三十九話 交錯する誓いの布
サーモルシティー東部地区。
ガルネゼーアの攻撃によって更地になった地面を、一人の男が駆け抜けていた。
シオンである。敵の作戦にはまってまんまと戦線を押し上げ、仮拠点からかなりの距離を取ってしまっていた。
残党兵を一掃し、シオンは急いでアイネを探すべく戻っていた。
仮拠点付近に着くも人影はない。恐らくアイネは生き埋めになっている。
しかし、むやみに探したところで照り付ける太陽と戦闘の疲れで、時間と体力が無駄に消耗することは目に見えていた。
シオンはわずかな希望を抱きながら、再びアイネに向けインカムのチャンネルを変える。
「アイネ、頼む! 応答してくれ!」
その時だった。
インカムから砂嵐のような音が鼓膜を揺らしたかと思うと、その音に混ざってわずかにアイネの声が聞こえた。
「アイネ!? おい、アイネ! 聞こえてるなら応答しろ!」
しかし、返事はない。代わりに何者かと話している
「くそっ! スピーカーが壊れてんのか!?」
シオンは目を閉じ聴覚に意識を集中させる。
声がこもって聞こえる。やはり予想通りどこかに生き埋めになっているらしい。
シオンは一歩踏み出す。すると途端に雑音が激しくなり声が聞こえなくなる。
二歩下がるとどうだろうか、先程よりも声がクリアに聞こえる。
普通に考えて距離が離れると音声が遠くなり、近づくにつれ声は鮮明になるはずだ。
「これに頼るしかないか」
シオンは音声がより鮮明に聞こえる方角に足を運ぶ。
聞こえてくる会話に耳を傾けながら―――。
☆
アイネは自分の過去を含めシオンとの出会いをかいつまんで語った。
その間、バーキロンは静かにその話を聞いていた。
時がゆっくりと流れていく。瓦礫の外は銃声も爆発音も聞こえなくなり、別の空間に隔離されたかのような静けさを感じた。
アイネの話を聞きながら、バーキロンもまた遠い過去の日を思い出し反芻する。
己が決意したあの日から、自分の行動にただの一度のブレはない。
この夢は正しい。彼は確信をさらに深めた。
やがて、アイネの語りも終盤に入り最後にこう締めくくった。
「―――だから、あなたとシオンは決定的に違うの。あなたは可能性が低ければ無理だと断言する。でも、シオンはわずかでも可能性を見いだせれば、絶対にその可能性に賭ける。それが例えどんなに悪い賭けでもゼロでない限り、シオンにとっては十分なのよ」
バーキロンは嘲笑する。
「確かに決定的に違うみたいだ。僕はそんな愚かな真似をしないからな」
アイネはむっとした表情を浮かべる。
「愚かって何よ。死に物狂いで可能性を引き寄せることが、そんなに馬鹿にされることなの」
「可能性が低いのを分かっていながら、それでもそれに賭けるのが愚行だというんだ。現に見てみろ、シオンという男は結局、何も守れていない。彼は非情に徹しきれないあまり自ら悪い賭けをせざるを得ない状況に、自分から足を踏み入れている」
「……だったら最初から切り捨てればよかったわけ? シオンの母親が敵地に行こうとするのをそのまま見捨てたらよかったの?」
「違う。彼は母親を守りたかったのだろう。なら、助けを求めにドセロイン帝国に行くんじゃなくて、母が生き残る確率のより高い方を選択すべきだった。行けば殺される可能性が高いのは彼が一番分かっていたはずだ」
「でも、それができる心理状況じゃなかったから……」
「そこが愚者である証拠だ。彼は矛盾を抱えている。一方では自らの正義を守るための冷酷無比な残忍なまでの人格―――現実主義者だ。だが、かたや誰よりも夢を追い求め、誰よりも奇跡を願う子供のように純粋な人格―――夢見論者でもある。相反する二つの人格が彼の中で葛藤をするが、夢見論者が最初にゼロ%の可能性を信じてしまう。こと、自分の正義にかかわると、それが顕著になるみたいだ。君の話を聞いているとね。だからいつも最悪の結末を迎える。より大きい被害を出してね」
しかし、アイネは毅然とした態度を示す。
その眼は隣に座るバーキロンを否定していた。
「夢を抱かなきゃ思想は掲げられないじゃない。最初に夢を見て何が悪いのよ」
しかし、バーキロンも引き下がらない。
