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七十五話 頑固




「全然クロちゃんに繋がらないの!!」


ランプが生い茂る木々に身を隠しながら、シオンとルナに向かって叫んだ。正面の城から続々と人造人間(レプリオン)兵が襲来し、芝生を踏みつけながら隊列を作って一斉射撃を行ってくる。


ランプ達のスリーマンセル班が居るのは帝国城の北側にある自然庭園。大庭古城(ガルガス)という名にふさわしく、北方面は縦2km 横1kmの規模で緑に覆われている。


だが、その雰囲気をものの見事に壊すように、現在殺伐とした戦闘が行われていた。

植樹園と大庭古城(ガルガス)の狭間、言ってしまえば森と城の間には庭師によって綺麗に整えられた芝生があるのだが、そこにランプが足を踏み入れた瞬間に警報が鳴り響き、今の集中砲火の事態を招いていた。


「まったく、ランプが勝手に踏み込むから……。慎重に動くべきだって言ったろ」


「あー! シオンそういうこと言うの! あとからそうやってグチグチ言うのは女の子にモテないの」


「はいはい、分かったから。通信が繋がらないんだったら、今はこの状況から一刻も早く抜け出すことを考えないとな。ルナさんもそれでいいですよね」


「う、うん……、大丈夫」


小さい顔をコクコクと二回揺らす。

ランプも不満げな表情を浮かべながらも、シオンの次の言葉を待った。


「俺が今から正面から攻撃をかいくぐって、敵の懐に飛び込みます。その間に二人は逃げてください」


ルナとランプは一瞬あっけにとられる。


「か、かいくぐるって……、そんな……むちゃくちゃなこと……」


「そうなの! シオンのおバカ! それに病み上がりでしょ、無理したらダメなの」


二人は揃って止めるが、しかしシオンは聞く耳を持たない。


「ぐずぐずしていると、敵がどういう手を打ってくるか分からない。恐らくすでに囲まれつつある、これ以上逃げ場がなくなる前に決断しないと」


ランプとルナは難しい表情を浮かべたまま何も言わなかった。シオンはそれを肯定とみなした。


事実シオンの予想は当たっており、あと数分も経たないうちに包囲されることは明らかだった。

警報が鳴った瞬間には、各方面に散っていた人造人間(レプリオン)兵に通達が行き、侵入者の情報が渡される。座標、顔、身長、それら全ての情報を元に、三人が足止めされている場所に集まってきているからだ。


しかし悪いことばかりでもない。逆に言えばそれがあったおかげで、クロテオードやガルネゼーア達の班は気付かれることなくすんなり侵入できたのだ。期せずしてシオン達は他の班の隠れ(みの)になったという訳である。



シオンは木に背をつけ、時折顔を覗かせ相手の出方を伺う。形印(コントラー)を首元に顕現させ戦闘準備を整える。

大きく息を吸い込み、心を落ち着ける。シオンは戦闘において一抹の不安があった。


彼はセリアンスロープとしてマルチタイプに分類される。


一つ目の能力は神経伝達速度の向上・速筋強化による“重加速”。そしてもう一つがハエをモデル生物にした特殊な目である。初速1200m/sの銃弾──すなわちマッハ3すらも視認することのできる能力だ。

だが、そこから得られる情報量の多さ故、常時使用し続けることは禁物である。脳に負担がかかり、どんなフィードバックが襲い掛かってくるか分からない。下手をしたら脳死状態になってもおかしくはないのだ。


シオンは今まで“重加速”と“眼”をうまく組み合わせることで、そのデメリットを回避してきた。


──だけど、今回はそう上手くはいかないかもしれない……。


そう思いながら右胸にそっと手を乗せる。



肺の損傷による能力使用制限。



“重加速”が制限される以上、“眼”の負担がその分増える。多数の敵が相手ならばなおさらだ。不安を抱え、心身ともに十全とは言えない状態だが、それでもシオンは実行するつもりでいた。


