五十三話 城壁外
ノイアがシェルターを開ける10分前。
ヌチーカウニ―帝国から5km離れたサセッタ第一帝国戦作戦本部では、困惑によるどよめき声が時間経過と共に大きくなっていった。
その場にいる全員が、彼方にある帝国を覆う巨大なシェルターを見つめている。
雲が月明かりを遮ることで、より一層不気味さが増しているように感じられる。
ドーム状に覆われた鋼鉄の要塞は、常闇に屹立するかの如く威圧感を放っていた。
ここで待機しているのは、ローシュタイン直属の隊1000人弱と、軍隊長コェヴィアン率いる部隊の幹部が数人。
彼らがこの光景を見て黙っていられるはずがない。
震撼して当然だ。
本来であれば、シェルターが起動しないよう、先行してデヒダイト隊が動力炉を停止させる手はずだった。
サセッタがヌチーカウニ―帝国とのアドバンテージを無くす上で、必要不可欠な作戦である。
もし、この作戦が失敗し、シェルターが起動すれば最後、現状のサセッタが持ちうる武装では、要塞を破壊することは不可能。
すなわち、シェルターの作動はサセッタの敗北を意味する。
ともなれば、彼らが視線を向けるその先の光景は、まさに、今この時を以て作戦が失敗に終わったことを告げているも同義だった。
「ど、どうすんだよ……」
「俺たちの……負け、なのか?」
「デヒダイト隊は……? 動力炉の制圧に失敗したのか!?」
薄暗い吹き抜けの多目的ホールで立ち尽くすレジスタンスが、口々に憶測を言い合う。
動揺が動揺を呼び、いまや作戦本部は軽いパニック状態になりかけていた。
ガラス張りが続いている大空間にひしめき合う隊員たちとは正反対に、最高責任者たるローシュタインは、奥にある深い一人用のソファーに腰掛けていた。
炯々と闇に浮く眼光を宿しながら、要塞と化した帝国を冷たく見据える。
側には作戦配置に着こうとした矢先にシェルターが起動したのを確認し、戻ってきたコェヴィアンと彼女の軍幹部五人が立っている。
ローシュタインとは対照的に、コェヴィアンの幹部たちは絶望的状況に狼狽しているようだった。
「どうするおつもりですか、ローシュタインさん! シェルターが起動してしまったら、我々では手の打ちようがありません!」
幹部の一人が尋ねる。
しかし、ローシュタインが答えるより先に、別の男が口を開く。
「そもそも、なぜシェルターが起動したのですか! デヒダイト隊はどうやって侵入しているというのです!? 不可視センサーに引っかからないような作戦を、組んでいるはずじゃなかったんですか!?」
内通者を絞るため極秘裏に画策していた侵入作戦が、シェルターの出現と共に一気に不安の燃焼材となり煩慮を煽った。
しかし、問いかけに対しローシュタインは、瞳を閉じながら口を開こうとしない。
その様子にむっとした表情を浮かばせながら、男はさらに問い詰める。
「それに先ほどあった連絡のこともです! 帝国城壁付近の五地点でそれぞれ5万を超えた人造人間兵が確認されているらしいじゃないですか! 明らかに多すぎます! それに何度か交戦になりかけたとも聞いています!!」
三分ほど前に城壁外で突入待機するタモト隊から「敵を視認したよ! 結構多いかも、南西待機ポイント付近一帯にいるよ」と連絡が入った。
さらに立て続けに、軍隊長であるコールルイス、アイリス、ミラージからも同じような情報が寄せられていた。
報告した他の軍隊長らは現在、作戦通り帝国を包囲するようにして、城壁一キロ圏内の五か所に分かれ待機している。
デヒダイト達が動力炉を制圧すると同時に、城壁を超え一挙に急襲する。
電力は切られてあるため、不可視センサーもシェルターも自動起動しない。
あとは待機地点から迅速に帝国城に攻め入り、人造人間を完全制御下に置く統括管制室のクラッキングを行うという手はずだった。
