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四十六話 デヒダイト隊




「もー! わかんないの!!」


デヒダイト隊の隊舎に甲高いランプの声が響き渡った。

場所は二階、隊員の個室が存在する一角。コルクマットが敷き詰められた共有スペース。

そこで地団太を踏むように怒りを爆発させる幼女。駄々っ子のようにひっくり返り、足が何度も空をける。その対面にはあぐらをかきながら、困ったように頭をかくガルネゼーアがいる。

二人の間には挟まれるようにして机があり、その上にはなにやらノートや本が散乱している。


「ちょっと、暴れないでよ。机動くじゃん」


「だってー! こんなの分かるわけないの! 連立方程式とか絶対、将来役に立たないの!」


「だー、うっさい! 隊長の指示なんだからしょうがないでしょ!」


「なんでなの!! 今勉強しても学校ないのに~」


そこにシオンとノイアが通りかかる。

手には筆記用具やノートが抱えられている。


「ランプ学校行ってたのか、意外だな」


シオンは寝っ転がるランプに驚いたような声を上げる。


「む~、さてはシオン、バカにしてるの。私の方が三つも年上なんだから、当たり前なの」


仰向けになりながら、顔だけを二人に向ける。


「だけど、そんな行けてないだろ? HKVが流行しだしたの10年前だからな。ランプが学校通いだす時らへんか」


「む、むぅ、それは……」


ランプは言葉に詰まり、やがてバツの悪そうな顔を浮かべながら起き上がる。

机に置いてあるテキストを雑につかみ取り、二人に見せつける。


「でも、シオンはこの問題解けないとおもうの!」


目の前に広げられたテキストに一通り目を通すシオン。


「いや、これ簡単だろ……」


思わず少年はそうつぶやいた。

そう、なんてことはない。書かれているのは、ただの基礎練習問題。小難しい文章も、複雑な図形もない。数字と記号が書かれた連立方程式のみなのである。


しかし、ランプはまるでこの世ならざるものでも見たかのような顔をする。


「簡単!? 簡単って言ったの!! じゃあ全部やってみるの!」


何がなんでも数学をやりたくない下心が丸見えである。他人に問題を解かせることに何のためらいもない。

そこに、なにやら面白そうな声が聞こえるぞ、と言わんばかりの顔をしたアスシランが通りかかる。


「おや、皆勢ぞろいだね。何やってるのかな?」


「勉強なの!! 馬鹿はとっとと出ていくの! 邪魔!」


「開口一番ひどい! よく一瞬で、僕に対する悪口をそんなに用意できるね。ちなみに僕はそんなにバカじゃないよ!」


「口では何とでもいえるの。論より証拠なの! これをやってみるといいの!」


そう言って手に持っている問題集を渡す。

アスシランは不敵に笑う。


「いいのかい? 後で泣きを見るよ?」


「上等なの。まずはこの問題からやるの」


アスシランがまんまとランプの作戦にはまってところで、事の顛末を眺めていたガルネゼーアが大きくため息をつく。


「あんたら、隊長に言いつけるよ。特にランプ、どうなっても知らないよ」


「へっへーん、デビちゃんなんて怖くないの。そもそも、なんで私たちの隊だけ勉強しなくちゃいけないの。タモトっちとかコールルイスたちはやってないって言ってたの」


「そんなん私が知るわけないじゃん。直接本人に聞きな」


デヒダイト隊では、独自の方針で訓練の始まる午後の前に勉強会を開いている。

問題集やテキストは、デヒダイトがどこからか調達してきたものである。

それを大人たちが手分けして担当し、できる範囲で教えているのだ。

デヒダイト曰く、サセッタの革命が成功し、平穏が訪れた時に子供たちが困らない様にするためのものらしい。


しかし、親の心子知らずとはよく言ったものだ。ランプはいっこうにガルネゼーアの言うことを聞く様子はない。

痺れを切らしたガルネゼーアはこめかみに血管を浮かべる。


その瞬間、シオンの隣にいたノイアが生唾をのむ。


