四十三話 ゆっくり湯舟 男湯編
七番街にあるデヒダイト隊隊舎、204号室。カーテンが閉め切られたその部屋で、とある男から緊急招集をかけられた三人の益荒男共が、緊迫した雰囲気の中、肩を寄せ合う。
その場を仕切るように話しているのは、いつになく真剣な顔をしているアスシラン。
そして、その言葉に耳を傾けるのは、これまたシリアスな雰囲気をまとったカルーノとブロガントであった。
「アイリスたんが……11番街にある銭湯に……くる……だと!? それは本当ンゴ!? ソースはよっ!」
アスシランが話し終えた後、カルーノが驚愕の表情を浮かべながら彼の体をゆする。
「間違いないよ。なんたってアイリスファンクラブ会員番号0001、ファンクラブ創設者にして現会長を務める僕が言うんだらね。彼女の行動は常に把握済みさ!」
得意げに語るアスシランを前に、眼鏡の奥からゲスな輝きを燦然と放つブロガンド。
「いよっ! ストーカー! その調子でスリーサイズを調べてほしいすね! ちなみに俺は15cmっす」
「ストーカー呼びはやめてくれよ……。直接聞いたんだから、まだましだろ? というかブロガント、それなんのサイズなんだい?」
釈明も実らず、二人からのブーイングは続く。
「なっ!? アスシラン氏、直接聞いたって、会ったンゴ!? 裏切者には死を!」
「そーだ、そーだ! ずるいすよ、アスシラン! なんで俺も連れて行ってくれなかったんすか!」
「カルーノはともかく、ブロガント、君はすぐ下ネタを言うから……。それに会ったのは偶然さ」
先程から彼らの会話に出てくる人物―――アイリス。
サセッタにおける七人の軍隊長の一人にして、その妖艶な雰囲気を目の当たりにした男ならば、誰しもが酔いしれ虜になる女性である。
おっとりとした口調に儚げな瞳。それでいて母性溢れるおおらかな性格。
普段から淑やかさの欠ける女性陣に囲まれ、暴言を吐かれる日々を送る彼らにとって、アイリスはさながら灼熱の砂漠に存在するオアシスのような存在であった。
「とにかくだ」
アスシランは脱線しかけた会話を元の路線に引き戻す。
「たまたまアイリスに会ったはいいけど、予想外の展開に緊張してサインを貰い損ねちゃったんだよね。本当に悔やまれるよ……、ファンクラブ会長ともあろう僕が……。でも、代わりに今日の夜に銭湯に行くって予定は聞き出せたから、皆で貰いに行こうよって相談さ! ついでに写真もね」
「サインは貰えないくらい緊張してたのに、予定は聞き出せたのか……。たまげたンゴねぇ。それにしても、銭湯……ぐふふ」
「そこに行けばアイリスに会えるんすね。どんなバブみ溢れるプレーしてもらおっかなぁ」
「君ら、サインと写真だけって分かってる……?」
☆
11番街にある大衆銭湯、『ゆっくり湯舟』。
風呂のついていない木造アパートや宿舎に身を寄せる非戦闘地区のヒトが、こぞって利用するため開店時間は常ににぎわっている。銭湯は11番街だけでなく、4~10番街を除く全ての地区に一つずつ存在する。サセッタといえども全ての家、全ての部屋にインフラを行き届けさせられるほどの余裕はない。部屋に湯舟があるのは一部のみである。
4~10番街の隊舎にはシャワールームがあるが、隊員とて、たまには湯船につかりたい時もある。
そんな時は申請書を出すと営業時間外に、すなわち、非戦闘市民が利用し終わった夜11時以降から二時間のみ使えるようになっている。
そんな周囲が闇におおわれ街灯のみが道を示す時間。
規約を律儀に守り申請書を提出したのち、その男たちは11番街の『ゆっくり湯舟』に現れた。
「そ、そろそろ来る時間すか?」
物陰に隠れながら、かつ銭湯の入り口が見える場所に位置取り、ブロガントがそわそわしながら言った。
軍隊長という隊を統べる長ということもあり、遠目にしか見られなかった偶像がごとき女性にようやく話しかけられるのだ。これが落ち着いていられようか。
しかし、アスシランが頭を横に振る。
「まだだよ、そんなに焦っても―――」
と、言いかけた時だった。
いきなり隣にいたカルーノが、二人の肩をこれでもかというくらいに力強く握りしめた。
「いたたた! 痛いよ、カルーノ! 何だい、どうしたんだ?」
