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三十六話 アイネの過去




12年前。

アイネはこの世に生を受けた。HKVが世界的に流行する二年前である。


オーシャン帝国のごく一般的な家庭で育てられたアイネ。一人娘ということもあり親からは宝物のように大切にされ育ってきた。


しかし、その至福な時間はそう長くは続かない。


その後、HKVが大流行し人類史上最悪の双極帝国戦争が勃発。父親は徴兵され、アイネと母親は疎開の地へと移住した。今までの自由ある生活とは一変し、窮屈な母屋での共同生活。物資が足りない中で最初は疎まれ大変ではあったが、アイネの母親は我が子を守るために必死になった。率先して炊事や掃除をし、皆が嫌がる赤の他人の老人の介護も嫌な顔一つせず行った。


そのかいあってか、アイネが四歳になるころには周りにも受け入れられるようになった。


ただ、何か一歩でも間違えれば白い目で見られ、コミュニティーから弾かれる可能性は否めなかった。それというのも、HKV感染によって死んだ親せきや家族の肉親が、周囲から露骨に無視されたり煙たがれるようになったりしていたからである。

誰が言ったか分からない根も葉もないうわさが飛び交う。



『息子さんが死んだからきっと親ももう感染してるわ』

『そうね、喋ったら私も感染してしまうかも』

『怖いわ~、できるだけ喋らないようにしないと、っていうかここから出てってくれないかしら』



公的にHKVはあらゆる経路を通して人間に感染すると発表されている。故に、このような発想が出ても仕方ないのだが、素人の発言は偏見に偏り科学的根拠が伴うことは無いため、噂は肥大化していく一方だった。

そのため、アイネの母親は万が一、娘を残して自分が死ぬようなことがあった場合のことを考え必要以上に他人に恩を売った。自分が死んでもせめて愛娘だけはのけ者にしないでくれと、言葉では言わなかったものの、周囲の人間には彼女の無言の圧力はひしひしと感じていた。


幼いながらに母親の背中を見ていたアイネも、なんとなく周囲の人間の陰険な雰囲気を感じ取り、一緒になって手伝った。

褒められれば愛想を振りまくように笑い、媚を売り、自分の感情を押し殺して求められている仕草をした。




そして、ある日。



アイネの母親はHKVに感染し、命を落とした。



このときアイネは四歳になって半年たって間もないころだった。

周囲の人間はアイネに憐みの目を向けながらも、雑用を率先してやる人間が一人減ったというくらいの感覚であった。

最初は幼いアイネを気遣うものもいたが、二日も経つと誰も自分から話しかけることはなくなった。


戦時中ともなると自分のことで手一杯になってしまうのは致し方ないことではあったが、母親を亡くしたばかりのアイネにとっては、それは心に大きく傷を負うに充分な出来事だった。


挙句、母親の遺体はドラム缶に押し込められるように入れられ、何度も骨が折れる音を響かせ、あいなの心境などお構いなしにことが淡々と進められていった。


完全に遺体が入るのを確認すると、今度は火葬だ。

焼け石に水のような対策ではあるが、これ以上、ウイルスを拡散させないようにするために行なっている。


それを目の前で見せつけられたアイネは、ショックのあまり喋ることが出来なくなった。そして追い打ちをかけるようにして、双極帝国戦争に徴兵されていた父親の訃報が届く。


怖かった。

あれだけ自分に優しくしてくれた大人たちが。

あれだけ親しく母親と世間話をしていた大人たちが、そろいもそろって無関心になっていくその在り方が。



やがて、アイネは孤立していった。

どうしようもなく見かねた一人の大人が、以前よりアイネの母親から聞いていた遠くにいる親せきの元に行くように促し、金を渡した。それだけが唯一、アイネの母親が必死になって売りつけていた恩が何倍にも小さくなって返ってきたものだった。




