六十七話 問答
様子見で、あと一日の安静を医者から言われたシオンは、病室に戻りベッドの上に腰掛けた。
ドセロイン帝国のカースと戦って以来の病室のベッドに、どこか懐かしさを覚えた。
付き添いで来ていたデヒダイトも、同じようにシオンの病室に入る。
「第一帝国戦、終わったんですよね」
シオンがふと思い出したように言った。
デヒダイトは小さく頷き「あぁ」と唸った。
第一帝国戦が終わってから二日が経過していた。
サセッタの奇跡的な勝利の知らせは、瞬く間に全世界を駆け巡った。
マセライ帝国に弾圧されてきた人々は、陰で拳を握り喜びを分かち合った。
だが、肝心のHKVによる死を避けることができたわけではない。
この結果は、あくまで一歩前進したに過ぎないものだ。
一刻も早く人造人間技術を秘匿する、マセライ帝国を潰さなければ意味がない。
だから、人々は期待した。
内乱によるマセライ帝国の崩壊を。
電波ジャックで示された帝国側の陰謀―――C.C.レポート実行における柱、統括管制室が実在するということを、この第一帝国戦で証明したのだ。
これで内乱が起こらないわけがないと。
HKVの元凶でもあるこの国が、内部から滅びていくと、誰もがそう思った。
しかし、ヌチーカウニー帝国制圧が世界に拡散されたのは、完了してから三時間後。
情報が帝国民に届く前に、マセライ帝国やその属国であるドセロイン帝国とロンザイム帝国は人造人間に対し、既に統括管理による記憶操作を行っていた。
結果として人造人間からは『統括管理』という情報が抹消され、『サセッタがヌチーカウニ―帝国を制圧した』という出来事のみを知ることとなっていた。
これに対して、人造人間になれない人間たちは怒りを露わにした。
どこまで人としての尊厳を踏みにじるのかと。
どれだけHKVの恐怖に怯えなければならないのかと。
だが、一念発起して暴動を起こしたところで、一瞬で鎮圧されるのは目に見えている。
人造人間はもはや人間を人として見ていない。
反乱軍から生きたまま捕まれば、むごたらしく利用されるだけされるのは身に染みて理解している。
だから、彼らはもう一度期待するしかなかった。
サセッタの奇跡に。
明日を生きる希望を託して。
「だが、失ったものの方がでかい」
希望に影を差すようにデヒダイトは言った。
「エクヒリッチ隊の全滅は、正直なところサセッタにとって大きな痛手だ。奴らは傍若無人ではあったが、間違いなくサセッタ最強戦力だった」
「……そうですね」
「奴らを殺ったであろう少女についても解体して調べたが、通常の人造人間よりも性能がいいというだけで、≪人類の叡智≫のような特殊なものは組み込まれていなんだ」
エクヒリッチ隊の全滅と、謎の少女が残した傷跡は、サセッタにとって大きな負の遺産となっていた。
すなわちこれが意味するところは、主戦力を削がれ不安要素を残した状態で、残る三帝国と六戦鬼を相手取ることに他ならない。
「まあ、サセッタ全体の問題としては六戦鬼含め、そこらへんをどう対応していくかだろうが、俺の隊にも一つ問題がある。―――心当たりがあるな、シオン」
「……」
「なぜガルネゼーアを見捨てた」
病室が水を打ったように静まり返る。
シオンはアイネを助ける少し前、ガルネゼーアと共に居た。
丁度、敵兵の増援が到着するまでの間だったが、その際にシオンは彼女を置いてアイネの元に駆け付けたのだ。
その時のシオンは、ガルネゼーアであれば、その場に駆け付けた敵兵の十倍以上が来たとしても撃退できると考えていた。
その考えは今も変わっていない。
現に、ガルネゼーアは無傷で第一帝国戦を終えている。
しかしながら、デヒダイトがそんなことを聞いているのではないということは、目を見れば明らかだった。
「さっきもドクターの前で言ったと思うが、仲間を見捨てることは論外だ。お前がアイネやノイアのことを気にかけているのは知っている。だが、そのために他の仲間を見捨てていい理由にはならない」
組織に属している以上、輪を乱す動きはほころびを生み破滅を導く。
それがレジスタンスという不安定な組織ならばなおさらだ。
あの場でのシオンの成すべきことは、ガルネゼーアを見捨てるのではなく共に戦うことだった。
だが、もちろん例外もある。
強大な権力と軍事力を持つ帝国と対立するサセッタは、時として個よりも組織を優先しなければならない。
その際に限っては、仲間を見捨てることすらも是とする。
それはサセッタに入っている誰もが心得ているものである。
非情ではない。
