五十五話 トップシークレット
12畳ほどの帝国城一室―――防衛システム室にノイアはいた。
壁には跳弾した銃痕が生々しく残り、激戦を繰り広げたことを物語っていた。
監視モニターの映像からシェルターが開いたことを確認したノイアは、ふらりとした足取りで踵を返す。
人造人間兵にえぐり取られた左手の前腕筋肉から、赤黒い血液が地面に滴り落ちる。
高揚しているせいか痛みこそないものの、地に溜まっていく紅に反比例するかのように、ノイアの意識がもうろうとしていく。
呼吸が苦しくなり、胃から何かがこみ上げてくるようだった。
極限まで張り詰めていた緊張と、そのなかで行われた生死を懸けた戦い。
臆病のノイアにとって、生きてきた中で自分の意志で戦うという選択をしたのは、一世一代の大勝負であったことは言うまでもない。
自分の体験したことのない未知の領域へと足を踏み入れる。
それが引っ込み思案の彼にとって、どれだけ大きな意味を持つかは想像に難くない。
しかしその分、代償も高くついた。
身も心も削り切り完全に消耗し、今にもか細い糸で繋がっている意識が、ぷつんと切れてしまいそうだった。
そんな薄れゆく意識の中で、ノイアは
「……はや、く、合流……しないと……」
独り言のように呟きながら扉に向かう。
その時、目の前の扉が開く。
ノイアは何もしていない。
心臓が高鳴った。
目に前には人造人間兵。
しかし、ノイアにはもはや抵抗するだけの力は残っていない。
死んだ。
そう悟った次の瞬間、目の前の人造人間兵がぐらりと上体を揺らしたかと思うと、そのまま前のめりに倒れこんだ。
ノイアには状況が理解できなかった。
否、もはやする余力もなかった。
ただ、最後に見たのは人造人間兵の後ろに立っていた人影。
見覚えのある顔。
滑らかな緑髪が、寝癖のように後ろではねていた。
「アスシランさん……」
最後にそういって、ノイアは糸が切れたように倒れ込む。
「おっと」と言って、アスシランはすぐにノイアを崩れる前に支える。
そして、防衛システム室を見渡してから
「……よく頑張ったね。あとは、皆に任せよう」
そう優しく言った。
☆
帝国城最上階―――地上から40mほど離れた場所で、帝国王と六戦鬼のホークゲンがサセッタに関する連絡を次々と受け取る。
部下が報告していくごとに帝国王の顔が青ざめていき、戦況が逼迫していくのが分かった。
十分ほど前に、南南東でサセッタの城外待機軍と交戦を開始したことを知った時は、勝ちを確信していた。
情報通りの場所に敵が現れ、情報通りの動きをしているのだ。
加えてヌチーカウニ―にはサセッタと比べ50倍の戦力を保持。そして、優れた軍事技術力。
天地がひっくり返っても、逆転劇などあり得るはずもない。
それこそ先ほど内心怯えていた帝国王が、王座の間にて歌を歌い陽気になるくらいには楽観視していた。
この勝負、我々の勝利と―――。
それはホークゲンですらも抱いた感想だった。
しかし、
「帝国王! 城外の旧町工場で交戦していますが、未だ制圧しきれていません! それどころか、我が軍が押され始めています」
「帝国王! 何者かによって防衛システム室をクラッキングされ、シェルターが格納中です。復旧を試みましたが制御不能! 管理権限が書き換えられています」
「帝国王! サセッタを正面門付近で確認し、阻止すべく近場を散策していたアムロット隊とコナンコイ隊を迎撃に向かわせましたが、失敗し、もう間もなく侵入されます」
そのような報告を聞いては顔を青ざめるのは無理はない。
帝国王はしばらく絶句したのち、みるみる顔を赤くし、目の前にかしずく騎士たちに怒鳴り散らす。
「ちみ達は朕を馬鹿にしてるのかー! 何かあればすぐ帝国王、帝国王、と。ちっとは自分の頭を使ったらどうか!!」
「いやいや、王サマ。この国の主はアナタなんだから、そりゃあ指示を仰ぐでしょうよ」
帝国王の頭を押さえながらホークゲンが言う。
「まあ、最終的に指示を出すのは俺なんだけどね」と付け加える。
「ホークゲン、貴様ぁ~。朕の頭に手を置くとは何事か!! 不敬にもほどがあろう!」
帝国王はホークゲンの腕を振り払う。
六戦鬼は軽く笑ったあと、正面の騎士兵に向き直る。
「報告ご苦労さん。それでさ、ちょっと気になったんだけどいい?」
いつになく真剣な顔つきに、王座の間に一瞬、緊張が走る。
「防衛システム室の警備数を増やしておいたはずなんだけど、全員やられたの?」