「どうした、ノイア?」


「こ、これはマジの怒りモードだよ……! 僕一回、仮想空間内だけど、ガルネゼーアさんを怒らせてぶっ飛ばされたことがあるんだよ! すごい痛かった!」


「お、おう。何したんだ?」


「つまずいて転んだ時に、お尻触っちゃったんだ……。って、そんなことはどうでもいいんだよ。このままだったら、ランプちゃんが危ない! 怒りをおさめないと!」


そこに案の定、空気を読まず、得意げな口調でアスシランが白い歯を見せながら言う。


「ほぉ~ら、ランプ! できたよ、こんなの代入するだけじゃないか!」


「えっ! ホント!? サンキューなの」


ランプは足早に駆け寄って問題を手に取る。

普段は能天気なアスシランの言葉でひっかきまわされるが、この時ばかりは幸いなことに、ガルネゼーアの堪忍袋の緒が切れる寸前で、怒りを免れる形となった。


「え、これの答えLなの? 数字だと思ってたの」


問題用紙に書かれたアスシランの解法をいぶかしげに眺める。


「はははっ、なにいってんだい、ランプ。それは2だよ、2」


「えー! 字へたくそ! 絶対これLなの! 最初のところクルンってしてない!」


「癖なんだよ、しょうがないだろ?」


「じゃあ、Lはどう書くの!」


アスシランはやれやれと言わんばかりに、大げさに首を振ってノートに文字を書く。


「ほら、これでどうだい?」


そこには見事、2という文字が書かれていた。

しかし、よく見るとどこか似て非なるものであることは分かるのだが、所詮は多少の違和感を持つという程度のことである。


それを見せられたランプは、ドングリを詰め込んだリスのように頬を膨らませる。


「もー! 人をからかわないの! 怒るよー!」


しかし、アスシランはどこ吹く風。それどころか、ランプをおちょくってかかる始末だ。


「えっ! まさかランプ知らないのかい? これ筆記体って言って頭いい人にしか書けないんだよ? ランプみたいな頭いい子なら、知ってると思ったんだけどな~」


「え、うっ、し、知ってるの! ひっきたい、知ってるの! 私もかけるもん……」


視界の端にシオンとノイアを捉えながら、精一杯の虚勢を張った。

何が何でも年上としての矜持を守りたいらしい。

一方のシオンたちは、内心またこの展開か、と肩を落とす。普段は、ランプの方がアスシランを罠にはめたり、脅したりしているが、今回のように、彼にチャンスが巡ってくるとここぞとばかりに付け込んでいくのだ。


そんな日常も見飽きている二人は、慣れた口調でランプのフォローを入れる。


「僕、ぜんぜん知らなかったよ。さすがランプちゃん!」

「ウン、スゴイー、サスガ、ランプ~」


ノイアはともかくとして、完全棒読みのシオンのフォロー。ランプの機嫌を損ねるかと思いきや、少しうれしそうな笑顔を浮かべる。しかし、普段と比べて晴れやかではないのは、見栄を張っているという罪悪感が芽生えたのだろう。

ランプは目を泳がせた後、


「あ、もう勉強終わりの時間なの。ババア、ありがとなの。あとは部屋でやるの」


と言って、そそくさとテキストを集め、部屋に戻っていった。


「……あのガキ、後でおぼえてなよ」


対面に座っていたガルネゼーアは、口元を引きつらせながら立ち上がる。

相変わらずのババア呼びに、そろそろ本格的に鉄槌を下さねばなるまい。

怒りを滲ませていると、性懲りもなく空気を読まずにアスシランが彼女の肩に手を置く。


「ふっ、勉強ってのは自主性を重んじないとね。僕みたいにわざと煽って、虚栄心を利用するのさ! きっと今頃、ランプは部屋で猛勉強中だよ」


「あ~、そうかい……!! んなら、私の格闘技の先生やってくれないかいッ!!! アスシランセンセよ~~!!」


その瞬間、何かが切れる音がした。

ガルネゼーアの体中の至る所から血管が浮き出し、全身から闘気が滲み出している。否、闘気などという武道に通ずる類のものではない。これはただ単純に、殺意である。純度100%のどす黒い怒りをまとった修羅のオーラだ。