「夢を見ることがいけないわけではない。その夢を見る状況が現実的ではないと言っているんだ。なぜ、場が悪いところで勝負をする。最初の段階で未然にふせげることが多すぎる。可能性の高い段階で勝負をしなければいけないんだ。だから僕は―――」
―――子供を殺した。
あの時、エターナルサーベルで命を奪っていなければ、バーキロンの思想は遠ざかっていただろう。もしかしたら、軍を追放され、国を追放され、改革するという夢を現実にすることはほぼ不可能だったかもしれないのだ。
いい土俵で勝負をするならば、より上の地位につかなければならない。勝負に出るのはそこからでなければ分が悪すぎる。大局を見据え、目の前の子供を助けるという未練を断ち切って手に入れた、今の隊長という地位。
夢に着実に近づいている彼は、自分の選択こそが絶対的に正しいという自負があった。
しかし、『子供を殺した』などとは口が裂けても言えなかった。それも殺したのは孤児院の子供である。
話の中でアイネは孤児院の名前を口にしなかった。
しかし、オーシャン帝国内にある孤児院であることは判明していたため、どうにもバーキロンは嫌な胸騒ぎがしていた。
自分が殺したのはこの子の友達だったんじゃなかろうか、と。
しかし、カースの元、強襲した孤児院の大人子供は全滅させたはずである。生き残りは居ない。それはその場にいたバーキロンを含めた人造人間兵が確認済みだ。
それでも、万が一ということもある。
アイネが言葉に詰まるバーキロンを見る。
「だから僕は、どうしたの」
「……なんでもない。とりあえず、君の言う通り、シオンという男は僕とは決定的に違うことだけは分かったよ」
そのとき、現世から隔離されたかのような二人のいる空間に声が飛び込んできた。
アイネは聞き覚えのある声に顔を明るくさせる。
「シオン!? シオンここよ! ここに閉じ込められてるわ!」
体を動かそうとしたはずみに、ポケットから鉄の小粒が転がり落ちる。
「おい、何か落したぞ」
バーキロンは拾い上げる。
彼の中で心臓が大きく音を響かせた。
見間違えることは無い。
それは紛れもなくドセロイン帝国のバッジであった。
ところどころに血が付着し、時間の経過と共にさび付いていた。
しかし、それでも彼には確信があった。
そのバッジの裏に刻まれた文字。
『V.K.』。
それが何を―――否、誰を指しているのか彼自身が一番よく知っていた。
バーキロンは動揺を隠しながらアイネに尋ねる。
「お、おい。おまえ……これをどこで」
「私のいた孤児院で拾ったのよ。全員ドセロイン帝国に殺されてて、その中に落ちてたものよ。……運がよかったのかしら。私たちはね、その日に限って孤児院を抜け出していたの。セリアンスロープになるためにアダルット地区に行ってたのよ」
その瞬間、すべてがバーキロンの中でピースが埋まった。
胸騒ぎは的中した。
バーキロンはアダルット地区での一件以降、バッジを無くしていた。
おそらくそれが孤児院の中にあったということは、同期の人造人間兵と揉み合った時に落としたのだろう。
そして、バーキロンが落としたバッジを彼女が持っている。
すなわち、彼女がいた孤児院を襲い殲滅させたのは、他ならぬカースの率いた軍隊であり、彼自身でもあった。
「……ラリマー孤児院」
バッジを渡す際に、思わずバーキロンは口にした。
アイネは驚いた表情を浮かべる。
「あなた……私のいた孤児院を知っているの?」
「……僕が、君のいた孤児院を―――」
バーキロンのセリフは、駆け付けたシオンの言葉によってかき消される。
「おい、アイネ! そこにいるのか!? 無事なのか!?」
瓦礫に外から声が聞こえる。
「…………ええ、大丈夫よ、シオン」
「待ってろ、今助けてやるからな!」
外界で瓦礫をどかす音が聞こえる。
アイネはバーキロンを見る。
「それで、君のいた孤児院を、なんだって?」
しかし、その眼には優しさは残っていなかった。
アイネもまた、バッジを見たバーキロンの反応で察することができた。拾って以来、シオンにもノイアにも、誰にも見せたことがないバッジを彼は知っている。
それを知っているということは、持っていた本人、もしくはそれに類する人物であり、殺戮の限りを尽くしたドセロイン帝国の関係者であることを意味する。
バーキロンは目を閉じると息を深く吸い、ルーティーンを行った。