まだ、シェルターが展開していた時に、彼は兵士を増員させる指示を出しておいた。
シェルターが展開してしまった以上、動力炉を制圧したとしても再び格納することは不可能。
ならば、サセッタは必ずより少ない人数で、防衛システム室を強襲してくるはず。
そう読んで対策していたはずだったが
「いえ、あの……。申し上げにくいのですが、ホークゲン様のおっしゃった通りに防衛システム室に向かわせたところで、敵を発見いたしまして……。その、……ほとんどの兵士がそちらに集中して……」
「他を見逃したって訳ね」
芳しくない返答に、ホークゲンは眉間にしわを寄せ、軽くうなずく。
「……敵さんが侵入してくるまで、あとどれくらいか分かる?」
「五分少々かと」
と、そのとき不意にノイズが走ったかと思うと、騎士兵の隣に通信が途切れていたバーキロンの立体映像が形どっていく。
シェルターが取り払われたことで、外部との通信がつながった。
「通信がしばらく途切れてましたが、何かあったんですか」
バーキロンの問いに誰も答えない。
だが、周囲の空気が妙に落ち着いていないことは分かった。
それだけで、何が起こっているのか察するに十分だった。
ホークゲンは一瞬バーキロンを見た後、すぐに話を戻す。
「敵さんの映像はある?」
「こちらに」
空中に録画が映し出される。
偵察ドローンから撮ったものと、定点カメラからのものだ。
映像に目を這わせる。
正面にいるサセッタの総戦力。南南東の町工場。東西の動力炉。城内の侵入者。そして攻撃形態・攻撃手段。
それら全ての膨大な情報量から、ホークゲンは次の一手の思考を巡らす。
「なるほどね……。だいたい分かった」独り言のように呟いた後、
「国民はマニュアル通り避難場所に迅速に誘導しといて。それと、城壁外の五か所で散策させていた軍隊を、ここにすぐ戻して。町工場で交戦中の軍隊は、徐々に後退しつつ戦闘を続行。高圧エネルギー砲の射程圏内に入り次第、タイミングを見計らって撃って」
口早にそう告げると、指示を受けた騎士兵たちは王座の間を後にした。
残っているのは、ホークゲン、帝国王、そして立体映像のバーキロンだけだ。
「……一つだけ分からないことがあるんだよ、バーキロン君」
ゆっくりとバーキロンに体を向ける。
ホークゲンの鈍色に光る瞳孔が青年を捉えた。
「敵さんらは一体全体どうやってウチらを倒すつもりだい? 城壁を超えてきたとしても、完全に制圧することは不可能だ。いくら個の戦闘力が高くても、兵力に差がありすぎるんだよ」
バーキロンはじっと地面を見つめる。
問いに対しての答えは、既に知っている。
人造人間を完全にコントロールする制御装置。
全ての人造人間兵を行動不能にしてしまえば、戦力差など一時的に食い止めることさえできれば、何の問題もない。
だが、制御装置のことはおそらくトップシークレット。
この秘密が暴かれれば、世界が再び混沌のどん底に叩き落とされる。
すなわち、それを知るということは、闇に包まれた巨大な権力に触れるということ。
知っていることを把握されれば、どのような制裁が待っているか。この世から葬り去られてもおかしくはないのだ。
ホークゲンは黙ったままの金髪の青年に、なおも尋ねる。
「敵さんは何を狙っているんだ? それが見えてこない。なにか裏があるはずなんだけどね」
「……もし、敵側に人造人間をコントロールする方法があったとしたら。ホークゲンさん、あなたならどうします」
バーキロンは賭けに出た。
具体的な方法は言わず、トップシークレットを知っていることを匂わせる。
「…………? 話が見えてこないな」
バーキロンは六戦鬼の表情の変化を伺う。
意味が分かっていれば、何かしらの反応が見られると考えていたが、しかし、どうやら言葉通りバーキロンのセリフの意図を図りかねているようだった。
対して、王座にいる帝国王の顔が一瞬にして青ざめるのが分かった。
「ま、まさか彼奴ら制御装置を!?」
煌びやかな椅子から立ち上がり、わなわなと震えだす。
ホークゲンは訝しげな表情を浮かべ、帝国王を見つめる。
「どうしたのよ、王サマ。そんな血相変えて」
「なっ……ぐ、う……」
帝国王は口から出かけた言葉を飲み込む。
明らかに狼狽している。
何度も言葉を選んでは話そうとするも、ギリギリのところで言いとどまる。
どうやら彼の中で、言いたくても言えない葛藤が繰り広げられているようだ。
それを見たバーキロンの中に、ある一つの仮説が生まれる。
―――ホークゲンは制御装置のことを知らないのか?
