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三十七話 邂逅




シオンは決して裕福とは言えない家庭に生まれた。丘に建つ草原に囲まれたヒビの入った一軒家は、裕福でこそなかったが、しかし、幸福に満たされていた。

両親は優しく、特に父親はシオンを溺愛した。長いこと子が出来なかった彼にとって、シオンは唯一の宝物だった。この家庭はどんなに辛く苦しい時も、いかなる時もすべてを注いで幸せを守ることを固く自分に誓っていた。


しかし、時の流れは残酷で、HKVが蔓延し双極帝国戦争によりオーシャン帝国兵として徴兵されることが決まった。


彼は何度も逃げようと思った。

もうすぐ三歳になる愛らしい我が子と家庭を守らなければならない。

三人でどこか遠い山奥で暮らして、ずっと一緒にいたい。




しかし、その思いは現実になることは無かった。

最愛の家族を残して、父親は戦場に送られた。





それから二年後。

双極帝国戦争で休戦協定が結ばれた。



その知らせを受け、母親とシオンは父の帰りを今か今かと待ちわびた。シオンは物心つく前の父親の姿をぼんやりとしか覚えていなかった。しかし、優しく本当に自分を愛してくれていた感覚だけは身に刻まれていた。シオンは帰ってきてほしい反面、何を話したらいいか分からない気恥ずかしさもあり、母親の陰に隠れて待った。



そしてついにその時が来た。


「……ただいま」



玄関から入ってきた男はげっそりとやつれ、左手と左足が無かった。目は生に飢え、かつての優しい眼差しはその瞳に宿っていなかった。


「あ、あなた……!! その体……!」


心配し駆け寄る妻を無視する。

父親は松葉杖をつき、ぎこちない歩きでシオンの元にいく。


「シオン、来るんだ」


「え……お、お父さん?」


「いいから来なさい!」


聞いたこともないような怒号でシオンを黙らせる。

その声にシオンだけでなく母親も固まる。


豹変した父親に怯えながら外に出ると、そこには木箱に入った武器が山のように積まれていた。



「私はもうお前たちを守ってやれる体ではない……。だが、身を守るすべなら教えてやれる。さあ、シオンその銃をとるんだ、打ち方を教えよう」



戦場で死という概念を体験したからこそ、その恐怖を妻やシオンに味わってほしくない。本来ならば自分の役割だったが、自由の効かない体ではもはや不可能に等しい。

ならば自分の持っているすべてを我が最愛の息子に託そう。それがいずれこの子の身を守り、妻を守ってくれるのならば、今は幸せではないにしても必ずその時がやってくる。父親はそう信じてやまなかった。


変わり果てた夫を前に母親は狼狽するのを隠せなかった。


「あなた、何を言って……」


「上の連中はマセライ連合軍を追い詰めて停戦協定を結ばせたことで『戦争はこれで終わりだ』、『人造人間(レプリオン)技術が開示される』と思い込んでいるようだが、それは根拠も何もない話だ。このまま攻め入れば勝てたものを、私たち連合軍はより流れる血の少ない手段を選択した。

それではダメなのだ! 人類存続の危機だからという理由で情けをかけた結果、再び戦争になったらどうなる? 今度はシオンの番かもしれない。私にはそれが耐えられないのだ!」


彼がここまで言うのには他にも理由がある。

停戦直前、自軍の戦線の一部が一糸乱れぬ敵軍の統率に押されかけていたのだ。どうやら指揮官が元学者のコバルトという男に変わったらしかった。上層部は偶然が重なってそうなっただけと判断したが、現場で戦った彼からすれば敵の異様な雰囲気に違和感を感じていた。


オーシャン帝国内で停戦にする話し合いが行われている会議の最中、彼は何度も進言し忠告した。


停戦協定を結ぶべきではないと。

敵はまだ何か隠している。そのための準備期間を整えるだけで、時が来れば平然と協定を破棄して攻めてくる。

全人類をウイルスで殺そうとする連中に約束事は不可能だと。



声の続く限りそう言い続けた。

結局、彼の言葉が届くことは無く、挙句の果てには二度と逆らうものが出ないよう、見せしめに手足を焼き切られた。



「悪い賭けではなかったが、見事にこのざまだ……。私はお前たちを守らねばならんのだ。近い将来、必ず戦争は再開される! さあ、シオン、こっちに来なさい。生きるための道具の使い方、守るための頭の使い方を教えよう」


