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六十六話 代償

挿絵(By みてみん)




俺は一回死んでいる。

父に裏切られ、母を見捨て、生きる意味を失った俺は、確かに一度死んだんだ。

淡い泡沫と濁流の中に身を飲み込まれ、俺は何者でもなくなり自分の存在を見失った。


「大丈夫だから。ぜったいに、ぜったいに助けるから!」


闇の中で、そう誰かが言っているのが聞こえた。


もういいよ、ほっといてくれ。

助かって俺に何の価値がある。

誰も俺を必要としていない。

俺は誰も必要としていない。


俺は失った。守ると決めたもの全て。


だけど、その声はしつこいくらい俺を生へと引き寄せた。

その声が聞こえるたびに、乾いた心に清らかな水が流れ込んでくる。

黒いものに絡めとられて沈んでいった体が、一つ一つほどかれ光に近づいていくようだった。


でも、俺は怖かった。

その光は俺には眩しすぎるんじゃないかと。

過去の過ちを再び犯してしまうのではないかと。


だが、その声の主は、怯える俺を優しく包み込んでこう言った。


「大丈夫、シオンは失敗しない。『私を信じて』」


その言葉が、かつて守ると決めていた人と重なり、俺の壊れていた心に再び生きる灯をつけてくれた。


「私を守って。どんな時でもいい、どんな瞬間でもいい。私の心が折れそうな時、私がピンチになった時、私の魂が穢されそうになった時。必ずシオンが駆け付けて、私を守って」


その言葉が、俺に存在価値を与えてくれた。


虚無だった俺に、色を与えてくれたのはアイネだ。

アイネは命の恩人、いやそれ以上の大切なもの。

俺の命を投げ出しても惜しくはない。


そうだ。

だから、俺はアイネをどんな形であれ絶対に護り抜く。


そう―――心に誓ったんだ。







「まったく、呆れるわい。ついこの間、五か所骨を折ったと思ったら、今度は全身はく離骨折・粉砕骨折のオンパレードの上、胸に穴まで開けて帰ってくるとは……」


サセッタ本部、医療機関の無機質な診察室の一角。

ベットの上にはシオンがおとなしく仰向けになり、その側では壁に寄りかかりながらデヒダイトが眉間にしわを寄せている。

全身包帯を巻いたシオンの体を念入りに調べながら、白い髭を綿のように口元に蓄えたドクターは言った。


「医療チームのコェヴィアン隊がいなかったら、お前さん死んどったぞい」


老眼鏡の奥から、警告の眼差しでシオンを見据える。


「今回はお前さんのセリアンスロープとしての回復力だったり、いろんな偶然が重なって助かったのを忘れてはならん。一歩間違えれば……、おい、聞いておるのか」


シオンはその言葉にハッとする。


「す、すみません、少しボーっとしてました」


「はあ……。この調子じゃ、またここに来そうじゃの。おい、デヒダイト。お前からも言ってやれ、一応直属の上司じゃろ」


付き添いで来ていたデヒダイトは、話題を振られると気まずそうに頭をかく。


「あぁ、そうだなあ。確かに自分の身を死に追いやるようなことは褒められはせんが、かといって仲間を見捨てるのは論外だ。まあ、だから、俺としてはアイネを助けたこの件は不問にするつもりだ。幸いにも助かったことだしな」


「ふぅ……。部下も部下なら上司も上司か。ワシには理解できんな。己の命より優先するものなんて、ないじゃろうに」


ドクターは座っているキャスター付きの椅子を滑らせて、机の上に設置してあるパソコンに向き合う。

シオンはゆっくりと上半身だけを起こして


「―――それでも、護りたいものがあるんです」


小さく呟いた。


「護りたいものがあるんなら、死んだらいかんじゃろ。……っと、これでよし。ほれ、これを見ろ」


ドクターの声と共に机に浮かび上がってきたのは、1/30スケールのシオンを模った立体映像(ホログラム)

表層が透け、臓器や骨がハッキリと見て取れる。


色別立体検査機、通称CHIM。


患者を専用の機械でスキャニングし、医師の診断と人工知能Phantom-ereaMの演算により怪我の程度を立体映像(ホログラム)に投影することができる。

投影された患者の重篤度を色によって視覚的に判断し、迅速な対応を可能とする。

軽症であれば黄色、重症であれば赤色で、深刻度によってランク内の濃淡で分けられる。


そして、机の上に出現した1/30スケールのシオンには、なるほど、大きく分けて二つの色で患部が染められていた。


「これが治療する前の姿じゃ。この黄色だけでも30か所はある。そして赤色が重症の部分。色が濃いほど組織や細胞へのダメージは深刻じゃ」


黄色の軽症は手先から足先まで広く見られた。

一方で、重症の赤色は両腕の前腕と両足のふくらはぎの部分。

そして、右の胸部が最も深い赤色で染まっていた。


「四肢の骨と筋肉は、セリアンスロープでなかったら使い物になってなかったじゃろうな。まあ、心配せんでもお前さんの回復力ならすぐよくなる。―――問題は胸部じゃ」


「やけに赤黒い色をしてるな」


デヒダイトが立体映像(ホログラム)を見ながら、野太い声で言った。


「右の肺が完全に焼き切られとる、ほとんど無いと言っても過言ではない。いくらコェヴィアン隊でも臓器の再生はできんからのう」


デヒダイトは言葉を無くす。

シオンはただじっと自分の立体映像(ホログラム)を見つめている。


「二人揃ってそう深刻そうな顔をするな。安心せい、普段の生活には支障はない。もう片方の肺がその分大きくなっとるじゃろう。人間の体というのは不思議なもんでな、足りなくなった場所には何かしらの代替機能がつくもんなんじゃよ」


確かに立体映像(ホログラム)をよく見ると、シオンの左の肺の大きさが通常よりも1.5倍ほど大きく膨れ上がっている。


通常の人間ならば何年もかけて、ようやく一つの肺が二つ分の役割りを担う例はある。

だが立体映像(ホログラム)を見るにシオンのそれは、二日足らずで代替機能を果たしていることが分かる。

これは、言わずともセリアンスロープの基礎代謝能力向上ゆえの結果だろう。


「じゃが、大きくなったと言っても、一つの肺が行える酸素の吸収量には限界がある。おそらく以前のような、大幅な身体強化の能力行使はできんじゃろうな」


「……四重加速(テトラ・アクト)は厳しいと」


シオンが暗い声で言った。


「出来んことはないじゃろうが、一瞬で酸欠・息切れじゃろうな。下手したら失神もありうる。まあ、なんにせよ無理はするな。お主はまだ若いんじゃからの」




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