六十四話 光
デヒダイト隊A班―――デヒダイト、ラウン、カルーノ、ジョン。
本来ならばここにシオンが居るはずなのだが、閉ざされていたシェルターを起動させるべく個別行動を起こし先に帝国城内に行っていた。
隊長であるデヒダイトは安否確認のため、何度もシオンに通信を送っているが、一向に繋がる様子がない。
―――考えてもしょうがないか。まずはやるべきことを成さねば。
デヒダイトらA班の成すべきこと。
それはローシュタインより命を受けた、統括管制室のクラッキング。
そのために帝国城に入り込み、ヌチーカウニ―帝国に存在する全ての人造人間の動きを制御することができる、緊急用のシステムに潜り込まなければならない。
A班の四人は戦闘を回避しつつ、使命を受けてから五分後、ようやく帝国城内に侵入していた。
絶えず入り続けている通信から、戦況は既に帝国側が圧倒的に有利ということは把握している。
一刻も早いクラッキングが必要だった。
四人は全速力で帝国内の廊下を走り抜ける。
「にしても、全然エクヒリッチ隊から連絡入らないのおかしくないンゴ? 総隊長は何にも言ってなかったけど、絶対なんかいるンゴよ」
カルーノが先を走る三人に向けて言う。
A班の中で一番太って鈍足であるがゆえに、誰よりも息が荒い。
「まあ、エクヒリッチさんが連絡怠ってるってこともあるし、そんなに身構えなくてもいいんじゃないかな」
ラウンが細身の体を揺らしながら後ろを見る。
ショートカットの白い髪の毛が宙を踊り、女性のやわらかい匂いが風に乗ってカルーノの鼻腔をくすぐる。
「ん~、ラウン氏から香るこの花のようないい匂い。生まれて初めて、足が遅かったことを良かったと思えたンゴ」
「き、きもい……。ほんと気持ちわるいよ……。あとで、クロテオードさんに言いつけとくから」
「なっ!? そ、それだけはご勘弁を……!!」
カルーノが真剣に許しを懇願し始めたところで、先頭を走るデヒダイトの動きが止まる。
それに合わせ、三人も停止する。
研磨された白い石が廊下を作り、壁に彫り込まれている巨大な彫刻が、白い空間に芸術性を加えている。
その壁の一角に宝石のはめ込まれた絵画があり、見ると統括管制室に続く隠し扉が出現していた。
その場にいるA班全員が固唾を飲む。
「扉が見えてるってことは、もうすでにエクヒリッチ隊は中にいるってことですよね」
ジョンが緊張の面持ちで、デヒダイトに尋ねる。
「ああ……。だが、外の人造人間の動きが止まってないってことは、まだクラッキングは終わってはいないということ。この先に未知の何かがあるのは確かだ、気を引き締めていくぞ」
隠し扉の中に一歩足を踏み入れる。
薄気味悪い暗さだけが空間を満たし、四人の冷たい足音だけが反響する。
細い通路を進み、地下に繋がる階段を下る。
そして―――
「……止まれ」
デヒダイトが声を潜める。
咽かえるような鉄の匂い。
充満する殺気。
そしてつきあたりの角の向こうから、紅色の薄明が切れかけの電球の音と共に見え隠れする。
確固たる証拠はないが、デヒダイトは瞬時にこれが緊急事態だと察した。
本能が告げている。
これ以上先に進めば、間違いなくタダでは済まない。
おそらくエクヒリッチ隊は全滅している。
誰一人として残っていないだろう。
この先に潜む何かによって殺し尽されに違いない。
そう考えられるだけの根拠がそろい過ぎていた。
しかし―――デヒダイト達は進まねばならなかった。
仮にエクヒリッチ隊がデヒダイトの直感通り全滅していたとしても、ここで引き返すわけにはいかない。
引き返せば、外で行われている戦いが長引いた挙句に、間違いなくサセッタが壊滅する。
今更応援に加わったところで、たかが知れているというものだ。
ならば、デヒダイトらが選択する行動はただ一つだった。
