七十二話 みかた
「はい、私も上がり~! あー、負けるかと思った~」
アイネが手札のカードを場にすべて出し終え、解放感から大きく伸びをする。隣に座っているルナが、長いポニーテールを揺らしながら小さく拍手をした。その正面では唯一カードを手元に残したまま完全敗北したランプが、餌をほおばったリスのように頬を膨らましていた。
「なんでなの!! なんで私ばっかりいつも負けるの! 私も勝ちたいの!」
小さな手から投げ捨てられたカードは、紙吹雪のように宙を踊る。
「だってランプちゃん、最初に役の強いカード全部出しちゃうんだもん。だからいつも最後になってから一枚も出せないのよ」
「フン! これが私の必勝法なの! アイネには教えてあげない!」
「必勝……」
一度も勝ったことが無いのに必勝とはこれいかに、とその場にいたアイネとルナはそう思わざるを得なかった。
「……それにしてもアイネちゃん、……こういうゲーム強いね」
一人暴れるランプをよそに、ルナはちょこんと小首をかしげる。今回は運よく勝てたが、女性陣だけでいうとアイネはこのようなカードゲーム系はかなりの腕前だ。
「孤児院でシオンたちとやってたから慣れてるだけですよ~。ていうかシオンが強すぎてそれで鍛えられた感じです」
「……まあ、シオン君……こういうの好きそうだし……」
「ほんっと、ご飯の時間になってもいつまでもノイアと二人で、あーでもないこーでもないってやってるんですもの。それに付き合ってた賜物です」
「……そ、そこまで……」
若干ルナが驚いたところで、蚊帳の外にされていると気づいたランプが立ち上がる。
「もう一回なの!! もう一回勝負なの!! 次こそ私の必勝法を──」
と叫んでいると、部屋のドアノブが回る。
入ってきたのはアスシランだった。どういう寝方をしたらそうなるのだろうと思わせるくらいに、後ろ髪の寝癖が芸術的な跳ね具合だ。
「やあ、レディーたち。随分楽しそうだね。もう準備は終わったのかな?」
「終わってるに決まってるの! 邪魔しないで! というよりノックもなしに入ってこないで、キモイの!」
「キモイ!? ノックしなかっただけでそこまで言われるの?」
ゲームで負けて気が立っているランプは、威嚇する猫のように牙をむき出しにする。
アイネは暴れ出そうとするランプをひざ元に座らせ落ち着かせる。
「……ど、どうやら完全に来るタイミングをミスったみたいだね」
アスシランはいつ襲われてもいいよう、へっぴり腰のまま逃走経路を確保する。
「何しに来たんですか?」
アイネはランプの頭を撫でながら尋ねた。
「ああ、そうだった。ちょっとアイネちゃんと話したいことがあって来たんだった」
「新手のナンパなの。アイネ、ついていっちゃダメ。あのチャラ男、何か企んでるの」
ランプがジト目でアスシランを睨みつける。よほど先ほどのゲームに負けたことが悔しかったらしい。ぶつけどころのないイライラを全てアスシランに向けている。
それを聞いたアイネは笑って
「アスシランさんが胡散臭いのなんていつものことじゃない」
「……それもそうなの」
ランプをもっともな理由で納得させた。その横でルナも小さく頷いた。
「君たち、僕を何だと思ってるんだい……」
アスシランは肩を落としてうなだれた。
「それで話って何でしょう」
部屋を出て、サセッタ本部の六番街を歩きながらアイネが尋ねた。
周囲に人影はなく閑散としている。まるで世界に自分一人になったみたいな静けさだ。
根が真面目なアイネは口ではあのように言いつつも、結局はアスシランの話を聞くことにしたのだった。
「まー、そう急かさずに。ちょっとお散歩しながらお話しようよ」
アスシランは軽い口調でそう言った。
「お話って言われても……」
「シオン君とは最近どうなんだい? ケンカしてから仲直りした?」
アイネの胸がちくりと痛んだ。
「……まだですけど」
「んー、まあお互い難しい年頃だからね。でも仲直りするなら早めにしておいた方がいいよ。後になって後悔するからね」
『後悔』という言葉にアイネはピクリと反応したが、何も言い返すことはしなかった。アイネも分かってはいるようだった。
