四十一話 ノイア、修行の日々
三番街、戦闘員訓練施設『コーラル』。
サセッタに所属する各隊の隊員が訓練のためにしのぎを削り合い、日々切磋琢磨し合っている。丸一日ひとつの隊に貸切られることもあれば、少人数が複数組予約をして借りることもある。
その大きなメインドームに併設されて、500人はゆうに入ることのできる大部屋がある。そこはトレーニングを終えた隊員の熱気を冷ますように、空調の効いた空間になっており、多くの隊員が世間話に花を咲かせている。サセッタの戦闘服の柄が異なっているところを見ると、今日は一つの隊の団体貸し切りではなく、各隊の隊員が使用していることが分かる。
大人から青少年まで幅広い年代がそろっている。
その中に一人。
ひときわ汗を滝のように流し、頭にタオルをかぶせながらベンチに腰掛けている少年がいた。肩で息をするその姿は、タオルで顔が隠れて見えないものの、かなり過酷な訓練を終えたのだと分かった。
そこに褐色の女性が近づいてくる。
ガルネゼーアだった。
「ノイア、お疲れ。……大丈夫かい?」
「はぁ……っはぁ……、だ、大丈夫です……」
「ほら、飲み物買ってきたからこれ飲みな、ゆっくりでいいから」
ノイアは返事をする余裕がなかったため、息を荒げたまま頷いた。
☆
帰り道。
七番街にあるデヒダイト隊に向かいながら、ガルネゼーアとノイアは歩いていた。トレーニングが終わって一時間がたった後だった。周囲の街頭が闇に浮く火の玉のようにぼんやりと浮かび上がり、二人の歩く道を照らす。
「今日もなかなか思うようにできなかったなぁ……」
ガルネゼーアの隣を歩きながらノイアが悔しさをにじませる。
『承十陽拳』の修行を始めてから二か月が経っていた。
並みの人間のペースであれば、質はともかくとして、五陽『砕泥』の型は習得していてもおかしくはない期間である。
しかし、ノイアは未だに三陽の『弾向』が習得できずにいるのだ。
「よくやってるって、もう一息壁越えれば、そこからぐーんってのびっから。基本の一陽はできてるんだし。じゅうぶん、じゅうぶん」
承十陽拳―――体を構成している要素、例えば大きなものでいうと筋肉や臓器、小さなものまで言うと細胞、これらすべてを意のままに動かし加わるエネルギー量を自在に操る拳法。
攻守一体の応用が可能な全九陽から繰り出される力は絶大である。それは先のサーモルシティー戦で証明済みだ。承十陽拳の使い手は、数で劣るサセッタにとっては戦況を大きく覆す切り札の一つでもある。
故に、運動とは無縁の生活を送ってきたノイアには、その強大な力を使いこなすだけの運動神経のパスを通すのに四苦八苦するのは自明の理であった。
「でも、一陽・絶波もそこまで威力が出るわけじゃないし……」
「なぁーに言ってんの、あたしがアンタの年の時なんてこんな拳法かじってなかったからね。むしろ出来上がってない体でここまでやる方がすごいと思うよ。成長期終わってからが楽しみだ、『恩返し』期待してるよ!」
ガルネゼーアは朗らかに笑いながら肘でノイアを小突いた。
師匠にそう言われたとあっては、ノイアとて悪い気はしない。少しだけ落ち込んでた心が楽になった。
そこでふとノイアは明日の予定を思い出す。
「そういえば、明日ってミラージさんが来てくれるってことになってましたよね」
「そうねー、アンタと同じカメレオンのセリアンスロープだから、力の使い方しっかり教えてもらいなー。他の隊の軍隊長が直々に教えるなんてこと、なかなか無いからねぇ」
「楽しみだけど、なんか怖いなぁ」
「まっ、そんな気張らなくても大丈夫っしょ。いい人だし」
「そうですね~……」
話に花を咲かせているうちに、やがてデヒダイト隊の隊舎が見えてきた。風に乗って夕飯のスパイスの効いた香ばしい匂いが二人の鼻をくすぐった。
