三十四話 カオスな戦場
「バ、バカ、バカなななナナ!! キシャーーーーー!!」
コバルトは許容しがたい現実に発狂していた。
つい数十分前までは流れは完全にドセロイン帝国にあった。
作戦通り小隊が敵を包囲し殲滅したはずだった。その直後に起こった謎の天災―――コバルトは把握できていなかったが―――ガルネゼーアの人智を通り越した絶技によって9割の催眠が解かれた。
否、解かれたというのには語弊を含む。コバルトの≪人類の叡智≫によって催眠下に入った者は未来永劫その支配から逃れることは無い。すなわち、それが解かれたということが意味するところはただ一つだった。
「全滅ですか!! そうですか!! なぜだ何故だナゼダ!!!! どうしてこんなことに!!」
コバルトの作戦に何ら不備はなかった。ただ、唯一にして決定的に見誤ったのが、サセッタの数に比例しない戦力である。それが明確な敗因であった。
そしてコバルトを苦しめる要因はこれだけではなかった。
挟み撃ちを狙い回り込ませた大部隊が、足止めを喰らう状況に陥っていたのだ。
突如、進路の先に現れたのはエクヒリッチ隊だった。それぞれが独自で動き全く持って統率が取れていない。果ては、エクヒリッチ隊の面々は仲間内で争いはじめ、人造人間兵はその二次災害で倒されるという屈辱の異常事態が起こっていた。
コバルトは戦場ではありえないはずの動きばかりするサセッタに、完全に後手に回っていた。そこに追い打ちをかけるように、背後から突如湧いて出たサセッタの奇襲に大打撃を受けた。不意をつかれ陣形が完全に崩され、主導権をサセッタに握られると、もはや戦場は敵味方関係なく乱戦状態と化していた。
「ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう!!! ……まあいいです、逃げましょう。本来の目的のバーキロンさんの独断行動の証拠は押さえれましたし」
そう言った彼の手元には、バーキロンが愛用しているバイクが握られていた。
☆
「カオスすぎるな……」
苦笑いしながらデヒダイトは呟いた。
敵味方入り混じり、もはや動いている者を攻撃対象にし、分別なしで争いを繰り広げているのは言うまでもなくエクヒリッチ隊のメンバーである。
事の発端は白兵戦にもつれ込んだ直後のことだった。
いのいちばんに敵の陣形に割って入ったのはエクヒリッチだった。
エクヒリッチのモデル生物は≪ジバクアリ≫、といっても彼自身が自爆することは無い。
手から人差し指大の大きさの針を無数に出現させ勢いよく飛ばす。その針に何らかの衝撃が加わった時点で破裂し強烈な酸が弾ける。
体に針が突き刺されば内部から酸で溶かし尽し、浴びれば人造人間の外装が剥がれ落ちる。得意の接近戦では腕そのものを針に変形させ敵の胸を貫く。
その後ろからギンガが割って入り、敵を硬直させ、持っている5.56mm小銃をこれでもかというほど乱射する。
その時だった。ギンガの背後から何者かがスマッシュを放つ。直前でそれに気づいたギンガは身をひるがえし躱す。ギンガの陰に重なるように直線状にいた人造人間兵の頭部が軒並み吹き飛んだ。
「ファーデル……てめえ、やっぱりセリアンスロープのこと隠してやがったな」
「さすが、俺たちのボスはこうでなくちゃな!」
選抜試験でシオンを苦しめた格闘家。
両拳に形印を浮かべ満面の笑みを浮かべた小太りの男―――ファーデルがそこにいた。
「おもしれえ、今度こそオレを倒してみやがれ!!」
それから触発されたエクヒリッチを筆頭に、敵の罠だろうが、槍が降ろうが、レーザーが降り注ごうが男たちは乱闘をつづけた。
「結果オーライだったからいいものを、一歩間違えれば全滅だったな」
そう言ったデヒダイトも正面切って敵に突っ込んでいく。
眼前には下段・中段・上段と三段に分かれた人造人間兵が隊列を作り銃を構える。
完璧に一切のズレなく一斉に射出されたレーザーは、デヒダイトめがけて空中を駆け抜ける。
閃光が襲い掛かる。その刹那、デヒダイトがとった行動は衝撃的なものだった。ガルゼネーアのようにいなすわけでもなく、かといってシオンのように弾道を見切って躱すわけでもない。
彼は大胆にして不敵だった。
左手を伸ばし、手のひらでレーザーを弾く。指の隙間からレーザーの残滓が駆け抜けるも八方に飛び散り彼方へと過ぎ去っていった。
「ばかな!? 鋼ですら貫通するんだぞ!?」
人造人間兵は目の前で起こったことが信じられないように唖然とする。
デヒダイトはひるまず突き上げるように拳を振り抜き、前列の敵の腹を貫く。
「そこまで分かっているなら簡単な話だ。俺のセリアンスロープの能力は鋼よりも硬い。ただ、それだけではないか」
デヒダイトは周囲の敵をなぎ倒す。