アスシランもそれを察したのか、「まあ、第二帝国戦前までにやっておくことをお勧めするよ」とだけ言って、そこから1分くらい無言の散歩が続いた。
やがて無言の空間が耐えられなくなったのか
「それで話って何ですか?」
とアイネは最初と同じ質問をした。
同じくして思ったよりも会話か弾まず、そわそわしていたアスシランは水を得た魚のように元気になる。
「そうだね。たぶんもうすぐ始まる第二帝国戦に備えた各隊の集会で、タイチョ―から指示されると思うんだけど、先に僕の口から伝えておこうと思ってさ」
「……?」
要領を得ない答えに、アイネは小首をかしげる。
「それというのも今回の作戦は僕が提案したものでね。サセッタとは関係なく、あくまでデヒダイト隊が極秘で行う任務だ。結構重要な内容だから、タイチョーの口からだと細かいニュアンスが伝えきれないところもあるだろ? ほら、タイチョ―ぶきっちょだし」
「デヒダイトさんが不器用なのは分かりますけど、作戦会議で伝えられるのにわざわざ先に言う必要は……」
僅かにしかない息抜きの時間を、そんな二度手間になるようなことに割かれたのかと少し落胆する。
しかし、アスシランはアイネの頭をポンポンと二回たたき、わざとらしくウインクする。
「言ったろ、今回の作戦はかなり重要なんだ。それこそ世界を変えることができるかもしれないくらいに」
「世界を……?」
その言葉を聞いた瞬間、無意識のうちに左腕に巻いている紅い布に手が伸びる。かつて孤児院の家族たちが殺されたときに血を吸った服から切り取った布だ。
それを左腕に巻き付け、死んだ家族を土に埋める時に誓った。虐殺が平然と行われても許される世の中を変えると。二度とこの悲劇を繰り返してはいけないと。それをするのが自分の役目であり、死んでいった家族たちのためでもある。
そう左腕に巻き付けた紅い布に誓ったのだ。
だがしかし。
その思いとは対照的に、アイネはこの男はいよいよ胡散臭くなってきたと言わんばかりの表情を浮かべる。
「おいおい、なんだいその表情は。疑っているのかい」
「ええ……、まあ……」
白い目で軽薄そうな笑顔を浮かべているアスシランを見上げる。
なにせこの男には普段の素行から信頼に値するものが全くないのだ。気が付いたらガルネゼーアの地雷を踏み抜いてボコボコにされていたり、食事当番の日には頼んでもいない激辛ルーレットを仕込み、運悪くそれがアイネにあたったりとロクな思い出がない。
よく言えばムードメーカーだが、デヒダイト隊ではランプと並ぶ問題児として扱われている。副隊長であるクロテオードに何度正座させられている姿を見たか数え知れない。
そのため、まじめが過ぎるアイネが連想するアスシランのイメージは『THE 適当男』。その彼が考えた作戦が、とてもではないが世界を変えるものとは思えなかった。
「ほんとランプといい、アイネちゃんといい……。僕の評価低くない? 僕はただの問題児じゃないんだよ」
「……問題児って自覚はあるんですね」
アイネは浅くため息をつき
「それじゃあ、その作戦っていうのを早く教えてください」
半ばやけになりながらそう言った。
それを聞いたアスシランは満足そうにうなずく。
「アイネちゃん、君は第二帝国戦で“とあるデータ”を取ってくる任務を行ってもらう。ノイア君とブロガントの三人でね。それが僕の提案した、今後に繋がる作戦さ」
「データ……?」
帝国攻略のためになぜデータが必要なのか、アイネには皆目見当もつかなかった。
第二帝国戦も第一帝国戦と同じように、統括管制室のクラッキングによる無力化を図ることは間違いない。だが、アスシランが言っている内容はクラッキングする役を任せるのではなく、また違った何かをさせようとしているらしい。
「そう、データだ。まさに国家機密級、世界の真実をひっくり返す代物さ」
「国家機密って……。いったいどんなデータなんですか」
アイネは興味を引き付けられた。内容もそうだが、アスシランがいつになく真剣な口調で語りかけてくるのもあった。
アスシランはそんな彼女を見て、ゆっくりと質問に答える。
「──HKVに関するデータさ」