「あ、あれ……、あれは一体どういうことンゴ!? あ、ありえない!! アイリスたんが、アイリスたんがぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
「ちょ、うるさいすよ! 誰かそのデブ黙らせろ」
「ブロガント、君、たまに口悪くなるよね」
発狂するカルーノの口を二人がかりで押さえつけ、彼が血走った眼を向けている場所を見る。
そこには、まごうことなく崖の上に咲く儚き一輪のように、美しさを溢れさせるアイリスの姿があった。守ってあげたくなると同時に、母性溢れる何とも言えぬ気品は、さしずめ聖母であるといっても過言ではない。
しかし、デブ、もといカルーノが発狂したのは美しすぎる彼女を見たからではない。偶像には決して許されぬ深夜の異性との密会。その隣に歩く男性、同じくして軍隊長であるミラージが肩を並べ仲睦まじく歩いてきたのだ。
これにはブロガントもアスシランも目を見張った。
「なっ、なっ、なんですか!? なんであの二人が……!」
「そ、そんなの僕が知るわけないだろ……! というより、何かの間違いだよ、これは。だって彼の本命は―――」
「そんなあいまいな回答をするなんて、それでもファンクラブの創設者で現会長すか! しっかりしてくださいよ。てか、第六感で分からなかったんすか!?」
「だから、そんな便利なものじゃないんだよねぇ……。視ようと思わなきゃ視えないし、時間が今より遠ざかれば遠ざかるほど、ブラックボックスに囲まれた分岐点みたいなものが増えて、いろんな要因にかかわって―――」
「言い訳はいいすよ! 俺は直接、聞きに行きますよ! 彼氏なのか、それともただれた関係なのか。後者の方が俺好みすけどね!」
そう言うと、ブロガントは勢いよく潜伏場所から飛び出していった。
その場に残されたアスシランはため息をつく。
「まったく、まぁ、僕も後者の方がなんとなく興奮するけど……」
ブロガントの後を追いかけようとしたとき、ふとカルーノの声がさっきから聞こえないことに気が付く。
足元を見ると、ずんぐりとした巨体が顔を真っ赤にし、目をまわしながら気絶していた。おそらく、アイリスのショックとアスシランとブロガントによって口を押さえつけられ、興奮と相まって酸欠になり、一時的に気を失ったのだろう。
「……ひどい、いったい誰がこんなことを!! くそう、君の無念は僕が晴らしてくるよ! 待っていてくれ、親友!」
安い男泣きをみせたあと、アスシランはブロガントが余計なゲス発言をする前に止めに入るべく、急いでミラージとアイリスの元に駆け出した。
「Oh! Young man じゃないか~。それと、眼鏡の君はいったい誰なんだ? そんなに息を荒げて、何かに追われてるとかかな?」
Young manとはアスシランのことだろう。ミラージはいつもそう呼んでいる。そして眼鏡というのがブロガントであることは明白であった。この場で眼鏡をかけているのは彼しかいないし、興奮のあまり息が荒巻いているのも彼しかいない。
そのブロガントがビシッと二人に向けて人差し指を向ける。
「ズバリ聞きますぜ! 夜11時、男女が仲睦まじく夜道を歩き、大浴場に向かうお二人の関係はいったいどんないがわ―――もがっ、もがッ!」
彼は最後まで言い切ることなく、後ろからアスシランに口を押えられる。
その光景をポカンとした表情で二人の軍隊長が見つめる。それに気づいたアスシランは、デヒダイト隊の悪い噂が広まってはならないと思い、舌先三寸の弁明を図る。
「は、はははっ、ミラージさん久しぶりだね。それにアイリスも、今日は一段と美しいね。夜に見る君も最高だよ」
「あらあら、美しいだなんて、褒めても何も出ませんよ。わたし、知ってるんですからね。アスシラン君、女の子皆にそう言ってるでしょ。メッ! ですよ」
最後の一言を聞いたその場にいた男たち、正確にはミラージを除くアスシランとブロガントだが、彼らはアイリスの言葉にだらしない笑顔を浮かべる。圧倒的バブみに思わず顔の力が抜け鼻の下を伸ばす。
穏やかな口調に、可愛げがあり、儚く美しい。
この人を前に、引き締まった顔つきを作ることができる人はそうそうはいまい。
ミラージは眼前にいる情けない顔をした二人の男を見て、ため息を漏らす。
