四十八話 報告
めっきりと冷え込んだ夜中、葉に霜が降り空気が凍てつく。
山間のあぜ道を踏み鳴らし、白い息を吐きながらバーキロンは再びロッキーの住処へと赴いていた。
連絡があったのは≪人類の叡智≫を預けてから一週間経ってからだった。
未だに遠隔操作プログラムが完成したとの一報が入ってこないため、そろそろこちらから連絡しようとしていた矢先のことだった。
『完成した。来てくれ』
一言、ロッキーはしゃがれた声で手短に伝えた。
しかし、その連絡が入ったのは日がとっぷり暮れた夜。
睡眠を必要としない人造人間だが、一週間に一度は核である心臓部にエネルギーを丸一日かけて補てんしなければならない。
バーキロンは丁度、補填日とかぶってしまったため、ロッキーの家まで必要最低限の三割程充填することにした。
☆
「遅かったの」
ロッキーは扉を開けてバーキロンを中に入るよう促しながら言った。
「補充日でしたので。それで、ついにできたんですか」
「うむ、遠隔操作自体は予想よりも早くできたんだがの、二日三日かかると伝えておったから、余った時間で内蔵用演算装置も造っておったら、いつの間にか一週間経っておったわ」
マリモ頭を弾ませながらくつくつと笑いを噛みしめる。
「そんな理由で……」と思わずバーキロンは呆れ笑いを含ませる。
「そんな怒るな。しっかり完成しとる」
秘密基地のような研究室に足を踏み入れ、丁寧に保管されている≪人類の叡智≫を見る。エメラルド色に輝くそれは、以前と比べて外観に何の変化も見受けられない。
「外面は何も変わっとらんぞ。中に組み込んどるからの。さあ、そこに仰向けに寝っ転がれ」
見ると、先日訪れた時には無かった人ひとり乗れる台がある。汚れひとつない白いシーツが被さっているのを見ると手術台を連想してしまう。
言われるがままに台に乗って仰向けになる。視線の先には体に接続するためのコードや、鋭利な器具などが蜂の巣のように空いた孔から見える。
「今からおぬしの体に≪人類の叡智≫を組み込む。しばしの間、核稼働を停止させてもらうぞ」
異論はなかった。
バーキロンは薄れゆく意識の中で、一人の少女の顔を思い浮かべる。
瓦礫の下でバーキロンの生き方を否定し、あまつさえ彼に対して『苦しんでいる』と断言してきた少女。
彼女は今どこで何をしているのか。
きっと自らの信念を曲げずに、どこかでレジスタンスの活動をしているのだろう。
そして―――彼女の幼馴染、シオン。
絶対に彼を戦場で自由にさせてはならない。楔で制限されている間はコントロールがまだ効く。だが、その制約がなくなれば、おそらく彼は最も手ごわい敵になることは間違いないだろう。早めに芽を摘んでおかねばならない。
しかし、とバーキロンは思う。彼らの戦力では世界を変えることなど到底不可能に近い。人数の差は戦力の差に直結する。本来の人間には無い特殊な能力を持っていたとしても、覆すことは難しいだろう。
―――それでも、万が一にドセイロン帝国にたどり着くようなことがあれば、僕は…………。
次第に核から熱が引いていき、そこから先の思考はまどろみの中に消えていった。
☆
バーキロンが覚醒したのは、太陽が空の真上に昇った頃だった。
目を開けると、ここ数日で見慣れた秘密基地の天井が見える。
「うむ、核も正常通り稼働しておる。その他器官も良好じゃな」
ロッキーが画面に映し出された波形を見ながら言っているのが聞こえた。
全身の検査をしていたコードが抜かれていく。
上体を起こし拳を作る。動作に問題はない。
「どうじゃ、違和感あるかの」
「いえ、大丈夫です」
「日常動作は異常なし、と。では、いよいよ本題といったところか。≪人類の叡智≫の動作テストじゃ。ワシのプログラムしたA15:+14にアクセスできるか?」
