七十話 悪魔の箱庭
山の奥にひっそりとある工房。
かつてバーキロンが≪人類の叡智≫を搭載するために頼った場所だ。
ノータルスター研究所に勤めていたロッキーが、第一線を退いてからスローライフを送っている別荘とも呼ぶべき処。
いずれ再び訪れる予定ではあったが、バーキロンの予想していた期間よりも早くその時は訪れた。
「ほれ、頼まれていた通りに仕上げたぞい」
ロッキーの声とともに、バーキロンは寝台から上半身を起こす。
顔に取り付いていたアイマスクのような機材を外し、目を開ける。
「右目にカルジェストエンジンを搭載した。おぬしの思考演算機に接続することで、音紋解析、光学観測、追尾反応を行ってくれる。最大限にまで機能拡張すれば、二秒後の未来予測も可能じゃ」
「ありがとうございます。いきなりの無茶な要望に、ここまで応えてくれるなんて」
「まったくじゃ。いきなり超スピードに対応できる機械を作ってくれてと言ってきたときはぶん殴ろうかと思ったぞ」
「はは、さすがは元ノータルスター研究所の研究員です」
「おだてれば良いってもんじゃないわい!」
ロッキーは口ではそう言ったものの、まんざらでもない表情を浮かべる。
「じゃが、いきなりどうした。こんなものを作れだのと」
搭載施術に必要だった機材を片付けながら、ロッキーは尋ねた。
「……危険分子を確実に仕留めるため、ですかね」
「ほおん、いろいろ大変じゃの~。あんまり抱え込むなよ」
ロッキーの心配しているともとれる声を聴きながら、バーキロンは脳裏に一人の男を思い浮かべていた。
サーモルシティーでその少年の理想に触れ危険だと判断した。
信じたものに裏切られ、守りたいものを守れずに一度は心が死んだ男。
異常なまでの身内の固執に、幼少のころより鍛え上げられた圧倒的戦闘センス。現実主義者の彼は時に誰よりも残忍で、それでいてどんな状況であろうと必ず正解を選び取る。
その予想通りヌチーカウニー帝国の一戦で、シェルターをこじ開ける布石を打ったのはほかならぬ彼だった。
サセッタ先兵特化部隊──シオン。
かねてより目をつけていた少年である。
バーキロンはシオンという男を完全に理解したと確信していた。
自分と彼は似ている。
互いに守りたいもののためならば、手段を問わない。
彼は自分と同じように、どんな汚い手でも平然とやってのけるだろう、と。
彼がドセロイン帝国正門前の橋の上で、人造人間に母親を殺された際、彼が心に刻み付けたように。
バーキロンが木陰からその光景を見て、理不尽な虐殺を行う母国を変えようと心に刻み付けたように。
その傷跡は決して拭えない。
消え去ることはないのだ。
この世はどうしよもうなく理不尽で、清らかなままでは変えられない。
同じ経験をして、同じ壁を目にした。
だからこそバーキロンは直感していた。
シオンは必ず自分の理想の前に立ちはだかる。
そしていずれ対峙する時が来ると。
そうなれば避けては通れない。互いの理想のため、守るもののため。衝突の末にどちらかが散ることになるだろうと。
だがバーキロンとて微塵として道を譲るつもりはない。
そのために対策が必要だった。相手はセリアンスロープ、ただの人間ではない。
ヌチーカウニー帝国で監視映像に映っていたシオンの動きを、バーキロンは克明に記憶していた。
一瞬だけだったが、シオンの動きが早くなったのを彼は見逃さなかった。
人間が意識的に出せる緩急ではない。
間違いなく人間の出せるスピードを凌駕した速度で動いていた。
それがシオンのセリアンスロープとしての能力なのだろうと分析した。
一方でバーキロンも剣技においては相当な手練れだ。
サーモルシティーでコバルトの≪人類の叡智≫の警護の当たっていたセリアンスロープを、一瞬で切り捨てるほどには力がある。
間違いなく正面からシオンと戦えば勝てるだろう。