「Oh、醜い……。二人そろってなんて顔してるんだい。君たちはそんな、だらしない顔面を晒すために僕のところに来たのか」
その言葉に二人は夢心地から一気に現実に引き戻される。
最初に口を開いたのはブロガントだった。
「そんなことないすよ! 俺らはアイリスに会いに来ただけすよ。そっちこそなんでアイリスと一緒にいるんすか」
「そこで会ったんだよ、boy。たまには湯船につかろうかなと思って来たら、途中でアイリスに遭遇したんだよ~」
「ふふっ、わたしもほんとビックリしちゃったわ。ミラージ君って銭湯にくるイメージが、あまりなかったもの」
「Really? 毎週のように通ってるはずなんだけどな~。あ、もしかしたら行くたびに違う姿で行ってるからかな。ほら、僕のセリアンスロープ、カメレオンだからね」
「絶対それなんじゃないかい?」
アスシランが呆れながらツッコんだ。
夜闇にまぎれ生暖かい風がゆっくりと吹き抜ける。四人はいつの間にか話し込んでいたことに気が付く。
「everyone、こんなところで立ち話もなんだから大浴場に行こう。アイリスは女湯だけど、また外で合流すればいいさ~」
ミラージは顎で『ゆっくり湯舟』の入り口に行くよう促した。
☆
―――男湯。
脱衣所で服を脱ぎ、生まれたままの姿で戸を開ける。左側には50以上あるシャワーと台座が、そして、他の空いているスペースには大きい湯船が四つ、サウナ、外にも露天風呂がある。
このご時世でなかなかの整った設備は、顧客の満足度を大いに満たしている。
そこに男三人。
軍隊長のミラージ、アスシラン、そしてブロガント。
ミラージは普段低い位置で結んでいるポニテを解き、肩甲骨付近にまで髪を下していた。アスシランは首からデヒダイト隊のシンボルである縞模様の石、アゲット石のネックレスをかけたまま浴場内に入る。ブロガントは普段している眼鏡をはずしているためか、目を細め眉間にしわを寄せている。様子を見るに相当目が悪いようだ。
三人はそろって浴場内に入る。
中には人影は見当たらず、貸し切り状態といっても過言ではなかった。
「Great! 素晴らしい! 長年通ってるけど、一番乗りは初めてだよ~」
そう言って、日光浴でもするかのように、立ったまま両手両足を大きく広げる。
アスシランはかけ湯をしながらその様子をみる。
「ミラージさん、せめて前は隠してよ」
「僕のどこに隠す部位があるというんだ。僕のすべては芸術的作品のそれに近い造形なんだ、隠すべき部位・恥ずべき箇所なんて皆無だ! さあ、存分にみるといいよ~」
「そうっすよ! 男同士で何を隠すんすか! 今日はビーチクの毛はしっかりケアしてきたんで大丈夫すよ!」
ミラージは大の字に、そして途中から割り込んできたブロガントは、なぜかセクシーポーズを決めている。
アスシランは汚物を見るような目で二人を見る。
「汚い! 今世紀最大の絵面の汚さだよ! 特にブロガント、なんだいその変なポーズ! って、いきなり腰を振らないで、腰を! ミラージさんもマネしなくていいよ! ……ほんと、なんで君がクロさんに目をつけられてないのか不思議なくらいだ」
そこで、ブロガントがなにやらふと思いついたのか、パチンと指を鳴らす。
「俺、すげえこと思いついたんすけど、言っていいすか?」
少年のようにキラキラした瞳とは、およそ正反対といえるような、純粋に下心丸出しの瞳をギラギラ輝かせる。
「Hentai boy、何を思いついたっていうんだい~?」
「俺、今さっきまで女湯覗こうとしてたんすよ。俺のセリアンスロープ、カエルなんでジャンプして壁に張り付いていこうかな、って思ってたんすよ。アイリスも今頃この壁の向こう側にいるだろうし」
男湯と女湯を仕切っている厚く高くそびえる壁を親指で差す。
「でも、そんなことしなくても、アイリスの裸を見れることに気づいちゃったんすよね、俺!」
アスシランが生唾を飲み込む。
「い、いったいどんな方法なんだい……!?」
ブロガントは意味深ににやりと笑う。
一瞬の静寂。
間を溜める。
もったいつけてブロガントは言葉を紡ぐ。
「ふっ、その方法とは至極簡単であり、誰も損せず、誰も不快にならず、法にも触れないものっすよ。……そう! 俺が考え出した唯一にして絶対の方法―――、それはミラージ軍隊長がアイリスになればいいんすよ!!」