その時が来れば、潔く切り捨てる覚悟を持ち合わせ、潔く切り捨てられる覚悟を持ってなければならない。
一瞬の迷いが、組織として命取りとなるからだ。
しかし、今回のシオンの行動は組織として行ったものではない。
あくまでも個人の情が原動だ。
「サセッタにいる以上は、命は皆平等だ。誰かだけを特別扱いすることはあってはならん。それが出来ないというのであれば、脱退も考えてもらわねばならん」
デヒダイトのその言葉に、しかしシオンは反応を示さなかった。
そこに「シオン、いるー?」という声が廊下から響いてきた。
そのすぐ後に、アイネとノイアがドアから顔を覗かせた。
それを見てデヒダイトは最後にシオンにだけ聞こえるよう
「情に左右されて何かがあってからでは遅い。与えられた任務を全うしろ。最初に問うたはずだぞ、駒となって戦うことの辛さは想像を絶すると。お前なら理解しているはずだ、よく考えて行動してくれ」
それだけを言い残して、アイネ・ノイアとすれ違いで部屋を出ていった。
「デヒダイトさんと何話してたのよ」
アイネはデヒダイトが出て行った扉から、視線を戻して尋ねた。
「……別に大した話はしてないよ。いつもの雑談さ」
「ふーん」
「んで、何しに来たんだよ、二人そろって」
シオンはベッドの上で胡坐をかきながら言った。
「お見舞いだよ。まあ、もう大丈夫だとは思うけど、一応ね」
ノイアは手に持っていたバナナを房ごと渡す。
「お、おう。あ、ありがと……」
突然のバナナに戸惑いながらも、有り難く頂戴する。
特に何の包装もされてないため、ひんやりとした皮の感触が肌に伝わってきた。
「そういえばノイア、お前も手 ケガしてただろ。大丈夫か?」
シオンはふと思い出したように言う。
「うん、だけどシオンと比べれば大したことないよ。今は痛みもほとんどないし、やっぱセリアンスロープってすごいよ」
ノイアは包帯を巻いた左腕を軽く振った。
「でも、シオンが銃で胸を打たれたって聞いたときは焦ったよ。あの時のアイネは、今までに見たこともないくらい真っ青だったし」
ノイアがその知らせを受けたのは、第一帝国戦が終了してからすぐだった。
アスシランに運ばれて治療を受けていた時に、担架でシオンが救護施設に運ばれてきた。
幸いコェヴィアン隊の応急措置のおかげで命に別状は無かったが、その時のアイネの顔は、文字通り顔面蒼白の面持ちでシオンの手を握っていたのだ。
唇は震えて、祈るように謝り続け、最終的には目の覚めたシオンが「逆に迷惑」と言うまでそれが続いていた。
長年一緒にいるノイアですら、あのような衰弱した表情を見せるアイネを見たことは無かった。
「ほんとにごめんなさい、シオン。私のせいよね、戦いの真っ最中だっていうのにボーっとしちゃって……」
白い病室に、何度目かのアイネの暗い声が吸い込まれていく。
「アイネがぼーっとするなんて、体調でも悪かったの?」
ノイアが肩を落とすアイネを心配そうに見る。
「……ほんといきなりだったのよ。体が私のものじゃないみたいに動かなくなって……。検査もしてもらったけど特に異常は無かったし、さっき軽く動いてみたけど、いつも通りだったわ。お医者さん曰く、ただの目まいだろうって」
「きっとアイネは疲れてただけだよ。第一帝国戦に備えて、ずっと能力の訓練してたでしょ。たぶんそれだよ」
「うん……。でも、疲れとは何か違うような気がしたんだけど」
アイネは何か気になるのか、歯切れの悪い言い回しだ。
会話を聞いていたシオンは、いったん目を閉じ、小さくうなずく。
やがて眼を開けると
「―――アイネ、もう救世主ごっこは終わりだ。十分満足したろ」
「……え?」
「当初の予定は孤児院の皆で、サセッタに匿ってもらうことだったはずだ。戦うことじゃない、忘れたのか?」
僅かに固い口調でアイネに問いかける。
「なっ、なによ今さら」
「ホントは止めとくべきだったんだ。だけど、あの時の俺はどうしようもないくらい悪い賭けにのってしまった。それも今回で限界が見えた、これ以上の賭けは無駄だ。失ってからでは遅い」
サセッタに入るおよそ半年前、あの時も同じような病室だったとシオンは思い返す。
孤児院の仲間たちが死に、帰る場所が無くなりどうしようかとあぐねていた時に、アイネが「サセッタに入って戦う」と言いだしたのだ。
これが全ての始まりだった。
その時のシオンは決して乗り気だったわけではない。
しかし、アイネなら何か自分とは違った世界を魅せてくれるのではないかと。
暗闇から再び陽の当たる場所に引き戻してくれた彼女ならあるいは、と不覚にも魔法にかかってしまった。