開いた双眸はアイネに向けられる。
「僕の名前はバーキロン。コーサネリウス・バーキロンだ。頭文字は『V.K.』。そのバッジは僕らがラリマー孤児院を襲撃した際に落としたものだ」
「……あなたが、やったのね。皆を……」
「その通りだ。どうする? 僕をこの場で殺すか?」
激昂するか、それとも取り乱して泣き出すか。
バーキロンは斜に構えアイネの出方を伺う。
しかし。
アイネがとった態度や放った言葉は、バーキロンの想像のはるか上をいくものだった。
アイネは憐れむような目を向けて、ゆっくりとした口調で言った。
「……私はあなたを殺さない。それは苦しんでいるあなたを楽にさせてしまうわ」
「苦しんでる? この僕が?」
「ええ、そうよ。それにね、私はあなたを殺すためにこの力を手に入れたんじゃない。……最初は孤児院のみんなでHKVから逃れるためだった。でも、みんな殺されて……、あんなことは二度とあってはいけないのよ。そんなことを平気でできるような世界にした元凶を変えなきゃいけない。その行為をして咎められず是とする世界を作った元凶を直さないといけない。C.C.レポートが出てきたことで全ての悪の根源がマセライ帝国にあることが分かってる」
喋るアイネの頭上の岩がどかされ、徐々に彼女の元に光が差し込む。
「私はこの力を、世界を救うために使うわ。マセライ帝国とその属国を倒して世界に平和を取り戻す。人造人間技術を開示し他帝国でも造れるようにする。そして自由に自分で生きる手段を選べる選択者になってほしい。皆が笑って過ごせる世界に戻す。そのためにサセッタに入ったのよ。私だけじゃない、シオンだって、ノイアだって、サセッタに入っている全員が同じ考えよ! 私たちは抗うわ、この歪んだ世界を救うために!」
「……世界の救世主にでもなるつもりか。敵はどうしようもなく強大だというのに」
「……バーキロン、あなたさっき言ってたわね。『場が悪いところで勝負をするのは愚か者のすることだ、僕は違う』って。……いいえ、違うわ。あなたはただ逃げてるのよ。賢ぶって安全な高みから見下ろしてるだけ。可能性の大きい方ばかり選んで自分が傷つくことを怖がっているのよ。決して、傷つき死んでいった人たちを見ようとしない。そうやって自分の天秤に乗せて、自分の殻にこもって満足するあなたこそ愚劣の極みよ」
彼女は知らない。バーキロンの夢を、思想を。
左腕に巻き付けた少年の血を吸った紅い布に強く誓ったことを。
しかし、その言葉はどこかバーキロンに突き刺さった。そのためか、彼は怒りを露わにする。
「何も知らないくせに知ったような口をきくな! お前に俺の想いが分かってたまるか! 俺が軍を変えるためにどれだけ苦労してきたか知らないくせに!」
「その軍を変えるのはいつになるのかしら。一年後? 五年後? 十年後? その間にあなた達の帝国はどれだけの人を傷つけるつもりかしら? 死に怯える人たちにあなたたちは一度でも寄り添ったことがあるのかしら?」
バーキロンは左腕を握る。誓いを立てた紅い布の上から力の限り。
「多少の犠牲は仕方がないだろう。より多くの人間を救うためだ。そのかわりに絶対に俺がどんなに時間をかけてでも、何としてでも変えて見せる! 算段もすでに整えてある! 絶対にだ!」
瓦礫がどかされ差し込む光がより一層強くなる。幾重にも重なった漏光がアイネの右腕に巻かれた誓いの布に注がれる。
「その間に私たちサセッタはドセロイン帝国を倒して世界を正しい方向に導く。残念だけど、あなたの思想はそこで潰えるのよ」
「そうはさせない。僕は国を立て直す。そのためには巨大な実権を握る軍の頂点に上り詰めなければいけないんだ。いくらお前たちが正しいことをしていると思い込んでいても、僕の国を侵す権利なんてどこにもない。だから―――アイネ。君が理想を追い続ける限り、いずれ僕は君の夢に立ちはだかる。最悪、僕は君を殺すかもしれない」
「立ちはだかるなら乗り越える。私は誰もが笑って過ごせる世界を取り戻す。それまでは死ねないわ。たとえ、万が一殺されたとしても、きっと私の意志はシオンに、ノイアに受け継がれてあなたを打ち砕くわ、バーキロン」
その瞬間、薄暗い空間に人ひとり通れる大きな穴が開き、外界との世界をつないだ。