アスシランはハッとする。なぜ、今まで気が付かなかったのか。そんな簡単に己の願望を実現させる方法があったとは。ブロガントの革命ともいえるこの方法に、目から鱗であった。
彼らが何を言っているか。
すなわち、ミラージのカメレオンのセリアンスロープを有効活用し、彼をアイリスに見立てようというわけだ。
そうすれば誰にも迷惑がかからない。
覗きもしない。
アスシランとブロガントは高根の花のアイリスを拝める。
そして、ミラージは芸術的なまでの自分の裸を見せつけることができる。
優しい世界である。
「お前がママになるんだよ!」
ビシッと、ブロガントがミラージを指さす。
しかし、彼は首を縦に振らず、腕組をしたまま顎を撫でる。
「ふむ、nice idea。だけど、タダでやるわけにはいかないな~。それはyouたちだけが得してるじゃないか。私の裸は本来、金を払ってみるべき価値のあるものさ~。なぜなら芸術品だからさ。それを今タダで見せてあげてるのだから、僕にmeritがないだろう? But also、わざわざ一級品の能力を使ってまで、好きでもない女性になるなんてごめんだよ~」
「くっ、なんて傲慢な!」
アスシランは歯噛みするブロガンドの肩をもつ。
「僕に任せてくれ。交渉は得意なんだ」
いつになくまじめな表情を浮かべる。アイリスファンクラブの創設者にして現会長のプライドが彼をそうしているのだろう。
その顔はまさしく漢の中の漢であった。さながら戦場に赴く勇士のように気高く、目の前で希望を失った仲間の無念を背負った姿がそこにあった。
「ミラージさん、ちょっと……」
アスシランは手招きして少し離れた場所に移動する。
「What? どうしたのさ?」
「どうにか僕たちのお願い聞いてもらえないかい? ミラージさんにとっても良い事尽くめだと思うんだ」
「……話が見えてこないよ~、young man。もっとはっきり言ってくれたまえ」
「この間、ノイア君の修行を週に二回、ミラージさんにしてもらう代わりに、ラウンの写真集をあげたよね」
「ふむ、彼女は美しい……。それにもかかわらず彼女は自分の美貌に気づいていない。僕の手で彼女を最高の芸術品にしたい思いが止まらないのさ~。彼女を初めて見た時からそう思ったよ。それからは寝ても覚めても彼女のことばかり……。そう、これはまさしく―――」
「『恋だ』。……前にも聞いたよ、話を戻そうか。……そこでだ。今度、彼女との食事をセッティングしてあげるよ」
「Really!?」
「もちろん! 僕は嘘はつかないよ!」
そう。アスシランには言質がある。
ラウンがひそかに行っているファッションショーを、口外しない代わりに得た『なんでもする』権利。
特段、ラウンはデヒダイトと違いセンスがあるため、そこまで隠すようなことでも無いのだが、本人が恥ずかしがっているならば活用しない手はない。
「ふむ……。交渉成立だ。やはり君はデヒダイトのところに置いておくには惜しい逸材だ」
「僕はタイチョ―に忠誠を誓ってるからね、引き抜きはごめんだよ。……よし、それじゃあ交渉も成立したところで、早速やってもらおうかな」
☆
シオンとノイアとアイネの三人は、夕ご飯を食べ終わったあと銭湯に行くことにした。なんでも、アスシランとカルーノ、ブロガントが早々にご飯を食べ終えたのを不思議に思い、尋ねてみると大浴場に行くらしい。
大衆銭湯は聞いたことはあったものの、利用したことがない三人は興味を惹かれ、行ってみようという話になったのだ。
三人は和気あいあいと話しながら歩いていると、近場の路地裏の角で、ひときわ大きい図体が横に伸びている。
カルーノだった。
「どうしてカルーノさん、ここで寝てるのかしら。いくら寒くないとはいっても、外で寝るのと風邪ひいちゃうわ」
アイネがカルーノの体をゆすって起こそうとする。
「ぐっすり寝てるみたいだから起こさない方がいいんじゃないかなぁ……。カルーノさん、寝起き悪いし」
ノイアが言った。
「でも……ねぇ」
アイネは渋い表情を浮かべる。さすがに先輩隊員をこのままにしておくわけにもいかない。
すると、そこでようやくカルーノの目が開く。
上半身をゆっくり起こし周囲を見渡す。
「ここはどこンゴ? 私は誰ンゴ?」
「ボケる気力はあるみたいだな。大丈夫そうだ。ノイア、アイネ、行こう」