だがシオンが真っ向から挑んでくるとは考えづらい。
加速する能力で変化をつけ、揺さぶったところで仕掛けてくるだろう。
監視映像の戦闘スタイルをみてバーキロンはそう考えた。
厄介な加速に対策を立てて、自分の得意分野で勝負を仕掛けるにはどうすればいいか。
考えた末に、ロッキーの技術に頼ることにした。
そして出来上がったのが右目に搭載したカルジェストエンジンだった。
「ああ、そうじゃ。言うのをすっかり忘れておったわ」
ロッキーが思い出したように言った。
その拍子にマリモのような髪の毛が大きく揺れる。
「カルジェストエンジンが演算処理に要する容量は途方もない。じゃから≪人類の叡智≫との併用はできん」
「それはしょうがないです。多少のデメリットは覚悟していましたから」
「それとついでに頼まれていた≪人類の叡智≫の遠隔操作なんじゃが、演算代替にしようとしていたアカシックレコードにアクセスできんくなった。完全にネットワークが独立しておる」
「それじゃあ≪人類の叡智≫を外部においての操作は……」
バーキロンは険しい表情を浮かべる。
ここに来る前までは、コバルトから奪った≪人類の叡智≫は自身に内蔵していた。
以前に訪れたときに新たな演算処理機と共に、ロッキーに埋め込んでもらったことがつい最近のように思える。
だが先日、サセッタの本拠地に乗り込むことが決まり、万が一のことを考えて遠隔操作に切り替えることにしていたのだ。
理想を成しえるには必須の切り札だ。
そうやすやすと失いたくはない。
遠隔操作ができないとなれば、とバーキロンが考えを巡らせようとした時
「いや、一応希望通りに遠隔操作はできるようにはしたが……。が、やはりどうしても急造のコンピューターだと処理性能が落ちる。以前に話したように遠隔操作の場合、≪人類の叡智≫の性能が大幅に落ちるのは覚えておるな?」
「もちろんです」
「まず人数の制約。ワシの作ったコンピューターで、催眠にかけるのは一人が限界じゃ。そして発動条件の制約。以前は三つほど即時支配できるトリガーがあったと思うが──」
≪人類の叡智≫の発動条件に思考を切り替える。
一つ、目を合わせること。
二つ、五秒相手の体に触れておくこと。
三つ、会話を二十秒続けること。
このどれか一つでも満たせば≪人類の叡智≫の催眠下の元、操ることができる。
操られた者は、その行動原理を疑うことなく己の意思によるものと錯覚する。
使いようによっては感情を操ったり、幻を見せることさえ可能だ。
「──今の状況じゃと五秒以上相手に触れておくことでしか、催眠下に入れることはできん。これが気に食わないようであれば、もう一度おぬしに内蔵し直すが……。どうする」
バーキロンはしばらく考え込む。
彼の中では今後のことを見据え、精査に天秤の秤を見極めていた。
確かに制約することのデメリットは大きい。
発動条件が三つから一つに、しかもそのトリガーは“五秒”ではなく“五秒以上”。
不安定な発動時間に、相手に触れて続けておくことのリスク、さらには対象者が一人のみという本来の≪人類の叡智≫の性能から大きくかけ離れた。
制限なく自在に操っていたコバルトと雲泥の差である。
だが──
「このままで大丈夫です」
バーキロンは考えをまとめ上げたうえで、そう答えた。
彼の守りたいもの──それは母国ドセロイン帝国を正常に戻すこと。
一部の貴族たちが富を独占し、そのほかの民は有象無象と切り捨てる
命に価値はなく、あるのは独善的なまでの己の利益だけ。家畜のように生身の人間を売り買いし、用済みとなれば殺す。
非合法の地下格闘技場などではそういったことが当たり前のように起こっている。
それが今のドセロイン帝国、バーキロンの生まれ育った国なのだ。
そしてその筆頭に立っているのが、六戦鬼ボリス。