「おっ! 今日はまさかカレー!?」
ガルネゼーアは目を輝かせる。
「今日の当番ってクロテオードさんでしたっけ?」
「そうそう! もう毎日副隊長が作ってくれないかな~。絶品じゃん? あの人の料理。あんな怖い顔して女子力マックスとかやばいっしょ」
「はははっ、聞かれたら怒られますよ」
「怒ると怖いのが残念ね~。……よっし、ノイア。どっちが早くつけるか競争やろか!」
「望むところです!」
そうと決まればお互いに負けるわけにはいかない。
ハンデとしてノイアが先に走り出し、その数秒後からガルネゼーアが駆け出した。
☆
翌日。
ノイアとガルネゼーアは予定時刻通り三番街の訓練施設についた。
集合場所に行くとそこには既に軍隊長の一人―――ミラージがいた。いつも通り、男にしては長い髪をローポニテにまとめ、黒で統一されたカジュアルな服はスタイルの良さを目立たせていた。
佇まいからにじみ出る謎めいた雰囲気は、遠目からでも一目で判別できた。
「今日はよろしくお願いします!」
ノイアは元気よく言った。
「よろしく頼むよ~、boy。君のとこのアスシランってyoung man に、また何か困ったことがあったら、今回みたいに頼ってくれと言っといてくれたまえ」
「え、アスシランさんですか? 僕てっきりデヒダイト隊長が頼んでくれたものと」
「non! あの壊滅的なまでのセンスなし脳筋は、僕の美学と合わない。その点、彼はいい……。デヒダイトのところに置いておくのはもったいないぐらいだ」
「は、はぁ……」
「まぁ、いいさ。それよりも始めようか、boy。時間が限られている」
そう言って仮想空間を展開させる。
いつもの無機質な白のみの空間から、雑木林の映像が投影される。土の匂いやそよぐ風が一面に広がる。
「all ready。さて、さっそくで悪いけど、boyがどれほどセリアンスロープとしての力を使いこなせているか見せてくれたまえ。話に聞いたところだと、同化まで出来るそうじゃないか」
「は、はい。こんな感じです……」
ノイアの姿がものの数秒で周囲の景色と同化していく。
一見すると素人目には完全に姿が消えているように錯覚してしまうが、ミラージは厳しい表情を浮かべる。
「OK。いったん元の姿に戻ってくれたまえ」
能力を解いたノイアは再び姿を現す。
「どうでした……?」
「ふむ、能力自体は悪くはない。but、応用力にかけている。といっても、百を語り聞かせるより一回実演した方が早そうだ。……見ていてくれたまえ」
すると、目の前の高身長の男の姿が一瞬でノイアの前から消えた。ミラージのいた場所には落ち葉が広がり、木々が風でなびいている。まるで、元からそこにミラージがいなかったかのように。
「えっ? えっ?」
ノイアは驚きのあまり目を丸くする。
彼が行って見せたのは、同化などという中途半端な能力ではない。同化はあくまで周囲との調和を主とし、実際には見えているのだが錯覚させることでその能力を発揮する。
しかし、ミラージのセリアンスロープは完全に光の流れを把握し、それらを体に合わせ一切のズレなく受け流している。
故に、光を通して存在を把握する人間、及び人造人間には彼の存在そのものが把握できるはずもなく、360度どの角度から見ても、彼という男はあらゆる観測者の視界から消え去ったのだ。
ミラージの声がどこからともなく響く。
「よく聞いてくれよ、boy。カメレオンのその最たる特徴は周囲の光を読み取って、光を任意の色に反射することで自分の体色を変化させるのさ~。それはboy、君でも無意識のうちにできている、……それがまずいね。
