運命の糸
それから証言してくれた女性に話を聞き終えると、犯人を確信した篤史は、関係者をトイレに呼び出した。
「小川君、なんなんや? トイレに呼び出して……」
町田警部は捜査の途中なのに……と言う。
「犯人がわかったんや。林さんの足に怪我を負わした犯人が……」
篤史ははっきりと言った。
「もうわかったんか!?」
進太郎はこんな短時間で犯人がわかったと聞いて驚いた声を出す。
「犯人はある話をするためにトイレに林さんを呼び出した。この美術館なら林さんに会えると思ってな」
「林さんに会えると思ってって……どういうこと?」
亜美が首を傾げる。
「林さんが刺される前、トイレの前で若い男性が林さんと言い争っているという証言があった。恐らく、話だけで林さんを刺すつもりはなかったのかもしれへん」
「でも、凶器を持ってる時点で刺すつもりやったんやないの?」
留理は篤史の言っている意図がわからないというふうに聞く。
「確かに最初はそのつもりやったのかもしれへん。だけど、犯人の本心はそうではなかった」
留理の問いに答える篤史は犯人をかばう庇うような口調だ。
いつもなら犯人に罪を償って欲しいと思いながら話しているのだが、今回だけは違った。
それを町田警部が一番に感じ取っていた。
「犯人は誰や? どうせ野瀬やろ? コイツは林さんに怒られてばかりやったんやから……」
健は決め付けた言い方をする。
そう言われた学は無言で否定する。
「いいや。野瀬さんは犯人なんかやない。林さんの足を刺した犯人は、オレらと一緒に行動を共にしていて、なおかつトイレに行った人物……里奈の彼氏である岡田昌弘、あんたや!」
篤史は今回ばかりは言いにくいと思いながらも事実を告げる。
「そんな……。昌弘、嘘やんな?」
里奈は嘘だと思いたい気持ちを昌弘に確認する。
「僕はやってへん! トイレには根本も一緒に行ったんや! 第一、この美術館に来たのは林先生のファンで、それで来たんや!」
昌弘は自分は犯人ではないと主張する。
「そうや。昌弘は何もやってへん」
里奈も昌弘の肩を持ち、もしかしたら進太郎が犯人かもしれないという思いもあるようだ。
「それはどうかな? トイレの前で林さんと言い争っていたと証言してくれた女性に確認すると、その若い男性は岡田だと証言してくれた。あんたがトイレで話していたという男性は、林さんの事じゃないのか?」
篤史は昌弘が証言した男性と女性が目撃した正三が同一人物ではないかと考えたのだ。
「違う!」
「じゃあ、なんで帰ったかもしれへんって言うたんや? あんたはトイレから戻ってきてからすぐに足を刺された林さんが発見された。しかも、オレらは出口付近で待っていた。あんたが言ってたおじさんは出ていってへん」
篤史は昌弘の証言の食い違いがあると指摘する。
それを指摘された昌弘はうろたえてしまう。
「あんたが美術館で林さんを見つけ、トイレで話をしたけどカッとなってしまい、足を刺してしまった。林さんはあんたの犯行だとわからないようにするために自分の絵画が展示してある場所まで辿り着き、そこで第一発見者である男性に見つかった」
昌弘が犯行を起こしてから正三が取った行動を話す。
「あんたは林さんの実の息子なんや」
篤史が言い放ったその一言で、場の空気は一瞬にして変わった。
「何!?」
町田警部は驚いてショックを受ける。
「あんたは林さんをずっと憎んでいた。そやろ?」
「証拠はあるんか?」
昌弘は篤史の問いには答えず、逆に犯人扱いにする篤史に聞く。
「あるよ。ズボンのポケットの膨らみや。それは凶器が入っていた袋か何かが入ってるんやないのか? 凶器を調べたらわかるで」
篤史は昌弘が履いているズボンのポケットを見ながら答える。
「失礼」
水野刑事は昌弘のズボンのポケットに手を入れる。
すると、正三を刺したと思われる凶器の刃の部分を覆うケースが出てきた。
「これって凶器を入れてたケース?」
留理はこれで決定的だと諦めに似た思いが声に出ていた。
「……そうや。僕なんや」
これ以上、逃げる事が出来ないと思ったのか、罪を認める昌弘。
「昌弘、嘘やって言うてよ!」
里奈は罪を認めたにも関わらず、信じたくないと昌弘の腕を掴む。
「ゴメン、里奈。ホンマなんや」
諦めた表情で里奈に謝る昌弘。
そんな昌弘を見て、里奈は悲壮な表情をした。