例え息子に嫌われようとも、これだけが今の彼ができる最大限の愛情表現だった。



自分はどうなってもいい。せめてこの子だけは―――。




それからは幼いシオンには想像を絶するほど辛い日々が続いた。

時に銃を撃てば肩が外れ激痛に苦しんだ。父親が強引に肩をはめ続けるよう強制させる。

それを母が泣いて止めに入るも父親はそのたびに松葉杖で殴り飛ばした。


シオンには続ける以外道はなかった。

しかし、武器を組み立てることは習得できたが、弾を的に当てることは難航した。華奢で肉付きがまだない幼少のシオンには撃った反動で銃口が定まらなかったのだ。

父親はシオンに怒ることは無く、溜まったフラストレーションは全て母にぶつけていた。


夜、何度も両親がケンカしているのを布団で体を丸めながら聞いていた。最後は決まって母が泣き、父親は『お前たちを守るためだ』と言って自室に戻る。そして母親はシオンの元に来て抱きしめながら懺悔するのだった。


「ごめんね、ごめんね、シオン……、お父さんは悪くないのは分かってるのよ。私がいけないのよ……。私がもっとしっかりしてれば、お父さんも頑張らなくていいの……」



母の涙声の言葉は、幼いシオンの心を締め付けた。

そっと母の涙をふき、シオンは言う。


「大丈夫だよ、母さん。俺は平気。だから、泣かないで」


そういうと、母は嗚咽を漏らしより一層シオンを抱きしめるのだった。

これ以上泣く母親の痛々しい姿を見ていられなかった。


「―――おれが……父さんを……」


「どうしたの、シオン」


「…………なんでもない、おやすみ」


「おやすみ」


母はシオンのおでこに優しく口づけをした。





それからも陰鬱な日々が続き、シオンの心は徐々に父に対する不信感が募った。

優しい母を泣かして苦しませているのは、間違いなく父親の偽善だというのは幼いシオンですら分別できた。しかし、一方で、それが自分たちのために必死にやってくれてることだというのも理解していた。相反する二つの感情に板挟みになりながら、やがてシオンの心は荒んでいった。






そしてある日。

シオンは弾を一発も当てることができなかった。

度重なる父親の怒りの声と母親に対する八つ当たり、休むことなく訓練させられる精神的負担、すでに心は憔悴しきっていた。

手にはヒビの入った骨を補助するテーピングを痛々しく巻き、身も心ももはや限界に近付いていた。



「何してるシオン!! 何度も言っているだろう! よく見ろ、目を凝らせ! 撃つその瞬間まで目を離すな!」


「あなた、もうやめさせてあげて! 私がなんでもするから! 私に教えてください!」


「戦場に行くのは男だ。お前が覚えて何になる。時間の無駄だ。家に戻って飯でも作っていろ、そっちの方が何倍も円滑に演習を行えて合理的だろう。さあ、シオン! 弾を込めろ!!」


シオンは朦朧としながら弾を込め始める。

機械のように感情を表にあらわさなくなってしまった息子を前に、母親は感情を爆発させる。


「もうやめさせて、あなた!!」


「うろさい!! 黙ってろ!!」



怒鳴りつけると、松葉杖を投げ捨て力の限り妻の首を片腕で締め付ける。


「シオンのためを思うなら口出しをするんじゃない!」


「あ……ガッ……!」


シオンは父親の背中越しに母の顔が青くなっていくのが分かった。

しかし、シオンは何もすることができなかった。思考が完全に停止していた。



シオンは頭を小さく横に何度も振りながら、過呼吸気味に息を荒げる。

そして、母親の意識が飛ぶ瞬間、彼女は無意識のうちに口を動かし言葉を振り絞った。



「し……おん、た……スけ、て」





パン、と一発乾いた銃声が周囲に響いた。

シオンの持つ銃口は父親に向けられていた。


父の背中が紅く染まる。




「……なんだ、当たるじゃないか、シオン」


彼は怒ることなく背を向けながら、優しく言った。


「だがシオン、人が重なっているときは、手前の人間の狙う場所の筋肉がどちらの向きに引っ張られているか考えなければならない。貫通した時に弾がどこに流れるか計算して撃て。でなければ今回のように母さんにまで被弾する」


そういって母親の首から手を離す。

糸が切れた操り人形のように彼女は力なく横たわる。その脇腹からわずかに血がにじみ出ていた。

シオンの吐息は震えを刻み、口からは声にならない音を漏らす。



「まあ、運がいいことに母さんは今回かすり傷だったようだが……」


父は胸に手を当てる。どろりとした紅蓮の血のりが、過剰にしみ込んだ服から滲み出し地面に滴り落ちる。


「どうやら私はだめらしい。元からそう長生きはできそうになかったが、HKVでどこぞで死ぬよりかは十分すぎる死に方だな」


そう言ってゆっくりと振り向き、暖かい瞳で最愛の息子を見つめる。かつての優しかったあの眼差しで。




「あとは託した。生き残ってくれ、シオン。教えれることは……すべ、て教えた。私が愛したお前を……か、母さんを守って……くれ。そして、お前が、心から守りたいと思える……人をま、も……れ」