見たところ、帝国王はホークゲンには知られたくないようなそぶりである。
ときおり、「よけいなこと言いやがって」というような顔を向けてくることからも、それが分かる。
「王サマ~。何隠してるんだよ、教えてよ。このイケズなおちゃめさん」
「えぇい!! 朕の鼻先をツンツンするな! ほっぺもやめろ、わずらわしい。いいから早くお前も戦いに行くのだ!!」
ホークゲンの背中を蹴飛ばす。
「だいたいお主が地下に不可視センサーを展開させたのが、こうなったそもそもの原因ではないか。余計なことを詮索する前に、いいからさっさと落とし前をつけてこい」
「痛いところついてくるなあ、王サマは。わかった、行ってくるよ。どうやって勝つつもりなのかは、敵さんに直接聞いた方がよさそうだ。王サマ、誰かに口止めされてるみたいだし」
おどけたように眉を上げながら言う。
図星だったのか、帝国王は口を一文字結んで目をそらす。
城外からは爆発音や銃声の音が大きくなる。
帝国全体を見渡せる最上階から、塊となったサセッタの集団が押し入ってくるのが見て取れる。
脇目も振らず城めがけて突撃してくる。
それに応戦するように迎え撃つのは帝国軍。
しかし、不意を突かれたこともあってか、城で待機していた軍勢の半分も出撃できていない。
このままぶつかり合えば、個の力で大きく勝るサセッタに分がある。
どのような攻撃で来るのか。
どのような能力があるのか。
態勢も整っていないこの状況で、いまだ実体の片鱗すら掴めていない新人類セリアンスロープを、初見で相手にするのはいささか難しい。
「やれやれ、無駄に張り切ってるね。ちょっとお灸をすえてくるか」
ホークゲンは首を鳴らしながら王座の間から出ていこうとする。手をかざして扉を開ける直前で、最後に言い忘れたことを思い出したように顔を向ける。
「そんじゃ、行ってくる。帰ってきたら秘密にしてること教えてよね」
そう言って姿を扉の向こうに消していった。
帝国王はやれやれと言わんばかりに汗をぬぐい、王座にもたれかかる。
「ふぅ、ようやく行ったか。まったく、六戦鬼が出張ればすぐ終わるだろうに、わざわざ兵士で遊びおってからに……。おい、そこの金髪。えーっと、名前は何だったか……。あぁ、そうだ、バームクーヘン君。もう通信切ってもいいぞ。報告ご苦労だった。ホークゲンが行ったからにはすぐ終わる。なにせあの人類史上最悪の双極帝国戦争を終わらせた、六戦鬼の一人だからな」
安堵の表情を浮かべ、無駄に豚鼻を鳴らしながら呵々と笑う。
しかし、バーキロンの耳にその声は聞こえていなかった。
代わりに集中して観ていたのは、宙に投影された定点カメラの映像の一つ。
録画されている映像であるため、一部のシーンがリピート再生されている。
画面は城前にある植樹帯付近のものだった。
一人の武装した人造人間兵が、画面に背を向け巡回している。
画面に映るギリギリのところまで歩いていく。
すると、何かに警戒したのか、角になっている城の端に着いたところでいったん足を止める。
レーザー銃を捨てたかと思うと、右手に電子剣を出現。
次の瞬間、人造人間兵が上段に構え、振り下ろしたかと思うと、いきなり両腕が地面に落ちる。
角から姿を現したのは、まだ年幅もいかない男の子だった。
少年は、人造人間にとどめを刺さずに城壁を超えて逃げていった。
そして、その数秒後に大爆発が起こり映像が終わっている。
バーキロンは何度も流れ続けるその映像をみて固唾を飲む。
『要塞』と呼ばれるヌチーカウニ―帝国が、ひとたびシェルターと高エネルギー膜を展開すれば、主要帝国のなかで最も最強の防御力を誇る。
そうなった場合、世界中の総力を以てしても陥落させるのに五日はかかる。
他のlive映像や録画の時系列を見るに、その『要塞』たる所以の最強防御を無効にしたターニングポイントはこの映像だろう。
ここで爆発を起こしていなければ、現状のような前代未聞の事態に陥っていないはずだ。
防衛システム室に入り込まれることも無かったし、また、待機していた兵士たちが正面突破を仕掛けてきたサセッタに、後れを取ることもなかったのだ。
数秒にも満たない戦闘で、六戦鬼が出張るほどの状況をつくり上げたと言っても過言ではない。
そして、それを成した人物こそこの映像に映っている少年である。
三本のストライプ柄のマントを纏っている。
間違いなくサセッタの人間だろう。
そしてバーキロンはその柄を覚えている。
サーモルシティーで、あの瓦礫の下でそれを着ていた女の子を。
まだ一度も対峙したことのない、要注意人物と睨んでいたあの少年を。
「―――シオン」
言われずとも分かる。
一目見た瞬間に、彼はこの少年が彼だということを理解した。
やはり危険分子だ。
奴は必ず理想の前に立ちふさがる。
ならば、殺さねばなるまい。
どんな手を使ってでも、必ず―――。
映像に映るシオンを目に焼き付けながら、バーキロンは通信を切断した。