照らされる光がアイネに注がれる。同時にシオンの手が穴からのぞいた。
「アイネ、つかまれ! 引き上げるぞ!」
アイネは眩しさに目を細め差し出される手に捕まる。
ぐんっとアイネの体が引っ張られたその時だった。
無作為につまれ絶妙なバランスで保たれていた瓦礫が大きな音を立てて崩れ落ちた。
シオンは紙一重の差でアイネを腕の中に収めて転がり落ちる。
「大丈夫か、アイネ! 怪我はないか!?」
シオンは起き上がり確認する。
「ええ、大丈夫。それよりもまだ中に人が!」
アイネが立ち上がり埋まった場所に向かおうとする。
それをシオンが腕をつかんで引き留める。
「……バーキロンとか言ったか、あいつは俺たちの家族を殺した奴だぞ。助ける必要はない」
「なんで知ってるの?」
「聞こえてたよ、これで」
そういって耳につけているインカムを小突いた。
「途中何度か雑音が入って聞き取れなかったが、最後の方はきっちりと届いてた」
「そう……。なら分かってるわよね。私はみんなが笑って過ごせる世界を作りたいの。彼も例外じゃないわ」
「……正気か? 俺たちの家族を殺しただけじゃない。敵軍なんだぞ」
「それでも見捨てていい理由にはならないわ。……離して、私一人でもやるから」
そういってシオンの腕を振りほどく。
アイネの背中を見ながらシオンは呟いた。
「……どこかでも同じこと言われたな」
「なに? なんか言った?」
瓦礫をどかしながらアイネは言う。
「いや、なんでもねー。俺も手伝うわ」
そう言いながらもシオンは、心ここにあらずといった感じで考え事をしていた。
―――バーキロンか……。声を聞いていた限りではずいぶん若そうな印象だったな。年は俺たちと同じか少し上くらいか。……にもかかわらず、罪のない子供を殺してでも成し遂げようとする夢を持ち、目的のためなら手段を択ばない狡猾さ。神にでもなったかのように自分で作った天秤に他人の命を乗せ、より多い方の命を救った気になっている傲慢さ。……かなりの危険人物だ。この先、俺たちが苦しめられることになるとすれば、彼をおいてほかにいないと断言できる。歪んだ正義をもっている奴は何をしでかすか分からない。六戦鬼なんぞよりよっぽど難しい相手だ。
シオンは見つけ次第、即座に殺せるように銃の安全装置を解除した。
たとえアイネに何を言われようと、遂行する覚悟だった。
☆
サーモルシティー西部地区。
コバルト率いた大軍勢とエクヒリッチ隊・デヒダイト隊の衝突はすでにサセッタに軍配が上がっていた。
残党兵も地面に散らばり見るも無残な姿だった。
生き残った人造人間兵も撤退し、周囲はただ一点を除いて閑散としていた。
その一点にはサセッタのエクヒリッチ隊、数人が円をかたどるようにして佇み、その周辺に十余人の隊員がまばらに待機していた。彼らの中心にはコバルトの機能を停止した残骸が残っている。
他の人造人間とは異なり≪人類の叡智≫を内蔵されているコバルトは、サセッタ本部に運ばれたのち解体される予定になっていた。
そのために死骸を盗まれないように厳戒態勢が引かれているのだ。
そこに一人の男が現れた。
レザージャケットに濃いジーパンというカジュアルな服装だった。
しかし、サーモルシティーの人にしては落ち着きがありすぎていた。
エクヒリッチ隊の一人がその男に近づく。
「おい、貴様、何者だ。ここには近づくな」
男は涼しげな表情を浮かべると、手に光り輝く剣を出現させる。
あらゆるものを切り落とし、決して刃こぼれすることのない電子剣。
人造人間のみが使うことのできるそれが、隊員を縦に一閃する。
血があたり一面にまき散らされる。
「てめぇ!!」
その場にいたエクヒリッチ隊全員で襲い掛かる。
ある者は常人とかけ離れた牙をむき出しにし。
ある者は手を大鎌のように変形させる。
男は躱しては光り輝く刃で心臓を貫き、弾き返しては首を切り落とした。
それは一分にも満たない惨劇だった。
辺り一面血に染まり、警護に当たっていたエクヒリッチ隊は全滅。
そのなかで何事もなかったかのようにたたずむ男。
―――……まだ人の気配がする。
男は周囲を見渡す。
しかし、人影らしきものはみあたらない。
「何者か分からないが、隠れてないで出てこい」