鬼のように豹変させた顔つきは、デヒダイト隊史上初の形相である。


流石にアスシランもこれはヤバいと思ったのか、乾いた笑いを浮かべる。


「は、ははっ……。さ、さ~て、僕は報告書をタイチョ―に提出しにいくかなー」


何食わぬ顔で一階に行こうとするも、はたしてガルネゼーアに後襟を鷲掴みにされ、行動不能となる。

恐る恐る、アスシランは背後を見る。


「午後の訓練まで、時間はあるじゃんか……。ちょっとサンドバックになりなよ、センセー」


―――あ、これ僕死んだな……。


はたと気が付くと、いつの間にかアスシランの親指の可動領域がガルネゼーアの手によって支配され、行動そのものが操り人形と化した。


「痛い! 痛いよ!! これ見た目は地味だけど、すっごい痛いよ!!」


「……分かります」


ノイアは悲しそうな顔を浮かべながらそう言った。


「そんな顔浮かべてないで、助けてよー! ノイア君!」


「いや、師匠に逆らうのは、ちょっと……。ごめんなさい、アスシランさん……」


ノイアの言葉は果たして彼に届いていたのだろうか。

そこには既に彼らの姿はなく、共有スペースにはシオンとノイアだけになっていた。


「いっちゃったね」


「そうだな。俺たちもとっとと片付けて、午後に備えようぜ。第一帝国戦(ファーストエディション)の模擬戦闘だろ、確か」


「うん。でもまだアイネが残って勉強してるから、待とうよ」


「まじめだからな、あいつ。たぶん、まだ時間かかりそうだし、洗濯物取り込んでくる」


「りょーかい~。なら、またあとでね~」


「おう」







二階から降りて左手にある部屋。

中には二台の洗濯機と一台の乾燥機がある。どちらも年季の入った代物だ。奥にも扉を隔ててもう一つ部屋があるが、そちらは女性専用となっている。

シオンが中に入ると、同じように奥の部屋に繋がる扉があいた。


「あ、シ、オン君……、おはよう」


ぎこちない笑顔を浮かべながら、そう言ってきたのは、未だ内気から抜け出せてないルナだ。普段のポニーテールをほどいて、シルクのカーテンのように透き通った黒髪が、後ろで大きくなびいている。

服装もいつもと違い、Tシャツにジャージとかなりラフである。


「ルナさん、おはよーございます。今起きたんですか」


「ち、ちがうもん……、起きてゆっくり、してたら……瞼が重くなって……」


「二度寝じゃないですか……。起きれてよかったですね。今日寝坊したら、さすがにマズいですからね」


「全体訓練だもんね……。戦闘着も、乾燥機にいれて……ぎりぎり間に合ったよ。ラウンちゃんが全然取りに来ないから……なかなか空かなかったの。それじゃ、準備するから、部屋戻るね」


ルナはそう言い残すと、そそくさとその場を後にした。

一人残されたシオンは、機械の中に入れておいた洗濯物を取り出す作業に移る。

普段は三日分溜めて洗濯をしているが、今日はいつもと比べて量が多い。

敵国の偵察で一週間ほど遠征に行ったためだ。


サセッタは従来行っていた救援活動をいったん打ち切り、気たるべく第一帝国戦(ファーストエディション)やその後の戦いに備え、アジト候補や敵軍の戦力の確認を記録していた。シオンのいるデヒダイト隊もその例外ではない。

割り当てられた領域は、何の因縁か、四帝国のうちの一つ、ドセロイン帝国だった。


ローシュタインを筆頭とした軍隊長会議では、おおよその攻城戦における作戦が決まっており、今日はその模擬戦闘を行うことになっているのだ。



洗濯機から衣類を取り出し、乾燥機の可動を見届け部屋に戻ろうとした矢先、地面に何か落ちているを見つけた。


「なんだこれ」


拾上げると、それは桃色のひも付き女性用下着であった。しかも、かなり透けておりセクシー度が高い。


「こ、これ、パンツ! ルナさんのか!?」


普段は冷静なシオンも、このときばかりは年相応の反応をしてしまう。視てはいけないと思い、慌てて目をそらす。

その時、入り口のドアが開いた。

シオンの心臓が高鳴る。

この現場を見られれば、あらぬ誤解を受けかねない。入ってくる人間にもよるが、デヒダイト隊にいる人間は大抵モラルにかけている。特に男性陣の一部はその傾向が顕著にみられる。

彼らに見つかれば、一生ネタにされかねない。


シオンは急いで、握っていたパンツをポケットにしまい込んだ。


入ってきた人物は、果たして該当者の一人、ブロガントだった。眼鏡の奥にある瞳は、どこか変態性をぬぐい切れていない。ルナと違い、しっかりと服は着替え、髪の毛もセットしてあるあたり、几帳面さがうかがえる。


