表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

妖精女王は手始めに

作者: いろは紅葉

 森の中を、男を乗せた馬車が走る。

 窓の外を流れる木々も道もきれいに整備されていて、領主の運営手腕を象徴しているようだ。

 領主は女貴族エーデシュ・マルギト。自身も貴族である男の従兄妹にあたる。歳が近いこともあって、幼い頃から何度も顔を合わせてきた。


 そんな彼女が亡くなったという。


 風の噂とともに、彼女の「娘」を名乗る者から親書が送られてきた。

 男――ショーシュ・ローベルトの知る限り、マルギトには子供はおろか、夫すらいないはずだ。


 では、この知らせは誰が?

 マルギトの死はまことであるか?


 マルギトになにかあった場合、財産や領地経営はローベルトに一任する、という取り決めがなされている。

 送られてきた書簡の真偽をたしかめるため、ローベルトは早馬を走らせて屋敷に到着した。



 大きくなくとも、蔦草などがきれいに取れ払われた、手入れの行き届いた館である。

 季節の花壇に生垣、妖精を模した彫像の数々。

 そして、館に飾られている人間大の人形たち。


 マルギトの館には異名がある。

 妖精人形館トゥンディール・ババハズ

 マルギトは妖精の彫像彫刻をこよなく愛し、蒐集しているからだ。

 ローベルトも何度か招かれたことがあるが、その美しさ精巧さにため息を漏らしたことは一度ではない。


「いらっしゃいませ、旦那様」


 馬車から下りると、使用人の男がローベルトを出迎えた。

 庭師風だが、身奇麗な男である。

 剪定の腕もよく、それ以外の技能にも秀でていると、以前マルギトが自慢していたことを思い出す。

 先導していた庭師の男が館の扉に手をかけ、ローベルトのために開ける。

 すると、


「ようこそお越しくださいました、ショーシュ卿」


 絵画から抜け出してきた妖精。

 齢(とお)ほどの少女に出迎えられたとき、ローベルトはそんな感想を思い浮かべた。


「初めまして、小さなレディ。君は……」

「カロラと申します。お疲れでしょう? お茶をご用意いたしますから、こちらへ」


 蜂蜜色の髪をふわりと揺らし、少女は庭師の男を伴って、ローベルトを屋敷の中へと招いた。



「では、君はマルギトの養女だというのかね?」


 趣味のよい絨毯が敷かれた応接室。ローベルトとカロラは、飴色のテーブル越しに向かい合う。

 紅茶の香りが、ローベルトの鼻腔をくすぐる。


 マルギトは子供が好きだ。というと、多少語弊があるのだが。

 正しくは、美しい少年少女や青年、若い娘が好きだった。

 だからこその妖精人形蒐集趣味なのである。

 マルギトをよく思わない者たちの間では、「領内の少年少女を攫い、人形に仕立て上げている」と陰口を叩かれているほどであった。


「ショーシュ卿?」


 声が、ローベルトの意識を現実に引き戻す。カロラが、愛らしく小首を傾げてこちらを覗き見ていた。


「ああ、いや。この館に来るといつも調度品を眺めてしまうクセがあってね。ところでカロラ嬢。君がマルギトの養女こどもというのは……」

「ああ、そのことですの」


 カロラはにこりと笑む。


「マルギト様……義母様おかあさまは亡くなる前、身寄りのないわたしを娘に、と迎えてくださいました。これからふたりで、というときに……。今回のことは本当に残念でなりません」


 と、沈痛な面持ちで目を伏せた。

 蜂蜜色の長い睫毛が、陶器のように白く、柔らかそうな頬に影を落とす。


「マルギトはその、本当に」

「ええ。領内の流行病はやりやまいに侵されてしまい、みなが手を尽くしたのですが……」

「そうか……」


 幼い頃から、マルギトは身体の弱い娘ではあった。

 大人になってもあまり変わらず、日焼けと縁遠い白い肌が印象的だった。


「なるべく急いで来たつもりだが、彼女の顔を見ることはできるかね?」

「はい。ショーシュ卿はいち早く駆けつけてくださいました。葬儀もこれからですので……。本当に、美しいお方です」

「ああ、全く残念なことだ」


 カロラは気丈な様子を見せた。


「お茶が冷めてしまいましたね」

「お淹れいたします」


 庭師の男が、ローベルトの茶器を下げて新しく淹れ直す。

 温かそうな湯気と芳しい香りが、ローベルトを包む。


「どうぞ、ショーシュ卿」

「ありがとう。ああ、いい香りだ」

「最近ようやく完成した新種ですの。まだ量が作れないので、特別なお客様に、と義母様はお考えでした」

「そうか。ありがたくいただこう。ところでカロラ嬢。私は、マルギトに何かあった場合、彼女に関する財産と領地経営を任される立場にあってね。君のことも、最大限面倒を見るつもりでいる」