穏やかな口調とは一転して苦悶の表情を浮かべたかと思うと、ぐらりと前のめりになり、スローモーションでも見ているかのように父親は倒れた。



「あぁあああぁぁあぁッ……うわあああああああああああああああああああああ!!!!!」



シオンは銃口を倒れた父親の頭部に向け何度も発砲する。火花を吹くたびに血しぶきが舞い、硝煙が上るたびに肉が飛び散った。


弾が切れてもなお引き金を引き続ける。もはやその行動に意味はなく、現実から目を背けたい一心でシオンは指を動かした。



だが、シオンは分かっていた。心のどこかの冷めた部分で、呪いにも似た観念にこの瞬間縛り付けられてしまったことに。

目の前の男はもう死んでいる。恐怖で縛り付けていたとはいえ、目の前の父親だったものは命を賭して家族を守ろうとしていた。歪んではいたが、確かにそこに愛があった。

そしてその男を殺してしまったのは他ならない自分だ。

その瞬間に父親の守りたかった対象はシオンに引き継がれてしまったのだ。



否、そうせざるを得ないように状況を整え、舞台をセッティングしたのは父親に他ならない。



依存を逆手に取った母親への暴力。

そしてシオンの負の感情を自分に向けさせ。

そのシオンに“守る”という言葉を頻繁に使い、自らのズレた正義を見せつけ。

悪者に依存する母を守るという正しい正義を刷り込ませ。

ヘイトを爆発させたシオンが自分を殺すことで、息子の正義が悪者の正義を打ち破る。


人間は自らの中にゆるぎない正義がある限り、それを守ろうと必死になって生きる。

戦場で彼がそうであったように、最愛の息子にも早いうちからその観念を確立させておく必要があった。


全てが彼の計算通りだった。

しかし、シオンはそこまで気づくことはないだろう。

ただシオンに残されたのは、父の手によって確立された過剰なまでの身内の防衛心と守るための技術だけ。



父親の狙い通り以上に、シオンは代わりに家庭を、母親を守らなければならない強迫観念にも似た意志を芽生えさせてた。

父親の最後の言葉が呪いのようにシオンの心に刻み込まれた。




目を覚ました母親の腕の中で、シオンは母を守ることを自らに使命と課した。そうでなければ母を守るために殺した父親が浮かばれないだろう。


このときシオンはまだ六歳だった。







その出来事から半年ほど経過し、世間は父が睨んだとおりカトロッカ爆破事変を皮切りに戦争が再開された。優位だったオーシャン帝国連合軍は、突如現れた六人の鬼神のごとき人造人間(レプリオン)に圧倒され敗北の一途をたどっていた。




