三十五話 瓦礫の下で
「ん……ぅんん……、イタッ!」
吐息をもらし、気を取り戻したアイネの頭部に激痛が走る。
触れると後頭部は腫れ上がってたんこぶになっていた。
「目が覚めたか」
隣には端正な顔立ちをした少年―――バーキロンが片膝を立てながら座り込んでいた。
アイネはこのとき初めて自分が置かれている状況を把握した。
二人を覆うようにして積みあがった瓦礫や支柱が、外界の光を遮り薄暗い空間を作り出している。奇跡的に作り出されたスペースに二人は下敷きにならずに済んだが、身動きがとれるような場所はほとんどない。
バーキロンとアイネの距離は肩が触れ合うかどうか程度にしか離れていなかった。
「あなたは……?」
「……バーキロンだ。とりあえず、無事だったみたいだな」
「体は大丈夫みたいだけど……いったい何があったのかしら。サーモルシティーの人たちを避難させてた時に……、ダメ、思い出せない」
「強烈に頭打ち付けてたから、前後の記憶が抜け落ちたんだろうな。無理もない」
「あなた、逃げ遅れたの?」
「まあ、そんなところだ」
「あれだけ人がいたものね、ごめんなさい」
バーキロンは困惑する。
「なぜ謝る。君はよくやってたと思うけど」
「だって……手加減はしたけど痺れさせちゃったじゃない。そのせいで逃げ遅れちゃったのかなって」
「あぁ、そのことか……。別に大丈夫だ」
実際のとろバーキロンにはほとんど効いていなかったが、そこはあえて伏せた。
「痺れさせたのはセリアンスロープってやつの力なのか」
「そうよ。最初はなかなか扱いにくくて苦労したけど、今はそこそこ調節できるようになったわ。……ってこんなこと言っても分からないわよね」
「いや、そんなことは無いけど……。そういえば、君、アザみたいなのが見えたんだけど、今は見えないな。見間違いだったか?」
「アザ? あぁ、形印のことね」
そう言って、目元から首筋、太ももにかけて形印を浮かび上がらせる。
「最初は目元だけだったのに、いつの間にかこんなに広がっちゃってるのよ。また、シオンに原住民族みたいってからかわれそうね」
アイネの眉間にシワがよる。選抜試験で言われた言葉を、未だに根に持っているようだった。
「はは……そんなことは……」
バーキロンは乾いた愛想笑いを浮かべる。自分も同じような感想を持ったなどとは、口が裂けても言えなかった。
「そんなことよりもここから出ましょう。いつまでもこんなとこにいたら危ないわ」
そう言うと、アイネはおもむろに瓦礫をどかそうとする。
慌ててバーキロンは止めに入る。
「待て待て! それは危ない、外からの助けを待ったほうが賢明だ」
「そ、それもそうね」
「まったく、救難活動してるくせにそんなことも知らないのか」
「うぅ……、言葉もありません……」
アイネはしゅんと体を小さくさせる。
「そんな落ち込まなくても……」
どうやらバーキロンは自分が思っている以上に、強い物言いになっていたようだった。
二人の間に気まずい空気が流れる。
しばらくの静寂の後、バーキロンが口を開いた。
「ところで……、なんで君はサセッタなんかに入ったんだ? マセライ帝国を相手取るとか正気の沙汰じゃないだろ? 勝ち目がなさすぎる」
アイネを初めて見た時から抱いていた疑問だった。
バーキロンの中で、年幅のいかない少女が自らの意志でレジスタンスに入るなど考えられなかった。親か、はたまたサセッタに強制的に酷使されているか。例えそのどちらであってもバーキロンは口出ししようとは思わなかったが、どうにも引っかかることがあった。
強制的にやらされている割には、バーキロンが観ていた彼女の姿はあまりに芯があり、確固たる意志をもっているように感じた。自分の中でのつじつまが合わずもやもやした心持がもどかしかった。故に、理由ぐらいは知っておきたかったのだ。