だが、いざ待機地点に行けば、あろうことか城壁前にはピンポイントに敵の兵士が周囲を散策していたのだ。
それもサセッタが待機するはずだった、五か所全ての地点にである。
まるで、レジスタンスがこの地点に来るとあらかじめ知っていたかのような周到ぶりだった。
一地点に付きざっと見積もって5万人ほど。
五か所すべて合わせると総計25万人―――ヌチーカウニ―帝国の総力半分をつぎ込んでいる計算だ。
通常警備であればこの1/3以下の人数でもおかしくはない。
荒唐無稽・経費浪費ともいえる敵の配置は、しかしサセッタにとっては致命的なまでの痛手だった。
明らかに形勢不利な状況下に置かれていることは一目瞭然であった。
「このままじゃ、先行しているデヒダイト隊はもちろん、他の待機している隊も見つかりかねません! 作戦は失敗です! 潔く引き揚げましょう!」
感情が高ぶる周囲の五人の幹部が、ソファーに座るローシュタインに進言する。
側では、コェヴィアンが黙ったまま事のなりゆきを見守っている。
自らの隊の幹部が、最高責任者たるローシュタインに向け感情をぶつけるのを黙っているのは、彼女自身もそう思っているからなのか、もしくは何か別の思惑があるのだろうか。
能面のように表情筋が固まっている彼女の表情からは、しかし何も読み取れない。
やがて、ローシュタインが重い瞼を上げる。
軽く片手をあげると、傍で激昂していたコェヴィアン隊の幹部たちの威勢は影を潜める。
恐れおののいて黙ったわけではない。
ただ、発せられたローシュタインの威圧感に気圧されただだけだ。
そして彼はゆっくりとした口調で
「今から各軍隊長に伝えてくれ、作戦変更だ。総員、Z137地点に移動せよ」
と告げた。
☆
ヌチーカウニ―帝国 南南東より3km離れた地点。旧式の機材の揃ったさびれた町工場にサセッタ軍隊長の一人、エクヒリッチが率いる3000弱の軍勢が小隊ごとに待機していた。
鉄の匂いがほのかに空気に混じる町は、エクヒリッチ隊以外、がらんどうのように人気が無い。それもそのはず、HKVによる被害でほとんどの人が死に絶え、壁や通路には生々しく弾けたような血痕が付着している。
かろうじて生き残った人間たちも、人造人間技術を有するヌチーカウニ―帝国に無償の労働力となる代わりに、人造人間となって帝国内に居住を移していった。
先住民は誰一人いない状況下で、気配を消し潜伏しているはずだったが、いかんせん戦闘狂エクヒリッチが率いる軍隊。
待機して五分も経たない内に各小隊で小競合いがおき、その五分後にシェルターが起動した際には、帝国内で暴れまわる機会が失われた鬱憤を晴らそうと、ちょっとした乱闘が起きていた。
そして現在。
いよいよ激化してきた隊員同士のケンカは、ついに一線を超す。
積み重なっている業務用ガスボンベに穴を開け、建物内にガスを充満させるが早いか、火の玉を放り込んで爆発を引き起こす。
「ひゃっはーー!! でっけー花火が打ちあがったな!」
「ぎゃははは!! B1隊死んだんじゃね? 傑作にもほどがあんだろ。死因、『爆死』って」
大笑いするB4隊が見る先には、吹き飛ばされたドアや窓から煙がもうもうと立ち上っている。周囲には凶器と化した窓ガラスが地面に突き刺さっていた。
それを引き金に、支給されていた小型時限式爆弾や手榴弾を使ったケンカが始まる。
至る所で爆破や笑い声が起こり、至る所で火球と火柱が世闇に輝く。
数十分前までの静けさは見る影もなく、秩序などない戦場に早変わりしていった。
「オラァ! てめェらァ!! そんなもんじゃ盛り上がんねェだろォがァァア!! もっと殺意を漲らせろ!! 俺を満足させろ!! そんで死ね!!」
ひときわ大声で怒鳴りながら煽り続けるのは、この隊のトップに立つエクヒリッチだ。
