妖精女王は手始めに
森の中を、男を乗せた馬車が走る。
窓の外を流れる木々も道もきれいに整備されていて、領主の運営手腕を象徴しているようだ。
領主は女貴族エーデシュ・マルギト。自身も貴族である男の従兄妹にあたる。歳が近いこともあって、幼い頃から何度も顔を合わせてきた。
そんな彼女が亡くなったという。
風の噂とともに、彼女の「娘」を名乗る者から親書が送られてきた。
男――ショーシュ・ローベルトの知る限り、マルギトには子供はおろか、夫すらいないはずだ。
では、この知らせは誰が?
マルギトの死は真であるか?
マルギトになにかあった場合、財産や領地経営はローベルトに一任する、という取り決めがなされている。
送られてきた書簡の真偽をたしかめるため、ローベルトは早馬を走らせて屋敷に到着した。
大きくなくとも、蔦草などがきれいに取れ払われた、手入れの行き届いた館である。
季節の花壇に生垣、妖精を模した彫像の数々。
そして、館に飾られている人間大の人形たち。
マルギトの館には異名がある。
妖精人形館。
マルギトは妖精の彫像彫刻をこよなく愛し、蒐集しているからだ。
ローベルトも何度か招かれたことがあるが、その美しさ精巧さにため息を漏らしたことは一度ではない。
「いらっしゃいませ、旦那様」
馬車から下りると、使用人の男がローベルトを出迎えた。
庭師風だが、身奇麗な男である。
剪定の腕もよく、それ以外の技能にも秀でていると、以前マルギトが自慢していたことを思い出す。
先導していた庭師の男が館の扉に手をかけ、ローベルトのために開ける。
すると、
「ようこそお越しくださいました、ショーシュ卿」
絵画から抜け出してきた妖精。
齢十ほどの少女に出迎えられたとき、ローベルトはそんな感想を思い浮かべた。
「初めまして、小さなレディ。君は……」
「カロラと申します。お疲れでしょう? お茶をご用意いたしますから、こちらへ」
蜂蜜色の髪をふわりと揺らし、少女は庭師の男を伴って、ローベルトを屋敷の中へと招いた。
「では、君はマルギトの養女だというのかね?」
趣味のよい絨毯が敷かれた応接室。ローベルトとカロラは、飴色のテーブル越しに向かい合う。
紅茶の香りが、ローベルトの鼻腔をくすぐる。
マルギトは子供が好きだ。というと、多少語弊があるのだが。
正しくは、美しい少年少女や青年、若い娘が好きだった。
だからこその妖精人形蒐集趣味なのである。
マルギトをよく思わない者たちの間では、「領内の少年少女を攫い、人形に仕立て上げている」と陰口を叩かれているほどであった。
「ショーシュ卿?」
声が、ローベルトの意識を現実に引き戻す。カロラが、愛らしく小首を傾げてこちらを覗き見ていた。
「ああ、いや。この館に来るといつも調度品を眺めてしまうクセがあってね。ところでカロラ嬢。君がマルギトの養女というのは……」
「ああ、そのことですの」
カロラはにこりと笑む。
「マルギト様……義母様は亡くなる前、身寄りのないわたしを娘に、と迎えてくださいました。これからふたりで、というときに……。今回のことは本当に残念でなりません」
と、沈痛な面持ちで目を伏せた。
蜂蜜色の長い睫毛が、陶器のように白く、柔らかそうな頬に影を落とす。
「マルギトはその、本当に」
「ええ。領内の流行病に侵されてしまい、みなが手を尽くしたのですが……」
「そうか……」
幼い頃から、マルギトは身体の弱い娘ではあった。
大人になってもあまり変わらず、日焼けと縁遠い白い肌が印象的だった。
「なるべく急いで来たつもりだが、彼女の顔を見ることはできるかね?」
「はい。ショーシュ卿はいち早く駆けつけてくださいました。葬儀もこれからですので……。本当に、美しいお方です」
「ああ、全く残念なことだ」
カロラは気丈な様子を見せた。
「お茶が冷めてしまいましたね」
「お淹れいたします」
庭師の男が、ローベルトの茶器を下げて新しく淹れ直す。
温かそうな湯気と芳しい香りが、ローベルトを包む。
「どうぞ、ショーシュ卿」
「ありがとう。ああ、いい香りだ」
「最近ようやく完成した新種ですの。まだ量が作れないので、特別なお客様に、と義母様はお考えでした」
「そうか。ありがたくいただこう。ところでカロラ嬢。私は、マルギトに何かあった場合、彼女に関する財産と領地経営を任される立場にあってね。君のことも、最大限面倒を見るつもりでいる」
「まあ」
カロラは僅かに目を見開き、口元を手で隠した。
「彼女が目にかけたご令嬢だ。悪いようにはしない。もちろん、妖精人形たちもだ」
何も言わず、カロラはふわりと微笑む。
「そうだ、お茶に合うシロップがありますの。ぜひともお試しいただきたいわ!」