あくる日、シオンは目を覚ますと母親は何やら忙しそうに荷造りをしていた。


「母さん、どうしたの」


「あら、シオン。起きたのね。今日からドセロイン帝国にいる友達の元でお世話になるのよ。ほら、こっち来なさい。ちゃんとしたお洋服でいかないと」


シオンは耳を疑った。

ドセロイン帝国といえばシオンたちの住むオーシャン帝国の敵国だ。

友人とはいえ、戦争中に敵国に避難するなど飛んで火にいる夏の虫だ。



「だめだよ、スパイって思われる。行くのはだめだ」


「ほら、わがまま言わないの。他にも母さんの友達とかついてくる人がいるんだから、礼儀さえしっかりしておけば大丈夫よ」


「ダメだって、絶対スパイって疑われる!! 最悪殺されるかもしれない!」


「……あの人みたいなこと言わないでよ、お願いだから、シオン。こんな世の中だからこそ人を信じないと」


「……ッ」



シオンにはあの人というのが父親だとハッキリと分かってしまった。

故にそれ以上は何も言い返せなかった。

ここで反論してしまえば、母を殴りつけていた父親を擁護しているように感じてしまう自分が嫌で仕方なかったのだ。


ただ、そうは言っても状況が状況だけにシオンは引き下がれない。

行けば間違いなく検問に引っかかり、拷問を受け、知りうる国内の情報を吐かさせられるだろう。

その後はどうなるか想像に難くない。


シオンは母親の目を見る。

疑いも何もない、純粋に人を信じてやまない瞳だ。



―――あんなことがあった後で、よくそんな目ができるな……。



シオンは母親を心配する心とはまた別の心理を抱いた。



「……分かったよ、母さん」



シオンは納得するふりをした。

着替えを終えると、隠されていた拳銃を腰に挟み込む。

最悪の場合はこれを使って逃げるつもりだ。三人程度ならば不意を突けば逃げ切れる自信がシオンにはあった。


しかし、彼は心のどこかでわずかに期待していた。

もしかしたら本当に母親の言う通り受け入れてくれるかもしれない。


その淡い期待が家を出る直前の母親の言葉にシオンを折れさせてしまった。



「シオン、荷物は持った?」


シオンは頷く。


「そう……。武器はおいていきなさいね」


「……持ってないよ。あの日に全部捨てた」


「私はあなたの母親よ? 息子のことなんて顔を見れば、何をたくらんでいるかなんてお見通しよ」


「持ってないって!!」


「お母さんをこれ以上困らせないで! いいから出しなさい!!」


「でも……」


「そんなに……お父さんの方が大事なの……? 私の言うことはあなたのためを思ってないっていうの? 私を信じて、ぜったいに助かるから、おねがい」


今にも泣きだしそうな顔で震える声でシオンに訴える。

母のその顔を見るといたたまれなくなる。

シオンは隠していた拳銃を地面に投げ捨てた。

それを見た母親はひどく悲しそうな顔をしたが、それでも地面に膝をつきシオンを抱き寄せる。


「ありがとう、シオン。父さんよりも母さんを信じてくれて……」








ドセロイン帝国国境付近。

シオンと母親、その友人三人の合計五人でドセロイン帝国に入国する予定だった。母親の手には、ドセロイン帝国の友人が手配してくれた入国許可証が大切そうに握られている。



五人は十メートル先の岸にアーチ状に掛かる橋の上を通る。

鉄の手すりにつかまり下をのぞくと、崖に挟まれるように勢いよく流れる川があった。橋からの高さは二十メートル弱だろうか。遥か下にあるにもかかわらず、長い歳月をかけ周囲の岩を粗く削り取っているのが見て取れた。



五人が対岸につくと目と鼻の先に巨大な門があり、そこに二人門兵がいた。

シオンは周囲を警戒する。


―――敵兵は目の前の二人だけだ。これなら武器が無くても他の三人を盾にすれば、逃げ切れる。


門兵は五人の姿に気づく。


「お前たち、何者だ!」


兵士の問いに間髪入れずにシオンの母親は答える。


「オーシャン帝国より参りました、シャーランと申します。そちらの国の帝国防衛官幹事長、コーサネリウス様のご恩恵に賜りまして入国許可をいただきました。ご確認ください」


兵士は訝し気な表情を浮かべ、差し出された許可証を手に取る。そこには確かに帝国の三番目の権力を誇っていた肩書の署名と捺印が押されてあった。


しかし、もはや軍事一強帝国となり形骸化したドセロイン帝国の内政で、その肩書は名ばかりのものと化していた。


「……そこで待っていろ」


兵士の一人がそう言い残し、五人には聞こえない場所にまで距離をとり通信し始めた。

通信先は現在のドセロイン帝国で実質権力をすべて握っている男に向けたものだ。


しばらくの接続音の後、その男は出た。


『どうした?』


「エリアAより報告いたします。オーシャン帝国より逃亡を図る女子供、計五人を確認しました。コーサネリウス様の許可証を持っています。どうしましょうか、ボリスさん」


『コーサネリウスか。ククッ、あのもうろく爺さんまだ頑張ってるんだな。……女子供は殺しておけ。諜報員がまぎれている可能性を否定できない以上に、生かしていたところで何の利益にもならん。戦争はもはや我々の勝利は確実なのだからな』