普通の軍隊長であれば味方同士で戦うことを止めるのだが、―――そもそも内部戦闘が起こること自体ありえないが―――しかし、この男は戦いが荒れれば荒れる程、血走った目に狂喜の色を浮かべる。
この男の頭には常識などというものは無い。
あるのは唯、己を証明する“殺し合い”のみ。
それは、生きていることを実感させる手段であり、快感を得る手段であり、すなわち彼にとって“命を掛けた遊び”のようなものだ。
ギャンブル依存症の人間が金を掛けて欲を満たすように、エクヒリッチという男も命を掛けて欲を満たしているのだ。
さらに付け加えるなら、彼の隊にはそういった類の人間が九割を占める。
誰しもが笑いながら、仲間を殺す勢いで戦うのだ。
そのようなサイコパス集団が一堂に会そうものなら、大乱闘が引き起こされるのは必至であるのは言うまでもない。
そして―――
「よそ見してる暇あんのか、隊長さんよぉ!!」
吠えながら、何者かがエクヒリッチの背後から上段蹴りを勢いよく振り抜く。
しかし、その蹴りが狙いの頭部に命中することはなかった。
エクヒリッチが振り向きざまに前腕で顔面を固め阻んだのだ。
鈍い打撃音が響いた後、前腕にめりこんだ右足の主に目をやる。
「誰かと思えばギンガじゃねェか。懲りねェな、おい」
鍛え上げられた体幹から、殺人的な蹴りを繰り出したのは、副隊長のギンガだった。
月明かりを反射する銀色の髪に、朱を散らしたような深紅の瞳を殺意に染め上げている。
四日前に前副隊長と死闘を繰り広げ、生き残り、サセッタ最年少でこの座に上り詰めていた。
「ハッ! いつまでも軍隊長の座にふんぞり返ってられると思うなよ。この隊は弱肉強食なんだろ?」
「おうよォ、だが、そう簡単に隊長の座を取れると思ったら大間違いだぜェ!」
エクヒリッチはギンガの右足を振り払うと同時に足首を掴み、腕力のみで投げ飛ばす。
宙に放たれたギンガは勢いそのまま小屋に激突する。
その衝撃で雪崩のように建物が倒壊し、瓦礫の下敷きとなった。
「ギンガァ!! こんなもんで終わりじゃねェだろ!?」
エクヒリッチが今日一番の笑みを浮かべながら吠える。
久しく沸騰しなかった闘気が、新進気鋭の隊員の一撃により一瞬で達したのだ。
錆び付いていた血潮が騒ぎ出し、薬でもキめた時のようにアドレナリンが過剰分泌地するのが分かる。
これが喜びでなくて何と言えよう。
思わず歓喜と、興奮と、殺気をむき出しにする。
しかし、次の瞬間エクヒリッチの目の色が変わる。
刹那に把握した情報は、目の前に小型時限式爆弾が落下してきたということだけ。
彼は知る由もないが、上段蹴りを入れる前に、ギンガが爆発するタイミングで落ちてくるよう投げていたものだった。
果たして小型爆弾は、エクヒリッチを眼前にして爆発を引き起こす。
二人の戦いに注目していた周囲の隊員たちから一斉に歓声が上がる。
幾度となく隊員たちから命を狙われても、傷ひとつ付けることすらできなかったエクヒリッチが強烈な爆撃に直撃したのだ。
類を見ない出来事を前にして盛り上がらないわけがない。
爆発を終えたのを見計らったように、倒壊した小屋からギンガが黒く笑いながら出てくる。
全身埃だらけではあるが、傷ひとつ無い。
ギンガは勝ち誇ったように謳う。
「エクヒリッチは今日で終わりだ!! 今から俺がこの隊の軍隊長だ!! てめえら、俺の手となり足となり奴隷のように付き従え!!」
ブーイングと指笛が入り混じり、ケンカという名の殺し合いが、さらに混沌と化そうとした時だった。
「勝利宣言はまだ早ェんじゃねェか、ギンガよォ!」
爆発によって立ち上っていた黒煙を纏いながら出てきたのは、エクヒリッチその人だった。
ギンガ同様、粉塵こそついてはいるが、およそ傷と見受けられるものは無い。
彼は刹那の内に、落下してきたものが小型爆弾と判断するや否や、セリアンスロープの力を行使していた。
