二十八話 コバルトという男はヤバい匂いしかしないんだが!?
「おまたせ、アイスティーしかなかったんだけどいいですかねぇ?」
「あ、ありがとうございます、お構いなく」
バーキロンは透明なグラスに注がれたアイスティーをコースターの上に置く。
木製の机を挟み対になるように置かれた、赤い二人掛け用のソファーの片方に腰を掛けていた。コバルトもアイスティーを渡すと向かいのソファーに腰を掛けるかと思いきや、バーキロンの隣に座った。
凍る空気。
二つの意味で身の危険を感じるバーキロン。
しかし、それを一向に気にしないのかコバルトは鼻歌交じりで自分の分のアイスティーを飲み干す。
「ぷは~、夜に飲むアイスティーは格別ですねぇ。おや、バーキロンさん、あなた飲まないのですか? いらないなら私が飲みますね」
そういうと、持ってきたばかりのバーキロンの分のアイスティーを一気に飲み干した。
―――こいつはいったい何がしたいんだ……。
バーキロンは内心呆れかえっていた。行動の一つ一つに意味がなさすぎる。脈絡がなさすぎる。なるほど、これには確かに他の六戦鬼といえども手を焼くのも頷ける話だった。
二人がいるのはドセロイン帝国古城内にある一室だった。ボリスと同じくして六戦鬼のコバルトにも特別な部屋が与えられていた。
部屋の中は意外と整理されており、巨大な本棚には多くの学術論文や分厚い本で隙間なく埋められていた。リビングの奥にある半開きになっている部屋には巨大な謎の装置が置かれ、その周囲には溶液に満たされている瓶詰になった生き物らしき物体が無数に見えた。
「あの、あそこの部屋って……」
「ん~? なんでしょう。気になるのですか、私の研究が」
「研究?」
「意外でしたか? そうですか、意外でしたか!! 無理もないですねぇ、私こう見えても十年ほど前にノータルスター研究所に勤めていて、人造人間技術の研究にも携わったことがあるのですよ!」
バーキロンは驚きと困惑の表情を浮かべる。
ノータルスター研究所といえばマセライ帝国の首都カトロッカにある世界的研究機関である。あらゆる分野のスペシャリストが集まり世界トップクラスの研究を行っていると聞く。もちろん不可能と言われていた記憶の移植および人造人間技術の確立に貢献したのもこの機関であった。
隣に座るこの狂気に満ちた男が、そのような天才集団の中で研究していたとはにわかには考えづらかった。
そんなバーキロンの気持ちを感じ取ったのか、コバルトは鼻息が当たるほど顔を近づけのぞき込む。
「おやおやおや?? ちょっと待ってください、アナタのその顔は信じてませんねぇ。よろしい、ついてきなさい」
そう言って立ち上がるとバーキロンの腕をつかみ、奥の半開きになっている部屋に連れていく。
中は簡易的な研究室といっても過言ではなかった。奥行きを持った部屋の四分の一は、外から見えていた巨大な装置が占領し、壁には無菌空間を作り出すクリーンベンチが併設されている。所狭しと棚に並んでいる瓶の中に入っているのは相変わらず生物らしきもの、としか言いようのない物体が溶液の中に浮かんでいる。
「怖いよ、お兄ちゃん」
いきなり裏声でコバルトはそう言った。しかし、その言葉に特に意味はないらしくバーキロンに背を向けたまま装置をいじくっていた。
「準備完了。ほら、これ覗いてごらんなさい」
そう言って顕微鏡のように突出した二つのレンズのついたのぞき穴を指さす。
恐る恐る中を覗くと、なにやら赤く染色されたアメーバのようなものが姿かたちを変えているのが分かった。
「それは細胞です」
コバルトは言った。
「その細胞、まるで意思を持っているようではないですか? 核が大きくなったり、小さくなったり!! その細胞、植物にしかないであろう細胞壁があるでしょう。それはそこの瓶詰になっているウサギから採取したものです。不思議ですねぇ、不思議ですねぇ、なぜ動物の細胞から植物の細胞が……? 実はそのウサギ、HKVに感染しているのです」
「HKVは人間にしか感染しないはず……。それに肝心のウイルスがまだ見つかってないと聞いてますが……」
「そうだよ、そうだよ、そうだよ、そうだ、よ~~~。……だから私が発見したのです。残念ながら第一発見者ではないですが。偶然手に入った皮膚片から発見して培養して、ウサギに投与したのです」
バーキロンはその言葉に耳を疑った。
「第一発見者……!? バカな! 公にはウイルスの発見はできていないとマセライ帝国は発表しているはずだ!」
「それはそうでしょう、マセライ帝国は発見できてないから当たり前だと思いますが?」
「な、なにを……何を言っている……」
これも妄言なのだろうか。
これ以上このたわごとに付き合っていると、バーキロンの中で何かが崩れ落ちてしまうような、そんな予感があった。
「何を言っている……?? それは私のセリフですがねぇ、まあいいでしょう。そんなことよりも、私があなたをお茶会に誘ったのはこんな話をするためではなくてですねぇ」
そう言って踵を返し研究室から出ていく。
バーキロンは思わず頭に血が上っていた状態から落ち着きを取り戻し、数秒遅れて遅れてそのあとを付いていく。
コバルトは背を向けたまま話を続ける。
「一時的にですが私の部隊に入らないかというお誘いをしようと思ったんですよ。ほら、あなた生き急いでいるでしょう? ボリスさんの部隊ではなく私の下についた方がいいことありますよ~」
「……お断りさせていただきます」
「はぁん……、せっかく大手柄を立てるチャンスでしたのに。残念ですねぇ、残念ですねぇ。近くサセッタが大きく動き出すとの情報を手に入れましてね、なにかバーキロンさんのお役に立てればと思っていたのですが、とても残念ですねぇ」
「ハッタリはやめてください。本当にその情報を手に入れたのなら、なぜ今日の会議でそれを報告しなかったのですか」
「なぜ言わなければならないのです? 私が信じるのはボボンボ様のみ、それ以外は有象無象、能無しチンパンジーと同じですよ。この世に存在するのはボボンボ様と私だけで十分なのです! すなわちそれ以外の生き物の話など聞く価値にないのです!!」
そう言いながらリビングに戻り先ほどの赤いソファーに腰を掛ける。
「情報元はしっかりしているのですよ? なんせサセッタに潜らせてある私の部下、軍隊長になっているみたいですし。バーキロンさんの元上司、カースさんにアダルット地区の情報を教えたのも私ですよぉ」
本日二回目となる驚きの言葉だった。
否、驚きどころではない。この男は確かに言った。『サセッタに潜らせてある部下』と。
「カースに……情報を……? 部下を潜らせている……? 世迷言もいい加減に……」
「いえいえいえ、世迷言なんかではないです。だったらお試し情報といきましょうか。そうですねぇ、ドセロイン帝国から一番近い地域で言うと…………オーシャン帝国にあるサーモルシティーですか。ちょうど私も偵察と称して部隊を派遣しようと思っていたところです。サセッタの一部分ではあると思いますが、必ず姿を現すと思いますよ~。いい結果をその後の会議で報告しましょう」
そう言って目玉をひんむきながら白い歯を見せた。