シオンは二人の手を取る。
「冷たいンゴねぇ、シオン氏。でも、ほんとに前後の記憶がないンゴよ。なんか、気を失う前に嫌なものを見たというか、絶対にあってはならないものをみたというか……。うーーん、思い出せないンゴ! というか、いつの間にかアスシラン氏とブロガント氏が居ないのだが?」
一人で慌てふためくカルーノ。どうやら彼の中で、謎が謎を呼ぶ現象が起こっているようだ。こういう場合は首を突っ込むとろくなことにならない。ミイラ取りがミイラになる典型例である。
沼にはまらないようにシオンは話題を変える。
「なんかよく分からないですけど、俺たちも銭湯行くんで一緒に行きましょうよ」
ノイアもそれに便乗する。
「アスシランさんたちも先に入ってるかもしれないですしね」
後輩に言われては先輩として断るわけにはいかない。
カルーノは喉の奥に刺さった魚の小骨を残すような気分を抑えながら、三人と一緒にブロガントとアスシランのいる銭湯に向かった。
その頃、男湯の風呂場では―――。
男湯にいるはずのない水着を着たアイリスが、カメラを持った二人の男に囲まれている。上目使いや彼女が絶対にしないような際どいポーズまで。
アイリス、もといカメレオンのセリアンスロープを最大限に活用したミラージが、のりのりでカメラのフラッシュに炊かれている。
最初はためらっていたものの、いざ撮影会が始まると気分が高揚してくるというものだ。
二人の馬鹿におだてられてすっかり気分の良くなっているミラージは、どんどん過激なポーズをとる。
何度も言うが、ブロガントとアスシランにとって見えているのは、水着を着たアイリスである。
しかし、その実態はセリアンスロープの力を使って光を操り、虚像のアイリスを見せているだけの裸のミラージである。
だが、そんな真実などもはやどうでもいい。
ここには誰も傷つかず、誰しもが幸せな理想郷なのだ。例えそれが仮初めのものであったとしても、本人たちが満足しているのならば、何人たりともそれを侵すことなど許されない。
閉ざされた理想郷で、三人は異常なほどにテンションが上がっていく。
ブロガンドとアスシランは額に汗を浮かべ、懸命にシャッターを切る。
「いいっすよ!! ミラージさん! もっとこう足を広げて!」
「OK! こうかな?」
「だー! もー、喋らないで! 声までは変わってないんすから! その姿でミラージさんの声出されると萎えるんすよ!」
「わがままなboyだ……」
「声帯模写できるセリアンスロープとかいないんすか!? アスシラン、あんた顔広いすよね。知り合いとか心当たりは!?」
「いることには居るよ。コトドリをモデル生物にした子がいる。だけど、今は写真撮りたいんだ! こんなチャンスめったにないだろ? あっ! もうちょっとお尻上げてもらえるかな」
「Consent!」
「「だから喋らないで!」」
その時だった。
アスシランの視界の端に、脱衣所に人影が入ってくるのが見えた。
「二人ともストップして! 誰か来たよ」
しかし、理想郷という名の呪縛にとらわれた二人は何のその。
世界に入り込み完全にアスシランの声が聞こえてない。
脱衣所に入ってきたうちの一人が、大浴場に繋がる扉を開けた。
「くっ……! まずい!」
こんなところを見られては、まず間違いなく変態だと噂が流れる。そうなれば、町で大手を振って歩けなくなるだけでなく、社会的に死んだも同然だ。ミラージが成り代わってるとはいえ、はたから見たら女の子を深夜の銭湯に連れ込んで写真撮影をしているのである。
何としても現場を見られることだけは避けたい。
アスシランは慌てて走って、入ってこようとする人の前に立ちふさがる。
侵入者は見覚えのある顔だった。
さらりとした銀髪に、まだ子供っぽさが抜けきってない中性的な顔立ち。華奢な体躯をあらわにした人物は、ノイアであった。
アスシランとしては完全に大人が入ってくるものと思い込んでいたため、一瞬、ノイアの視線を遮るのが遅れた。
「や、やあ、ノイア君。君も入りに来たのかい?」
どもりながらノイアの両肩を持ち、後退させ大浴場から撤退させる。
しっかりと扉を閉めたことを後ろ目で確認する。
その挙動不審なアスシランを前にノイアは戸惑う。
「いま、なんかチラッとですけど、ミラージさんが……」