「僕は保育園に通っている時から絵を描くのが好きで、ずっと描いていたんや。しかも、母子家庭で母と二人きりの生活を幼い時から送ってきた。なんで僕には父がいないんやろうって思った事もあった。そして、今から五年前の小学六年の時、母から父は画家の林正三だと聞かされ、絵を描くのが好きなのは父譲りなんやって、一度会ってみたいと思った、母から写真を見せられていたから、今日会った時すぐにわかった。あってあなたの息子だと言ったけど、知らない。妻以外の女性との間に息子はいないと言われて、持ってきたナイフで刺したんや」
昌弘は今までの生い立ちと犯行に及んだ事を話した。
「初めて会った父が嬉しかったのに、なんで刺してしまったんやろうな……」
正三を刺した事を後悔している昌弘。
「初めてやないんや」
全員の背後から男性の声がして、振り返る一同。
そこには車椅子に座った正三がいた。
「一度、会った事があるんや。昌弘が二歳の時にたった一度だけな」
警官に車椅子を押してもらい、昌弘のほうにくる正三。
「林さん、大丈夫なんですか?」
病院にいると思っていた町田警部は、いきなり現れた正三に驚く。
「大丈夫ですよ。会ったといっても見てただけですがね。私は昌弘の母親と二十五歳の時に知り合い付き合うようになった。付き合い始めて四年が過ぎた頃、昌弘の母親から妊娠したと聞かされた。そのことを知った私は逃げるようにして大阪から東京に来た。その後、別の女性と結婚した。だが、昌弘が二歳の時にどうしても気になって、二人が住んでいるマンションを調べて行ってみた。そしたら、そこには私そっくりの息子がいた。昌弘の名前は人づてに聞いて知っていた。本当に申し訳ない事をしたと思ってる」
正三は後悔の念が交じった声で言う。
かつての恋人から逃げてしまった言葉からで、とても重いものだった。
「昌弘、すまない。お前と母親を捨ててしまって……。これからどんなことでもする。これからの生活費や高校の学費を出して欲しいのなら出す。美大に入りたいのならその費用も出すつもりだ。お願いだ。このとおりだ。許してくれ」
正三は車椅子から転げ落ちるようにして昌弘に土下座をする。
「今更なんやねん? 僕が父にして欲しかったのはこんなことやない! 別にお金を出して欲しいんやない! 普通の事を普通にしてもらいたいんや!」
昌弘は今までの怒りを正三にぶつける。
「普通の事……?」
「ご飯を食べに行ったり買い物に行ったり、そういうことをしたいんや。それなのになんでお金の事を……」
昌弘は涙ながらに言う。
「運命の糸って残酷ですよね。お互いが離れて暮らしていたためにこんな事件に発展してしまって……。もう少し早くに二人が会えていたら、何か違ってたのかもしれへん。だけど、二人が親子やっていう事は変わらへん事実なのは確かや。これからやないんですか? 岡田が罪を償ったら、いつでもやり直そうとすれば出来るやないですか。二人共、まだ若いんやし、これからやり直そうと思えばやり直せますよ」
篤史は昌弘が犯人だとわかった時点で思っていた事を昌弘と正三に言った。
二人は互いに頷きながら、またやり直そうというふうにしていた。
そして、昌弘は二人の警官と共に署に行く事になった。
正三はその場にいた警官に車椅子に乗せてもらうと、健のほうに顔を向けた。
「松永君、君は野瀬君を犯人扱いにしていたね。君はかなり性格が歪んでいるようだ」
正三は学ぶを犯人扱いにしていた事を指摘する。
そう言われた健は予想外の事にえっという表情をする。
「君は金銭トラブルが多いと聞いているよ。しかも、野瀬君にまで借金があるようだね。野瀬君は君のために金を借りるのはやめろと言ってくれたのに、君は怒ってしまい、それで仲違いをしたとか……。君は優秀なフリをしてやることはガメついんだね」
他の職員から聞いていたのか、健が金銭トラブルで色んな人に借金がある事を指摘する。
「それは……」
借金の話をされ、健はうろたえるように目を泳がせる。
「君は仕事は出来るが金には汚い。そういう人間は嫌いだ。私が野瀬君を怒っていたのは育って欲しいからだ。決して仕事が出来ないからではない」
学を怒っていた本当の理由を健に教える正三。
それを聞いた健は、自分はなんて誤解をしていたんだという気持ちに苛まれていた。