炎のランナー
この映画を観たのはやはり短大時代、体育の講義でスポーツの歴史を学んでいて、仕上げとしてビデオを観ました。体育の先生から「当時のスポーツやアマチュアリズムについて考えてみなさい」と言われました。
近代スポーツの発祥からして王侯貴族の余暇、体力づくりの一種だから、近代オリンピックの父と呼ばれるクーベルタンも男爵位を持った貴族サマだから、アマチュアリズムへのこだわりはヨーロッパとアメリカ合衆国とは違うだろうなぁとまず感じました。
『炎のランナー』(このダサい邦題なんとかならなかったのかしら)の主役たちはまずパブリックスクールの大学生たち。貴族もいれば、牧師の息子(中流の子息)、やはり中流としての体面を保っているユダヤ人の子息もいます。昼の十二時の鐘が鳴り始めてから終わるまで、校庭(だったかな? 中庭だったかな?)を一周できるか、の競争を楽しんでいます。
大学生活を謳歌し卒業、それぞれ神から与えられた俊足を活かしがら、三人の主要登場人物たちは二十世紀初頭のパリのオリンピックに出場が決まります。役名を覚えていないので、このままいきます。
ユダヤ人の男性はイギリスの代表として出場して勝つと心に決めています。自分の帰属する拠り所はイギリスだと示したいのです。そのために、当時のアマチュアリズムに反しているのではと疑問を投げ掛けられている、ランニングコーチを個人的に依頼します。アメリカ合衆国では批判を受けつつも、選手たちはコーチの指導を受けています。日本人にはこの登場人物やアメリカ合衆国のやり方が理解できるかと思います。
一方貴族出身の選手はユダヤ人の選手が熱心に練習をしていると聞いて、自分も見習わなきゃなと、ハードルにシャンパンを注いだグラスを一つ一つ置いて、執事に零れたら教えるようにと見守らせて走ります。格好いいけど、階級社会を嫌う人にはケ! のシーンでしょう。
牧師さんの息子は牧師を継いでいます。走ることで神に近付いていると感じているかれは、パリに到着して試合の日が安息日に当たると聞かされて驚愕します。信仰を曲げた行為はできないと悩みます。
貴族出身の選手は先にハードル競技でメダルを獲得します。そして、一緒にパリに来ているイギリスの王子に提案します。
「私は既にイギリスに貢献しました。かれ(安息日に競技はできないと言い張る牧師)の為に四百メートル走を譲ろうと思います。その競技日なら安息日ではないし、かれなら良い成績を残せるでしょう」
満場一致で決まり、イギリス王子たちはオリンピックの役員に言って選手交代を実現させます。
ユダヤ人の選手は百メートル走で、牧師さんは四百メートル走で、それぞれ優勝します。
登場人物それぞれの史実とフィクションを交えた映画です。いい映画であるのは間違いないのですが、どこに感動するかは人様々でしょう。百メートル走で優勝した選手は、自分はユダヤ人ではなく、イギリス人と認められたと、恋人と肩を寄せ合います。信仰の為に走る、一種のノーブレス・オブリージュとして走る、イギリス人として格好いいのだろうとか……。
映画の音楽が良かったです。もしかしたらこれが一番だったのかも。
オリンピックはアマチュアスポーツの祭典でしたので、プロというか、スポーツを職業にして稼いでいる人や肉体労働者は出場できないものでした。で、始めに述べたとおり、近代スポーツは王侯貴族という有閑階級の余暇に起源があるのが多いのです。
そんでもって、古代ギリシアのオリンピックには市民階級の男性しか出場できなかったと聞いています。当時の市民階級とは、市民とは市民税を徴収されるだけの存在なんだと嘆息する一般庶民ばかりでなく、労働や雑事は奴隷にさせて、哲学や余暇に精を出す立派な方々がいました。奴隷や(市民階級であっても)女性は出場できませんでした。女性は見学できず、こっそり競技場に入りこめば処刑と決まっていました。(我が子の活躍を観ようと男装して入りこんだ母親を死刑にするかどうかの昔ばなしを紙芝居で見たことあります)
大元からしてオリンピック出場が特権的なシロモノなのです。
現在、「オリンピックは参加することに意義がある」と信じている人はいないのではないのでしょうか。出場するからには誰しもいい成績を残したいし、観客側もそれを期待しています。
先日、NHKの『フランケンシュタインの誘惑』で旧東ドイツの国家ぐるみのドーピングの回を観ました。この特集では主に女性選手について放送していました。スポーツの才能ある成長期の少女たちにビタミン剤と偽って男性ホルモン剤を飲ませていた、このため女性たちは単に筋肉質になるだけでなく、男性のように声が変わる、女性としての機能が衰えるなど体の変調に苦しむことになります。薬を止めても、女性機能が戻らず、遂に性転換を余儀なくされた人もいたというのです。男性側の内容はこの回でありませんでしたが、男性側は自身の体内で男性ホルモンの生成ができなくなり、薬を止めると筋肉が衰え、男性機能の衰えによる不妊があったはずです。
オリンピックに国家の威信を懸けるように、政治問題が関わってもきます。
わたしが小学生の時、『こぐまのミーシャ』というアニメ番組が放映されており、コマーシャルの間に、「こぐまのミーシャはモスクワオリンピックの公式マスコットキャラクターです」と流れていました。
モスクワオリンピックは、ソ連のアフガニスタン侵攻の抗議のため西側諸国が出場をボイコットし、日本もそれに倣いました。モスクワオリンピックは日本で出場していないこともあって、ほとんど報道されていなかったように覚えています。ミーシャは可愛かったですよう!
わたしが初めてはっきりと観た記憶があるのが、中学三年生の時のロサンゼルスオリンピックです。商業主義が正面に出てきたオリンピックでもあります。
オリンピックではサッカーやテニスはあまり盛り上がっていなかったのに、いつの間にかプロ選手の出場が認められて、お馴染みの選手が顔を揃え、毎回話題になっています。リオでゴルフがプロも出場可能で再開となりましたが、これはイマイチだったように思います(元々わたしにゴルフに興味がない所為もあります)
射撃やボクシングはまだアマチュアです。プロの射撃となったら怖いですが、日本で出場しているのはだいたい警察官でしょう。ボクシングは学生か自衛官。ボクシングは逆にファイトマネーや体調の調整があるので、プロの出場はできないもんなんでしょう。
十月十日は東京オリンピック開催を記念して、「体育の日」として国民の祝日に決められたと教えられてきました。現在はハッピーマンデーで十月の第二月曜日になりました。
どうして、昭和三十九年の東京オリンピックは十月に開催されて、次の東京オリンピックはクソ暑い八月に開催しなければならないのか、夏季オリンピックの開催時期の変遷までは知りませんし、調べる気力が無いのでした。
なんだかんだとオトナの事情が一杯あるのでしょう。