どれだけの不安要素を抱えていたとしても、今ここで退くという選択肢はあり得ない。
立ち向かう。
それが先兵特化部隊デヒダイト隊にできる唯一のことだった。
デヒダイトは振り返り、後ろに待機する三人を見る。
「曲がり角の先に何があるか分からん以上は、戦闘も視野に入れておけ。今から俺が硬化して突入する。その間にラウン、お前は天井に張り付いて、俺に釣られたモノに対する奇襲準備を。カルーノとジョンはここで待機。ラウンが奇襲を失敗したとき、ジョンのセリアンスロープで動きを止め、カルーノがトドメを刺す。問題ないな?」
全員が頷く。
「よし、行くぞ」
デヒダイトが走り出す。
形印を浮かび上がらせ、全身を硬化する。
彼のモデル生物―――『サイ』のセリアンスロープの能力は皮膚硬化。
あらゆる物理攻撃を弾き飛ばし、その強度は時としてミサイルすらも耐え抜くと言われている。
その硬化した皮膚を体全体に張り巡らせ、曲がり角を飛び出す。
「な、なんだこれは……ッ!?」
その瞬間にデヒダイトの目に映ったのは、どこまでも紅に染まる地面。
壁には無数のヒトだったものが、見たことのあるコートを着て糸の切れた人形のようにピクリとも動かず横たわる。
足を動かそうとすると、ドロッとした血のりが靴に絡みつく。
薄暗く、寒く、ゴミのように端に寄せられる死体の山。
地獄絵図とはまさにこのことだと、デヒダイトは感じた。
想像の斜め上をいく光景に放心していると、ぴちゃりと前方の闇から音がした。
「誰だッ!!」
デヒダイトは臨戦体勢に入る。
その音は徐々に大きくなり、そしてついに闇のカーテンが開きその姿を現す。
「まだ沸くか、蛆虫がァ!! よくも、よくも、よくも!! よくも妾をここまで貶めてくれたのお!! 殺す、ころす、コロス!!! 皆殺しじゃ!!」
闇を裂いて出てきたのは、おかっぱの少女。
顔の半分は吹き飛ばされ、着ている着物はズタズタに引き裂かれている。
足を引きずり、右腕は腕の関節から折れ曲がり鉄の皮一枚で繋がっていた。
死闘を繰り広げた末の満身創痍であるということは、一目で理解できた。
この少女が一人でエクヒリッチ隊を殺戮しつくしたのだと、一瞬で理解できた。
「カカッ、カカカカッ!! さあて、蛆虫。おぬしはあの男のように、最後まで立っていられるかのぉ!!」
少女は感情を爆発させ叫ぶ。
刹那、少女が視界から消える。
「デヒダイト隊長!!」
天井に張り付いていたラウンが叫ぶ。
気が付いた時には、既に少女はデヒダイトの懐の中。
目で追うことも、直感で動くこともできなかった。
秒針が一つ針を進めぬ間に、少女は下駄から仕込み刃を出し、デヒダイトの首めがけて蹴りを放つ。
ドンッ!! と風が揺れる。
デヒダイトの眼が見開かれ、冷や汗が頬を下りていく。
固唾を飲み込み、目だけを首元に向ける。
紙一重。
まさに紙一枚分の隙間があるかないかの空間が、刃と首の間にあった。
「カ……カッ! 命びろ……いした、の、蛆虫。エ、ネ………ルギー……ぎ―――」
少女はそこまで言うと、ガクンと受け身を取ることなく崩れ落ちる。
鉄の鈍い音が血染めの床に鳴り響いた。
☆
「まったく、何十回倒せば君は死ぬのかな?」
ホークゲンは首を鳴らしながら、目の前に横たわるコールルイスの死体を大股でまたいだ。
床には何人ものコールルイスが朽ち果てるように転がり、六戦鬼の圧倒的強さが窺える。
戦いは熾烈を極め、磨かれた大理石にはいたるところに大穴や巨大槍が突き刺さり、人外じみた戦いが繰り広げられていたことを物語っていた。
ホークゲンは対峙するコールルイスとタモトを見据える。
「いやさ、俺の能力の隙を見つけたのはすごいと思うよ。確かに俺は三つ以上を同時対象にして可異転生は使えない。ついでに物質を変換することはできても、その運動量まで干渉することはできない。ご明察通りだ」
