二十七話 人類の叡智(カルタシス)
レジスタンスの対策会議を終え、物々しい雰囲気に包まれた場から解き放たれたバーキロンは歩きながら小さく背筋を伸ばす。その半歩前には上司である六戦鬼の一人、ボリスの背中が映っていた。
ガテン系のホスト崩れのような顔立ちに、成金が好んで着る値段ばかりが高い質の悪いスーツに身を包む。歩くたびに革靴のかかとが大理石を踏み、小気味いい乾いた靴音が鳴り響いた。
二人が歩くのはドセロイン帝国都心にそびえたつ古城の廊下である。城は三本の城壁塔と地下に捕虜を50人ほど収容できるスペースを設けた監視塔が角のように突出している。
城壁には螺旋描く植物のツルが色彩豊かに並び、剪定師の遊び心を伺わせる。
そして何と言っても一番の特徴といえるのは城を取り囲むように地面に根を下ろした鋼鉄の周壁である。その高さは、大の大人が三人縦に連なってようやく天辺に指先が届く程の高さをしており、容易に場内に侵入できる造りにはなっていなかった。
長時間の会議を終えたバーキロンとボリスは人の往来が激しい幅広い廊下を抜け、個室に繋がる廊下に向かう。窓からのぞいていた外の光はとっぷりと暮れ世界が夜闇におおわれていた。
前を歩くボリスが頭を斜め後ろに傾けバーキロンを見る。
「どうだった、俺以外の六戦鬼は」
バーキロンはこの質問がどういう意図でのものなのか分かりかねたが、口元に笑みを含んでいるところを見ると、どうやらただの世間話のように見えた。それとも会議の場で緊張しているのを見抜かれ、からかわれているのか。
どちらにせよ、終始無言の雰囲気に若干の飽きを感じていたのは、バーキロンだけではなかったらしい。
「正直、圧がすごかったです。さすが激化していた双極戦争を締結に持ち込んだ方たちだなと」
「まあ、大抵狂ってる奴らばかりだ。あまり関わらない方がいい」
「そうなんですか?」
「そりゃあな。ゼノは、まあ脳筋にしては頭は回る方だからそういう印象にならなかっただろうが……。断トツにヤバいのはコバルトってやつだ、覚えてるか? 長机の一番端、入り口の真反対に座ってたからお前には見えにくかったかもしれないが」
バーキロンは数十分前の光景を思い出そうと記憶をたどる。
「そういえば、突飛な格好してる人がいましたね……」
長袖の赤いチェックシャツを半ズボンに綺麗にしまい込んだ眼鏡をかけた男を思い出す。
会議の場では結局一言も発することなく、ただレンズの奥で不気味に光る眼差しを四方に巡らせていた事が妙に印象に残っていた。
「あいつ自身、俺たちのようなずば抜けた戦闘力があるわけではない。かといって、お前みたいに地道に鍛錬を積んだ剣技があるわけでもない。しかし、奴は六戦鬼に数えられている、なぜだか知っているか」
そう問われ、バーキロンは眉間にしわを寄せ考え込むも皆目見当もつかなかった。
そもそも双極帝国戦争の真っただ中に名を馳せた六戦鬼だが、それももう六年前の話である。当時、九歳だったバーキロンが、なにやら戦争が起こっている、と把握はしていても詳細まで知りえなかったのは頷ける話だ。
ボリスもそれが分かっていて聞いたのだろう、クイズにしては短すぎる僅かな間を置いてから続きを話し始める。
「―――『催眠』だ。五感のうち三つ、触覚・聴覚・視覚、うち一つでも奴に搭載されている≪人類の叡智≫に支配されれば、洗脳されたが最後永遠の奴隷だ。かかった本人は催眠状態になってることに自力で気づくことは絶対にない、どんなやつであろうとな。コバルトは、自身の配下に置いた人造人間を、時に盾として使い、時に矛として使い、一糸乱れぬ統率された部隊と共に戦場を圧倒し六戦鬼に名を連ねた」
≪人類の叡智≫―――それは、六戦鬼にのみ搭載されている特殊な人造人間技術のことである。人類史からこれ以上の争いを無くすための希望としてこの名前が付けられた。