全ての元凶にして、人造人間こそ絶対的存在という価値を決めたのは他ならぬ彼だった。
強欲の塊である彼は、ドセロイン帝国の守護者になってから全ての権限を自らの一言で行使できるようにした。
それはドセロイン帝国王すらも影に落とすほどだった。
六戦鬼のボリスはドセロイン帝国において絶対的な存在といえた。
だからこそバーキロンはそこを逆手に取ることにした。
全ての権限がボリスにある。
価値観はすべて彼の一声で決まる。
であれば、なにも外堀から埋めることなく催眠にかける人物は一人でも問題はない。
多少発動条件がネックだが、サセッタ本拠地襲撃でいくらでもその隙はできるだろう。
なにせサセッタを一人残らず殺すために帝国統王が切ったカードは、50万超の軍隊と六戦鬼全員の出陣。
双極帝国戦以来の最大戦力とも言えるメンツだ。
それなりの動乱は起こると予想できる。
必ずそこでボリスに隙が生まれる。
だが相手は六戦鬼。チャンスはあっても一度。
しかしバーキロンはそれを成し遂げるだけの覚悟はすでに持ち合わせていた。
それはあの日、名もなき孤児院の男の子を殺めた時から。
血を吸った誓いの布を右腕に巻いた時からずっと燃やし続けてきた想いだった。
──俺はやらなければならない、どんな手段を使っても。
☆
ロッキーの工房を後にして、バーキロンはバイクを走らせる。
とっぷりと日は暮れて、周囲の光は宙に浮かぶ街頭だけ。
サセッタ本拠地襲撃まで残り半日。
あらゆる手段、あらゆる状況を想定し、頭のなかで念入りにシュミレートする。
常にボリスが追える範囲に位置を取ることが必要不可欠だ。
できれば背後を取れれば望ましい。
おそらく並みのセリアンスロープではボリスには敵わない。
隊長格、できればホークゲンに『やばい』と言わせた総隊長が相手であれば、それなりの隙が生じるはずだ。
そんなことを考えていると、刹那、視界の隅で何かが光った。
ドン、という衝撃音とともに放たれたのは旧式のロケットランチャーだった。
「くッ……!!」
バーキロンは腕に全体重を預ける。
そのまま飛んでくる弾に向かってバイクを蹴り飛ばし、その反動を利用して後方に距離を取る。
飛来する弾がバイクに直撃し大爆発が起こった。
衝撃で地面は大きく揺れ、火柱が天高く上がり周りを明るく照らしつける。
その瞬間バーキロンの目に映ったのは、全方位から襲い掛かってくる男たちだった。
ざっと見るだけでも十人以上はいる。
手に握られているのは鈍色にひかる刃物。大きい獲物で一メートル弱の刀、一番小さいものでサバイバルナイフと形は多種多様だ。
「死にされらせェ!」
一人が太刀を振るう。
バーキロンはそれを躱し、同時に腰から電子剣の柄を引き抜く。
起動音と共に、光り輝く刀身を男の背後から突き刺す。
その瞬間、鮮血が噴水のように噴き出した。
──生身の人間!?
だが驚いている暇はない。
バーキロンを襲う刺客が次々と迫りくる。
それを華麗に受け流して確実に仕留める。
横からくれば腕を掴み、味方同士にぶつけさせ連携を遅らせる。
背後からくれば電子剣を地面に突き刺し、棒高跳びの要領で宙に浮き、重力と共に真っ二つに切り裂く。
金属と電子剣がぶつかり合うたびに明るい花が咲き乱れる。
その数の多さに徐々にバーキロンの余裕がなくなっていく。
──多すぎる! まだ20人はいるぞ!!
十人殺しても、なおその倍の人数がバーキロンに立ちはだかる。
片手剣の切っ先が頬をかすめ、大剣があやうく腹を貫きそうになる。
「クッソ!!」
バーキロンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
苦戦しながらも15人目の腹を電子剣で貫いた。引き抜いて正面から迫る敵に応戦しようとしたその時、
──抜けない!?
