七十四話 内通者
その男は言った。
ゆっくりと、そして確信をもって。
「君が内通者だね、コールルイス」
扉が施錠されたホールにローシュタインの声が吸い込まれていく。その問いかけにコールルイスは応えない。
薄暗い空間に二つの影法師が対峙する。互いの顔が薄い闇に覆われ、瞳だけが爛々と鋭く光る。
壁にかかっているアナログ時計の秒針の音が不気味に鼓膜を揺らした。
「こほっ……」
機械仕掛けの音の狭間にコールルイスはせき込んだ。
「なんのことです?」
その返答は疑問形であったが、既に核心を掴まれているという直感があったのか、コールルイスは微笑みながらそういった。
ローシュタインも同じように、ジッと相手を見据えながら不敵に笑う。
「まず私が違和感を感じ取ったのがアダルット地区とサーモルシティーでの戦闘だ。普段の『神雫(ティア―)』支給活動は滞在時間が三時間を超えることはない。ただこの二つの地域だけは長時間を前提とした活動だった。人造人間側からすれば、狙うチャンスはここしかないというわけだ」
「こほっ……、彼らが衛星監視体制を敷いていると言ったのはアナタですよ。来るのは当たり前なのでは?」
「距離と時間を考えたら、到着するのが早すぎるのだよ。それこそあらかじめ知っておかない限りね。加えてサーモルシティーでは拠点にしていた場所をピンポイントで爆撃された」
「……それも監視していたのでは?」
その時、コールルイスがどこか不穏な空気を感じ固唾を飲んだ。
何かを見落としている気がする。
自分の知らないところで決定的な何かが起こっていると、そう感じた。
その得体の知れない不安を体現したかのように、目の前に立つ壮年の男の佇まいが明らかに異質なものへと映って見えた。
「爆撃された場所は二か所だ、コールルイス。拠点を構えていた一か所だけではない。衛星監視はサーモルシティーの各場所に配置してある迷彩装置とプロアルゴリズム電磁波装置によって干渉できない様になっている。君も知っているだろう」
ローシュタインは言った。
サーモルシティーで救援活動にあたっていたのは、エクヒリッチ隊とデヒダイト隊だった。しかしながら、本来はデヒダイト隊ではなく、コールルイスの隊が行くこととなっていたはずだった。
デヒダイト隊は少数精鋭、対してコールルイス隊は2000人規模の大部隊だ。支援活動する上で設置する拠点の数は違って当然である。
ともなれば、得られる答えは一つだけだった。
「コバルトが率いていた軍の最初の一撃は本来、君の隊が拠点を構えていたはずだった場所だ。エクヒリッチが殺された今、それを知る者は君しかいない。第一帝国戦でも君だけが内通者がいることを前提に話をしていたことを鑑みるに、恐らくコバルトが作った≪人類の叡智≫で洗脳されているのだろうが──」
その瞬間、ローシュタインの体に黒いひび割れ模様の形印が浮かび上がる。
「──私を貶めようとした罪は重いぞ」
刹那、コールルイスの視界からローシュタインの姿が消える。背後に風を感じたが早いか、反射的に振り向くと既にそこには総隊長の姿があった。
目にも止まらぬ速さで振り抜いた手には、ガラスの様に透き通った剣が握られている。よく見ると極限まで細くした糸が幾重にも重なり合い、一つの鋭利な武器を形造っている。
その刀身は鍛え上げられた鉄よりも鋭く、ことモノを切ることにおいては電子剣と同等の能力を有す。光を発する電子剣とは対照的に、あらゆる光を屈折させるそれは動くたびにその存在が僅かに歪む。
だがコールルイスがそのことに気が付いたのは、既に上半身と下半身が切り裂かれた後だった。成す術も無く両断され、鉛が落ちたかのような音が二回床に響いた。
ローシュタインは転がったコールルイスを冷たく見下ろす。無音の部屋に外から大きな爆発音が響くのがハッキリと聞こえた。どうやら六戦鬼と各隊長たちの戦いが始まったようだった。ローシュタインは横目でそれを見届けると、握った剣で内通者の首をはねようとしたその時
「……!」
足元に転がっていたコールルイスの下半身がひとりでに動き出し、ローシュタインの足を絡めとろうとする。しかし、一瞬早くローシュタインが宙に跳び上がり、奇襲を躱す。
見ると下半身がひとりでに立ち上がっており、次の瞬間には切断面からズルリと上半身が出現する。その後方でも上体から下半身が生えそろい、ゆらりと起き上がる。首を鳴らし、手足の感触を確かめる。