口から体全体を覆うほどの粘着分泌物を膜状に吐き出し、爆発による衝撃をほとんど吸収させたのだ。
本来のモデル生物であるジバクアリは、この粘性のある分泌物で敵の動きを封じ道連れにするが、彼はこの特性を防衛に回すことで難を逃れていた。
殺ったと思っていた敵が、無傷で現れたことに震撼すると思いきや、ギンガは苛立ったように唾を飛ばす。
その瞳にはエクヒリッチや他の隊員とはまた違う、狂喜とは程遠い色を浮かべていた。
「……ハッ! どういう能力で生きてんのか知らねえが、そうでなくっちゃ困るぜ。仮にもここの隊長なんだからよ」
その言葉にエクヒリッチの口角が上がる。
彼もギンガと同じく、久方ぶりに骨のある相手を前に、かつてない高揚を隠し切れずにいた。
互いがにらみ合い、出方を伺っていたその時だった。
ギンガとエクヒリッチが互いに何かに気付いたように視線を外し、寂れた町工場全域を見渡す。
遅れるようにして、二人の戦いを見ている者やケンカしていた隊員たちが、動きを止め同じように見渡す。
辺りは一瞬にして静けさを取り戻す。
そこにエクヒリッチのインカムに一報が入る。
『こちら第一帝国戦作戦本部より通達。各軍隊長は隊を率いてZ137地点に集合ののち、指示があるまでその場で待機せよ、とのことです』
それを聞くや否や、エクヒリッチはくつくつと笑いを噛みしめ、インカムに向かって応答を返す。
「おう、俺だァ。Z137地点ていやァよ、帝国正門前付近だったよなァ? そんなとこに集まって何すんだよ」
『いえ、あの……。私が仰せつかったのは、各軍隊長はZ137地点に移動せよ、ということだけですので詳しくは……』
「んだよ、それ。まァ、いい。―――行きたいんだぜェ? ほんとは指示通りに動きたいんだぜェ? ……ただよォ、残念な知らせだ。たった今、敵に包囲された。どうやら俺たちの居場所が勘付かれたらしい」
さも残念な口調でインカムに向けて白々しく言う。
断片的に聞こえてくる通話と、エクヒリッチの反応から状況を理解し始めた隊員たちが、ニマニマと笑いを浮かべる。
『包囲されたって……! まさかあなた達、待機せず敵に突っ込んでいったんですか!? あれだけローシュタインさんから、勝手に敵を攻撃するなって言われていたのに』
「確かに言われたなァ、“敵を攻撃するな”って。だが、“味方を攻撃するな”とは指示を受けてないもんでなァ。別にそれは問題ねェだろ?」
『…………………………はい?』
エクヒリッチの斜め上の返答に思わず絶句する。
誰が予想できただろうか。
今から巨大な組織と命がけで戦おうというときに、味方同士で殺し合うことを。
確かにあれだけの爆発音と大人数の声をひっきりなしに立て続ければ、居場所がバレるのは火を見るより明らかである。
戦闘が起これば、城外でサセッタを捜索している敵兵に見つかるのは、時間の問題だ。
ただそれが、味方同士の戦いで引き起こされているというのが、最高に意味不明だった。
常識外れの返答を受け、未だ困惑しているオペレーターにかまうことなく
「つーわけでだァ、ローシュタインのジジイにはやることができた、って伝えといてくれやァ」
エクヒリッチはそれだけ言い残すと、一方的に通話を切った。
そして、各所にいる3000人弱の隊員たち全てに聞こえるよう、雷の如く轟いた声を上げる。
「テメェらァァア!! ようやく人造人間サマのお出ましだぜェ!! 丁重にお出迎えしてやろうじゃァねェか!!!!」
その発破に地を割らんばかりの雄たけびが上がる。
ある者達は羽を生えさせ上空へ。
ある者は皮膚を遊離させ圧縮することで盾を作り。
ある者は前腕の倍はあるスピアを腕に出現させる。
同時にヌチーカウニ―帝国人造人間兵が一斉に姿を現し、レーザー銃の照準を定める。