「承知いたしました」


『一人たりとも逃すな。すぐに他の兵を向かわせる。それまで引き止めておけ』





通信を終えて帰ってきた兵士は、穏やかな表情を浮かべて入国の注意事項を説明する。

母親はほっと一安心し、他の逃げてきた友人と共に喜びを分かち合う。


しかし、どうにもシオンには嫌な胸騒ぎをぬぐいきれなかった。


兵士の表情こそ穏やかであったが、その眼が笑っていないのは一目瞭然だった。

肩にかけてあったレーザー小銃器はいまだ手に握られ、もう一人も紐を肩から外していた。



シオンは母親の袖をつかみささやいた。



「母さん、逃げよう。今ならまだ間に合う」


「何言ってるの、シオン。説明聞いてなかったの? ドセロイン帝国は受け入れてくれたのよ。これで戦争で死ぬこともHKVに怯えることもなくていいのよ」


「おかしいよ、受け入れてくれるんだったら、何で手に銃を持ったままなん―――」




その瞬間、シオンの目には考えうる限りの最悪の光景が映り込んだ。

母親を見上げるその視線の先には、門の上に銃を持って駆け付ける数十の兵士がいたのだ。



「逃げるぞ! 母さん!!」


掴んでいた腕を強引に引っ張り走り出す。

橋さえわたりきれば小脇にある生い茂った木々に身を隠し逃げ切れる。


シオンに遅れて状況を把握した母親の友人たちも死に物狂いで駆け出す。



「逃がすかァ!! 撃ち方、構え! ……撃てェい!!」



一斉射撃で放たれたレーザーが雨あられのように降り注ぐ。

まさに針の穴に糸を通す隙間を縫ってシオンは母親を連れて逃げる。



―――死んでたまるか!! こんなところで死んだら何の意味もないじゃないか!! 何のために父さんを殺した! 何のために生きるすべを教えてもらったんだ!! 守るんだ、母さんを!!




後ろを振り返ると、閃光がまばゆく弾け紅蓮のしぶきを舞い散らす。後ろの三人はすでに死に絶え、残る標的はシオンとその母親のみ。

シオンは歯を食いしばりながら、生き残る可能性を瞬時に頭に巡らせる。




―――後ろの三人が死んで標的は俺たちのみ。武器は無い。対して相手は完全武装の軍人。抵抗することは不可能だ。



0%。



―――逃げ道は岸にかかる数十メートルの橋ただ一つのみ。敵が二人ならまだしも、数十人に増加。橋の上では行動範囲が狭まって確実に狙撃される。



0%。




―――橋の下は川だ。飛び降りるか? むちゃくちゃだ。 来るときに覗いたが、高さ20メートル以上はあった。しかも激流だ。視界は開けているうえに、服の重さで浮上できずにハチの巣にされて二人とも死ぬかもしれない。



1%。




二人そろって生き残る確率は、ほぼ全て0%。


しかし、1%でも可能性があるのならば、それは悪い賭けではない。これは父親が絶えず口にしていた言葉だった。

シオンは泣きそうになるのをこらえ、母を守るため必死に橋にたどり着くと、飛び降りるために橋にかかる手すりにめがけて走った。



その瞬間だった。



一発のレーザーがシオンの左の太ももを貫いた。

激痛と同時に体勢が崩れる。


その拍子にシオンが力の限り握っていた母親の手を引っ張ってしまい、二人一緒に地面に倒れる。



「母さん!!」



シオンが母親を庇うために振り向きざまに立ち上がろうとしたその時、重心が後ろに傾いた。

シオンは目を見開く。

母がシオンを突き放すように押したのを見た。

押されたシオンの背中にぶつかるのは手すり―――であるはずだった。



本来ならばそこには落下防止・安全確保のために鉄でできた柵と手すりがあるはずである。

しかし、一斉射撃によって一部橋の手すりが焼け落ちていた。


故に。シオンが倒れる位置は不幸にも手すりの間を抜け、川底に落ちることは免れなかった。



「なんで……母さん!!!」


絶望に声を震わせながら、目から大粒の涙をあふれさせる。

必死に幼い手を母に伸ばす。

しかし、それに母が応えることはなかった。



そして、母親はゆっくりと優しい笑みを浮かべ



「生きて、シオン。私たちの分まで―――」



頭を撃ち抜かれた。





橋の上から倒れかけるさなか、息をするのを忘れるほどに、シオンは目の前の光景が信じられなかった。


そのまま勢いよく背中から川底に向けて落下していく。

何度もレーザーがシオンの周りを飛び交い、一発は右の額をかすめ、一発は左の脇腹を貫く。



数秒後には大きな音と共に水柱が天高くそびえた。

ドセロイン帝国兵は水中に向けて何度も続けざまにレーザーを放つ。

泡沫によって白く濁った川は紅く染まり、下流へと色を消していった。










自我を保てないほど混濁する意識の中、シオンは誰かが自分に話しかけるのが聞こえた。


「ちょっと大丈夫!? しっかりして!!」


「ア、アイネぇ……もう死んじゃってるんじゃ……」


「まだ息はしてる。ノイア、早くシスターたち呼んできて!」


「う、うん!!」


アイネはノイアが助けを呼びに行ったことを見届け、再び岸に打ちあがった少年に目を落とす。

彼女はピクリとも動かず体中血だらけのシオンの手を握る。



「大丈夫だから。ぜったいに、ぜったいに助けるから!!」





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