この技術は、およそ人間にも、そしてバーキロンのような普通の人造人間にも不可能とされる現象を起こすことができるマセライ帝国の切り札の一つといっても過言ではない。
さらに言及すると、≪人類の叡智≫は、意図的に造り出されたものもあれば、偶発的に創造されたものと二極化される。
前者の、計算しつくされて完成した≪人類の叡智≫は理論上、別の人造人間にも搭載することは可能だ。
しかし、投資資金が莫大であることと、定期的なメンテナンスを行える技術者がごくごく少数しかいないことが問題点として浮き彫りになり、大量生産は現在見送られている。
ただでさえ人造人間の生産が追い付いていない状況である。国力の底上げを図るためにも仕方のない措置であった。
偶然の産物として出来上がった≪人類の叡智≫は、その能力が理解の範疇を超えている分、その脅威は絶大なものであった。故に再現は難しく、貴重な戦力であることは考えるまでもない。
『催眠』という幻術すらも可能にする能力を持つコバルトの≪人類の叡智≫は、完全に後者のものであった。
「だが、コバルト―――奴の恐ろしいところはその能力ではない。もちろん驚異的な力ではあることは間違いないだろう。……が、注目するべきはそこではなく、肝心の使い手の頭のネジが外れているところにある。それも一つや二つどころではない。いや、元々ネジをつける穴がないのかもな、まるで会話が成り立たない、理解不能だ。双極帝国戦争ではうまく動いてくれたが、レジスタンスを相手取る今回、誰も奴を制御できていないとなると、これほど恐ろしいものはない」
「そんなに……」
バーキロンは会議の場で誰よりも物静かだったニッケルの姿しか知らなかっただけに、六戦鬼のボリスにここまで言わせる人物だとは想像だにしていなかった。
―――コバルト……。俺の夢のため障害になるかどうか、この目で判断する必要がある。
軍の幹部に這い上がりドセロイン帝国の腐敗しきった内情を改革する。数年前に助けを求めてやってきた数人の母子を集団で射殺したこの国を根本から変える。
そのためにバーキロンは元凶の一端であるカースを殺し、知恵を絞ってアダルット地区での有益な情報や、本来カースの功績だったものを自分のものと偽装し、昇進の交渉材料にした。
そして数日前、ようやく隊長になることができた。元はカースの役職であった。実質カースの失職が決定的になったようなものだった。
しかし、バーキロンの内心は穏やかではなかった。野望のためにやっていることは何らカースと変わっていないのである。
他人の功績を奪い、自身に有利になるように周囲の人間の小さな罪悪感をつつきバーキロンを正当化させる。皮肉にも、カースという元上司を間近で見てきた悪行を、バーキロンは彼以上に狡猾に行ってしまっていた。
忌み嫌うものほどよく見てしまう。それは人間である以上どうやっても逆らうことのできないものであった。
それでもバーキロンは進み続けることを決めていた。
自らの行いは世界中の人を救うことになると信じた。
左腕に巻いた、自身が殺した少年の無念の血を吸った布に固くそう誓っていた。
前を歩くボリスの足が止まる。
気が付くと城内にある特設されたボリスのために用意されている部屋にたどり着いていた。
彼の部屋の中は金に物を言わせ揃えた高級ばかりだという。風のうわさで部屋にあるもの全て合算すると土地が一つ買えるほどの値段になるとバーキロンの耳にも届いていたが、本当かどうか定かではない。しかし、質よりも値段を重視するボリスならばありえない話ではなかった。
ボリスは扉に手をかけ最後に念を押すように言った。
「他の六戦鬼もヤバいがな、コバルトだけは頭一つ抜きんでている。会議が終わって今は自分の部屋に戻っているだろうが、関わるのはやめておけよ。お前が隠している“やましいこと”が奴の催眠で自供してしまうことになるかもしれない」
バーキロンの心臓が高鳴った。