手の届く範囲の敵を片付け終わった時だった。
一瞬の接続音の後、インカムからアスシランの気の抜けた声が聞こえてくる。
『タイチョ―、いい知らせと悪い知らせがあるんだけど、どっちから聞きたい? く~、これ一回やってみたかったんだよね』
「……同時に聞かせてもらおうか」
『なんて無茶ぶり! まあ、とりあえずいい知らせから……、敵のボスの所在を見つけたよ。なんと六戦鬼のコバルトみたいだ。ここで倒せたら今後の作戦かなり楽になるよ』
「なるほど、通りで何の合図もなしに連携が取れるわけだ。それで、悪い方は」
『悪い方は、残念ながら今逃げられそうってこと。ほら、タイチョ―から見て30度東の方角にハイジェットが走っているのが見える? あれにコバルトが乗ってるみたいだ』
「そっちを先に言わんか、ばかもの!」
慌てて言われた方角を見ると、なるほど確かに数百メートル先でハイジェットが走り去ろうとしているところだった。
デヒダイトが大声を上げる。
「エクヒリッチ!! お前から見て北に45度!! ハイジェットの中に六戦鬼がいるぞ!!」
その言葉を聞くや、エクヒリッチは目の色を変え、初速500m/sを誇る針をハイジェットめがけて飛ばす。それは風を切り裂き一直線に標的を貫いた。
車体は傾き、地面を削りながら数メートル進んだところで停止した。
ドアが上がり、中からチェックシャツをこれでもかというほど半ズボンに入れ込んだコバルトの姿が見えた。
エクヒリッチは有象無象の邪魔者をなぎ倒し、コバルトに向け全速力で走り抜ける。
ほぼ同時にギンガも駆け出していた。
「邪魔ですねぇ、邪魔ですねぇ! あなた方、私の邪魔をしないでもらえますか!!!」
怒りで体を震わせながらコバルトは絶叫する。
眼鏡の奥で薄暗く染まったコバルトの目と、エクヒリッチの目が合う。
歯をむき出しコバルトが高笑いを上げる。
「みましたね、みましたね!! 目を見ましたね、アナタ!! さあさあさあ!! その凶悪な力を以て自らの味方を裏切りなさい! 絶望しろ! 記憶に一切残らない間にアナタは味方殺しの―――」
突如、コバルトの視界が青空を映したかと思うと、衝撃と共にアスファルトの上に倒れこんだ。
―――何が起こったのでしょう、体の不具合でしょうか。
ゆらりと起き上がり状況を確認する。否、確認するまでもなかった。
殴り飛ばされたのだ。催眠下に置いたはずのエクヒリッチは、そのまま止まることなく拳をコバルトに向けたのだった。
コバルトは怒りに打ち震える。今までにこんな仕打ちはなかった。支配下に置いたものは、皆従順な下僕だった。こんなことがあっていいはずがない。こんなことが許されていいはずがない。
ただ一人を除き、自らを唯一にして絶対の存在だと信じてやまなかった彼にとって、これは耐え難い屈辱だった。
「なぜです!! なぜ殴るのです!! 私は味方でしょう!! あなたの敵は私ではないですよ!!」
「あーー? 何言ってんだおまえよォ、味方でも隙あれば襲えって教えてるだろォが。オレの隊に弱ェ奴はいらねえってなんべんも言ってるよなァ!? あァ!? 頭沸いてんのかァ?」
コバルトは絶句した。
この男は完全に催眠下に入り支配されている。現にコバルトをドセロイン帝国の六戦鬼としてではなく、サセッタのエクヒリッチ隊の一人として喋っている。
しかし、理屈で考える元科学者のコバルトには、この荒唐無稽の珍回答を理解する頭脳を持ち合わせていなかった。
狂戦士の考えと科学者の考えは決して交わることのない、水と油の関係だった。
なおもエクヒリッチはコバルトに襲い掛かる。
コバルトは雑念を振り払い、今度は支配下に置いた彼に対し幻覚を引き起こさせる。
エクヒリッチの目の前には自分自身が立っていた。それを見た彼はこれまでにないほど高ぶった興奮をみなぎらせる。
「ッハハハハハハ! オレがいるぜ! この世で一番強ェオレがよォ!! 相手にとって不足はねえなァ!?」
彼は自身の手をスピア状に変形させる。
コバルトの≪人類の叡智≫は対象に幻覚でエクヒリッチの姿に見せかけたとしても、能力をコピーできるわけではない。できたとしても、それは実体を持たない幻覚に過ぎない。
右からはとうとうギンガが数メートルまで迫ってきているのが端目で分かった。
―――嗚呼、私は間違っていたのでしょうか。私だけでは十分ではなかったのですか、満足できなかったのですか。研究でついぞ追いついたと思いましたのに、残念ですねぇ、残念ですねぇ……。ですが、しかし、えぇ……、ほんとに、ほんとにあの頃は…………。
「―――楽しかったですねぇ」
左わき腹から顎を通り脳を貫くエクヒリッチのスピアが。
右わき腹から左肩にかけてギンガの拳が。
コバルトの胴体に孔を開けた。