「な、なにを言ってるんだい? 幻覚でも見たのかい?」
するとノイアの後ろからカルーノとシオンがやってくる。
「あっ! アスシラン氏! ぼくを置いて先に行くなんて薄情にもほどがあるンゴ! このひとでなし!」
「アスシランさん、早く入りましょうよ。こんなとこに全裸でいたら風邪ひきますよ」
シオンは冷静に言う。
「あ、ああ。そうだね……」
そこでふと、シオンはアスシランの片手に、小型のカメラが握られていることに気が付く。
視線に気づいたアスシランは、慌てて後ろに隠そうとするが遅かった。
同時に目ざとくカメラを見つけたカルーノが素早く奪い取った。
「何を撮ってた定期」
「ちょっ! カルーノ! 返してよ! それには1000年に一度撮れるか撮れないかの、僕のお宝写真が―――」
何とか取りかえそうと身を乗り出すが、巨体を誇るカルーノ背中に阻まれ奪取することは叶わない。シオンとノイアも興味ありげにフォルダを覗く。
刹那、大浴場の閉ざされた空間を仕切っていたドアが勢いよく開く。
そこにいたのは変身を解いたミラージと、げんなりと活力を無くしたブロガントの姿があった。
浴場から出てくるや否や、ミラージは申し訳なさそうに言った。
「Sorry、カメラのレンズにまで変光するの忘れてたよ~。いつもは360度で対応してるのに、今日に限って変なテンションになって忘れてしまったよ」
その後ろで、ブロガントが吐きそうになりながらフォルダをさかのぼり、一枚一枚写真を削除している。
「な、なんで俺はこんな男の裸の写真を……。うぉえ、気持ち悪っ。なんで股開いてんだよクソが……。なんで上目遣い……うぇっぷ。は、吐きそ……」
「失礼だな。全部youがやれって言ったことじゃないか」
そのやり取りを見ていたアスシランは徐々に顔が青ざめる。
心臓が早鐘をうつ。
ブロガントのカメラとアスシランの持っているモノは同じ機種である。
かつ、同じ空間でカメラのレンズに光の錯覚を適用されていないとなれば、フォルダに何が映り込んでいるかは想像に難くない。
そのいきさつを知らず後から入ってきたシオン達。
そして、風呂場にカメラを持ち込み、挙動不審に三人を入場させるのを拒んだアスシラン。その彼の手に握られたカメラを奪い取りフォルダを覗くということは、ブロガントと同様の画像を目にしたということ。
アスシランは恐る恐る三人の方を見る。
しばらくの静寂ののち、三人が振り向きカメラを渡す。
「ま、まあ、趣味は人それぞれですし……。ただ場所は選んでくださいね……」
とノイア。
「皆には……黙っときます……。それが俺にできる唯一のことなんで……」
とシオン。
「アスシラン氏、そっちの気があったンゴねぇ……。全然知らなかった、今までエロ本を一緒に買いに行ってたのはカモフラージュかぁ……。参考になるか分からないけど、ネットで『真冬の夜の淫夢』ってのがあるから見てみたらいいンゴよ……」
とカルーノ。
三人の悟りきった目がアスシランに突き刺さる。
「違う! 違うんだ!! 僕はそんなつもりでやったんじゃないんだよ!! 信じてくれ!」
しかし、彼の言葉はもう届かない。
「それにほら! 僕だけじゃない! ブロガントだって……!」
そう言って振り返り指をさす。
しかし、そこにはミラージの姿しかない。最大の戦犯であるブロガントは忽然と姿を消していた。
このときようやくアスシランの中で合点が行った。
なぜ自分だけが目をつけられイロモノ扱いされているにもかかわらず、自分以上にヤバい彼が目立たないのか。
現状のように窮地に陥った際、証人となる第三者に見られる前に、持ち前の逃げ足の早さで痕跡を全く残さないのだ。
彼の転身ぶりにアスシランは愕然とした。
そして追い打ちをかけるようにミラージは言う。
「どうする、young man。もう一回撮りなおすかい? 今度は油断なく、どのレンズにも期待に応えてみせるよ。So,もっと際どいすれすれのポーズもね。報酬分の働きはするさ~」
それがより一層、目の前の同じデヒダイト隊の同志からの目線を冷たくさせた。
「違う……! 違うんだ……!! そんな目で僕を見ないでよ、三人とも! 違うんだよぉぉぉぉぉおおおおお!!!」
アスシランの声が虚しく脱衣所に響き渡った。