人造人間は確認できるだけでも三万人は超えている。
しかし―――それでもエクヒリッチ含め、隊員たちは狂喜の顔を浮かべ、勇猛果敢に突っ込んでいく。
闘いこそ全て。
生き死にを決めるやり取りこそ至上。
そこで死ねばそれまで。
生き残れば、まだ掛けることを楽しめる。
この場にいるレジスタンスの誰もが抱いている思想だ。
そして、この男もまたその例外ではない。
サセッタ史上最年少で実力のみで副隊長に成り上がった男。
ファーデルを含めた四人のしもべたちの筆頭に立つのは、言うまでもなくギンガだ。
圧倒的な敵兵数を見てもなお、倒壊した小屋の上に悠然と屹立する。
鋭い双眸には、激しい怒りと殺意、ただそれだけしかない。
いまいましそうに目の前に立ちふさがる人造人間兵を見下す。
「そのオモチャの銃を、この俺に向けて何がしたいんだ? クソ雑魚どもが」
陽炎のように浮かび上がる殺気に、目の前にいる500人近くの人造人間兵が思わず一歩引く。
ギンガの腕に形印が浮かび上がり、体が一回り大きくなる。
それに倣うように、ファーデルや他の三人も形印を顕現させ、臨戦態勢をとる。
危険を感じ取った人造人間兵が、そろってレーザー銃を撃とうとする。
しかし―――動かない。
頭の先から足先に至るまで、一切の身動きが取れない。
まるで金縛りにでもあったかのような―――。
その様子に、ギンガはにやりと唇をめくる。
「俺に銃を向けるってことはそう言うことだ。死ぬ覚悟はできてんだろうな!? あぁ!?」
☆
『Z137地点、こちらアイリス隊移動完了しました』
『同じくタモト隊! 同地点にて待機中!』
『Same、美しく整列している。ミラージ隊、OKだ』
『ごほっ、ごほっ。……コールルイス隊、着きました』
『コェヴィアン隊、二分以内に到着予定でス』
続々と各軍隊長から報告が寄せられる。
ローシュタインの指示したZ137地点―――ヌチーカウニ―帝国の正門に直通する浮遊道を1km遡り、小道に逸れた場所だ。
先程まで各隊が潜伏していた廃墟や山間といった身を隠す遮蔽物は無く、整地された道路がどこまでも広がる。
地表から20m宙に浮かび、等間隔に並ぶ拳大の光源球は、照度4000ルクスを超える輝きを放っている。
ドーム会場についている照明が、一つ辺り2000ルクス相当と考えると、相当な明るさであることは言うに語らずともわかるだろう。
疑似太陽の如く夜空に浮かぶ球の光は、夜闇を一切寄せ付けない。
帝国内と同様、夜という概念が消失したと錯覚するほどの明るさだ。
本来であれば、ヌチーカウニ―帝国内を往来する無人ハイジェットや大型車がひっきりなしにみられるはずだったが、現在その光景は一切見られない。
帝国王によって発せられた厳戒態勢により、日が落ちるころには既に交通規制が成されていた。
1km離れた場所からでも遮蔽物が無いため、黄金色に輝く正面門が見て取れるほどだった。
すなわち、Z137地点は光沢のあるハイジェット専用の浮遊道が一面に広がっている場所で、視界良好。
その上、昼と同等の明るさに照らされている立地で、待機場所には全くと言っていいほど向かないことは一目瞭然だった。
そこにサセッタのほぼ全ての戦力―――一万三千人のセリアンスロープがいるとなれば、遠方からでも視認されるのは時間の問題だ。
当然ながら、帝国より1km圏内ともなると、偵察ドローンがそこかしこに見られる。
2,3km離れていた廃墟や山間に飛んでいた機体数の比ではない。
しかし、ローシュタインとて、そこに何の対策もなしに集合させたわけではない。
十六か所に据え置き用の迷彩装置、およびプロアルゴリズム電磁波を配備させていた。
遠方からは迷彩装置によって誤魔化し、近づいてくる偵察機には、プロアルゴリズムにより組み込まれている自律索敵範囲を混乱させ、位置情報を入れ替えている。