「お、シオン。朝からそんなとこで突っ立って、どうしたんすか。朝立ちすか?」


「洗濯物取り込んでたんですよ。思ったより量が多くて、時間かかってたんです」


ブロガンドの質問を華麗にスル―した。

いつものことなので、ブロガンドもさして気にしている様子はない。


しかし、とシオンは思う。

この状況は非情にマズい。ポケットに桃色のスケスケパンツを入れていることがばれた日には、確実に目の前の男に言いふらされるだろう。そして何より、忍ばせたパンツは同じ隊の女性のものである確率が非常に高いのだ。

そうなれば、一生白い目で女性陣から見られることになる。


シオンの思考は、瞬時にしていかにこの場から脱出するかに切り替わる。


「あ、それじゃ俺、部屋に戻りますね。乾燥機30分かかりそうなんで」


シオンの計画はこうだ。

このまま部屋を出て、ルナの個室の前にこっそりパンツを置き、後は急いで自室に引き上げる。

決して誰にも見られてはいけない。難易度S級の任務だ。


しかし―――


「ちょっと待つすよ、シオン。ここらへんに俺の下着落ちてなかったすか? 一着なくなってて」


背後から投げかけられた衝撃の言葉に、シオンの体が固まる。

いや、まさか、と思いつつも、乾燥しきった口を開く。


「え……? 今なんて……」


「だから、俺の下着が一着なくなってるんすよ。ピンク色のやつなんすけど、知らないすか?」


シオンは固唾をのむ。

ブロガンドの探しているブツに心当たりがあるのは言うまでもない。

しかし、あれはどこからどう見ても女性ものだった。

決して男性の履くものではないが、


―――ブロガンドさんならあり得る……。


というのが、シオンの見解だった。


部屋に遊びに行くたびに、乳首の手入れをしたり、全裸でブリッジしていたりと、遭遇した奇行は数知れず。そんな男がどんな性癖を持っているか分かったものではない。もしかしたら、ホントに彼のものかもしれないとの考えがよぎる。

だが、過去の事例がどうであれ、シオンの隠し持つパンツが、本当に彼のものという確証はない。


―――もうちょっと深く掘り下げて聞こうか。


そう思い、「どんなパンツなんです?」と聞いた。

刹那、ブロガンドの顔が、鬼の首でも取ったかのような満面のゲス笑いを浮かべる。


「あれれ~、俺は下着って言っただけなのに、なんでパンツ限定なんすか~? シャツとか選択肢があると思うすけど。どうして落としたのが、パンツってわかったんすか」


このとき、シオンはようやく罠にはめられたことに気が付いた。

以前にも、同じようにいたずらを仕掛けられてまんまと引っかかったことがある。

今回はおそらく過激な下着を落しておいて、拾った人間の反応をみるというのが趣旨だろう。ポケットにしまってしまった以上、どんな釈明をしても言い訳にしか聞こえない。


相変わらずくだらないことに時間をかける大人である。

だが、シオンとてここであっさりとイジられて終わり、というわけにはいかない。

前回の無限シャンプー―――頭を水で流している隙にどんどんシャンプーをかけられ、永遠に流し終わらないという、子供でもやらないようなイタズラに苦しめられた思い出がある。

雪辱をはらすために、あえてシオンは話に乗っかることにした。


「あー、いや、実はパンツが落ちてたんで。これのことですよね」


堂々とポケットから桃色のパンツを取り出す。

いじる人間の心理は、対象がしどろもどろになってる様を楽しみたい、という願望が根底にある。

そこでシオンは、言い訳など一切せず正面切って紐のついたパンツを差し出した。


―――恐らく予想外の行動に、ブロガンドさんは一瞬ひるむだろう。その隙に逃げる!