長いこと電車を乗り継いで辿りついた親せきの家でも、厄介者扱いなのは変わらなかった。一言も話さない幼子であればなおさらだっただろう。

しかし、唯一アイネに一人の人間として接してくれる人がいた。


いとこのファンソングだった。四人兄弟の一番末っ子、自由奔放で気さくな男前だった。

彼はアイネに歩み寄り、常に話しかけていた。世話焼きなのか、それともただ自分が喋りたいだけなのかアイネには分別が付かなかったが、彼女の口を開くことが無いと分かっていても純粋に語り掛けてくる彼にわずかな安堵を覚えた。


彼は旅人だった。


いろいろな国を回り、いろいろな人と関わり、いろいろなものに触れた。経験談を面白おかしく語っては楽しませ、また、アイネもその話を聞くのが好きだった。


やがて一年という長い歳月をかけ、彼の寄り添った語りはアイネの深く傷ついた心を癒した。

徐々に言葉を取り戻し、会話ができるまでに回復した。おどおどして他人の顔色を窺ってばかりいた一年前と比べると、はるかに表情も豊かになっていった。




ある日、アイネはファンソングにたずねた。


「ねぇ、何でそんなにファンは色々なことやってるの? おうちのお仕事手伝わなくてもいいの?」


「んー? アイネはまじめだなー。やるべきことはやってるからいいんだよ」


「でも、義母(おかあ)さんいっつもファンの悪口いってる……。ごはんもみんなよりすくないよ?」


「ははは、そうかそうか。アイネにとってはご飯が一番だよな! ……んー、でもなぁ、俺はご飯なんかよりも自分が知らないことを知る方がよっぽど楽しいのさ。HKVが広がって、戦争もあって、ホントにいつ死ぬか分からないだろ? 

だったら死ぬときに後悔はしたくないんだよ。まー、でも、そんなことやってるせいでいろんな物知っちまって、まだまだ知らないってことが分かっちまった。今考えるとなんて皮肉なんだろうと思うこともあるどね。このままだったらたぶん後悔して俺は死んでいく。それが嫌だからさらに時間を自分に割いてるのさ。俺がたまーにいなくなるときあるだろ? それはそういうことだ」


「うーーん、よくわかんない」


ファンソングはくつくつと笑う。


「五歳で分かったらすごいよ。んまあ、なんだ、悲しく死ぬより楽しく死にたいなってこと! 人間であることを諦めないって気持ちを忘れちゃいけないんだよ」


そう言っていつもの屈託のない笑顔をアイネに向けるのだった。


結局のところ物事の判別がまだ難しい年頃のアイネにとっては、彼の言っている意味が理解できなかった。しかし、目を輝かせながら未来の道を自らの手で決めていく彼の姿は、アイネにとって憧れの存在であった。周囲の大人たちがくすんだ目をしながら、周囲の環境にあわさざるを得ない()()()()をとっていたため、なおさらそう映ったのかのかもしれない。



自分もファンソングのようになりたい。

この想いは、弱いものを貶め、非正義がまかり通った世界で生きてきたアイネが流れ着いた地で見つけた密かな思いだった。




数日後、ファンソングはいつものように家を出ていくも、二度とその姿を見せることは無かった。行き先地でHKVが発症し、死んだのだった。


その知らせを聞くも、しかし、アイネは不思議と落ち込むことは無かった。

母の時とは異なり目の前で死んだところを見たわけではないため、実感がなかったというのもあっただろう。しかし、それ以上に一年という短い間ではあったが、アイネに投げかけられたファンソングの言葉や生き様が彼女の心を打ち、魂の中で生きていると思えた。思い返すたびに体の奥から勇気が出てきて、いつもそこにファンソングがいるようだった。




そして、アイネは家を出ることにした。


このままこの家にとどまっていても、きっと憧れだった彼にはなれない。日が経つにつれファンソングの死の実感が沸き、次第にその思いは強くなっていった。

彼からもらったものを無くしてはいけない、忘れてはいけない。


そして、彼と同じく後悔のない道を歩むためにアイネは決めた。



行き先は孤児たちが身を寄せ合い、苦労を共にしている場所。

不遇に耐え、ファングソンと会う前の自分と同じように光を無くした子供が集まっている場所。

そこに、今度は自分が光を分け与えたい。



『ラリマー孤児院』。

アイネは勇気をもってその扉をたたいた。





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