バーキロンは自らの体内で書き込まれたプログラムを探す。しばらくの間の後、「ありました」と答える。
「中にリストがありますね。何ですかこれは?」
「コバルト君が支配していた人造人間のコード番号じゃ。研究員だったころ持っていた製造コードと照らし合わせてみたところ、そのほとんどがドセロイン帝国のものだった。ゆうに一万人は超えておったのぉ。最初それを見た時は絶句したわい」
自分では想像もできない領域の技術力を見ることができたのが、そんなにもうれしかったのか、言葉とは裏腹にその口調は興奮を抑えきれないようだった。
「じゃが全てをワシの演算プログラムにかけることはできない。もともと重要度にタグ付けされておったから、上位50名を残してあとは全て削除しておいた」
リストを見ていくと、確かに50人ほどにリストアップされているようだった。そこでふと、バーキロンは上位固定されている一つの名簿を見つける。他のコードナンバーは全てDで始まり数字の羅列が書き込まれているのに対し、このコードだけはそれがない。固有名詞と思わしき名前が書かれている。
「ロッキーさん、一番上にあるこいつは……?」
「さあの、わしにも分からん。何度か開こうと思ったんじゃが、パスコードがないと入り込めぬ。解析しようにも、この再現不能と言われている≪人類の叡智≫には手も足もでん。いったいどこの誰が、どうやってこんなものを作ったのやら」
アクセスしようとすると、なるほど。確かにロッキーの言った通りパスコードを入力しなければならないようだった。全部で七つの文字を入力しなければならない。
バーキロンは考え込む
今までのコバルトの噂でヒントとなるようなものがなかったか。
今までのコバルトの会話でヒントとなるようなものはなかったか。
必死に思い返し、過去を省みる。
その時、バーキロンはふとある言葉にたどり着いた。
まさかな。そう思いつつも言葉を入力していく。
【BOBONBO】
それはコバルトが絶えず崇拝していた名前だった。結局バーキロンはこの名前が何を指しているのか分からずじまいだったが、果たして予想は的中していた。
承認の文字が出ると、アクセス権限がつながっていく感覚が全身を通して分かった。
その瞬間、大量の情報が流れ込んでくる。
「ご……ッ!! あ、ガ……ッ!!」
激しいめまいが襲い、≪人類の叡智≫を埋め込んだ核付近が猛烈に熱を発する。
もだえ苦しむバーキロンを見て、ロッキーは驚きのあまり目を見開く。
「おい、どうしたんじゃ、バーキロン!! しっかりせんか!」
コバルトがサセッタに殺されてから一か月。
その間も情報は蓄積されていたのだ。主がいなくなった空白のひと月分のフィードバックがこうしてバーキロンを襲っている。ロッキーの演算プログラムで処理しきれない分は、反動で元々内蔵されている彼の意志を処理する装置にダイレクトに届く。
人間で例えるならば、普段運動していない人が、一か月分の運動を一日で行った後に起こる筋肉痛に似ている。
ロッキーは改造していた遠隔装置を取り出し、バーキロンに接続する。凄まじいまでの機械音が聞こえ、フィードバックする演算処理の代替機として駆動しているようだった。
五分後。
ロッキーの咄嗟の機転のおかげで、オーバーヒートすることなく彼はようやく落ち着きを取り戻す。
「すまぬ、バーキロン。まさか操っていた対象からの情報発信データが蓄積しているとは夢にも思わなかったわい……」
ロッキーは謝罪するもバーキロンから返事がない。台の上に上半身だけ起き上がらせたままピクリとも動かない。
「おい、大丈夫か……」
バーキロンの顔を覗き込んだロッキーは言葉を詰まらせる。
彼の顔はこれまでにないくらい顔面蒼白になっていた。
