三十二話 正しい選択
果たしてバーキロンはコバルトのもくろみ通り、サーモルシティーに忍び込んでいた。普段の軍服ではなく、レザージャケットとジーパンというカジュアルな恰好だ。
バーキロンは周囲を見渡すが、サセッタもコバルトの軍隊も来ていないようだった。
目の前の道路には変死体が転がり、町は秩序のない不法者の集まりと化していた。町中に腐った肉の鼻をえぐるような匂いが蔓延している。
―――やはり、コバルトの妄想だったか。
心のどこかでその事実に安堵する。嘘だとわかったならばもはやこの町に用はない。
バーキロンは乗ってきたバイクにまたがり、エンジンをかけようとしたその時だった。
「おい、あっちにサセッタが来てるってよ!」
酔っぱらいの男たちがおぼつかない足取りで壁にもたれかかりながら、そう言っているのが聞こえた。男が遠い空を指さしている。
―――ほんとにサセッタが来てるっていうのか!?
バーキロンは思わず耳を疑った。
「かー! 郊外の町はずれの俺たちンとこには来ねえってか! 助かりたきゃてめえの足で来いってか!!」
そう言って二人の男たちは浴びるように酒を飲み、千鳥足でサセッタのいる方角に向かっていった。
見たところなるほど、彼らの行く先には繁栄を極めたであろう街並みがみえた。今となってはその見る影もないが、このご時世の敗戦国の建物にしてはいささか小綺麗だった。人がいる証拠である。
「てっきりアダルット地区と同じように、陰でひっそりとやっていると思ったんだが。しかたない、引き返すか」
自らの目で真偽を確かめなければ。
バーキロンは車体を反転させ、南方に走らせる。
数分後、先程までいた場所とは打って変わって、道に転がる死体の量に比例するように、人気が増えてくるのが分かった。バーキロンはバイクから降りる。
周囲の人たちが砂糖を見つけた蟻のように、とある建物に群れを成しているのを見つけた。
三階建てのその外観は一見壊れかけだが、驚くほどに致命的な決壊はない。これに似た建物をバーキロンは以前にも見ていた。
―――ここが今回の奴らの拠点か?
彼は人混みの波に身を任せ建物の中に入り込む。
建物の中は予想以上に有象無象で溢れかえり、奇声や怒号が飛び交い、人間の醜い生への執着心が蔓延していた。阿鼻叫喚が絶えない、地獄よりも地獄らしい絵面だ。
人造人間のバーキロンはいくら圧迫されようと平気だったが、中には顔を青くし泡を吹きながら倒れこみ、下敷きになるものもいた。
バーキロンは周囲を見渡す。
―――……いた! ほんとに居る!
彼らはサセッタ特有のコートに身を包み、暴れ馬共を何とか誘導しようと、これでもかというくらいの大声で叫んでいた。ざっと見たところ100人以上はいるだろうか。
それだけの人数をもってしても、この理性を無くしかけている獣たちを相手には苦戦を強いられていた。
しかし、これでコバルトの発言に確固たる証拠が付いたようなものだった。認めなければならない。現状、マセライ帝国および属国でサセッタの動向を完全に把握できるのは彼以外にいない。
これでバーキロンは、コバルトの悪魔のささやきに耳を傾けざるを得なくなった。
ふと隣を見ると、あどけなさがまだ抜けきっていない少女がサセッタの服を着ていた。
腕には紅い布を巻いている。
―――こんな少女までもがサセッタに……。
バーキロンは拳を握る。脳裏に自らが殺めた少年の姿がよぎっていた。目の前の少女と同じくらいの年頃だっただろうか。
何とも言えない感情がバーキロンを支配する。
彼にはサセッタが少女を酷使するのを糾弾する権利などない。なぜなら、彼はそれよりも残酷な、どうしよもないほどに取り返しのつかない、未来ある子供の命そのものを奪っているのだから。
しかし、バーキロンはかぶりを振る。
―――いや、違う! あれは必要な犠牲だった! 俺は、より大きな命を天秤にかけ正しい選択をした!! 間違ってなんかいない!