「まあ」


 カロラは僅かに目を見開き、口元を手で隠した。


「彼女が目にかけたご令嬢だ。悪いようにはしない。もちろん、妖精人形たちもだ」


 何も言わず、カロラはふわりと微笑む。


「そうだ、お茶に合うシロップがありますの。ぜひともお試しいただきたいわ!」


 言うが早いか、カロラは弾んだ足取りでローベルトの元に寄ってくる。手には、造形に凝った青いガラスの小瓶を持っていた。

 蓋を外し、中身を一滴、ローベルトのカップに垂らす。


「お口に合うといいのですけれど」


 きらきらと、少女らしい輝きを瞳に宿してローベルトを見る。


「これはこれは。レディのおすすめなら、さぞや」


 ローベルトは自然と笑顔を浮かべ、すすめられるままにカップの紅茶に口をつける。

 花の芳香に、ささやかな甘み。ふたつが調和して、なんとも美味だった。そして和やかな会話がつづくはずだった。

 間を置かずして舌を刺す刺激がなければ。


「くはっ!?」


 口に含んだ紅茶を思わず吐き出す。

 舌と口内を、無数の針で刺されたような違和感がある。指先が痺れ、身体の自由が瞬く間にきかなくなる。

 ローベルトはそのまま、毛足の長い絨毯に倒れ伏す。

 なんとかして見上げたカロラは、薄い笑みを浮かべてローベルトを見下ろしていた。側には庭師の男が影のように控えている。


「あら残念。吐き出してしまったのね」


 その声にはなんの悪意もない。


「これはシロップではなくて魔法薬よ。彼がマルギト様と作ったの」


 シロップ――魔法薬の小瓶を片手で持ち、カロラは庭師の男を見やる。

 ローベルトは男に見覚えがあった。エーデシュ家……マルギトの元に出入りする魔術師だ。どうして今まで気づかなかったのだろう。

 今や自由の効かない腕を、ふたりに向かって伸ばす。


「その様子だと、薬は十分に効かなかったようね」


 カロラは、ローベルトの前にしとやかにひざまずく。


「全部飲み干してくれればよかったのに。もう少し飲んで欲しいけれど、身体中が痺れているでしょう?」


 歌うように話しながら、カロラは自身が座っていた椅子の裏の、厚いカーテンを一気に引いた。

 現れたものを目にして、ローベルトは驚愕して目を見開く。

 この屋敷でよく見るような、妖精の、美女の人形だった。

 ただしその顔は――


「ええ。マルギト様よ。美しいでしょう? みんな(・・・)と同じようにしてさしあげたの」

「み、んな……」

「そうよ。妖精人形たち、まるで生きているようでしょう? みんな生きているのよ。けど」


 向日葵のように爽やかで華やかな笑顔。まるで場違いな笑顔。

 カロラは人形マルギトの頬に手を添える。


「ほら、薄い皺。マルギト様といえど、お歳には逆らえない。だから」


 いつの間にか側に控えていた魔術師から手斧を受け取り、カロラは、流れるように自然な動作でそれを振り下ろした。

 人形の、マルギトの脳天があっけなく割れる。血と脳漿なかみを零しながら、物言わぬまま、マルギトはゆっくりと倒れた。


「わたしは美しいままでいたいの。だから、喜んでマルギト様についてきたのよ。妖精人形になる日が、永遠に美しくいられる日が来るのが待ち遠しかった。なのに、あのお方はわたしに妙な情を持ってしまうんだもの。誰がわたしを永遠にしてくれるというのかしら」


 血と肉片がついた手斧を持ったまま、酷薄な笑みを浮かべたカロラがローベルトに近づいてくる。


「ショーシュ卿。ローベルト様。あなたも素敵なお顔立ちをしていらっしゃるから、仲間・・にしてさしあげたかったのだけれど。その薬は薄れないの。痺れてしまって、これ以上もう飲み下せないでしょう?」


 恐怖に駆られ、しかしまともに動けないローベルトを前に手斧を振り上げ、


「残念だけれど、さようなら」


 カロラは躊躇いひとつ見せずにローベルトの頭を叩き割った。

 血と白い欠片、柔らかい中身・・が飛び散り、水たまりのように広がっていく。


「こうなってしまってはもうだめね。シャラモン、みんな(・・・)を解放するわ。下衆どもに連れて行かれないように。手伝いなさい」

「はっ」


 魔術師シャラモンは短く返事をし、応接室のカーテンに魔術で火を放つ。

 火は瞬く間に炎となり、天井まで立ち昇る。


「お兄様、お姉様がた、すぐにカロラが参ります!」


 嬌声、哄笑。

 表情に慈悲さえ浮かべて、カロラは屋敷中を回る。

 生きている妖精たちの頭を砕き、胸を穿ち、首を切り落としながら。

 全ては炎と煙に包まれて――。




 妖精人形館トゥンディール・ババハズは夕空の下、あかあかとした炎の館と化していた。

 離れた丘から、その様子を見るふたつの人影。


「ああ、羨ましいわ。美しいまま逝けて」


 ほう、と憂いげなため息をつく、蜂蜜色の髪のカロラ。

 付き従うように、魔術師のシャラモンが一歩下がった位置にいる。


「わたしも、美しいまま妖精になりたいわ」

「あの薬は、未完成ですので」


 シャラモンは短く答える。


「そうだったわね。早く、わたしを永遠の妖精にしてちょうだい。わたしが大人おんななんかになる前に」


 燃える館を背にして、カロラは無垢な笑みをシャラモンに向けた。



 この日、やがて「無慈悲な妖精女王」と呼ばれる少女が、世に放たれてしまったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 純真無垢な美少女が、内側にとてつもなく黒いものを抱え込んでいるとは思いもよらず、怒涛の展開に胸が熱くなりました。  しかし根底にある「美しいままでいたい」という願いはとても純粋で一途で、だ…
[良い点] 無慈悲な心にはその元凶となるものがある―― 相手が人形だと心の中で知った時、人はどこまでも残酷になれる。 [一言] 流麗な作風で、普段この手の作品を読みつけていない私には新鮮でした。
2016/12/25 17:08 退会済み
管理
[一言] これはえぐい。 綺麗な文章と相まってえぐさが倍率ドン!でござる。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