男の誘いに、いとも簡単に物陰から姿を現したそいつは、サセッタの戦闘服を着ていた。地面に転がるエクヒリッチ隊の柄とは異なる縦に三本の黒いストライプだ。
穏やかな笑みを浮かべ、風になびく緑髪の持ち主は、まごうことなきデヒダイト隊補佐官、アスシランであった。
「かかってこないのか……? 仲間が殺されたんだ、仇を討たなくていいのか?」
「僕は君より弱いからね。それに他にやることがあるんだよ」
「……やること?」
「……君が《人類の叡智》を盗むのをサセッタに邪魔されないようにしなきゃいけない。あと数分したら通信が途絶えたことに気づいて、うちのタイチョーやエクヒリッチさんたちが駆けつけてくるよ。それまでに早く済ませておくれよ。ここで君に死んでもらっては困るんだ。警備を手薄にして、僕が引き伸ばせるのは、せいぜい数分程度だからね」
アスシランは手をヒラヒラさせながらそう言い残し、再び物陰に姿を消した。
男はしばらく周囲を警戒するが襲ってくる様子もなければ、見られている様子もない。それどころか、話していた時に敵意すら感じなかった。
狙いは分からないが、暫定的に敵では無いとみていいだろう。
放っておいても問題もないと判断した男は、計画を遂行するため、急いでコバルトの元に膝をつく。
「無残なものですね、コバルトさん」
太陽のように輝く髪をなびかせ、何の感情も持たない目を向けるその男は、バーキロンに他ならなかった。
瓦礫が崩れた瞬間にできた新しい空間に素早く移動し、幸運なことにその穴の先は外に繋がっていた。しばらくぶりの太陽に照らされながら、バーキロンは状況をいち早く悟った。コバルトの軍隊は負けたのだ。
乗ってきたバイクでサーモルシティーを脱出しようと試みるも、肝心の車体がなくなっていた。内蔵されたGPSを元に場所を割り出したところ、どうやらコバルトの乗っていたハイジェットに詰め込まれているようだった。
このときようやくコバルトに嵌められたことに気づき、同時に戦いに敗れた彼の死骸を見つけた。それを見たバーキロンは思わず笑みを浮かべる。
彼の中で組み立てていた計画を前倒しにできる手段を思いついたのだ。
そして今。
バーキロンの手には、燦然と輝くサーベルが握られている。
切っ先をコバルトの頭上に持ってくる。
「あなたの≪人類の叡智≫は僕がもらいます。安らかに眠ってください」
バーキロンは曲がりくねった山道をバイクで駆け抜ける。
研ぎ澄まされたフォルムのバイクは風を切って木々を彼方へと置き去りにする。
彼の手には親指大のチップにしては厚みのある延べ棒のようなものが握られている。
エメラルドに輝くそれこそがコバルトの≪人類の叡智≫だった。
目当てのものが予定よりも数倍早く手に入ったが、バーキロンの心は晴れなかった。
彼には一つ気がかりなことがあった。アイネとの会話の中で何度も登場してきた男の名前だ。
―――シオン。信じたものに裏切られ、守りたいものを守れずに一度は心が死んだ男。そして、死んだその心に再び守るものが出来たことで不死鳥のごとく蘇り戦う、か。アイネの幼馴染ということはだいたい同じ年頃ということか。
異常なまでの身内の固執に、幼少のころより鍛え上げられた圧倒的戦闘センス。そこにセリアンスロープの力が加わっているとなると相当なものだろう。現実主義者の彼の場合は誰よりも残忍で、それでいてどんな状況であろうと必ず正解を選び取るはずだ。それだけの力が彼には備わっている。……危険すぎる。戦況が拮抗した時に彼が動けば、決定的に状況を変えることができるだろう。であれば、そう遠くない未来、俺の夢に立ちはだかるかもしれない。
そしてバーキロンは遠き日に、夢を決意させたドセロイン帝国門前の一斉射撃のことを思い出す。アイネの話を聞く中で、自らの記憶とシンクロしたのは驚きだった。
その時に生きるため守るために必死に走っていたのがシオン、それを木陰から手に汗握り逃げ切るよう祈ったのがバーキロンだった。
遠目では子供がいるとしか判別がつかなかったが、アイネの話からして同一の全物で間違いないだろう。
しかし、だからと言ってバーキロンの意志が変わることは無い。
彼は凍てついた瞳をヘルメットの奥に光らせながらドセロイン帝国にバイクを走らせた。