見ると、まだかろうじて意識を残した男が、バーキロンの電子剣の柄を握りしめていた。
「死ねぇぇええ!!」
正面から男が斧を大きく振りかぶる。
さらにバーキロンの左からも短刀を握った男が。
背後からもトライデントで串刺しにしようと襲ってきていた。
──クソッ! いきなり本番で使いたくはなかったが仕方ない。
バーキロンは両目を閉じ
「カルジェストエンジン、起動!!」
カッと右目を見開き、搭載したばかりのシステムを始動させる。
その瞬間に360度全ての視界が開けて見えた。
続いて襲い掛かってくる三人の、二秒後の未来予測図が導き出される。
バーキロンは不敵に笑った。
大胆にも唯一の武器である電子剣を手放し両腕を自由にする。
刹那の間に針の隙間ほどのスペースを縫って斬撃を躱す。
そこに空いた両手を使って攻撃の軌道を逸らし、その全てが味方同士の急所と貫くよう誘導した。
果たしてそれらの斬撃は、バーキロンの目論見通り襲い掛かってきた三人にそれぞれ直撃する。
「ゴハッ!!」
その隙にバーキロンは敵の腹から電子剣の柄を抜き取り、刀身を光らせ瞬く間に三人の首をはねる。
「……なるほど。これはいい、さすがロッキーさんだ」
「てめえ! 何しやがった!!」
その後も次々と襲い掛かってくる敵を、二秒後の未来を支配することで圧倒してく。
元々あった剣技に、カルジェストエンジンが付け足され、まさに鬼に金棒。とてもではないが、一介の生身の人間が立ち向かって勝てるわけがない。
今のバーキロンは手に取るように相手の動きが分かる。
相手がどこに来るか分かっているのなら、その予想図に合わせて電子剣を振りぬくだけだ。
子供でもできる。
その作業とも呼べる戦いを繰り返すこと三分。
30人いた敵は、残すところ一人となっていた。
「ぬおおおおお!!」
男が吠えながらバーキロンに向かってくる。
最後も同じようにカルジェストエンジンを起動させたまま、戦いを終えようとする。
だがその時、バーキロンの視界に一瞬ノイズが走る。その瞬間、意図せずしてカルジェストエンジンが強制的に演算装置から切り離され、機械を通してみていた視界から普段の感覚に戻る。
起動し続けたことによって情報過多となり、バーキロンに搭載している演算機での処理が一時的な限界を迎えたのだ。
結果として、このままでは生命活動に支障が出るため安全装置が作動し、カルジェストエンジンをシャットダウンしたのだった。
バーキロンは一瞬動揺したが、即座に切り替えて最後の一人を切り捨てた。
電子剣を腰に戻し、周囲を見渡す。
もはやだれ一人としてうめき声をあげる者はいない。
完全に一切の油断なく、バーキロンは襲ってきた男たちを返り討ちにした。
「起動し続けられるのは三分前後か。サセッタと戦う前に確認出来てよかった」
満足げにそう呟く。
帰路に着こうとバイクを探すが、最初に破壊されたことを思い出した。
さてどうしようかと考えていたところに、上空から拍手をする音が響いた。
「さすがだ、バーキロン。やはり君は優秀な人材だ」
バーキロンは素早く電子剣を引き抜き、臨戦態勢をとる。
「──ボリスさん。これはあなたの差し金ですか」
見上げる先には、三日月を背負って宙に浮かぶ六戦鬼の姿がそこにあった。
両手をポケットに突っ込みながら、見下すようにして邪悪な笑いを浮かべる。
「まあそんなところだ」
「……なぜ」
「お前の実力が知りたいと、ドン・サウゼハスから直々の命令が下った。俺はそれを実行したにすぎん」
バーキロンの目が見開かれる。
「一介の隊員にそんな……」
「まあ、俺もそう思ったが、アダルット地区の報告といい今回の本拠地特定といい、帝国統王の目に留まるには十分だ。喜べ、バーキロン。知と武、両方を兼ね備えたお前はその年にして、マセライ帝国への出向が 今この瞬間に決まった」
ボリスは両手を広げ嗤った。
月光を背負い天に立つその姿は、悪魔が羽を広げたかのようだった。
その啓示はまさにバーキロンにとって悪魔の囁きであった。
あくまでも彼の理想、守りたいものはドセロイン帝国の安寧。
正しき政治に、正しき価値観を根付かせる。
それが全てだった。
そのために今日まであらゆる手を使って、狡猾に立ち回ってきたのだ。
順調に帝国内での立場を確固たるものにし、≪人類の叡智≫を使いライバルを蹴落としてきた。
このままいけば、もう少しで理想に手が届くところまで来ていたのだ。
しかしそれはたった今、悪魔の言葉によって大きく引き離されそうになっている。
「バーキロン、お前の籍は完全にドセロイン帝国からマセライ帝国へと移される。俺がそう推奨しておいた。帝国統王も快く受け入れてくれたぞ」
バーキロンは目の前が暗くなっていくのを感じた。