そうしなければいけない理由が彼にはあった。


別任務を行っているアイネとノイアのことだ。

アスシランの提案によってデヒダイト隊が独断で行っている、HKVに関するデータを入手する作戦に二人は同行している。


今回のデヒダイト隊は班編成から侵入経路まで、全てアスシランに一任されている。

シオンには嫌な胸騒ぎがあった。よりによってなぜ自分だけが別の班に行かされたのか。なぜノイアとアイネから最も離れた北側からの侵入経路なのか。それが偶然であるとは到底思えなかった。


アスシランに何度抗議しても『世界を変えるためだから』と、いつもの半笑いで誤魔化された。決して彼を信用していないわけではないが、シオンは今回ばかりはなにか裏があるのではと気が気ではなかった。


そのため一刻も早く二人の元に駆け付ける必要があった。アイネとノイアの身に何かある前に──。


故に、まずはランプとルナを逃がさなければならない。囮役を買って出たのもそれが理由だ。一瞬だけ囮になって彼女たちが逃げられるだけの隙を作った後、シオンもそのまま逃走するつもりであった。


あまりにも短絡的でずさんな案だったが、シオンにとって自分の囮が役割を果たすか否かなど眼中になかった。囮役はあくまでも“ついで”。

万が一、囮が上手くいかなかった場合でも、いざとなったら彼女たちのことを考えず、アイネとノイアの元に行くつもりであった。



シオンにとって大切なのは統括管制室のクラッキングでも、スリーマンセルのチームでもないのだ。

何よりもかけがえのないモノ。

もはや三人だけになってしまった家族。

それ以外、心になかった。



木に身をひそめ、絶えず放たれるレーザー射撃をやり過ごす。


──まだだ……、まだ早い。


敵との距離はわずか50m。

人数は三十人前後。

囮役は数秒あれば事足りる。


全ての条件を頭で反芻させ、シオンはタイミングを見計らう。音速と同等の速度で駆け抜けるレーザーも、彼のセリアンスロープの能力をもってすればスローモーションと同じだ。光の筋が鮮明に見て取れる。


そしてその時が訪れる。

一瞬、シオンにしか判別できない程のズレだったが、レーザーの弾雨に狭間が生じる。

それを見逃す手はなかった。


地面を強く蹴り出し木の陰から飛び出す。一瞬人造人間(レプリオン)兵が動揺したように見えた。

距離がある上、銃を握る敵の眼前にいきなり姿を現すとは夢にも思わなかったのだろう。


不意を突かれた人造人間(レプリオン)兵たちの動きが、ほんの僅かに連携を狂わせる。


「──二重加速(ジ・アクト)


