂。

その硬度はレーザー銃や鉛の弾丸すらも弾き飛ばす。


しかしながら、今回の相手は“存在そのものを消し去る”武器を持つ。

硬化でどうこうしようなどという次元ではない。


故に、デヒダイトの取れる選択肢は“回避”の一択。

近づこうにも、次の瞬間にはゼノの手のひらがこちらを向いている。

一瞬でも後れを取れば、それは死に直結する。


だからこそデヒダイトは考えていた。

この後に発動するであろう第二帝国戦(セカンドエディション)における最終段階の作戦に行く一歩手前、すなわち第二段階の作戦をこの戦いが終わる前にどう上手く実行するかを。


しかし、


「オイ」


正面に立つゼノが唸るような声を上げる。


「何考えてんのか知らねーが、オレを前にアホ面さらしてると死ぬぜ」


「……」


「あ゛ー、お得意のだんまりか。テメエらレジスタンスは裏でこそこそ動いて、都合が悪くなると黙りやがる。ゴキブリ以下の不快さだ」


やれやれとばかりに片目をサングラスの奥で大きくギョロつかせる。


「楽しいかー? 世界を舞台にした正義の味方ごっこはよー」


その嘲り笑うような物言いに、デヒダイトはピクリと眉を動かす。


「舞台を作り出したのはそちらだろう。HKVという殺戮兵器をばら撒きおってからに。それに我々は“ごっこ”でやっているつもりなど毛頭ない」


サセッタの隊長として、そしてその場にいない全ての隊員の代弁者として、デヒダイトは毅然な態度をとる。

決して挑発ではなく、ただ純粋に意志を提示した。


HKV──致死率100%の人間にのみ害をなすウイルス。遺伝子情報を全て書き換え、人間としての体の機能が維持できず、人ならざる体となり必ず死に至る。

特効薬を作ろうにもその病原体(ウイルス)が見つけらないため、未だ『神雫(ティア―)』以外の療法はない。



デヒダイトの言葉にゼノは不快な表情を浮かべる。


それは当然の反応であった。


かたや人類完全人造人間化計画(C.C.レポート)を元にした世界統一を画策する組織。

かたやそれを打ち砕くため徒党を組んでレジスタンスを立ち上げた組織。


意見が対立するのは必然である。


だが──


「あ゛? 何言ってんだテメエ──」


ゼノの不穏な言い出しに、デヒダイトはどこか違和感を覚えた。


何か雰囲気が違う。

計画の邪魔をされているという苛立ちではない。


そう。

それはまるで濡れ衣を着せられ、反論することを許されない人間が纏う雰囲気だった。


そして、言う。



「──HKVをばら撒いたのは、テメエらサセッタだろ」



場が静まり返る。

呼吸すら、物音すら聞こえない。


デヒダイトは最初何を言っているのか理解できなかった。

六戦鬼(セクスセイン)が言った内容を理解するのに数秒を費やす。


「なに寝言を……」


それしか言えなかった。というよりも呆れたと言った方がいいだろう。

それほどまでに馬鹿げた話だった。


しかし、ゼノは大きくため息をつく。

要領の悪い部下に一から十まで懇切丁寧に説明する作業を想像し、そこに到達するまでの労力を計算した深い溜息だった。


「テメエらレジスタンスが暴いた人類完全人造人間化計(C.C.レポート)画ってあんだろ。全人類を人造人間(レプリオン)にして桃源郷(ユートピア)を創る云々のやつだ。

確かに俺らはあれを参考に計画を進行している。だがな、あれ考えたのが誰か分かってねーんだ。分かっているのは、十数年前にノータルスター研究所のデータベースにC.C.レポートの他、“人造人間技術(レプリオンテクノロジー)”が保存されていたということだけ」


本拠地にもうもうと舞う煙に温められた熱風が、二人の間を人知れず駆け抜ける。


「それを運よく最初に見つけたのが今の帝国統王、ドン・サウゼハスだ。あのジジイは昔ノータルスター研究所に勤めていたからな。

そして水面下で計画を進行し、人造人間技術(レプリオンテクノロジー)を確立秒読みのところでHKVが突然流行り出しやがった。

帝国統王はこれ幸いとそれにのかって“人類完全人造人間化計画(C.C.レポート)”に記された桃源郷(ユートピア)を創り始めた」


「……」


デヒダイトはその話を聞いても無表情だった。

しかし、それはあえてそうしているようにも見えた。

感情を表に出さない様にするために。


ゼノはなおも話し続ける。


「あ゛ー、分かるか? マセライ帝国は“人造人間技術(レプリオンテクノロジー)”を確立させるので手いっぱいだった。

とてもじゃねーがHKVなんて細菌兵器を造ってる余裕なんざねーんだよ。そのあと“人造人間技術(レプリオンテクノロジー)”を巡って双極帝国戦争が起こって、俺らが沈めたと思ったら今度はテメエらだ。

最初はただの無謀なレジスタンスだと思ったが、いかにもやべー物を引っさげてんじゃねーか」


ゼノは一旦言葉を区切り、首を鳴らす。

そしてデヒダイトを見据えて言った。



「なあ、テメエらは病原体すら確認できないHKVの抗体をどうやって創りだした?」



そのセリフを皮切りに、二人から遠ざかっていた音が再び引き寄せられる。


どこか遠くで炸裂音が立て続けに響くのが聞こえた。

本拠地全体が胎動のように大きく揺れた気がした。


そんな中でも、デヒダイトは眉一つ動かさず一歩、また一歩と後退する。

それを見てゼノは嘲笑する。


「あ゛ー、さっき言ったことまんまじゃねーか。都合が悪くなると逃げ出すってよ」


ゼノも一歩踏み出す。

その瞬間、重心が後ろ脚に乗ったのを見たデヒダイトは建物の中に入り込む。


「言っとくが、俺はホークゲンみてーに記憶改竄はされちゃいねー。だがこの見方も、俺の妄想をの領域を出やしねーんだ。証拠が何一つねーからな」


ゼノはそう言いながら手のひらを突きだし、ネズミの入り込んだ建物全体に照準を定め『一閃零虚(アザトース)』を放つ。


広範囲に広がる黒い閃光は赤い稲妻を纏いて、その全てを跡形もなく消し去る。


建物と共にデヒダイトも抹殺されたかに思われたが、紙一重の差で窓から外に飛び出しており、再びゼノの前に片膝をついた格好で姿を現した。


「さて、そろそろケリをつけようぜ。逃げ回ってばっかじゃつまんねーだろ?」


ゼノは冷たい表情を浮かべながら、デヒダイトを見下した。



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