HKV──今まさに世界中に蔓延している人にのみ死を与えるウイルス。アイネの母親もこのHKVで死んでいる。
それは突如として発症し発現したが最後、黒いひび割れが全身を一瞬で覆い、至る所を破裂させ、至る所を変形させ死に追い込む。最後は人の形を保てなくなり、人ならざる者の姿で絶命する。その致死率は100%。
世界各国はこの謎の伝染病に総戦力を上げて対応していたが、依然としてそのワクチンは作ることが出来ていない。
このままでは人類がこのウイルスによって滅亡してしまう。
そこで世界──マセライ帝国はノータルスター研究所の頭脳を集め、思案し、造りあげたのだ。人の肉体が感染するのならば、その枠組みから離れればいいと。そうやって造られたのが人造人間なのだ。
まさにHKVというのは、人が大きく在り方を変えざるを得ない状況にまで追い込んだ元凶であるといえよう。今までに一億人以上がこのウイルスで死んでいることもその裏付けだ。
そのHKVに関するデータがどんなものであれ、表に出ていない国家秘密級のモノならば、なるほど確かに世界を揺るがすに違いない。
「アイネちゃんはHKVがどうやって世界中に散布されたか知ってるかい?」
アスシランは誰もが知っているであろう質問を投げかける。これが原因で人類史上最悪の戦争、双極帝国戦争が起こったようなものだ。記憶をコントロールされている人造人間を除けば、知らない者などいないだろう。
「マセライ帝国がHKVを各国にばら撒いて、対抗策がないことを世界中に示した後に、助かる手段は人造人間しかないと言ったんですよね。全人類を完全統治下において、安寧をもたらす理想郷を作るために。それが書かれたのがC.C.レポートで、サセッタが入手して電波ジャックで拡散した。私の記憶ではこうだったような……」
アイネは自信なさげに締めくくったが、内容は間違いなく人造人間以外の人間が持っている一般共通認識としてのそれだった。
「おー、凄い凄い。お手本のような回答だね。さすがだよ」
「あ、ありがとうございます」
何故か褒められたのでアイネは戸惑いながらもお礼を言う。
しかし、その刹那にアスシランの眼が怪しく光る。
「──だけど、その知識は果たしてどこまでが本当なんだろうね」
「……えっ」
「皆が見ている真実と、世界が隠し持っている真実。一見同じだけど、見方を変えるだけで同じ形をしていたそれは大きく変わっていくこともあるんだよ」
「それはどういう……」
アイネは戸惑いから歩みを止める。それに気づいたアスシランも半歩先で止まる。
目の前の緑髪の男が何を言いたいのかまるで理解できなかった。彼は今までに感じたことのない雰囲気を纏っていた。
「これ以上は言えない。言えば未来が大きく変わってしまうからね。ただ、このデータを入手しさえすれば、サセッタ全体が核心に近づくことができるとだけは言っておくよ」
漠然としたことだけ言っておきながら、肝心なことは一切教えない。このアスシランという男はそういう人間だ。
話を聞き終えて、何とも言えないモヤモヤとした感覚だけがアイネの中に残る。どうにかしてこの感情を払拭しようと
「じゃあせめて、そのデータがどこにあるのか教えてくださいよ」
と、無意識のうちに普段より少し強めの口調で言った。
アスシランはその質問ならお安い御用さ、と言わんばかりの得意げな顔をする。
「場所はドセロイン帝国 帝国城“大庭古城”南館五階。そこにある六戦鬼コバルトの研究室さ」
☆
巨木の根の中とは思えない程の解放感。上を見上げればその日の天気が天井に投影され、それに合わせて地上と同じ風がサセッタ本部を吹き抜ける。周囲を見渡せば木造建築物が所狭しと立ち並び、非戦闘員が住むことのできる空間が設けられている。
新設されたばかりの11番街のとある屋上で、シオンは黄昏ながらその景色を眺めていた。
先日のアイネとのケンカ、ノイアの言葉が頭の中で無意識に反芻され、自分を見失いかけていた。ただ、そんな整理のついていない状況でも、唯一の光である『アイネを守る』という誓いだけがシオンの道しるべとなっていた。
だが、そんな状態が続けば気が滅入る。
