里奈の美術を愛する気持ち
「警部、見つかった凶器からですが、林氏の血痕と凶器に付着していた血痕が一致しました」
調べていた鑑識官が町田警部に報告した。
「そうか。犯人の指紋は見つからなかったのか?」
町田警部は指紋の事を確認する。
「ありませんでした。林氏の指紋は付着していました。恐らく、犯人に襲われた時に付着してしまったんでしょう」
犯人の指紋は付着していなかったが、揉み合ったときに付着したと思われる正三の指紋が凶器に残っていたと報告した鑑識官。
「誰か林さんを指したのを見た人はいないのか? 警部達が来てだいぶ経ってるけど、犯行を目撃したっていう人が現れへんなって思って……」
篤史は未だ目撃者が現れない事に疑問を抱いていた。
「確かにそうですね。誰か犯行を目撃した人はいませんか?」
水野刑事は現場に残っている人たちに聞くが、誰も答えない。
「何の反応もなしか。……となると、別の場所で刺されて、自力で客達がいる現場まで来たということか」
町田警部は独り言のように頷いて言う。
(犯人は手袋か何かをはめて、なおかつ別の場所で犯行に及んだっていうことか。凶器は見つかったけど証拠がなしか。これじゃあ、犯人がわかっても追い詰める事は出来ひん)
証拠がない事を心配した篤史は、証拠を探し始める。
「篤史、犯人わかったん?」
証拠探しのため動こうとする篤史に、里奈は心配そうに聞く。
それは憧れである正三を刺した犯人を許せないといった感じだ。
「まだわかってへん」
正直に答える篤史。
「そっか。誰なんやろうね。この展覧会に来てるくらいやから、林先生のファンか絵画に興味がある人ばかりなんやろうけど、中にはそうじゃない人もいるんかな」
里奈は美術や正三のファンではない人も来ているのかと考えると複雑な心境のようだ。
「まぁ、中には興味ない人も来てるやろうな。興味はなくてもこれを機に興味持ってくれる人もいると思うで。こんなことオレが言えるタマじゃないけどな」
篤史はふっと笑う。
「そうやね。そういう人が増えるといいな」
里奈も心配な気持ちが入り混じった笑顔で言った。
そんな二人の姿をなんとも言い表せない気持ちで見ている留理がいた。
そして、篤史は凶器が見つかった男子トイレに向かう。数人の鑑識官が捜査をしている中をすり抜けて中に入る。入ってすぐのところに洗面台があり、その近くにゴミ箱がある。
(トイレでおじさんと話していたという岡田。お腹の調子が悪くて個室のトイレにこもっていた根本。林さんと仕事の事でもめていた野瀬さん。その野瀬さんと金銭トラブルになっていたのが松永さん。この四人なら野瀬さんが一番怪しいけど、これじゃあ、わかりやすいやんな。松永さんは林さんと何かトラブルはなかったんやろうか?)
トイレで考え込んでしまう篤史。
今のところ、学が一番怪しい。だが、犯人にしてはすぐにわかりやすい動機があるため、そんなにわかりやすいのはどうか? 健には何もなかったのか? 篤史は健の事ももう少し調べてみないといけない、と思っていた。
トイレで何も見つかる事はないと思い、現場に戻る事にした篤史。
「画家の林正三が足を刺されたんやろ? 足刺される前に若い男性と話してるのを見たで」
篤史の前に歩いていた三十代と思われる女性が、一緒に来ていた女性に話す。
「ホンマに? それ警察に話したほうがいいって」
それを聞いた女性はそのことを話さないとマズイというふうにいう。
「それ、ホンマですか?」
篤史は聞きづてならないというふうに前に歩いていた女性に飛びつくように聞く。
「え、えぇ……」
突然、聞かれた女性は驚きつつも肯定する。
「どこのトイレですか?」
「男子トイレの前です」
「なんで林正三ってわかったんですか?」
質問攻めをする篤史に対して、その女性達は引き気味だ。
「私、林正三のファンで、林正三の画集も持っていて、一度サイン会に行って顔を見た事があるんです」
正三と若い男性が話しているのを見たというその女性は、正三のファンだと公言してから答える。
「またサインをもらおうと思ったけど、言い争ってる感じだったからもらいにくくて……」
せっかくの正三がいたのに取り込み中のところを見ると、サインを下さいとは言えなかったようだ。
「その内容って覚えてますか?」
「はっきり聞いたわけではないけど、父親がどうのこうのって言ってました」
その女性は思い出すような表情をしながら答える。
「そうですか。ありがとうございます」
証言してくれた女性に礼を言うと、再び考え込む篤史。
(林さんと言い争っていた若い男性。しかも、父親の話をしていた。どういうことや?)
正三が言い争っていた話の内容がまったく見えてこない。
(父親って事はその若い男性と林さんが親子だっていうふうに考えたほうが良さそうや。でも、言い争っていた若い男性が誰なのかわかれば一番やけどな)
篤史は急いでさっきの女性達を追いかけて、もう一度詳しく話を聞く事にした。