この二つの装置によって、開けた場所でも見つからずに済んでいる状態だった。
既にデヒダイト達が侵入してから15分が経とうとしていた。
いまだシェルターは頑として開こうとせず、滑らかな曲線を描いた山のようにそびえ立っている。
全員が固唾をのんで鋼鉄の要塞を見守る。
そこに、遅れていたコェヴィアン隊が合流した。
「コェヴィアン隊、到着しましタ」
能面のように一切表情も声色も変えず、淡々と報告する。
そのすぐ後に、機械的な音声が流れる。
『Phantom-ereaMより皆様にお伝えします。これよりオープンチャンネルを通して、総隊長より指示があります。なお、その際、応答回線は軍隊長のみ開通致しますので、ご了承ください』
一旦音声が切れると、一秒も経たずして再接続される。
『―――こちら第一帝国戦作戦本部、総隊長のローシュタインだ。全員そろったようだな』
「あらあら、まだエクヒリッチさんが見当たりませんが……」
まったりとした口調で言いながら、アイリスが周囲を見渡す。
『彼らの隊は敵と交戦中だ。予想外だったが想定の範囲内だ、問題ない』
「まあまあ、相変わらずですのね……」
アイリスは浅くため息をつき、困ったような表情を浮かべる。
『さて、本題に入るとしよう。……先行していたデヒダイト達から連絡が途絶え、シェルターが出現したことについては諸君らも認知していることと思う。今から話す内容は、作戦を本来のプランに戻すことについてだ』
“本来のプラン”という言葉に、レジスタンスたちが分かりやすく動揺する。
『諸君らに伝えていた作戦は、デヒダイト達がシェルター動力炉をクラッキングしたところで、五方から帝国内部に侵入。その後、城内にある極秘裏に設置されている三か所の人造人間統括管制室をクラッキングし、敵を無力化するという内容だったな。だが、それはとある事情によって、本プランの前座作戦として考えたものだったのだ』
その“とある事情”というのが内通者を特定するためのものだ。
しかし、これを知っているのはローシュタインと古株のコェヴィアンのみである。
他の軍隊長はもちろん、当然一隊員が知ることはない。
いらぬ憶測が飛び交う前に、ローシュタインは再び全体に向けて話す。
『では、本来の作戦とは何なのか。その答えは諸君らの目の前にある』
全員がその言葉に導かれるように顔を上げる。
彼方にまで広がるカーボン樹脂製浮遊道が、宙を漂う光源球により特有の光沢をみせ、その先には彼方にまで広がる城壁が見える。
城壁中央に輝くはヌチーカウニ―帝国の巨大な正門。
交通規制が始まると同時に閉鎖され、現在も固く閉ざされたままである。
ローシュタイン曰く、そこに本来の作戦の答えが隠されているらしいのだが、皆目見当もつかない。
頭を悩ませた末、タモト軍隊長が冗談半分に
「みんなであそこの門壊してくぐるとか?」
と半笑いで言う。
しかし、そんなことができるはずないのは、タモトもよく知っていた。
できるのならば、とうに実行している。
隊員たちもそれを理解しているため、薄い反応を示すだけだった。
だが、ローシュタインだけは違った。
意味深な笑いを浮かべ
『半分正解だ、タモト。我々はあの門を堂々と通って、帝国王が鎮座する帝国城に潜入する。すなわち―――』
誰もが次に発せられる言葉に耳を傾け、固唾を飲み込む。
『―――正面突破だ』
一瞬の静寂。
通話を聞いていたサセッタ全員が困惑する。
目の前のヌチーカウニ―帝国は、シェルターと高エネルギー膜の二重構成により、外部からの侵入は事実上不可能。
正門も例外ではない。
待機している隊員たちが言葉を無くすのも当然だ。
その気持ちを代弁するように
「Impossible、ミスター、貴方はあの堅い門を突き抜けろ、とでも言うつもりなのかな」