シオンは心をリラックスさせようと、デヒダイト隊の隊舎がある場所から一番遠い場所に足を運んだのだが、しかしどいつまでたっても穏やかになる様子は無かった。
そろそろ隊舎に戻るか、と思ったところで背後からヒトの気配を感じた。
「……ローシュタイン、総隊長」
「ん、こんなところでどうしたのかな、シオン君」
落ち着いた深みのある声で彼はそう言った。
シオンはこの男が苦手だった。
澄み切ったその瞳と目が合うたびに、心が見透かされているような感じがする。普段の言動も沈着冷静、人望も厚く非の打ち所がないような男だ。唯一失敗したことがあるならば、それは先の第一帝国戦で六戦鬼ホークゲンを逃したことぐらいだろう。
ただ、シオンが苦手な理由はもっと別にある。
アイネがこの壮年の男にやけにご執着なのだ。ローシュタインが隊舎に来るたびに、アイネは目を輝かせ話に花を咲かせる。総隊長が帰れば、しばらくは彼の話を聞かされ続ける。そのたびに同じような話を聞かされ、うんざりしていた。
要はシオンにとってこの男は面白くない存在なのである。自分の方が長くアイネと一緒にいるのにもかかわらず、この男が来るとスッとアイネが傍からいなくなる。
一種の嫉妬にも似たような感情だった。
「別に……暇だったからちょっと景色のいいところに来ただけですよ。ここも見納めですし」
シオンはぶっきらぼうに答えた。
「ああ、確かにここは良い眺めだ」
ローシュタインはシオンの隣に立ち、白衣を風に揺らしながら本拠地を眼下に収めた。
夕方ということもあり、少し肌寒い空気が二人の間を吹き抜けた。
「ローシュタインさんはなぜここに……?」
今度はシオンが尋ねる。
サセッタの総指揮官であるローシュタインが、こんな場所にいることに疑問を持つのは当然だった。
「少し考え事がまとまらなくてね。気分転換に歩いていたら、君の姿が見えたんだよ」
「考え事、ですか」
「ああ、最終帝国戦のことをね」
数日前にようやく第一帝国戦が終わり、もうすぐ第二帝国戦を控えているというのに、この男は既にその先のことを考えている。
余程の自信家なのか、それとも計画性がないだけなのか。
確実に前者なのだろうが、シオンは思わず
「第一帝国戦はたまたま上手くいっただけだ……。もっと多くの犠牲が出てもおかしくはなかった。それなのに……」
独り言のようにぽろっと本音がこぼれた。
「最終帝国戦のことを考えるのは、まだ気が早いんじゃないですか。まだ三帝国も現存なんですよ、俺には無謀としか……」
シオンの言った通りだった。
サセッタが現段階で統括に置けたのはヌチーカウニ―帝国、ただ一つのみ。残りのドセロイン帝国、ロンザイム帝国、そしてマセライ帝国は一切干渉できていない。すなわち、残っている三帝国は兵力を一切失っていないのである。
対してサセッタは、エクヒリッチ隊全滅によって戦力は大幅に下がっている。さらにこの先も第二帝国戦、第三帝国戦を行っていくごとにサセッタの戦力は削られていくだろう。
その状態で本当に最終帝国戦までたどり着き、世界を変えることができるのか甚だ疑問である。
だがシオンの心配をよそに、ローシュタインは不敵に笑って見せる。
「心配はいらない、既に手は打ってあるさ」
「……」
「それに君が考えているような第三帝国戦は行わない。第二帝国戦のあとは、マセライ帝国を標的とした最終帝国戦だ」
「そうだとしても……」
シオンは言葉を濁す。
しかしローシュタインは
「今までに私の思い通りにならなかったことは一度もない。自分で言うのもなんだが、私は天才なんだ」
一切の淀みなくそう言い切った。
シオンは無言のまま本拠地中央にそびえ立つ、サセッタ本部の黒塔を見つめる。
今までのローシュタインが言った内容は、正直シオンにとってはどうでもいいことだった。極論を言ってしまえば、シオンはサセッタという組織そのものに全く興味関心などない。全滅しようが、世界を救おうがどちらでもいいのだ。
ただアイネが世界を変えたいと言ったからここまで来た。
アイネがやり遂げたいと言ったから守ってきた。
シオンにとっては彼女が全てだ。彼女がいたから生きてこれた。