するとその瞬間、部屋全体にすべての音を上書きするような大音量のアナウンスが流れる。
『緊急事態発生! 緊急事態発生! 南方より敵軍を確認、距離3000m弱、その数およそ7000人!! ハイジェットのエンブレムからドセロイン帝国だと思われます!! 皆さん、早急に避難してください!』
そのアナウンスを聞くや否や、今まで欲にまみれた声を上げ我先に『神雫』を手に入れようとしていた人々は、今度は出口に向かって一斉に向きを変える。その波は建物の外でアナウンスが聞こえなかった人たちの波と衝突して、大混乱を招いていた。
「落ち着いてください!!」
少女が叫んだ。
突如、波全体が一時的にしびれたかのように停滞する。
見ると、少女の目元から首にかかって形印が浮かんでいるのが分かった。
近くにいた金髪褐色の女性―――ガルネゼーアが少女の頭を撫でまわす。
「サンキュー、アイネ! さて、お前ら、今のうちに全員運び出しな!」
それからは早かった。ごろつきにも似た格好をしたサセッタの面々―――エクヒリッチ隊が主力となり、痺れて動きが取れなくなっている人たちを一気に担ぎ出す。
バーキロンも電気の影響を受け、一緒になって倒れこんでいた。とはいえ、普通の人間ほど負荷はかかってはおらず、難なく動ける範疇のものだった。ただ単に、一人だけ立っていると怪しまれることになるため、周囲に合わせているだけだ。
ようやく半分ほど外に出し、人々の痺れも解けて自力で脱出するようになったころに、その悲劇は起こった。
轟音と共に建物全体が激しく振動する。
近くにミサイルでも撃ち込まれたかのような衝撃が建物全体に走り、窓ガラスが砕け散り、人は壁や床に打ち付けられる。
誘導に気を割いていたアイネとてそれは例外ではなかった。
唐突にやってきた空圧に、小さな体は宙に浮き、壁にたたきつけられる。その時に打ちどころでも悪かったのか、受け身も取らずそのまま地面にぐったりと倒れこむ。
「おい、大丈夫か!?」
思わずバーキロンはアイネに駆け寄る。
その瞬間、二発目のミサイルが今度こそサセッタの仮拠点に直撃した。
☆
シオンが仮拠点の見える場所にまでたどり着いた時には、すでに戦闘が始まっていた。
仮拠点に人造人間兵が押しかけ、それにサセッタの面々が人々をかばうように応戦する。
しかし、すべての人を守れるわけではない。人造人間兵の放ったレーザー銃が流れ被弾し負傷したり、建物が倒壊し下敷きになったり、時間がたつごとに人の命が削られているのが分かった。
シオンの見た限りでは、人造人間兵はサセッタの十倍以上の数がいるように感じた。
それでも、戦いは熾烈を極め一進一退の攻防を繰り返していた。
シオンは息を切らしながら仮拠点たどり着く。
周囲の建物を巻き込んだ爆撃は辺り一面にクレーターを作り、瓦礫が山のように積み重なり連なっている。
シオンはアイネの姿を探しながら、インカムに向かって叫ぶ。
「おい! 応答してくれ、アイネ!! どこにいるんだ!」
不用意に大声を上げたことで、周囲の人造人間兵がシオンに気付く。レーザーがシオンの頬をかすめた。
「……くっそ!!」
射出されるレーザーを避けながら、シオンは続けざまに銃を撃つ。
弾丸は銃器を貫通し、敵の遠距離攻撃を無力化させる。
ここぞとばかりに、シオンは二倍速で一気に懐に入り込む。
狙いは“胸部の右の腹直筋鞘から五センチ上”に存在する、人造人間の核となる部位。
アダルット地区で薄れゆく意識の中、何者かがそう呟きながらカースを殺した言葉をシオンは聞いていた。
体当たりをかまし銃口を標的の体に押し当てると、息のつく間もなく銃声を連続で鳴り響かせる。
人造人間兵の体から力が抜けるのをシオンは感じ取った。突き放すと、その男はぐらりとそのまま背中から倒れる。
シオンの死角になる場所から―――すなわち少し離れた倒壊していない建物の屋上から人造人間兵が飛び降りる。エターナルサーベルを抜き刀身を出現させると、シオンめがけて振りぬいた。