だが、その魔法ももう解けた。
夢から覚める時なのだ。
「今回はたまたま間に合ったから良かったが、次は間に合わないかもしれない。死んだら終わりだ。理想を追い求めることさえできなくなる」
シオンは諭すように言う。
「脱退しよう、アイネ」
アイネを庇って重傷を負ったことを利用することで、強くは言い返せないだろうと踏んで。
これで諦めてくれと言わんばかりに。
しかし
「……脱退はしない」
アイネは呟いた。
左腕に巻いた赤い布をギュッと握りしめる。
「自由を勝ち取るために私は戦ってるの。皆が笑って過ごせる世界にしたいの。そのためなら死んでもかまわないわ。絶対に後悔はしたくないから」
ぴしゃりと断言され、シオンの心が黒くざわつく。
「助けられた奴が言うセリフじゃねーぞ」
「……ッ、誰も助けてほしいなんて言ってないでしょ! シオンが来なくても何とかなってたわ!」
売り言葉に買い言葉、アイネも我を忘れて言い返す。
「能力をまともに使えるようになってから言ってくれ」
「使えるわよ! 私がどれだけ―――」
「ならアイネは覚えてるか!? お前は体勢を崩す直前、全方向に稲妻をまき散らせてたんだぞ。あれはワザとだったってことだな!?」
突然のシオンの大声に、アイネだけでなくその場にいたノイアも固まる。
静まり返った病室の空気が、興奮したシオンを我に返らせる。
「……覚えてないなら、それはたぶん能力の暴走だ。そんな奴が仲間内にいたんじゃ、成功するものも失敗してしまう」
シオンは遠回しに言っているが、それはすなわち“足手まといだ”と言っていることに他ならない。
お前がいることで理想が遠ざかると、暗にそう示しているのだ。
事実、アイネにはそのときの記憶がなかった。
意識が遠くなり、目の前が真っ暗になったところまでは覚えている。
気が付いた時には吹き飛ばされ、近くに血だらけのシオンが倒れていたのだ。
故に、シオンのその言葉は理想に生きるアイネに酷すぎた。
それは生きる糧ともいえる希望、そして彼女を作り上げてきた過去を否定することだ。
アイネは精いっぱい言葉を絞り出す。
「訓練すれば……暴走しないように―――」
「無理だな」
シオンは言い切った。
「『神雫(ティア―)』の適合率がアイネだけ異様に低かったろ。そもそもアイネの体に合う力じゃないんだよ」
その言葉で病室から完全に音が消え去った。
秒針も、鼓動も、すべてが時空の彼方に置き去りにしてしまったかのような感覚だった。
シオンは固唾をのんだ。
この考えは完全にブラフだった。
理屈と膏薬はどこへでもつくとはよく言ったものだ。
シオンはたまたま思い出したことを、それらしく言ったに過ぎなかった。
全ては諦めてもらうため。
そしてアイネを救うため。
だが、そんなシオンの想いは届くことは無かった。
アイネは大粒の涙をため込み、すすり泣く。
「……なんでそんな酷い事こと言うのよ」
「俺は──お前に死んでほしくないんだ」
「いつもみたいに『悪くねえ賭けだ』って言ってよ! なんで……、どうして……」
言葉にできない感情が涙となって頬をつたう。
シオンの『悪い賭けじゃねえ』という口癖。
アイネはその言葉が好きだった。
現実を知って、絶望して、裏切られて、それでも絶対に諦めないその言葉が。
表には出さなかったが、その言葉にいつも勇気づけれられて来たのだ。
自分で選んだ道が不安だったとき。
本当にこの選択が後悔の無い選択なのか。
だが、そんな先の見えない暗闇を後ろから照らしてくれたのは、いつだってシオンだった。
適合率が低かった時も、目の前が真っ暗になったのを今でも鮮明に思い出せる。
絶望で鼓動が早鐘を討ち、手足が震えていたにちがいない。
それでも強がれたのは、あの時シオンがいてくれたからだ。
好きだったその言葉をかけてもらえたからだ。
サーモルシティーの時もそうだ。
瓦礫の下でバーキロンに胸を張って、自分の守りたい理想を言えたのはシオンが信じてくれたからだ。
どんな時だって、自分の道を間違いのないものだと信じることができたのは、シオンがそう言葉をかけてくれたからだった。
だが、今は──
「あなただけはどんなに可能性がなくても、信じてくれると思っていたのに……」
アイネは唇をきゅっと結んで、そのまま病室を飛び出していった。
病室には重苦しい空気の中、シオンとノイアが取り残される。
しばらく無言の時間が続く。
やがて沈黙をやぶったのはノイアだった。
「シオンの言ってることは正しいよ。話を聞く感じ、シオンが来なきゃアイネはたぶん死んでたもん」
「……」