「……いま、何日ですか」
バーキロンはぽつりと呟くように聞いた。
「12日じゃが……、それがどうかしたのか?」
「……サセッタがついに動き出す」
ぼそっと、聞き取れるか聞き取れないかくらいの音量だ。
「ん? すまん、聞き取れなかった。もう一回言ってくれんか?」
しかし、バーキロンは無言で台から降り、足早に部屋から出ていこうとする。
ふと、何かを思い出したかのようにぴたりと立ち止まる。
振り返り、まっすぐロッキーの瞳を見ると、
「僕が≪人類の叡智≫を取り入れたことは内密にしておいてください。もし、僕以外の者があなたに接近して聞き出そうとしたら、対象を殺害、それが叶わない場合は自害してください」
物腰はやわらかいものの、その内容は残酷で冷酷だった。
恩を仇で返されたも同然の仕打ちを受けたロッキーは、怒りを露わにするかと思いきや、焦点が合っていないトロンとした目をして、
「分かった」
と、ただ一言呟いた。
バーキロンは改めて≪人類の叡智≫の脅威を体感した。
催眠にかける手段は以前にボリスから聞き知っていた。実際に催眠にかけるのは勝手が分からないのではないかと心配していたが、いざ行使するにあたって杞憂だと悟った
まるで、生まれた時から使い方を知っているかのように、今しがたロッキーに催眠をかけることに成功したからだ。
バーキロンは踵を返し取っ手に手をかける。
「では、ロッキーさん。お世話になりました」
「うむ、またいつでも来い」
催眠に掛かったことなど露知らず、先ほどとは打って変わって、ロッキーは朗らかな笑顔を浮かべてバーキロンを見送った。
太陽が昇っているにもかかわらず、肌寒い空気がバーキロンを迎える。
彼は走って下山する。白い吐息が後方の木陰へと吸い込まれていく。一刻も早くこの事実を知らせなければならない。
「今日の深夜、サセッタがヌチーカウニ―帝国に攻撃を仕掛ける、か。……愚かな、戦力差は歴然なのにもかかわらず、本気で革命を起こす気か? いったい何を考えている」
コバルトが送り込んでいる内通者からの情報だった。彼が死してもなお催眠は継続されている。
スパイから送られてきた一か月分のデータは膨大であるため、詳細は把握しきれていないが、それは移動しているときにでもできる。
バーキロンがいまするべきことは、一刻も早く詳細を踏まえたサセッタの計画の報告だ。
―――マセライ帝国傘下に収まっている三帝国の内で、最も陥落しやすい帝国であることには間違いない。深夜に総攻撃を仕掛けるのは、闇に紛れるため……。夜行性のセリアンスロープがいるならば、アドバンテージになることは間違いない。
今のところ把握している情報を整理する。
―――しかし、このことをドセロイン帝国の上層部に伝えるのは悪手に近い。ボリスによって情報の出所を操作されかねない。さらに言ってしまえば、勘のいいボリスに≪人類の叡智≫のことが気付かれるかもしれない。いや、もうすでに読まれている可能性もある。奴は俺がサーモルシティーに行ったことを知っていた。なら、勘付かれていることを前提に考えた方がいいか?
山道を抜け出し、ふもとまで一気に駆け下りる。ヘルメットをかぶり、止めてあるバイクにまたがりスロットルを開け、エンジンを唸らせる。
―――報告はマセライ帝国のドン・サウゼハス帝国王に、直接お伝えするか。普段は謁見なんて叶うわけもないが、サセッタのことになればお目通ができるかもしれない。それに所詮、ドセロイン帝国はマセライ帝国の傘下に収まっているんだ。うまくいけばボリスを出し抜けるかもしれない。
車体を反転させタイヤを高速回転させたかと思うと、砂埃を立ち上げて一気に加速する。
エンジン音の咆哮が凍てつく空気に響き渡り、彼方へと消え去っていった。