それを見抜いたのはコールルイスだった。
初めてタモトが腹に攻撃を食らわせたときに、ホークゲンは壁まで吹き飛んだ。
拳に纏う空気そのものには可異転生を発動させていたが、その威力までは無くならなかったからだ。
そして、ホークゲンの持つ≪人類の叡智≫―――『可異転生』は三つ以上の物質変換を同時に行うことはできない。
同じ物質への可異転生であれば無数に行えるが、異なる種類への干渉は一度に三つまでが限度。
具体的に言うと、10人のタモト隊の部下を屠った時に行った石つぶてを鉄針に変えた時。
一つ目の能力使用権で10個の石を変換させ、続く二つ目で空気をゴム膜のように張り弾くことで射出させたのだ。
そして、三つ目の能力使用。
これが最も厄介かつ最終難関で、ホークゲンは絶えず自身の体表層に可異転生を発動し続けている。
それに触れた物質は目に見えぬほどの塵へと即時に変換され、たとえ銃弾であっても彼に傷1つ付けられないだろう。
その証拠に、コールルイスがナイフで刺した時も貫通することなく、切っ先から塵へと変換されていた。
すなわち、三つ同時に使える能力使用権のうち1つは護身用に、残る2つをもって戦っていたということになる。
となれば、六戦鬼ホークゲンに対し有効打となる攻撃は、近接戦闘の物理攻撃かつ破壊力のある運動エネルギーを持つもの。
そこからコールルイスは、壁まで吹き飛ばしたタモトの力ならば効く可能性があると考えた。
あの時ダメージが通らなかったのは、可異転生によって衝突した瞬間に壁を緩衝材か何かに変換させ、威力を受け流していたからだろう。
ならば、次は受け流せないように、ホークゲンを捉えたうえで攻撃を仕掛ける。
そう画策していたが、しかし、そのことに気づいたホークゲンは距離をとり、思い通りにはさせてはもらえなかった。
―――これが六戦鬼ホークゲン……。一筋縄ではいかないってことか。
コールルイスは歯噛みする。
突破口は見えているのに、そこまでたどり着くことができない。
苛立ちともどかしさだけが心を染めていく。
「ところで、俺の質問にはいつになったら応えてくれるの? もう一回聞いた方がいい?」
睨み合いの末、ホークゲンが口を開く。
コールルイスとタモトは一瞬、戸惑いを見せる。
「おいおい、おたくらもう忘れちゃったの? なんで戦ってんのかって聞いてんの。サセッタってどういう目的で動いてるのよ」
「なんでって、そんなの決まってるじゃん。支配されたこの世界に、自由を取り戻すためだよ」
ハッキリとした口調でそう答えたのはタモトだった。
「HKVをばら撒いてたくさんの人間を死なせて、その挙句人造人間になることでしか生き残る道を無くしておいて……、でも、その人造人間にはなれる人が決まってて。そんなのおかしいよ。勝手すぎるよ」
「そんなわけのわからん妄想で、おたくらはウチを滅ぼすってわけ」
「……今世界を支配してるのは四つの帝国でしょ。最大勢力のマセライ帝国、その属国のドセロイン帝国、ロンザイム帝国、そしてヌチーカウニー帝国。だけど私たちは、別に滅ぼすつもりで戦ってるんじゃないよ。帝国内にある元凶を断つだけ」
選別された者にしか人造人間になれない現状を、どうにかしたいということなのだろう。
それを聞いて、ホークゲンは肩をすくめる。
「固いねえ、お嬢さんは。そもそもHKVは自然発生だって、マセライ帝国が発表してるじゃない」
「そんなの嘘っぱちだよ! あなただってC.C.レポートを知らないわけじゃないでしょ。HKVによって全人類を人造人間に誘導して、一つの統治下に収め永久の安寧―――『桃源郷』をつくる計画を」
「C.C.レポート? 桃源郷? なんだい、それ」
ホークゲンのとぼけた口調にタモトはムッとする。