腰から漆黒のダガ―ナイフを抜き取り、その言葉と共に、理の向こう側のスピードで人造人間(レプリオン)兵らの良識を裏切る。


気が付けば全ての迫りくる閃光をかいくぐり、二回瞬きをする間に敵陣の懐に入り込んでいた。


「な、なんだこいつ……!!」


驚くのもつかの間、人造人間(レプリオン)兵の腰の位置よりもさらに重心を低くしたシオンがナイフで核を貫こうとする。


──()られた。


人造人間(レプリオン)は確信せざるを得なかった。シオンも同じくして“殺った”と確信しただろう。

それほどまでにタイミングが完璧だった。人造人間(レプリオン)兵が体勢を整えようと、左足に全体重を乗せた次の瞬間に、シオンはそれを見切って回り込んでいたのだ。


後は手に握るダガ―ナイフで一閃するだけだった。


しかし──


グラッとシオンの視線が揺れる。

一瞬シオンは何が起こっているのか分からなかった。

だが理解する前に、間髪入れず今までに感じたことのないほどの虚脱感が全身を襲う。


足の筋肉が痙攣したかと思えば、次の瞬間には自分の意志とは無関係に力が抜けていく。体中が酸素を渇望しているのが分かった。

手に持っていたダガ―ナイフが手からするりと滑り落ちる。


刹那、病室でのアスシランの言葉が脳裏をよぎった。



『今の君は自分が思っている以上に動けないだろうからね』



シオンはその時、ようやく彼の言葉の意味を理解した。


想定が甘かった。眼の負担がどうかという問題ではない。既に“重加速”を数秒行使する程度ですら難しいほどに、肺の機能は著しく低下していたのだ。


自分の意志とは無関係に膝から崩れ落ちる。

敵の懐でその状態は格好の的だった。傍の人造人間(レプリオン)兵の一人がシオンの腹を蹴り上げる。


「……ッガハ!!」


シオンの息が止まる。

一瞬宙に浮き、受け身も取ることなく地面に激突する。


シオンはすぐさま体勢を立て直そうとするが、顔を上げるだけで精一杯だった。痛みと息苦しさに顔を歪め、激しく呼吸を乱している。


「死ね!!」


人造人間(レプリオン)兵が銃口をシオンに向ける。

引き金を引くその刹那、足元の芝生が盛り上がったかと思うと、ランプが勢いよく飛び出てくる。

形印(コントラー)を顕現させ、セリアンスロープの能力で手をモグラ特有のモノへと変形させていた。勢いそのままに鋭い爪で銃身をへし折り、着地した瞬間に地面を蹴り、目の前にいた人造人間(レプリオン)兵の核を貫く。


「ルナ!!」


ランプが叫ぶと同時に、上空からオオタカのセリアンスロープらしく直径二メートルの翼を羽ばたかせたルナが滑空してくる。

そのままシオンを鉤爪で掴んだかと思うと、突風と共に再び上空に舞い戻る。


「逃がすな、撃て、撃てえええ!!」


上空を高速で旋回するルナを無数のレーザーがかすめる。

閃光の細い隙間を縫って体勢を捻じ曲げ、強引に上へ上へと上昇していく。


シオンは慣性のエネルギーを体全体で感じながら激しく左右へ揺れる。その中でも震える手を力の限り動かし、内ポケットからアスシランより預かったマスク付きの小型ボンベを取り出す。


折りたたまれたマスクが開口し吸引を開始する。


酸素吸収効率を上げる特殊な気体が混ざったそれは、二回の深呼吸で瞬く間にシオンの体を活性させる。

脱力感が一気に消し飛び、震えも嘘のようにピタリと止まった。


「……ルナさん! すみません、もう大丈夫です!」


ボンベを懐にしまいながらルナを見上げる。

しかし、鳥類特有の鉤爪でコートを背中から鷲掴みにされているため、上手くルナの顔を見ることが出来なかった。


「あんまり……無理しちゃ……ダメ、だよ」


心配そうなトーンでそう言っているのが聞こえた。


ふと気が付くと、あれだけ飛び交っていたレーザーの気配を感じない。下を見るとかなりの上空に自分たちがいると分かる。おそらく射撃をしても命中しないと踏んで、地上のランプと戦っているのだろう。


「そろそろ、戻らないと……。ランプちゃんが危ないかも」


下界を見つめながらルナは言った。

オオタカのセリアンスロープは常人の数倍視力がいい。シオンが視認している蟻が動いているような光景でも、彼女には人造人間(レプリオン)兵の一挙手一投足が鮮明に見えている。