予想どおりブロガンドはシオンが握りしめるパンツを見て、目を丸くする。しかし、どうだろうか。どこか違和感を覚える反応だ。


「いや、俺の落したやつボクサーすよ。なんすかそれ」


シオンの手からブツをもぎ取る。両手で紐の部分をつまみ、おおっぴろげにする。


「これ、ランジェリーすか? ははぁん、シオンてば、おませさん~」


その反応を見て、演技でないことを悟った。

完全にシオンの独り相撲である。いたずらに引っかかるよりもなお悪い。

傍から見たら、こっそりと桃色のパンツを隠し持ってたドスケベ少年以外の何者でもない。

これからの生活で白い目線を向けられる日々のことを考え、シオンが心を重くしていたその時だった。

部屋の扉が開き、第三者が入ってくる。


「あれ~、おっかしいなぁ。どこ落したんだろ。皆に見つかる前に回収しなきゃ……」


そう言いながら入ってきたのは、ラウンだった。

普段から凛としている彼女からは、想像できないほど不安加減が見て取れる。

何かを探し求め、下ばかり見ているためか、まだ二人には気づいてない。


「お、ラウン。どうしたんすか?」


ブロガンドの声にビクっと体ごと反応する。驚いた時のネコそっくりだ。


「や、やあ、ブロガンド。いたのか。シオン君も」


笑ってはいるものの、その表情は心なしかぎこちない。


「あー、そうそう、聞いてほしいんすよ~。さっきシオンがこんなの隠し持っててさ~、お兄さんびっくりすよ」


優勝トロフィーでも持つかのように、高々と桃色が宙にそびえる。

それを見たラウンはキュッと唇を結ぶ。まるで呼吸することを忘れたかのように、微動だにしない。よく見ると、目に涙がうっすらと浮かんできているように感じる。


僅かな表情の変化であったが、シオンは全てを察した。おそらく、桃色のランジェリーはラウンのもので間違いないだろう。急いで乾燥機からバックの中に入れてたため、しっかりと奥まで入ってなく、何かの拍子に落としてしまったに違いない。


そして、この瞬間にシオンは、究極の二択を迫られてることになった。


自らを犠牲にして、ラウンを守るか。

はたまた、自らを守るためにラウンを生贄に差し出すか。


―――……悪い賭けすぎるな。


自嘲気味笑いながらそう思うと、


「ブロガンドさん。それ、俺がアスシランさんから頂いたものなんですよ」


心の内でアスシランに頭を下げながら言った。


「だから、返してくだ……さいっ!」


目にもとまらぬ速さでブロガンドの手から奪い取る。そのままラウンの横を風のように通り抜け、勢いよく部屋から出ていった。

油断していたブロガンドは、慌ててシオンの背中を追い、扉の向こうに姿を消した。

一人残されたラウンは、あまりのショッキングな現場にしばらく放心状態だった。


数分後、ようやく彼女は自我を取り戻す。

結局、下着は自分のものとバレなかったものの、いろいろと大切なものを失った気がした。

深くため息をつき、部屋に戻ろうとする。すると、ふとお尻に違和感を覚える。

手を伸ばすと、尻ポケットに先ほどシオンが持って逃げたはずの下着がねじ込まれていた。


「…………もう絶対、落とさないようにしないと」


自分よりもずっと年下の男の子に、気を使われていたことに気が付く。

若干涙目になりながら、ぽつりと呟いた。








第一帝国戦(ファーストエディション)に向けた模擬戦闘が終わるころには、時計の針は21時を廻っていた。

ローシュタインを中心に、各隊が予め決められている作戦通りに動く。仮想空間に出てくる人造人間(レプリオン)を相手取り、各隊が制圧する地点に向けて進み続ける。

シュミレーションで陥落に成功した回数が、10回中8回というかなりの好成績を残す結果となった。


サセッタ全体に『いけるかもしれない』という空気が流れる。

それは、誰しもが思ったことだろう。

しかし、ローシュタインだけは違った。

最後の10回目を成功で終え、少し気が緩んでいるところに、インカムを通して彼の澄んだ声が通る。


「君らは20%の確率で、全滅を迎えることを知って浮かれているのか?」


失敗という恐怖心をくすぐりつつも、闘志を萎えさせない絶妙な言い回しだった。

ローシュタインの言葉で、緩んでいた空気が一気に引き締まった。







「だいたい、ローシュタインさんは厳しすぎるンゴねぇ……」


食卓並べられた晩御飯をほおばりながら、カルーノが愚痴を漏らす。

訓練を終え隊舎に帰った後、デヒダイト隊全員でテーブルを囲っているときのことだった。


「八回も成功すればほとんど勝ちはこっちのものンゴ。あそこまで言う必要はないんだよなぁ……」


「その考えが、命取りだと言っていただろう」


そう言ったのは、クロテオードだった。


「現場では何が起こるか分からん。それに、どれだけ敵の不意を突いたとしても、少なからず死傷者は出るだろう。個でそうなるなとのメッセージでもあると思うぞ。……おい、ランプ。箸の持ち方が違う」