知らないはずがない。
全世界であれだけ大々的に電波ジャックを行い、マセライ帝国の影の計画をつまびらかにしたのだ。
その際に証拠として提示したのが『全人類人造人間化計画』―――通称C.C.レポート。
ローシュタインを筆頭に、マセライ帝国カトロッカに侵入し、入手した原文だ。
マセライ帝国王、ドン・サウゼハスの捺印も押されて、公的に使用されているものと完全一致している。
その情報は、インターネットで瞬く間に拡散され知らない者はいない。
ましてや、帝国内で上位に位置する六戦鬼がそのことを知らないなどありえなかった。
「とぼける気? 知らないとは言わせないからね」
「いやいや、とぼけるも何も、おまえさん本当に何を言ってるんだ」
コールルイスは二人の会話に違和感を覚える。
どこか致命的にかみ合ってない、そんな感じだ。
タモトは嘘は言っていない。
言葉足らずだが、想像で補える範疇だ。
まさしくタモトの言っていた通り、今この世界はマセライ帝国によって仕組まれたHKVによって全人類を人造人間とする流れだ。
そこでの生活に己の意思はなく、感情もなく、あるのは争いのない統治された『桃源郷』だけ。
いまでこそ、人造人間は自分の意思で自由に生活しているが、人造人間の普及率が七割を超えた時点でその計画が動き出す。
それを防ぐために組織されたのがサセッタであり、人造人間技術の公開を行った後に、すべての人に生きる手段の選択権を与える。
人造人間として生きるか。
それともセリアンスロープとして生きるか。
故にサセッタの目的は、この世界に生きる大半の人間が電波ジャックを通して知っている。
だが見たところ、ホークゲンは口調こそ気だるげだが、その目は淀みなくタモトの真意を測ろうとしている。
この男は本当に知らないのだ。
―――いや、まてよ……。
コールルイスはしばらく考え込んだ後に口を開く。
「ごほっ、ごほっ……。なあ、六戦鬼。あんた、電波ジャックがあったことは、さすがに知ってますよね」
「知らないな。そんなのいつあったのかな。俺って特番は見逃さないタイプなんだけど」
「ゴホッ! ゴホッ! ……やっぱりな、あんた記憶改ざんされてるんじゃないですか?」
「……どういうことかな」
ホークゲンは目を眇め、コールルイスを見つめる。
「一般的な人造人間が記憶をいじられているのは、既に証拠が挙がってるんですよ。まさか六戦鬼にまで手を出してるとは思いませんでしたけど」
「そんな作り話、俺が信じると思うの?」
ホークゲンは眉一つ動かさずに言った。
だがそれはポーカーフェイス。
心の内ではあらゆる知識を総動員して状況を検証する。
―――悔しいが敵さんらが言ってる陰謀論は、まあ考えとしてはあり得る。今までの話に矛盾はないし、口だけの根拠だがハッタリを言ってる様子もない。
敵さんらの言う通り、仮に俺の記憶改ざんが本当だとしよう。
なら何故?
他の六戦鬼も改ざんされているのか。
俺だけという可能性も考えられる。
なんにせよ、もし記憶をいじられてるのだとしたら、俺はそんな奴らに忠誠を誓って守護者をやっていたことになる。
だが、確固たる証拠がない以上、これはあくまで俺の憶測。
度が過ぎればただの被害妄想だ。
心の中で抑えとくべきか……。
証拠を見つけてからでも遅くはない。
ホークゲンはひとまずこの謎に対する解は保留にする決断を下した。
「君たちの目的、守りたいものは分かったさ。真偽はさておき理想は立派だ。俺も君たちに味方してあげたいんだけどね。―――まあ、今の話が本当である動かない証拠と、守護者という立場さえなければ、の話だけど」
ホークゲンがそう言いながら目の前の二人を見据える。
仕掛けてくる様子はまだない。
かといって、仕掛けられることを待っている様子もない。
―――何を待っている?