この男は何を知っている? 上司殺しの隠ぺいか? クーデターにも等しい軍の解体・再構築か? それとも―――。
「ははは、そう怖い顔するな。カマを掛けただけだ」
そう言ってボリスは愉快に笑った。
「必死すぎだ。隊長昇進の件といい、今回の報告で最後に六戦鬼の闘争心を煽ったり、何か思うところがないと無理な行動だ」
「……そんなことは」
「俺は怒ってるわけではない。むしろ、野心を仮面の下に隠す奴は大好物だ、だからこそお前を隊長に推薦した。何をたくらむのも個人の自由だが、せめていいワインのつまみになるように頑張ってくれ」
白い歯を見せながら、おどけたように眉を吊り上げそのままボリスは扉の向こうに姿を消した。
☆
ボリスの部屋までお付きの役割を果たし終えたバーキロンは、薄暗い城内のレッドカーペットの上を足取り重く歩く。高鳴っていた心臓は徐々に落ち着きを取り戻していた。
うまく立ち回っていたつもりではあったが、六戦鬼ともなればバーキロンの考えを見破り手のひらで転がすこともお手の物というわけだ。軍を追い出されなかっただけ御の字であった。
しかし、たったそれだけのことで夢を諦めるバーキロンではなかった。
―――むしろ、ボリスにバレているのなら堂々と彼の人脈、カリスマを利用しない手はない
バーキロンが今後の算段を考え込んでいると、不意に前方から周囲の城石を振動させるような甲高い裏声が聞こえてきた。バーキロンは眼球を夜間モードに変え、弱い光を増幅させ視界をクリアにする。
見ると数メートル先に、うずくまるように膝を抱え体を揺らしている男の姿があった。
「お兄ちゃん、こわいよ~」
だみ声に限りなく近い高音の裏声はハッキリとこう言っているのが聞き取れた。
バーキロンは携帯していたレーザー銃を腰から抜く。
「……貴様、何者だ!」
ゆっくりとバーキロンは男に近づく。はっきりと男の全容を把握することができた。丸められた頭に、チェック服を着て黒縁眼鏡をかけている。
バーキロンはこの男を知っていた。数分前にボリスから関わるなと勧告を受けた男である。
「……コバルト、さん、ですか?」
その言葉を聞くや否や、コバルトは勢いよく頭だけを上げバーキロンを見据える。
「そうだよ」
言うが早いか、弾けるように立ち上がり足を広げ両手を天に向ける。顔だけは固定されたかのようにバーキロンの方に向けられ微動だにせず、遺棄されたマリオネットのような不気味な笑いを浮かべる。周囲の闇が一層その不穏な笑い顔を際立たせた。
「そうだよ、そうだよ、そうだよ、そうだよ、そうだよ、そうだよ、そうだ…………よ~~~~~~~~~」
裏声と低い地声を交互に繰り返しながら、一定のテンポで同じ言葉を呪文のように言い続ける。最後は言葉をため込んだかと思うと、きれいなビブラート共にセリフを締めくくった。
バーキロンはこのときようやくボリスの言っていた意味を理解した。
こいつはヤバい。
目の奥底でうごめく闇は人の感情をかき消し、いびつな性格が行動の端々に現れている。
なぜこれほどまでの狂気を纏った男だと気付かなかったのか。会議の場で意図して隠していたと考えると、思わず背筋に悪寒が走る。
バーキロンは生唾を飲み込む。
体を大きく広げたままのニッケルはそのまま笑顔を絶やさず声を張り上げる。
「おぉ~~~~!! ボボンボ様よ、私をお試しになっておられるのですか、試練を、訓練を乗り越えろと!? なんと酷なことを……。いいでしょう!! 不肖、このコバルト、崇め奉るアナタ様のお考えなら喜んで引き受けますとも」
彼が何を言っているのか理解不能だった。
広げられた右手にRと刻まれた星の造形をした細長いクリスタルでできたネックレスを強く握りしめているあたり、何かの強い宗教心を信仰しているように見えた。
焦点の定まっていなかった視線が、目の前に立ちすくむバーキロンを捉えた。
「バーキロンさんとか言いましたか、あなた。深夜のお茶会に招待して差し上げます」