現にランプは今、小さな体を最大限活用し躍動しているが、いかんせん二十余人に囲まれながらであるため防衛一方の状態であった。


「……」


シオンは内心で自分の愚かさを毒づく。

能力行使限界の誤算と二人の手を煩わせたことが混濁し、罪悪感となって心をドロドロさせていた。


しかし、その罪悪感に関して毒づいたわけではない。その感情を抱いてしまったことに強い嫌悪を自分に向けていた。


シオンはそれが甘さだと知っていた。

他人のために罪悪感などというものを背負っている余裕はない。緩んだ心を持ちながらでは守れないのだ。

母親を守れなかった時がそうだったように、真に守りたいものを軸に置かねば、また失ってしまう。


他人を信じる。他人に心を許す。

こと、助けるという行為において、それは絶望への入り口だということをシオンは身を持って体験していた。


故に、助けられたことで、一瞬でもそのような感情が芽生えてしまったことにシオンは歯噛みした。


デヒダイト隊で長らく共に過ごしてきた仲であっても、シオンの大切なものは変わらない。彼にとって唯一無二なのは、孤児院より共に過ごしてきた二人に他ならないのだ。


それが恩知らずだとは分かっている。

それが自己中心的な考えだとは理解している。


またデヒダイトに叱責されるだろうか。

今度こそ除名になるだろうか。


あらゆる影が自分を批判する。

しかし、それでもシオンにはアイネとノイアがいない世界など考えられない。

他の何を差し置いても二人が大切だった。


だからシオンは言った。

本当の心を隠して。


「……ルナさん、ランプを加勢しに行きましょう。もう無茶はしませんから」


ルナは心配そうな表情を浮かべながらも、小さく頷いた。


翼で大きく空気を煽り急旋回する。人造人間(レプリオン)兵が固まっている背後に位置を取った。


体全体を前のめりにしたかと思うと、そのまま頭から急降下する。自由落下による自然速度を、羽ばたくことでさらに加速させる。


大気を切り裂き、風を纏う。

全ての景観と色を視界から置き去りにし、地上の一点に集中する。


シオンは形印(コントラー)を再び顕現させる。今までより色濃く、広範囲に形印(コントラー)が伸びていた。


──限界は掴んだ。次はミスなくこなす。そして隙を見て二人の元に……。



上空から迫る二人に人造人間(レプリオン)兵が気付く。

しかし遅かった。


距離を一気に詰めると、地上から五メートル付近でルナの足に捕まっていたシオンが、飛び蹴りの格好で人造人間(レプリオン)めがけて飛び出す。


人間大砲とでもいうべきその速さは、果たして人造人間(レプリオン)兵の壁を盛大に破壊する。

芝生が尋常でない程めくれ上がり、大地の肌が一直線上に露わになる。


「大丈夫か、ランプ」


十人ほど吹き飛ばした先で、シオンは立ち上がりながら言う。


「別に危なくなんかなかったの、全然平気だったの」


ランプはズタボロになったコートで顔に飛び散った土を払いのける。

その姿を見て、シオンは一瞬心がチクリと痛んだ。


しかし、ゆっくりと言葉を交わしている時間はなった。

背後から、正面から、そして建物内から人造人間(レプリオン)兵があふれ出てくる。


「準備はいい? シオン」


「……ああ」


多勢に無勢とはまさに今のような状況を言うのだろう。

だが闘志が消えることは無かった。


マセライ帝国にレジスタンスとして歯向かっている時点で、そのような状況はとうの昔に向かえているのだ。彼女たちにとっては今更の話だ。


故に。

ランプは形印(コントラー)を体に刻み地下から攻め立てる。対照的にルナは上空から敵をかく乱し、手榴弾と近接戦闘を織り交ぜながら巧みに攻撃を行う。


そしてシオンも道を切り開くべく、予備で持っていた黒いナイフを腰から抜き取る。


「──二重加速(ジ・アクト)






機械の配線のように無数に空に架かるロードホール。ハイジェット一台分が通れるほどの管が地上から十メートルほどの場所に設けられている。様々な場所にむけて枝分かれするそれは、さながら天空に広がる樹木の枝のようだった。


そのロードホールを交通法に従いハイジェットが行きかう。無数にある管の内の一つ、帝国道26号を見てみると、家族の外出や恋人とのドライブをしている人造人間(レプリオン)の姿が伺える。


平穏な日常を満喫していると、突然壁つたいに一台のバイクが猛スピードで追い越していく。追い越し車線があるわけでもないのに、明らかな違法行為だ。


「あぶねーだろ、馬鹿やろーーーー!!」


窓を開け叫ぶも、そのバイクはさらに前方のハイジェットすらも追い越し、既にその姿はなかった。


大道芸さながらにバイクのハンドルを操り、勢いをつけて管内を一回転することで車を追い越していく。右腕には血塗られた紅い布を強く巻きつけ、ヘルメットの下に光らせる眼光は、焦りと怒りが滲んでいた。