しかし、それが何なのかまでは分からない。
これ以上の引き延ばしは無駄だ。
聞きたいことは聞いたし、そろそろケリをつけよう。
そう思ってホークゲンが一歩踏み出した瞬間、突如としてこの世界から音が無くなった。
―――なんだ、いったい何が起こった!?
ホークゲンは身を構える。
見ると、コールルイスとタモトがインカムに指を当てながらにやりと笑っている。
まるでこの瞬間を、今か今かと待ち望んでいたかのように。
「こほっ、こほっ。動かない証拠が見たいんだったら見せてあげますよ」
その瞬間、エントランスの窓ガラスが全て割れ、扉が吹き飛ばされる。
そこから煙のように入り込んだ白いコートを着たサセッタの集団が、全方位からホークゲンを取り囲んだ。
銃を構え、形印を顕現させていつでも殺せる態勢だ。
「もー、時間かかりすぎだよ!! いつ殺されるかと思ってひやひやしたよ!」
ぷはぁと大きく息を吐き出し、張り詰めた緊張を解きながらタモトは言った。
「Cool、僕も外で何回か死にかけたけど、この通り無事さ」
「戦いで死者を出してしまったのが悔やまれル」
「あらあら、皆さん。あんまり勝手にしゃべってると、六戦鬼さんが困ってしまいますわよ」
一歩前に出てそう言っているのは、軍隊長のミラージ、コェヴィアン、アイリス。
外で戦線を作っていたこの軍隊長を筆頭に、その後ろにはサセッタ本部隊がネズミ一匹通す隙間も作らず構えている。
それらの包囲陣に囲まれながらエントランスの中央に佇むは、六戦鬼ホークゲン。
しかし、慌てるそぶりも見せず、ただ両ポケットに手を突っ込んで周りを見渡す。
「おやおや、サセッタの皆さんこんな夜更けにお揃いで。お外で戦っていたはずでしょ」
ホークゲンはうっすらと笑みを浮かべながらも、聡明な瞳は油断なく周囲を警戒する。
疑問が次から次へと湧いて出てくる。
それこそホークゲンの情報処理の許容範囲を超えるほどに。
しかし、その全ての謎は後回し。
今は、自分を囲んでいるサセッタを、どう皆殺しにするかだけに思考を回さなければならない。
しかし、そんなホークゲンの心の内を読み明かしたかのように、コールルイスが言う。
「こほっ、何が起こってるか分からないって顔してますよ。言いましたよね、証拠を見せるって。窓の外を見たらその意味が分かりますよ」
ホークゲンは言われた通り外に目を向ける。
「…………なんだ、これは」
まるで人造人間兵だけが時間を切り取られた空間にいるかのように静止していた。
銃を構え、口を開き、電子剣を虚空へと向けている。
「こほっ、こほっ、これが動かぬ証拠ですよ。人造人間は統治下におかれるプログラムが内蔵されている。すべての記憶は操作され、個性も意思も感情も反映されない『桃源郷』を目指すためにね」
「……俺は統治下に置かれてないみたいだけど」
「Naturally、六戦鬼が相手の手中に落ちるリスクを、わざわざ残すことはしないだろうさ~。Because、君たちは一鬼だけでも、国一つをやすやすと潰せるのだからね」
ミラージが言う。
万の民より、一鬼の力。
それが世界を支配するマセライ帝国の意向であり、六戦鬼ホークゲンの宿命だった。
ホークゲンは出向という形で、マセライ帝国よりヌチーカウニー帝国の守護者を務めている。
そのホークゲンの守護対象第一優先は、帝国の存続である。
あらゆる敵を排除し、ヌチーカウニー帝国を守らねばならない。
だが、緊急時の場合に限り、例外的にその順序は変化する。
≪人類の叡智≫の保護。
それだけは、何としても死守しなければならない命令だった。