「まだまだ未熟だし、上手く能力を操れない時だってある。僕もそうだもん。だから血のにじむような特訓してるんだし、能力を使えるように努力してるんだよ」
「お前やアイネが努力してるのは知ってる。だけど、本番で足枷になったら本末転倒だ」
シオンは苦々しく言い放ち
「死んだら……終わりなんだぞ」
力なくつぶやいた。
だが、ノイアはかぶりを振る。
「それを分かった上で、どうしても守りたいものがアイネにはあるんだよ。たぶんシオンは第一帝国戦で、僕やアイネなんかよりもはるかに多くのことを感じ取ったんだと思う。だから突然そんなことを言い出したんだよね」
「違う……、俺はただ―――」
「でもシオンも分かってるはずだよ。ほら、アイネは頑固だから、一度決めたら中々曲げないでしょ。シオンがどんなに理屈で言い聞かせても、きっとアイネは道を変えないと思うよ」
ノイアは無邪気に笑ってみせた。
「だからシオンもいつもみたいに言ってあげてよ。『悪い賭けじゃねえ』って。二人がそろえば、どんなことだって乗り越えていけるって信じてる。だって、そんな二人に魅かれて僕はここにいるんだから」
☆
アイネとノイアが出て行ってから、シオンはただ虚空を見つめていた。
いったいどれほどの時間が経っただろう。
おそらく現実時間の三倍は体感で感じているに違いない。
ベッドに腰を掛け、同じ姿勢から微動だにしないでいると、まるで自分だけが時間に置いて行かれているようだった。
「やあ、シオン君。お疲れだね」
そこにひょっこりと姿を現したのはアスシランだった。
相変わらず後髪が大げさに跳ね上がっている。
「どうしたんですか」
「なあに、喧嘩して落ち込んでるシオン君に、差し入れを持ってきたのさ」
じゃじゃーんと言って、隠していたエコバックから取り出したのは、口元に当てるマスク付きの小型ボンベとペンのような機材だった。
「なんですか、これ」
「シオン君が今後も戦えるように用意した補助アイテムだよ」
アスシランは意味ありげにウインクをした。
まずは小型ボンベを手に取る。
「こいつは特殊な医療用気体でね、吸い込むと肺の酸素吸収効率を大幅に上げてくれるんだ。息苦しくなった時に使うといいよ」
そう言ってシオンにマスク付きのボンベを押し付ける。
そのまま口を挟ませないように、次の商品紹介へと移る。
「そしてお次がこれ。一見してただのペンのようにも見えるけど、体に押し当てるとあら不思議。セリアンスロープの基礎能力を活性化して、あっという間に傷を治しちゃう優れものさ。ただ、三本しかないから使うタイミングは気をつけてね」
軽やかにペン回しを手のひらに繰り出して、シオンの胸ポケットに入れる。
「直接患部に当てないと意味ないんだよねえ。肺はもう傷ふさがってるし、小型ボンベはその代替品さ。もっと早く開発できればよかったんだけどね」
軽やかな口調でアスシランは言った。
ただ、シオンはあまりに唐突な展開についていけず、困惑の表情を浮かべる。
「え、えーっと。アスシランさんって肺のこと知ってましたっけ? デヒダイトさんに聞いたんですか?」
「いや? 僕はただ君がこうして大けがをすることを、予見していただけだよ。第六感でね」
アスシランの持つ『第六感』―――様々な制約はあるものの、その直感精度は未来予知にすら相当する。だがそれは限定的な使い方でしかない。その領域は自分のいる時間軸上よりも前、すなわち過去すら“視る”こと可能だ。
セリアンスロープのモデル生物とはまた別の特殊能力であり、アスシランのそれは実質的にシオンと同じようなマルチタイプに分別できる。
「たまたま知り合いに凄腕の科学者がいてね、だから急いで作ってもらってたんだ。なあに、心配はいらないよ。なにせこれらを作ったのは、あのノータルスター研究所でトップだった男だ。間違いはない」
おどけた表情で何ともないように言う。
「ど、どうも」
押され気味になりながらシオンは言った。
「まあ、こいつらの第二帝国戦でありがたさが分かってくるよ。今の君は自分が思っている以上に動けないだろうからね。それまで大事に取っておいて」
そう言って背中を軽くたたいた。
おしゃべりと感謝の押し売りに満足したのか、アスシランは部屋の出口に向かう。
そのまま出ていくのかと思いきや、取っ手に手をかけたところで、踵を返しシオンを見る。
その表情はさっきまでのおどけた表情とは打って変わって、真剣そのものだった。
「ただね、さっきも言ったけど、これだけは覚えておいてほしい。『回復ペン』の使うタイミングだけは気を付けるんだ。在庫はそれ限りだからね」