ニヒルな笑みを浮かべながら、そう言ったのはミラージだった。
いつものように長い黒髪を後ろでまとめ上げ、かぶっているハットで目元を隠す。
「貴方ほどの人が美的センスを欠如させるなんて……。そんな美しくない指示には従えないな~。その命令は、あの壁をどかしてからにしてくれよ~。But、無理だと思うけどね」
『なぜ無理だと言える、ミラージ』
「Because、シェルターを下ろすには動力炉をクラッキングするだけじゃ無理だからだよ~。城内にあるシェルターを管理している、防衛システム室も制圧しないといけない。However、あまりにも人数が少なすぎるよ。いくら先兵特化のデヒダイト達でも難しいだろう? その肝心のデヒダイト達からも連絡が途絶えているじゃないか~」
『なるほど……。確かに内部状況が分からない今、どのような手段を講じてシェルターを下ろすかが最大の問題だ。―――だがな、ミラージ。この私がそのことを想定していなかったと思っているようなら、残念ながら的外れな指摘だ』
その言葉にミラージは片眉を上げ、怪訝な表情を浮かべる。
「That、この状況を想定していたと?」
『ひとつずつ説明していこうか。まず、シェルターがなぜ起動したか。これは簡単だ。敵が地下に不可視センサーを展開させていて、地下移動中のデヒダイト達がそれに感知され、シェルターが起動したのだ。そして、次にどうやって防衛システム室に―――』
そこで、ローシュタインの話を遮るように「ちょ、ちょっと待ってください……」と横やりが入る。
相変わらず目の下にクマを浮かべ、せき込みながら言ったのは、軍隊長のコールルイスだ。
「不可視センサーが地下に展開されていると分かっていたなら、なぜ僕たちをそのまま城壁から侵入させてくれなかったんですか。センサーがない以上、シェルターも自動索敵迎撃も起動しないんじゃないですか」
一瞬の間の後、ローシュタインは何かに納得したように『なるほど』と呟いた。
「ごほっ、ごほっ、……何か僕、おかしいこと言いましたか?」
『いや、すまない。独り言だ。……答えるとしよう。仮にそれを実行してしまえば敵の思うつぼだ。厳戒態勢が敷かれている今、城内には50万もの人造人間兵が常時待機している。そのまま攻め込めば、いくら我々セリアンスロープだろうと物量で押し負ける可能性が出てくる。
攻めでなく防衛に回られた暁には、勝てる確率は限りなく低くなるだろう。さらに言ってしまえば、奴らは防衛システム室から手動で、シェルター・高エネルギー膜・自動索敵迎撃を起動させることができる。
シェルターは帝国全土を覆うまで五分かかるが、高エネルギー膜は30秒もあれば展開し終わるだろう。
不可視センサーが無いからと言って、迂闊に城壁を超えようものなら、手動で起動した高エネルギー膜によって、城外と城内で分断さて終わりだ』
不可視センサーを地下に展開させるという、一見して大胆で見当違いな作戦に見えるが、実のところ緻密に仕組まれた奇策―――確実に仕留めるための、まさに油断した敵の裏をかくかの如く用意された罠だった。
それを一瞬のうちに練り上げた六戦鬼のホークゲンの頭脳は賞讃に値し、それを見抜いたローシュタインの慧眼は驚嘆に値するだろう。
『そのため、動力炉をクラッキングしなければならなかった。全ての防衛システムを電力から根こそぎ支配してしまえば、分断されることはない。
そこでさらに、少しでも勝算を上げるために、敵兵を分散させる必要がでてくる。
まずは城内―――東西にある電力機能管理施設の二つに敵兵を割き、
そして城外―――五つの主力部隊が待機している、と情報をリークしておいた
予想通り、奴らは確実に制圧するため、軍の半分を城外に回した。