バーキロンその人だった。


サセッタがドセロイン帝国に攻め込んでいると、かつての部下から一報が入ったのが数分前。出向先のマセライ帝国に行く途中で、その知らせを受けたのが幸いだった。急遽、別のロードホールに移り高速で戻っている最中だった。


バーキロンからすれば、この事態は予想もしていなかった状況だ。

本来であれば、今頃マセライ帝国を主軸とした連合軍が、サセッタ本拠地を制圧しているはずだった。

圧倒的なまでの戦力に蹂躙され、レジスタンスに反撃の余地はないと思っていた。


そう考えるのが普通である。


だが実際、サセッタは地上に現れバーキロンの母国を攻め落とそうとしている。


何故。

どうやって。

六戦鬼(セクスセイン)たちは何をしている。


様々な疑問が脳裏をよぎるが、熟考している暇はなかった。

今は憶測を控え、現実を見据えなければならない。



サセッタがドセロイン帝国に攻め込んでいる。



どのような因果律でそうなったかは知らない。

だが、この事実だけで、バーキロンがどのような行動をとるべきか明白だった。


幼い孤児院の子供を殺してまで護りたかったもの。

護りたいもののために、あらゆるリスクを背負い≪人類の叡智(カルタシス)≫を手に入れた。

そして全ての源は、幼き日に見た理不尽なまでの一斉射撃の殺戮。


全ては無情に変わってしまった、愛する帝国を変えるため。


そう右腕に巻き付けた紅い布に強く誓ったのだ。

何があっても、どのような手段を用いても絶対に成し遂げると。


であれば、彼が目指す先など言うまでもなかった。


「あと三分もあれば──」


ヘルメットの中で呟かれたその言葉は、誰に聞かれることなく風に溶け込んでいった。







ドセイロン帝国 大庭古城(ガルガス) 南方面。

城の内部は近代科学に頼った建造を一切しておらず、あえて古風な石造りで仕上げている。床には美しく磨かれたエメラルド色の大理石にオレンジカーペットが敷かれ、上を見ると壁に炎が埋め込まれ周囲を温かく染めていた。

外からはサセッタ本部隊とドセロイン帝国兵士の戦闘で、大きな爆発音や叫び声が聞こえ、闘いの物々しさを語っていた。


その音を背中に感じながら、ひっそりと城内に侵入している者たちがいた。


アイネとノイア、そしてブロガントだった。

アスシランが提案した、サセッタが目的とするところの統括管制室クラッキングとは、また別の任務に奔走している最中であった。


「思ったより広いすね」


ブロガントが眼鏡を押し上げながら言う。

先程のエメラルド色の通路を抜けると、三人は吹き抜けのホールに足を踏み入れていた。

十メートル前後の巨大な柱がいくつも不規則に並び、その一つ一つに彫刻が掘られている。架空動物を表現しているモノもあれば、神を模した人物を掘っているモノもある。


神秘的とも宗教的ともいえる場所で、三人は一瞬だけ我を忘れて見入る。


「なんだか不思議な空間……」


アイネが周りを見渡しながら呟いた。神秘的な空間に呑まれたのか、少し息だっているように見えた。


ブロガントはハッと我に返り、呆けていた気を振り払って「ボーっとするな」と二人に向けて言った。


「えー、今ブロガントさんだって見てたくせに」


ノイアが唇を尖らせる。


「見てないすよ。そんなことより経路はこっちで合ってるんすか?」


「合ってますよー」


ノイアの左手には城の見取り図が書かれた紙が握られており、コバルトの研究室までの道筋がマーカーで塗られている。本命経路の赤色は確かにこの吹き抜けホールに繋がっていた。