そしてそれは、守護している帝国が墜ちたその瞬間に適用される。
自らの機能を失ったとしても、それだけは真の主であるマセライ帝国に持ち帰らなければならなかった。
そのことに関して、ホークゲンは何ら疑問には思わなかったし、元来、自分の望みが希薄である彼にとって、それは信頼されているという一種の希望でもあった。
だからこそ、ホークゲンはコールルイスやタモトの話を信じなかった。
信頼されていると思っていたマセライ帝国が、自分の知らぬところで自分に対し記憶を消しているなど。
だが―――
「なるほどね……。こう証拠を見せつけられたら、信じないわけにはいかないか」
ぽつり、そう悲しげにつぶやいた。
サセッタの言ってることは本当だろう。
だからこそ自由を守るために戦っている。
その灯が全員の心の内に宿っているからこそ、こうして立ち向かってくるのだ。
―――じゃあ、俺は何のために戦ってる。
ホークゲンは自問自答する。
マセライ帝国は自分の記憶を消した。
それはいったい何のために。
自分一人ではなく、六戦鬼全員に対して行っていることなのだろうか。
なにも知らない。
否、知っていたが無かったことにされている。
立っていた地面が足元から音を立てて崩れていくようだった。
真実を知った今、ホークゲンの中でマセライ帝国に対し、大きくもやもやした不信感が募っていく。
決して忠誠が失われたわけではないが、自分が何を何のために守っているのか、その意義を見失いかけていた。
ホークゲンは短絡的な思考で結論を出す男ではない。
もしかしたら記憶を消したのは、自分のために裏で動いてくれていたからかもしれない。
統括管理も、サセッタが口をそろえて言うC.C.レポートの内容と、かけ離れたものの可能性だってある。
そして考えの末、ある人物にたどり着く。
マセライ帝国王、ドン・サウゼハス。
全権限を持つ彼がおそらく、その全容を知っているだろう。
―――なぜ俺の記憶が消されたのか。それを調べないことには、結論を出すのは早すぎるような気がする。
何を守るために戦うか。
何のために戦うか。
ホークゲンはその答えを探すことを決意した。
360度―――全方位をサセッタに囲まれながら、六戦鬼は言う。
どうしても最後に尋ねたかった。
彼らサセッタが信じる者に対して、何を思うのかを。
「―――お前さん方は、自分のボスを信じられる?」
だが、それは聞くまでもない無駄な質問だったとすぐに悟る。
「もちろんダ」
間髪いれず、コェヴィアンが答え、それに全員が頷く。
「そうか……。羨ましいよ、お前さんたちが」
刹那―――爆風がホークゲンを中心に生じる。
予備動作を一切見せずして、可異転生を行ったのだ。
サセッタがひるんだ次の瞬間に、彼は目の前から姿を消していた。
「上だ!!」
誰かが叫んだ。
見ると三十階相当の高さに位置する天井が突き破られている。
六戦鬼が天井を破壊して上階に移動したのだ。
「逃がすな、追うんだ!!」
羽を持つ天艇小隊がホークゲンの作った穴に入ろうとしたその瞬間、穴が塞がり天井全体が頑丈な鉄へと姿を変える。
「≪人類の叡智≫か。階段を使え! 逃がすなよ!!」
ホークゲンは天井を次々と突き破り、そのたびに加速していく。
可異転生をもつ彼にしかできない芸当だ。
やがて、最上階に到達し王座の間へと足を運ぶ。
「おお、ホークゲン!! 無事であったか!! どうだ、勝ったか!?」
そこに帝国王がふくよかな体を揺らして、腹心の部下に駆け寄る。
「……やっぱ王サマは止まってないのね」
「む、どうしたというのだ。朕の顔に何かついてるか?」
