理科が好き
小中学生の時、理科は得意科目でした。高校に入ってからはやや低迷していましたが、興味津々であるのには変化ありませんでした。
小学生の低学年の頃は、動植物の図鑑のような本を借りてよく読んでいました。同性の級友からすると、実にオンナノコらしくない趣味と目に映ったらしく、「たまにはこういうのを読んだ方がいいわよ」と、かなりの上から目線でメルヘンチックな本を渡されて、それを借りるように強要されたことがあります。逆らうと後が怖いので、借りましたが、一応読んだはずなのに、全然その本の記憶がないですね。
小学校の図書室で理科系の読物を好んで借りていたといっても、家に帰れば、祖父が父や叔父に買い与えた子ども向けの世界文学全集みたいなのがあり、また父がわたしや弟のために買ってきている児童向けの世界文学全集がありましたので、ノベルをさっぱり読まなかった訳じゃありません。級友の勧める本の内容が、こっちから見れば精神的なレベルが低かったとしか、今となっては言いようがないです。
小学生の三、四年生くらいになると、手芸やお菓子作りに興味を持ちだす子が出てくるので、つられて、その類いの本を覗くこともありました。
また、学研の『○○のひみつ』といった学習漫画が刊行され、それは貸出禁止の室内閲覧でしたが、そういった本もよく読みました。恐竜や天文の本が好きでした。
級友だけでなく、母も多少は軌道修正が必要かしらと思ったかどうかは知りません。わたしは作文や読書感想文が苦手でした。綴り方教室みたいな本や、情緒教育にいいと判断されたらしい社会貢献した無名の女性を掘り起こしてきた、勿論子ども向けの伝記など買ってきてくれました。
子ども向けの作文の本って、手紙とかビジネス文書の書き方の本より役に立たないんじゃないかと思うんですけど、今まで参考になったという方、おられますか?
高学年になると、ノベルやミステリを読みだしました。中学生になると、横溝や柴錬を片っ端から読んでいました。祖父母や父の書棚から、興味惹かれる本は勝手に借りていました。
理科はずっと好きなんですけど、わたし、数学どころか算数も計算があやしい人間なんです。理科の内容で、複雑な計算が必要なケースも出てきますよね? それが躓きの元でもあります。
数学の成績がさっぱりなことと、科学と芸術の両方の面を持つ歴史に惹かれたこともあり、高校では文系選択になりました。あわよくば看護師か養護教諭の進路を取ってくれないかという母の思惑とは外れて、恐竜と星が好きなまま来てしまったわたしは地学を選択し、どうして生物を取らなかったのとしばらく文句を言われておりました。
わたしは聖職者に向いていないと誤魔化して、好きな学問をお勉強しているしかありませんでした。
理科と数学って密接な部分がどうして多いんでしょ。物理じゃなくても細々と計算しなくちゃいけないんですもの。
雑学っぽい理科系の本を今も好んで読んでいます。日高敏隆や竹内久美子のやさしめの解説本、リチャード・ドーキンスの『悪魔に仕える牧師』は読みました。『神は妄想である』はまだ積読です。
高校生の時に、新田次郎の『武田信玄』を読んでいて、驚愕した場面がありました。『武田信玄』が手元にないので、記憶で書き綴ります。
武田信玄が家臣の山本勘助に自分と上杉謙信の違いについて尋ねます。
すると、山本勘助は信玄に、「一から十までの数を順に足していくと幾つになるか、数えてみてください」と言います。信玄は「五十五」と答えます。
勘助の言い分によりますと、「お館様の表情や、掛かった時間からみて一から順に足してゆかれて、五十五と答えを出されたようにお見受けします」
信玄は肯きます。
「同じ問いを上杉謙信にしたことがあり、上杉殿は即座に五十五と答えられました。これは五と九を掛けて四十五を出し、それに十を足して五十五と答えを出されたのです。
上杉殿はお館様と違った天才であると見ます」(そういう説明をしていました)
はあ……。
一から十までの数字を足すのに、そおんなこと思い付く人いるんだ……。流石、気象台勤務経験者で、卓上型電子計算機もスーパーコンピューターも無く、膨大なデータの分析を算盤や手計算でしていた時代の人で、数学者藤原正彦の父上だ、と感心しきりなのでした。
数学の得意な方は、そうでない者と計算する場合の目の付け所というか、順番・理論が違うと聞いたことがありますが、小説で読んだ具体例が山本勘助クンのお館様と上杉謙信の計算方法の違いでありました。
そんなの珍しくもかゆくもないだろう、と仰言る向きもおありかと思いますが、算数がやっとの者の戯言とお見逃しください。