突如として自分に矛先を向けられたランプは、頬を膨らませる。


「むーーー。だって! 食べにくいの! フォークがいいの!」


「魚をフォークで食べる愚か者がどこいる……。いいから持ち直せ」


「はいはい、分かったの! 持ち直すの、持ち直せばいいんでしょ!」


「はい、は一回だ」


「はーーーいいいい」


反抗期なのか、最後まで素直に言うことを聞かなかった。

テーブルの左半分では反抗するランプと、目を光らせるクロテオードが火花を散らせている。一方で、反対側ではアイネが今日の料理について感想を求めていた。料理は当番制になっているため、一人必ず一回は当たるようになっているのだ。


「どう? 芋類が多めだけど、頑張ってアレンジしてみたんだけど……」


「うん、普通にうまい。特にスープが芋使ってるとは思えないほど、濃厚な味になってる」


感想を言ったのは、隣に座るシオンだ。


「よかったー。ちょっと心配だったから、安心したわ」


「いいもの食べさせてもらった。代わりにこれあげる」


「これって何よ、……って、シオン。あなたまだピーマン嫌いなの?」


自分の皿のピーマンの量が増えていることに気が付く。


「いや、だってここのピーマンそんなに……」


シオンが言い訳をしようとすると、アイネは溜息をつく。


「しょうがないでしょ。こんな状況で、食べ物だってそんなに作れてるわけじゃないんだから。食べれるだけ感謝しなさい」


アイネに諭され、しぶしぶ自分の皿に戻す。

と、そこに愉快な笑い声が対面から聞こえてくる。


「ははは、シオン君のお母さんみたいだね、アイネちゃんは!」


声の主は、体中に包帯や絆創膏を巻いているアスシランだった。

訓練前にガルネゼーアにぼこぼこにされた傷だ。


「まだお母さんになる年じゃないですっ」


少し語気を強めながら言うも、どこか嬉しそうだ。


「そんなことより、その傷大丈夫ですか? 訓練の時、聞くに聞けなかったんですけど、何かあったんですか?」


朝の出来事を知らないアイネは純粋に聞く。

アスシランは乾いた笑いを浮かべながら、横目でガルネゼーアを見る。


「あー、またデリカシーないことしたんですね」


アイネは白い目で緑髪の青年を見る。


「そんなこと……ないさ!」


アスシランが悪びれもせず白い歯を見せた。

そこに、デヒダイトが割って入る。


「なんだぁ、またケンカしたのか?」


彼の常人をはるかに上回る巨躯で、片手に持つ茶碗が、異様に小さく見える。


「そうなんですよ。この人、デリカシーないんです! 隊長からもなんか言ってやってください」


アイネはここぞとばかりにアスシランを責める。


「この間も、私の部屋の前で上半身裸で廊下で寝てるし、ひどいんですよ?」


デヒダイトは髭をなでつけしばらく考え込んだのち、


「……なんだ、アスシラン疲れてるのか?」


眉を吊り上げながら言う。


「そんなことないさ、タイチョ―! 僕はいつでも元気さ。バリバリ仕事をこなしてるだろ?」


「そうか、なら、今日提出してもらう予定だった書類はどうなってる? まだ貰ってないんだが……」


「刷っては無いんだけどね、データはちゃんとここに―――」


ズボンに手を突っ込んだ瞬間に、アスシランの表情筋が固まる。

恐る恐る、手を引き抜くと無残に破壊されたデータチップが出てきた。修復不可能なほどに灰塵となっている。


「う、うそだろ……。いったい、いつこんな……」


思い当たる節は一つしかない。

ガルネゼーアの拳が、ふとももに当たった時に、妙な音がしたのだ。その時は気にも留めなかったが、まさかこのような結末になっているとは、思ってもみなかった。


「おい、どうするんだ」


デヒダイトがあきれ果てる。


「い、いや、待ってよ! 大丈夫、これカルーノのパソコンで操作してたから、データが残ってるはず! 彼のパソコン、自動でディバイスにも保存してくれてるから……」





彼者たちは、戦地にて大いなる戦果を得るために、大いなる代償が伴うだろう。

彼者たちは、痛みと共に、自らの内に問いかけ続ける。果実を齧りし者は、叡智を蓄え繁栄をもたらさん。真に知るものは一人、故、叡智に対し反逆の徒に身を染める。

血肉が裂け、同胞たちが散りゆく暗黒に、一筋の光を求めん。

その光の先に待ちゆくは、蛇であるか、龍であるか。



第一帝国戦まで、あと3日―――。




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