今ぼくがやっているのは、端的に言うと光を僕という存在から受け流すようにして排除しているんだ。So thatこれは光の流れを意識していない限り不可能に近いんだよ~。Add、自在に光の反射を操れれば、こんなこともできる」
いつの間に背後に回ったのか、ノイアの肩を叩く。
振り向くとそこにはガルネゼーアが立っていた。
ノイアは狐につままれたようにポカンと呆ける。
付き添いで来ていたガルネゼーアは、今も少し離れたところでメイクを塗りなおしている。
理解の範疇を超え、情報処理できなくなったノイアの表情を見た偽ガルネゼーアは、満足げな顔を浮かべる。
「nice reaction! その顔がほしかったよ~。ほら、もうひとつついでに驚かそう。私の手を触ってごらん」
声自体はミラージのままであるため、なんとも変な感覚に襲われる。
目の前の偽ガルネゼーアはノイアの前に手を差し出す。
ノイアは握手するように彼の手を握ろうとするも、そこに実体が無いかのようにすり抜けてしまう。
これこそがカメレオンのセリアンスロープを極めた頂点ともいえる能力である。
見た物とは異なるものを見せる。それは姿かたちにだけにとどまらず、実体との距離までをも誤魔化す。
「ずらせる距離は前後左右に1mほどさ~。ただし、困ったことに同じカメレオンのセリアンスロープには見破られてしまうんだよ~。光を操るなら逆もまた然り。操ってる光を見抜くことだってできる。君が普通の人と同じように看破できないのは、まだ光を意識的に捉えきれてないからさ。どうだい、驚いたかい、boy」
超常現象のドミノ倒しで、ノイアはもはやどういう反応をしていいか分からなくなっていた。
しかし、それがどうにも再びミラージのツボに入ったらしい。
「wonderful! Boy、君も最高だよ~。アスシラン君と一緒に私の隊に来ないかい? 待遇は今以上によくしようじゃないか~」
そこにメイクの塗り直しを終えたガルネゼーアが割って入る。
「勧誘は違反っしょ、ミラージさん」
「君も私の隊舎に来たいのかな? Non! 申し訳ないけど知性のかけらも感じられない人はお断りしてるのさ~」
ガルネゼーアはこめかみに血管を浮かび上がらせる。笑顔ではあるものの表情筋は引きつっていた。いつもならば有無を言わさず殴りかかっているところだが、相手が軍隊長ということもあり、後々のことを考えると面倒ごとに発展しかねない。
なんとか自制を利かせ、腕時計に目をやる。
約束していた時間は残り10分を切っていた。
「時間もないし、ノイアにもう少し何か、力を使いこなすヒントみたいなんあります?」
「ok! 分かった。じゃあ、old girlの言う通り―――」
Oldの時点ですでにガルネゼーアは拳を握りしめ、ミラージに殴りかかっていた。
しかし、ミラージは姿を消しその攻撃から逃れる。元々、偽ガルネゼーアとして姿を現していた場所は、ミラージが見せていた虚像に過ぎない。
拳をぶつけることが叶わなかったガルネゼーアは怒りを爆発させる。
「誰がoldだ!! 出てこいや! ミラージ!」
「ふふふ、美しくない。いや、これもある意味芸術なのか? なんにせよ、さすがの私も君とまともにやり合うなんて真似はしないさ~。この辺で失礼させてもらうよ、また会おう、boy」
ミラージの声が聞こえたかと思うと仮想空間が解除され、いつもの真っ白な空間に戻った。出口の扉は開かれており、既にミラージは出ていったようだった。
それから数十分後。
ガルネゼーアはぶつけどころ無いイラ立ちを、拳法の型にはめた一人稽古で解消していた。動くたびに汗のしぶきが宙を飛び散り、掛け声を合わせる。
休憩しながら技のキレを見ていたノイアは、乾いた笑いを浮かべる。
この後の修行は荒れそうだと考えながら―――。