それにノイアもいる。二人はかけがえのない家族であり、シオンに唯一残された心のよりどころでもあった。
全てをなげうってでも、手段を問わずにでも最優先するモノだ。
ローシュタインと話すことで、それが再びシオンの中で確固たるものへとなった。
「それで、その天才が最終帝国戦の何に悩んでいるんですか」
シオンはふとローシュタインが最初に言っていたことを思い出した。隣に立っているこの男は、考え事をしているうちにここに来たと言った。最終帝国戦に関することしか言っていなかったため、その具体的な内容までは分からない。
自身を天才とまで言う男が何に悩んでいるのか。純粋にそれがいったい何なのか気になった。
「ん、どうやったら全ての人類が、一目でマセライ帝国の支配する世界が終わったと分かるかなと思ってね。いくつか考えはあるんだが、どれもパッとしない。シオン君は何かいい考えあるかい」
何に悩んでいるかと思えば、マセライ帝国に勝利することを前提にした机上の空論の話であった。シオンは内心そこまでたどり着けるものかと思いながら、適当に思いついた言葉を並べる。
「……人造人間の象徴であるマセライ帝国の天牙楼城を、爆破して跡形もなく倒壊させる。とかどうですか」
ローシュタインは驚いたように目を丸くする。
「君はなかなか面白いことを言うな。驚いた、人の意見に心が動いたのは久しぶりだ」
「……ども」
「ん、参考にさせてもらうよ。私には思いつかなかったいい案だ」
ローシュタインは満足げにうなずいて踵を返す。
そしてシオンに背を向けながら
「もうすぐ会議の時間だ、ここらへんで失礼するよ。シオン君、君も隊舎に戻りなさい。戦いの刻は、もうすぐそこまで迫っているからね」
それだけ言い残すと、影を見る間もなくその場から姿を消した。
一人残されたシオンはゆっくりと立ち上がる。
『戦いの刻』、その言葉が妙に頭から離れなかった。第二帝国戦はすぐそこに迫ってきている。作戦は既に伝えられた。これがハマれば間違いなく帝国側は大打撃を受けるだろう。
だがシオンの中で第二帝国戦には気がかりなことがあった。
今回の攻略対象はドセロイン帝国。シオンにとっては母親を殺され、アダルット地区で殺されかけ、サーモルシティーで戦った何かと因縁のある帝国だ。
そしてその帝国には彼がいる。
シオンの家族だった何の罪もない孤児院の子供を、その手にかけた男。
目的のためなら手段を択ばない狡猾さと卑劣さを持ち合わせた男。
バーキロン。
まだ顔も見ぬその男は歪んだ正義を振りかざし、それが絶対的に正しいと思い込んでいる。まるで神にでもなったかのように己の作った天秤で命を計り、不要とあらば切り捨てる非情に徹しきれる人物だ。
それゆえに危険すぎる。かつて父親がそうだったように、そういった人間は何をしでかすか予測不能だ。六戦鬼なんかよりもよほど難しい相手になるとシオンは睨んでいる。
さらにサーモルシティーでアイネの通信越しから話を聞いている感じ、やたらとシオンのことを深く知ろうとしていた経緯もある。アイネから話を聞き冷静に分析し、どういう特徴を持っているかまで考察していたことからもそれが伺える。
──バーキロン……か。間違いなく最悪の敵が既に俺をマークしている。目的のためなら手段を択ばない奴が、目を付けた俺のセリアンスロープとしての能力を把握していないとは言い切れないだろう。ヌチーカウニ―帝国の監視カメラを見ていれば、その可能性は十分にある。
シオンは眉根にシワを深く刻み込む。
向こうは手の内を知っている可能性があるが、こちらは情報が一切ない。どんな顔をしているのか。どんな武器を使っているのか。知っているのはバーキロンという名と声と考え方のみ。
彼がシオンの能力を知っているとしたら、間違いなく何かしらの対策を練ってくるだろう。そうなると肺を負傷している今のシオンには、厳しい戦いを強いられることになる。
だが──
──例え死んでもアイネとノイアだけは守り通す。どんな手段を使っても絶対に……。
シオンはもう二度と守る者をその手から失わないよう、心の奥底でそう誓った。