この瞬間に二人のコールルイスがローシュタインの前に立ちふさがる。
「……プラナリアのセリアンスロープか。やはり便利だ」
ローシュタインが呟いた。
立ち上がったコールルイスは大きく三回拍手をした。
「さすがです、ローシュタイン総隊長。そうです、僕がスパイです。しかし看破するのが遅すぎましたね。既に六戦鬼は本拠地の中、加えて50万の大軍。いくらサセッタと言えども袋小路のこの状況を打開できはしないでしょう」
コールルイスは満足げに言う。その恍惚とした表情は絶対的な洗脳者に対して向かれれたものだろう。使命を果たした幸福を最大限に味わっているようだった。
確かにコールルイスの言うように、状況だけ見れば最悪の展開であった。
双極帝国戦争に終止符を打った六戦鬼が一か所に集い、さらにはサセッタ総戦力の五十倍の人造人間兵が押し寄せているのだ。根の中にいるため上空にも逃げ場はない。
絶体絶命。
まさにその文字を具現化したような状況だった。
しかし──
「フッ……」
ローシュタインは憐れむような眼差しを向ける。
「こほっ、こほっ。何が可笑しいんですか」
「このサセッタ本拠地に人造人間兵が押し寄せ──ひいては六戦鬼らが乗り込んでくる状況を作ったのを、あたかも自分の手柄の様に語ったのが道化じみていたものだからね。失礼、気を悪くしたのなら謝ろう」
「……なにが言いたいんですか」
コールルイスはローシュタインの含みのある言い方に表情を硬くする。
「君を通じてサセッタの本拠地が割れれば、マセライ帝国なら有無を言わさず潰しにかかってくる。なにせ最先端技術を用いても我々の影さえ見つけられなかったのだ。世界を統べる帝国の面目が丸つぶれだろう? であれば、見つけた日には確実に息の根を止めるため、なりふり構わず鬱憤を晴らすように過剰戦力を投入してくる。ドン・サウゼハスはそういう性格の男だ」
帝国統王のプライドの高さをローシュタインはよく知っていた。そのプライドを傷つけられれば六戦鬼の出撃や、膨大な数の兵士を駆り出すのは容易に想像できる。
そこでローシュタインはコールルイスをあえて泳がせることで、それらを本拠地に誘い出し、帝国の主砲を潰すプランを立てた。六戦鬼全員が来襲してくるのはいささか驚きであったが、想定の範囲内だった。
「……こほっ。強がりもここまでくると滑稽に見えますよ。仮にそうだったとして、六戦鬼相手に隊長クラスが一人で勝てるとは思いませんがね。力を見誤りすぎでは?」
「ん、確かに君の言う通り、隊長と言えども六戦鬼を一人で相手に出来る者は限られる。私の見立てでは二人は死ぬだろう」
意外なことに、コールルイスの予想に反論することなく、むしろ殺されることを前提として考えているようだった。
「ただね、我々は別に勝つ必要などない。君は不思議には思わなかったのか? 他のサセッタのメンバーはどこに行った? なぜ隊長らが各方面に元から散っている? そこに私の意図があると、全く疑問に思わなかったのかね」
「…………ッ!! まさか!!」
コールルイスは何かに気が付いたように瞳孔を広げる。
ついさっき支援活動から帰って来たばかりの彼は、本拠地全体を見る暇なく監視室に呼ばれていた。
そのため隊長会議で言い渡された作戦内容を知る由などなかった。あくまで監視室からの映像や、分断された情報を組み立てて全容を推察していた。
サセッタ本拠地での総力戦。
それがコールルイスが予想していた作戦だった。それ以外に考えられなかった。他の隊員たちはどこかに待機し、奇襲の機会を伺っているのだろうと無意識のうちに思っていた。
しかし、それは全くもって見当違いの考えだったということに今気が付いた。現に監視映像には隊長クラス以外、誰も映っていなかったことを思い出す。
では、ローシュタインの言ったように他の隊員はどこに。コールルイスはその答えにたどり着いた。
その表情から察したことを読み取ったローシュタインは白い歯を見せる。
「そう──第二帝国戦、ドセロイン帝国を攻略している」
☆
ドセロイン帝国 大庭古城。その名の通りレトロチックな外観をしており、おとぎ話の中からそのまま飛び出てきたかのようだ。
普段なら落ち着いた雰囲気を全身に感じ、独特な建物の造りに観光客が訪れるのだが、しかし今日は違った。
ものものしい雰囲気の覆われ、住民が悲鳴を上げ逃げまどっている。一目散に大庭古城とは真逆の方向に向かって走る。