「こんな吹き抜け通ったら姿モロバレっすけどね」


「でもアスシランさんがこの赤いルートを辿っていけば、一回も敵に遭遇しないって言ってましたよ」


「……予備ルートの方が曲がる回数多くて、見つかっても巻けそうな感じではあるんすよね」


ノイアが広げる地図をのぞき込みながらそう言った。


赤色のマーカーが引かれている経路は確かに最短距離ではあったが、直線が長い箇所や今いるホールのような姿を隠すことが難しい場所を何度か通らねばならない。


一方で青い線が引かれている予備経路は、多少遠回りにはなるものの曲がり角も多く敵の気配を感じれば姿を隠してやり過ごしたり、不意打ちをしやすかったりとメリットがなにかと多い。

さらにアスシランから説明はなかったが、予備経路から分岐する謎の緑線もマークしてある。行きつく先は同じ研究室だった。


「……予備ルートに切り替えるすよ」


少し考え込んだ後にブロガントは言った。


「え、でも……」


「アスシランの第六感(シックスセンス)も完璧じゃないんすよ。それはあいつ自身も言っていたことだ。この本命ルートでもし敵と遭遇したら任務どころじゃないっす。そうなる前に切り替えないと」


何となく本命経路に不安を覚えていたのか、アイネもノイアも特に反論をしなかった。

沈黙を肯定と捉えたブロガントは先陣をきって走る。二人も少し遅れて後を付いていく。


本来はホールを横断して対面にある出入り口から出ていかねばならないところを、予備ルートに記されている近くの扉から通路に出ていく。


三人の足音が廊下に響く。


ノイアはふと前方を走るアイネを見る。

大した距離を走っていないというのに、髪留めから漏れた髪が大量の汗で首筋に張り付いていた。

時折見える横顔は赤く火照り、息も乱れている。


──アイネ、なんだか体調悪そう……。


そう思ったものの、アイネが何も言わない以上自分からは言い出せなかった。


アイネの性格はよく知っている。

やると決めたら後悔が無いように徹底的にやる。誰かに何を言われようと、引き止められようと、自分がこうだと決めたらやりきらなければ気がすまない。


サセッタに入る時もそうだった。

アイネが提案し、危険だと分かりつつもシオンもノイアも強く引き留めることはしなかった。

どうせ止めても一人で行こうとするだろうと。


要は頑固者なのだ。


だから、ここでノイアがアイネの様子を伺ったとしても、きっと返ってくる答えは「大丈夫」だし、それこそ逆にアイネの意志をさらに固くしてしまうというものだ。


自分で判断してもらうのが一番。

ノイアはそう考え、いよいよ限界寸前になるまではその背中を見守ることにした。


三人は、ひたすら、ただひたすらに見取り図に書かれた通りに道を曲がる。

階段を上がり、息を殺し、走り抜ける。

壁に埋め込まれた揺らめく炎は影を生み、照らすと同時に暗く染める。


何度も敵と遭遇しそうになりながらも、引き返して身を隠し何とかやり過ごす。


「やっぱこっちで正解っすね。正規ルートで通ってたら何度見つかっていたか」


ブロガントは眼鏡を押し上げ、秀才キャラになりきって声を低くして言った。


いつもは下ネタばかりのこの男が、時々格好つけて声を低くするのは聞きなれたものだった。

その妙にかっこいい声質を聞くたびに、ノイアはいつも『天は二物を与えないんだなあ』と心の中で思う。


その後も人造人間(レプリオン)に見つかることなく前へ、前へと進む。

コバルトの研究室まであと3分もかからないところまでたどり着いた。

気が付けば大理石の床から溝の一切ないフローリングの床に変わっており、一般的にイメージする研究室の雰囲気に近づいてきているのが分かった。


「あともう少し……」


ようやく五階にたどり着く。

慌てて走る人造人間(レプリオン)兵の小隊を隠れてやり過ごし、前後を確信してから全速力で走る。


全てが順調だった。

だがそれは不吉の前触れでもあった。