言うが早いか、カロラは弾んだ足取りでローベルトの元に寄ってくる。手には、造形に凝った青いガラスの小瓶を持っていた。
蓋を外し、中身を一滴、ローベルトのカップに垂らす。
「お口に合うといいのですけれど」
きらきらと、少女らしい輝きを瞳に宿してローベルトを見る。
「これはこれは。レディのおすすめなら、さぞや」
ローベルトは自然と笑顔を浮かべ、すすめられるままにカップの紅茶に口をつける。
花の芳香に、ささやかな甘み。ふたつが調和して、なんとも美味だった。そして和やかな会話がつづくはずだった。
間を置かずして舌を刺す刺激がなければ。
「くはっ!?」
口に含んだ紅茶を思わず吐き出す。
舌と口内を、無数の針で刺されたような違和感がある。指先が痺れ、身体の自由が瞬く間にきかなくなる。
ローベルトはそのまま、毛足の長い絨毯に倒れ伏す。
なんとかして見上げたカロラは、薄い笑みを浮かべてローベルトを見下ろしていた。側には庭師の男が影のように控えている。
「あら残念。吐き出してしまったのね」
その声にはなんの悪意もない。
「これはシロップではなくて魔法薬よ。彼がマルギト様と作ったの」
シロップ――魔法薬の小瓶を片手で持ち、カロラは庭師の男を見やる。
ローベルトは男に見覚えがあった。エーデシュ家……マルギトの元に出入りする魔術師だ。どうして今まで気づかなかったのだろう。
今や自由の効かない腕を、ふたりに向かって伸ばす。
「その様子だと、薬は十分に効かなかったようね」
カロラは、ローベルトの前にしとやかに跪く。
「全部飲み干してくれればよかったのに。もう少し飲んで欲しいけれど、身体中が痺れているでしょう?」
歌うように話しながら、カロラは自身が座っていた椅子の裏の、厚いカーテンを一気に引いた。
現れたものを目にして、ローベルトは驚愕して目を見開く。
この屋敷でよく見るような、妖精の、美女の人形だった。
ただしその顔は――
「ええ。マルギト様よ。美しいでしょう? みんなと同じようにしてさしあげたの」
「み、んな……」
「そうよ。妖精人形たち、まるで生きているようでしょう? みんな生きているのよ。けど」
向日葵のように爽やかで華やかな笑顔。まるで場違いな笑顔。
カロラは人形の頬に手を添える。
「ほら、薄い皺。マルギト様といえど、お歳には逆らえない。だから」
いつの間にか側に控えていた魔術師から手斧を受け取り、カロラは、流れるように自然な動作でそれを振り下ろした。
人形の、マルギトの脳天があっけなく割れる。血と脳漿を零しながら、物言わぬまま、マルギトはゆっくりと倒れた。
「わたしは美しいままでいたいの。だから、喜んでマルギト様についてきたのよ。妖精人形になる日が、永遠に美しくいられる日が来るのが待ち遠しかった。なのに、あのお方はわたしに妙な情を持ってしまうんだもの。誰がわたしを永遠にしてくれるというのかしら」
血と肉片がついた手斧を持ったまま、酷薄な笑みを浮かべたカロラがローベルトに近づいてくる。
「ショーシュ卿。ローベルト様。あなたも素敵なお顔立ちをしていらっしゃるから、仲間にしてさしあげたかったのだけれど。その薬は薄れないの。痺れてしまって、これ以上もう飲み下せないでしょう?」
恐怖に駆られ、しかしまともに動けないローベルトを前に手斧を振り上げ、
「残念だけれど、さようなら」
カロラは躊躇いひとつ見せずにローベルトの頭を叩き割った。
血と白い欠片、柔らかい中身が飛び散り、水たまりのように広がっていく。
「こうなってしまってはもうだめね。シャラモン、みんなを解放するわ。下衆どもに連れて行かれないように。手伝いなさい」
「はっ」
魔術師は短く返事をし、応接室のカーテンに魔術で火を放つ。
火は瞬く間に炎となり、天井まで立ち昇る。
「お兄様、お姉様がた、すぐにカロラが参ります!」
嬌声、哄笑。
表情に慈悲さえ浮かべて、カロラは屋敷中を回る。
生きている妖精たちの頭を砕き、胸を穿ち、首を切り落としながら。
全ては炎と煙に包まれて――。
妖精人形館は夕空の下、あかあかとした炎の館と化していた。
離れた丘から、その様子を見るふたつの人影。
「ああ、羨ましいわ。美しいまま逝けて」
ほう、と憂いげなため息をつく、蜂蜜色の髪のカロラ。
付き従うように、魔術師のシャラモンが一歩下がった位置にいる。
「わたしも、美しいまま妖精になりたいわ」
「あの薬は、未完成ですので」
シャラモンは短く答える。
「そうだったわね。早く、わたしを永遠の妖精にしてちょうだい。わたしが大人なんかになる前に」
燃える館を背にして、カロラは無垢な笑みをシャラモンに向けた。
この日、やがて「無慈悲な妖精女王」と呼ばれる少女が、世に放たれてしまったのだ。