しかし、彼女の答えは予想に反すものであり、単純明快だった。
「―――世界を救いたいから。マセライ帝国の陰謀のためだけに苦しむ人たちを救いたいの。それがどんなに難しくても、後悔はしたくないから」
その眼に一切の濁りはなく、夢物語であっても彼女ならば現実にしてしまうのではないかと思わせてしまうほどにきっぱりと言い切った。
しかし、現実を直視し、一人の少年の命を奪ったバーキロンにはその眼は眩しすぎた。
同時に、現実も省みず夢をみる目の前の少女に怒りにも似た感情を覚えた。
理想であれば彼とて似たような思想を持っている。だからこそ、それを実現させることの難しさを知っていたし、夢ばかり見て言い切ってしまう彼女の理想の軽さを心底軽蔑した。
現実を吟味し、己の立場や力量を知って、あらゆる手段を天秤に乗せ可能性の低い方を切り捨てる。その彼でも実現させることが難しいかもしれないのだ。血反吐を吐く覚悟の元、理想のために非情にならざるを得ない手段をとったバーキロンからすれば、軽く放たれたその言葉はまるで自分を馬鹿にしているかのようにさえ受け取れた。
「……そんなに甘くないぞ、現実は非情で残酷だ。マセライ帝国だけでも兵士が300万を超えているんだぞ。属国のドセロイン帝国が100万、ロンザイム帝国70万、ヌチーカウニ―帝国が50万。対して君たちはどれくらいの勢力だ? 10万もいないんじゃないのか? セリアンスロープの能力がどれほどのものか知らないけど、それでいて倒そうだなんて不可能にもほどがある」
富裕層を優遇し、貧困層は切り捨てる。さらに、敗戦国から逃亡してきた人間など人権すらないような扱いをするのはドセロイン帝国に限った話ではない。そんな腐った世界を改革する理想はバーキロンとて一度は考えていた。
しかし、現実を見れば見る程、無理な話なのは火を見るより明らかだ。
だからこそバーキロンは、せめて自国だけでも改革しようと軍に入ったのだ。
しかし、アイネは毅然とした態度を崩さない。
「やってみないと分からないじゃない」
「やってみなくてもわかる。無理だ」
バーキロンはすかさず言う。
その言葉にアイネは怒ることなく微笑む。
「ふふっ、あなた、似てると思ったけどそんなことなかったわね、まるで正反対」
「何がおかしい、誰が聞いたってそう思うはずだ。それに正反対って何が……」
「言っても分からないと思うけど、私の幼馴染にシオンって男の子がいるのよ」
―――シオン……? さっきも聞いた名前だな。
バーキロンは先ほど会話に出てきた名前を思い出す。
「そいつがね、アナタと同じように理屈ばっかり、可能性ばっかり言うやつなのよ」
「現実的にどう考えても不可能だと言ってるんだ。そのシオンというやつがまともなら、俺と同じことを言うと思うがな」
アイネはかぶりを振る。
「ふふふ、ホントにそっくりね。でも、決定的に違うわ」
「そっくりなのに違うって……、わけがわからん」
「シオンはね、どんなに状況が悪くても諦めないもの。現実を知って、絶望して、裏切られて、それでも絶対に諦めないの。―――『悪くねえ賭けだ』、これシオンの口癖なんだけど、どう思う?」
バーキロンは見たこともない男の口癖について問われ、一瞬困惑の表情を浮かべた。
「どうって、そのままの意味じゃないのか。勝ち目があるってことだと思うが」
「ううん、逆よ。これを言うときって決まって必ず最悪な状況なのよ。私はその言葉に勇気をもらってきた。その言葉が私を今日まで守ってくれた。シオンがそうやって言ってくれる限り、どんな無茶苦茶な夢でも諦めずに私は頑張れるの。最初に出会ったあの時から―――」