突然アイネが足をもつれさせ転倒する。


「おい、なにやってんすか!」


先を走っていたブロガントが引き返してくる。


「ゼエ……、ゼエ……」


隠れてやり過ごした時に小休憩を挟んだはずだったが、にもかかわらずアイネは尋常でないほどの汗をかき肩で息をしていた。

アイネの後ろを走っていたノイアも駆け付け、心配そうに体を支える。そしてその根本的な異変に一目で気が付く。


「アイネ、形印(コントラー)が……」


全身を覆うようにして黒い影が伸びている。元々は目元に小さく在った彼女の形印(コントラー)はその存在を大きくし、今や余すとこなく頭の先から足の先まで侵食していた。


様子を見るに、どうにもアイネの意志によって顕現しているわけではないらしい。

ノイアはふと話に聞いていた第一帝国戦のことを思い出す。


『能力の突発的な暴走』。


シオンがアイネとケンカしてまで止めようとしていた理由が、今更になって分かった気がした。



「大丈夫……、大丈夫だから……!」


アイネは歯を食いしばり、立ち上がりながら声を荒げる。

その言葉はノイアやブロガントに向けたものではなく、まるで自分に言い聞かせているようだった。



こんなところで立ちすくんでいる暇はない。

一刻も早くデータを手に入れなければならない。


HKVに関するデータさえ手に入れば、戦わずに済む方法もあるかもしれないのだから。

人間とセリアンスロープと人造人間(レプリオン)が、共に笑い合える世界が来るかもしれないのだから。


そう左腕に結んだ紅い布に誓った。

強く誓った想いをこんなことで不意にするわけにはいかないのだ。


なにがなんでもやり遂げる。

そんな強い意志が、苦悶の表情を浮かべるアイネの瞳に宿っていた。


「はぁ……、はぁ……。ッ、ブロガントさん、先を急ぎましょう」


壁に寄りかかりながらもなんとか立ち上がる。

しかし肌に浮き出た形印(コントラー)は黒く残ったままだった。


ブロガントは溜息をつきながら頭をかく。


「……そうしたいとこなんすけど、悪いっすね。前と後ろから敵が来てる」


気が付くと前から二人、後ろから三人の人造人間(レプリオン)兵が電子剣(エターナルサーベル)を光らせながら近づいて来ていた。


「完全に俺のせいっすね。最初っから本命ルートに行っておけば、挟まれることも無かったかもしれない……」


ブロガントは素早く視線を走らせる。

前方の二メートル先に曲がり角があるのが目に入る。アイネが倒れ、引き返した時に視界の片隅に映っていたのを覚えていた。


そしてその道は奇しくも予備ルートから枝分かれしていた、あの緑色に塗りつぶされていた道だった。

ブロガントは舌打ちをする。


──まったく、俺が本命ルートを避けて予備ルートに入ることも、アイネがここで体調を崩すことも、タイミングよく敵が現れて第三のルートに行かざるを得ないことも、全部お見通しってことっすか。


完全に行動を見透かされたことにいら立ちを覚えながらも、ブロガントはアイネとノイアに指示を出す。


「ここは俺が食い止めるすよ。二つの意味で尻拭いは得意なんでね。お前らはあそこを曲がって先に行くっす」


自分の尻を触りながらブロガントは顎で行くよう促す。


二人は頷いた。

アイネはふら付きながらも、何とか自力で走る。その後ろからノイアがいつ倒れても支えられるようにぴったりと張り付く。

そのまま二人は角を曲がって姿を消していった。


その姿を最後まで見届けたブロガントは、二方向から迫ってくる人造人間(レプリオン)兵を一回ずつみて俯いた。


「あーあ、こうやって俺が残ることも“視えて”たんすかね。だとしたら、今度風俗代奢ってもらうっすかね。そうじゃないと割に合わない」


背中に形印(コントラー)を浮かばせ、両手に鋭い鎌を創りだしながらそうボヤいた。




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