あとは焦った我々が、勢いのままに突入したところに分断すれば、ヌチーカウニ―帝国側の勝利は揺るがない』
しかし、この彼の言葉は半分が嘘だった。
城内の電力機能管理施設の二か所、そして城外の五か所に隊を分けた本来の目的は、動力炉の制圧、および内通者にダミーの情報を流し特定するため。
敵兵力の分断は、あくまでその副産物として狙っていたものだ。
そして、もちろん情報をリークしたのもローシュタインではない。
内通者が流したものだが、しかし、その事実を今は話せば戦い前に隊員たちが疑心難儀になりかけない。
不安要素を残さないためにも、現状を合理的に説明できるハッタリを言う必要があったのだ。
『ここまで説明すればもう分かっただろう。どうあがいたところで、シェルターは起動する。ならば、クラッキングする場所は動力炉ではなく、防衛システム室を視野に入れなければならない。だから私は、直前でデヒダイト隊を三小隊に編成しなおした。東西の対極に敵兵の意識を集中させ、残りの小隊が手薄になった本丸に乗り込み防衛システム室をクラッキングする。それが私の考えたシナリオだ』
「Excellent、そこまで考えているとは恐れ入ったよ~。いくつか聞きたいことがあるんだけど、それはまた今度にしとくよ~。……But、そのシナリオの肝心の部分、防衛システム室のクラッキングが出来てないようだけど、その点はどう考えているんだい~。机上の空論を並べられても、現状を鑑みると敵に裏をかかれたままだよ、ミスター」
ミラージが再び問いかける。
しかし、ローシュタインは悠々と自信に満ち溢れた口調で言った。
『私の論理に間違いはない。それに、作戦というのは敵の裏をかくものではない。手の内を読み切った上で組み立てた方が勝つのだ』
その瞬間、地面が割れたのかと錯覚するほどの揺れと、轟音が立て続けに起こる。
レジスタンス全員が状況を把握できない中で、誰かが声を張り上げながら前方を指さす。
そこには不気味に帝国を黒く覆っていたシェルターから光が漏れ出していた。
隙間から伸びる光線は暗く染まった夜空を突き抜け、幻想的な雰囲気を生み出す。
巨大な卵からこの世ならざるものが爆誕するように出てきたのは、ヌチーカウニ―帝国のシンボルである帝国城だ。
果たして計画通り、徐々にシェルターが下りていくのをサセッタ全員が確認した。
今まさに話していた空論が実現となり、さしものミラージも「ひゅ~、やるね~」と賛辞を贈る。
その光景は第一帝国戦作戦本部にいるローシュタインの目にも映っていた。
廃墟となったひび割れたデパートのホールから、その様子を冷たく眺める。
「そもそも、我々は戦って勝つ必要などない。人造人間統括管制室さえクラッキングできれば敵を無力化できるからな。それを踏まえ、人数差を考えるとやはり早期決着が望ましい。故に、我々は速攻に長けた一点突破以外手はない。無駄に分散させるのは愚策だ」
ローシュタインは三度オープンチャンネルに接続し、レジスタンス全員に指示を飛ばす。
「さあ、道は開けた!! これより第一帝国戦を開始する!! 城壁を超えるまでに敵兵と遭遇した場合、アイリスのセリアンスロープで対応。他は城壁を超えることだけに集中せよ」
ローシュタインは踵を返し、掛けてあったサセッタのローブを羽織る。
その間にも淀みなく事細かに指示を出していく。
「最優先目的、人造人間統括管制室三か所のクラッキング、およびその防衛。また、六戦鬼のホークゲンを確認次第、各軍隊長が対応せよ。六戦鬼だけは制御下に置けない例外だ。この戦いは彼をどう排除するかで決まる。総員、心してかかれ!」
インカムの向こうから『了解!』という応答と共に、Z137地点のレジスタンスが動き出したのが分かった。
ローシュタインはそれを聞き届けると通信を切る。
その瞳は力強くヌチーカウニ―帝国を見据えていた。