「はあ、どこまでも吞気だね。逃げるよ王サマ、貴方に聞きたいことが今日で山ほどできた。いったんマセライ帝国に戻らせてもらうよ」
「お、おい。まてっ、ホークゲン! 朕を担ぎあげるとはどういう了見だ!! 処すぞ! 朕は本気なのだぞ!!」
暴れる帝国王を肩に担ぎ上げ、ホークゲンが最上階から脱出しようと、巨大な窓ガラスを蹴り壊した時だった。
「──さて、私が君を逃がすと思ったかな」
背後から背筋が凍る冷たい声がした。
ホークゲンはゆっくりと声のした方へ振り返る。
「……お前さん、誰だい」
「私かい? 私はサセッタの創設者にして最高指揮官──ローシュタインだ」
割れた窓ガラスから突風が吹き荒れる。
高さ六十階に位置する王座の間に冷たい空気が入り込む。
「なるほど。でも、お前さんのそれ、正義の味方って顔つきじゃないでしょ」
「そうかな? これでも私は皆から信頼されてるのだがね」
「あぁ、ドン・サウゼハスといい勝負だよ」
一瞬の間。
その間は無限に感じられた。
いつまでたっても時が進まない、無窮の檻に閉じ込められたかのように―――。
刹那、ローシュタインが全身に、黒くひび割れたような形印を顕現させる。
「さらばだ、六戦鬼」
ホークゲンは目を見開く。
「―――その力はッ!!」
☆
サセッタはホークゲンが開けた穴を追いかけ、ようやく最上階の王座の間にたどり着く。
どこに六戦鬼が潜んでいるかもわからないため、全力で警戒しながら足を進める。
その時、床から天井まで伸びる窓ガラスが割れた傍らで、白衣をはためかせて外を見下ろしている男が目に入った。
「ローシュタイン総隊長!! なぜここに!?」
隊員が走って駆け寄る。
「君たちのおかげで、先ほど六戦鬼を追い詰めることに成功した。……だが、私の不手際で逃げられてしまった。すまないね」
「そ、そうですか。でも、気にすることではありませんよ。守護者である六戦鬼が逃走したということは、我々の勝利ということです」
帝国守護者たる六戦鬼を退けたということは、この帝国に存在する最後の砦を滅ぼしたと同義。
それはすなわち、サセッタの勝利ということになる。
隊員の放ったその言葉に、その場にいた全員が身を震わせる。
勝ったのだ。
不可能だと思われたあの帝国に。
今にも叫びだしたい気持ちを抑え、その場にいる隊員全てがローシュタインに目を向ける。
彼らが何を言ってほしいか、そんなものは考えるまでもなかった。
「……そうだね。ああ、その通りだとも。──我らサセッタはここに第一帝国戦を見事成し遂げたのだ! 皆、喝采せよ!!」
その言葉とともに、雄たけびが上がる。
コートを脱いで回したり、近くにいる仲間同士で抱き合う。
一歩、たった一歩ではあるが。
そこには確かに、この世のどうしよもない不条理に打ち勝ったという現実があった。
歓喜の渦が月夜に沸き、歴史が大きく動き出そうとしていた。
その中で、一人。
ローシュタインは喜ぶことなく、割れた窓ガラスの前に立ち、夜景を見つめていた。
闇に消えていったホークゲンの姿はもうない。
だが、ローシュタインは口元にわずかに微笑みを浮かべる。
隊員の前では六戦鬼を逃したと言ったが、アレは嘘だった。
あえて逃亡させたのだ。
──第二帝国戦への布石は打った。ホークゲンのような頭の回る賢い男程、手に取るように行動がわかる。おそらく私の思い通りになるはずだ。
絶妙な力加減の上で、殺さず圧倒する。
そして隙を与えて逃がすところまでが、ローシュタインの考えていたシナリオだった。
──あと少しだ。あと少しで……。
沸きあがる歓声を背に、ローシュタインは月を見上げ、心の中でそう呟いた。