「レジスタンスが……ッ! サセッタが来たぞ!!」
誰かがそう叫んだ。
大庭古城──東方面で銃声や爆発音が響き渡る。ドセロイン帝国で最も大きな正門が位置する場所だ。
レジスタンスが乗り込んできたという知らせを受けたのが五分前だった。サセッタは一気呵成に一般市民には目もくれず、正面から一直線に城に向かってくる。空から、大地から、屋根をつたって走りくる者もいた。
その対応に追われるのは、サセッタ本拠地攻略作戦に編成されていなかったドセロイン帝国に残った人造人間兵ら。
全体の三分の一が本拠地に出向いているため、非常事態の緊急行動網に齟齬が生じサセッタの侵入を帝国中枢にまで許してしまっていた。
現在は非常戦線を展開し、帝国城半径一キロ圏内で侵入を食い止めている状況だ。
戦況はほぼ拮抗状態。互いに一歩も譲らぬ接戦だ。
レーザーを放てば硬化系のセリアンスロープが盾となり、その後ろからは背中に生やした針を飛ばし応戦する。空では羽を生やした天艇小隊がマシンガンを放ち制圧射撃を行う。
しかし、次の瞬間には大庭古城に備わっている自律防衛システムにより、無数のレーザーが射出され小隊に襲い掛かる。数人は攻撃をかすめながらも、アクロバット飛行さながらのロール回避を取る。
人数差・地の利は圧倒的に人造人間にあるが、第一帝国戦前より繰り返し行ってきたシミュレーションでその差を着実に埋めていた。
だが、長期戦にもつれ込んでしまえば圧倒的に不利なのはサセッタなのは明白。
そこで仕込んだ作戦が、正面の大部隊を囮にしてスリーマンセルの小隊三組が統括管制室をクラッキングするという実に単純明快なものだった。
それを担うのは先兵特化部隊のデヒダイト隊。
敵味方が混在する正面を避け、裏や側面から隠密に回り込む。普段着ている白色のコートではなく、空間同調機能のついた特殊なコートを羽織り街並みに紛れ込む。
第一帝国戦や今までの支援活動で、あえて目立つユニフォームを着ていたのは全てこの隠密行動の布石だった。
「聞こえるか? クロテオードだ、こちらは帝国城内部の侵入に成功した」
大庭古城内部の一室に身をひそめながら、インカムを通してデヒダイト隊全員に繋げる。隊長のデヒダイトは本拠地に残っているため、指揮官はクロテオードが引き継いでいる。
『あたしらのところも侵入に成功した。このまま管制室に向かってもいいっしょ』
続いて聞こえてきたのはガルネゼーアの声だった。どうやらその二組は見つかることなく侵入に成功したようだった。
「問題ない、できるだけ早急に事を成してくれ。私たちも今から向かう。ランプ達はどうだ」
クロテオードが落ち着き払った声で聞いた。しばらく無音が続いた後、
『ん~、ちょ……とヤバ……の』
雑音が入り混じり、通信が不安定な状態で途切れ途切れの音声が流れてきた。察するに人造人間兵に見つかり、戦闘になっているのだろう。
「無理はするな。作戦通り、続行不可能と判断したら即離脱するんだ」
しかし、ランプからの応答はない。緊迫した状況が続いているとみて間違いないだろう。
「どうするんだい、クロさん」
隣にいたアスシランが尋ねる。クロテオードのスリーマンセルのメンバーはカルーノとアスシランだった。
「……私が助けに行こう。クラッキングは任せていいか」
懐から純白のCDCカードを取り出す。しかし、アスシランはかぶりを振る。
「それは悪手だよ、この班のリーダーはクロさんなんだからさ」
「ならばどうする」
「僕が行くよ」
毅然とした態度で言った。そこには何が何でも自分が行くという強い意志が感じられた。
「それに、あと数分もしたらこの班は敵に見つかる。そうなったら僕とカルーノだけじゃ突破できないからね」
第六感を使った未来予知。これまで幾度となくその力を見てきて、予言が的中してきたことはデヒダイト隊の全員が知っている。
くだらないことから訓練中の出来事まで、あらゆる場面でその力の有用性を感じていた。
「これは世界を救うためなんだ。……もう一度言わせてもらうよ、僕に行かせてほしい」
普段へらへらと緩んでる顔を引き締め、真剣そのものの表情でそう言った。クロテオードはしばらく考えたのち
「……いいだろう、ランプ達を頼んだ」
カードを懐に戻し、カルーノと共にその場を後にした。
一人残されたアスシランは二人を見送った後、突然しゃがみ身を抱え込む。そして、うつむきながらぽつりと呟いた。
「…………ごめんよ」