「―――承十陽拳、一陽・『絶波』!!」
刀身がシオンを貫く一歩手前で、駆け付けたガルネゼーアの掌底が人造人間兵の腹部に直撃する。人造人間兵は破壊音を響かせると、きりもみ状に吹き飛び十メートル離れた建物にめり込んだ。
「ありがとうございます、助かりました」
「礼はいいからこっち来な。加勢してもらわないと」
ガルネゼーアはそう言って顎で行き先を示す。少し先にあるそこは戦闘真っただ中の戦線だった。
「アンタがアイネのことを気に掛けるのは分かる。でも、今はそれをするべきじゃないじゃんか?」
「……っ」
「探したとしても、今みたいにいつ襲い掛かってくるか分からないだろ? だったら早く目の前の奴らを片付けてみんなで探したほうが早いと思うけどね。それにアンタはあのアイネがあっさりくたばるとでも思ってるのかい? もう少し信用してやったらどう?」
「……ッ、了解です!」
頭に血が上っていたシオンは、冷静さを取り戻す。
二人は瓦礫の山から離れ、戦線に戻っていく。
アイネの無事を祈りながら。
☆
「ッハハハ! おもしれェ! まさかこんな展開になるとはなァ、デヒダイト!」
マンションの最上階。地上40mの高さに立ち、迫りくる軍隊を眼下に収めながらエクヒリッチは笑う。その隣で険しい顔つきのデヒダイトが落ち着くように促す。
「そう吠えるな。報告によれば敵の数は7000人だそうだ。うち2000人程は先行して仮拠点で我々と交戦中だ。この状況どう見る?」
「あーー? んなもん俺らの圧勝に決まってんだろォ?」
「そういうことを聞きたいわけじゃないんだがな……」
エクヒリッチが目を細める。ドセロイン帝国の後発部隊のハイジェットの動きに違和感を持った。
「なんだアイツら、あんな大回りしやがって。」
「挟み撃ちするつもりだろう。―――ん? 待て。仮拠点に攻め入っている先行部隊の方に、奴らあとから小隊を送り込んでいるのか……? 何をするつもりだ」
「ククッ、俺の知ったこっちゃねェけどなァ。先に行かせてもらうぜェ、デヒダイト! 大軍の回り込もうとしてる奴らは、俺が皆殺しにしてやらァ! てめェはそこでゴリラ頭を一生こねくり回してろ」
そう言うと屋上から一気に地上に降り立ち、人造人間兵の行き先に先回りしようと駆け出す。
軍隊長に連なるように、いくつもの影が彼の後を追う。どうやらエクヒリッチ隊の面々のようであった。
そこにデヒダイトのインカムに通信が入る。B班の班長を務めているクロテオードからだった。
『デヒダイト、すまん。戻るのに十数分かかりそうだ』
「構わん、今の場所は」
『火葬場を出て、目の前に郊外の建物が見え始めている』
デヒダイトは素早く視線を移す。
エクヒリッチとドセロイン帝国軍の交錯するであろう座標に目星を付ける。交戦になるまでの時間を逆算する。
「……なるほどな」
衝突が五分前後と読んだデヒダイトは、再びクロテオードに向けて話す。
「そのまま郊外から、こちらに続く大通りを突き抜けてきてくれ。恐らく、その延長線上でエクヒリッチ隊と敵の主力部隊が衝突するはずだ」
『挟み込むのか……。この人数差でいけるか?』
「そちらにも百人ほどエクヒリッチ隊の奴らが居るのであろう。それに敵とて、まさか郊外よりさらに外にサセッタがいるとは思わんだろうよ。目には目を、挟み撃ちには挟み撃ちよ。仮拠点にたどり着かれる前に潰すぞ」
『了解した。肝心の仮拠点の方は大丈夫なのか?』
「向こうはガルネゼーアに任せてある、大丈夫だ」
『ふっ……なるほど、奴なら一人でも何とかするか』
クロテオードはそう言い残し通信を終わらせた。
デヒダイトはチャンネルを自身の隊員全員に向け、専用のオープンチャンネルを使う。
「これより我らサセッタ、デヒダイト隊はドセロイン帝国を迎え撃つ! 敵は決して多くはない!! 勝機は十分にある! 存分に真価を発揮し英気を奮おうぞ、我らサセッタの力を見せつける時だ!!」