唇が震え、現実を受け入れられなくなる。
嘘だ。そんなはずはない。
何度も心の中で繰り返す。
「どうした、喜べよ。お前の望んでいた出世コースだ。これからは一生、マセライ帝国で安定した生活を送れる。羨ましいねえ、歴史に残るヘッドハンティングだ」
バーキロンの立てていた計画が全て裏目に出た形となった。
否、自然とそうなったわけではない。
目の前の六戦鬼──ボリスがバーキロンの計画を逆手にとって、この結末を用意したのだ。
拳をつぶれるほど強く握りしめ、唇をかみしめる。
──やられた。完全に先手を打たれた。
ぶつけどころのない苛立ちが感情を埋め尽くしていく。
そんなバーキロンの内心を見透かしたかのようにボリスは嗤う。
「前にも言ったろ、お前は必死すぎると。裏で随分と動いていたようだが、所詮は俺の用意した箱庭の中で暴れていたにすぎない。だがまあ、お前の野心は随分と良い酒の肴になった。俺を楽しませる余興に貢献したことを誇りに思うがいい」
「……ッ!!」
バーキロンは今からでも何か打つ手はないか思考を巡らす。
──ここで戦って催眠にかけるか? いや、まだサセッタ本拠地の襲撃の時にチャンスはあるかもしれない。マセライ帝国所属になるかもしれないが、総勢50万人だ。俺一人が勝手に動いたところで、戦いが始まれば誰も分からないだろう。その時まで待つか……。
しかし、またしてもボリスはバーキロンの考えを先読みする。
「ああ、そうだった。ひとつ言い忘れていた。お前は他に類を見ない優秀な人材だと帝国統王に伝えておいた。特に護衛に関しては抜きんでているとな。だから悲しいかな、お前は俺たちと共にサセッタ壊滅作戦に同行できないだろう」
今度こそバーキロンに絶望という二つの文字が重くのしかかった。
もはや手の打ちようがない。
出し抜くために用意しておいた抜け穴が、全てふさがれている。
ボリスの言った通り、完全に手のひらで弄ばれていただけだった。
十年かけて描いてきた積み上げてきたものが、一瞬にして虚無へと吸い込まれていく。
同時に、悔しさ、悲しみ、絶望、あらゆる負の感情がバーキロンを支配していく。
それは憎しみとなって、ボリスに向けられる。
──こうなったら、刺し違えてでも……!!
距離にして十メートル、そこからさらに五メートル上空に立つボリスを睨みつける。
しかし──
「なんだ、その目は。不敬だ、地に伏せて詫びろ」
ボリスが手を突き出すと、バーキロンの立っていた地面が見えない力で押しつぶされたかのように丸く凹む。
それと連動するようにバーキロンの体も地面に引き寄せられ、瞬く間にアスファルトにめり込む。
指先一つ動くことが許されない。
体中が軋み、今にも壊れてしまいそうだった。
「ゴッ……ァ!!」
強力な引力によって、言葉一つ放つ余裕さえない。
これこそが六戦鬼 ボリスの≪人類の叡智≫
『無天繚乱』
重力を操ることを基本とし、引力・斥力を自在に操る能力。
殺傷力・攻撃範囲は六戦鬼の中で最大規模である。
双極帝国戦争では一度に2500人を圧殺した伝説を持ち、最強の名を欲しいままにしていた。
最強最悪の六戦鬼、それがこの男ボリスの正体だった。
──俺が知と武を兼ね備えている、か。どの口が言うんだか……。
バーキロンは心の中で悪態をついた。
徐々に心が憔悴していくのをどこかぼんやりと感じていた。
☆
ドセロイン帝国に立ち並ぶ高級住宅街の一角。
薄暗いその部屋に、人ひとり入れるほどのカプセルが、ポツリと寂しく置かれている。
卵型のそれは点滅を繰り返して、与えられた使命を終えたことを示していた。
そこにメイド服を着た一人のお手伝いが、差し込む光と一緒に入ってくる。
なにやら近くに浮かぶキーボードに入力動作を始めたようだった。
それは無線で空間を伝達し、カプセルの蓋を開ける信号を送った。
プシューという炭酸の抜けたような音のあと、白い気体が地面に広がる。
のそりと開いたカプセルの中から、一人の人相の悪い男が出てくる。
見る人すべてを不快にさせるような、そんな面構えだ。
ぼってりとした中年太りが、嫌悪感をさらに募らせる。
その男はメイドが差し出した軍服を奪い取ると、いきなり感情任せに蹴りつけた。
「このウスノロがッ!! 復活させるのにいつまでかかっている!!」
「も、申し訳ありません……」
「くそ、使えない奴だなッ!!」
嫌悪感の塊のような男はメイドに唾を吐き捨てる。
そして闇を見つめ叫ぶ。
「あのガキ、それとバーキロン……。見つけ出して殺してやる!!」
そいつはアダルット地区でシオンに完膚なきまでに叩きのめされた男。
そして部下であったバーキロンの手によって一度死んだ男。
まさしくカースその人だった。