2.5次元恋愛~そんなことって本当にあるんですね~ vol.3
2.5次元恋愛~そんなことって本当にあるんですね~vol.3
すっごいつくねは所謂躁うつ病の精神障害者である。原因としては、何だよそれ、創作の世界かよ?小説ですか?といった感じの過去がある。それはどこから遡るべきかという問題もあるが、とりあえず記憶のある段階から遡って行きたいと思う。
すっごいつくねの家族構成の現在は後に話すとして、最初は両親と兄二人の5人家族だった。一番上の兄はやれば出来る子やらない子の典型タイプで、ゲーム、アニメ、おもちゃ大好きの所謂オタクだ。二番目の兄は、今でいうところの自閉症スペクトラムをもった発達障害のある、これまたゲーム、アニメ、おもちゃ大好きのオタクタイプだ。父は外資系の製薬会社のエリート、母は父と高校時代から付き合って結婚した主婦である。
小さいころの我が家はとても幸せな家庭だった。忙しい父が休みのたびにキャンプや釣りなどのアウトドアに連れて行ってくれたり、家でBBQをしてくれたりと理想的な父親だった。母はちょっと天然で抜けてるところはあるものの、子どものことを考えてくれる…そんな人だった。しかし、私が知らなかっただけで、この幸せの中にも多々問題があったのだ。長兄は未熟児で生まれた故に小学生の頃までてんかんがあり、突然倒れることも多かった。次兄は各所で問題を起こしては、母がお菓子をもって謝りにまわっていた。
私が家庭内の異変に気づいたのは、小学校低学年の頃だった。母がおかしいのだ。あんなにずっと手料理やお菓子を振舞っていた母が「今日のご飯はコンビニね」とか「今日はハンバーガー買ってきて食べなさい」とか。この頃から母は鬱の傾向があったのかもしれない。そして決定的な事件は母の過度なしつけ、虐待だった。私とは年の離れた兄たちは悪さをよくするようになり、母がとった行動は「靴べらで殴る」ことだった。一回靴べらが折れて、新しい靴べらが購入されたこともある。そんなレベルで兄たちは殴られていたのだ。私は怯えていた。自分はいい子でいないと兄たちのように殴られるのだと。父は朝早くから夜遅くまで会社にいて、この状況に気づいていたのかは定かではない。
そして我が家はそんな劣悪な環境の中、父の実家を建て替えて、そちらに引っ越すことになった。父は会社の都合単身赴任となり、母と兄弟だけが祖父母と二世帯の同居を始めた。優しかった祖父母も毎日孫がいれば怒ることも頻繁で、母も嫁として色々言われていて一杯一杯だった。そしてまた事件は起こる。次兄が中学校に転校初日に不良に殴られて帰ってきたのだ。元々コミュニケーションが得意ではない兄、思春期になり髪の毛が天然パーマでくるくるになっていた上に元々髪の毛の色素が薄い。そうすると「髪を染めてパーマをかけてるなんて生意気だ」と誤解を受け、殴られて帰ってきたわけである。それから次兄は不登校になり、母は鬱傾向から重度の鬱になり、拒食になり、私は家族崩壊の危機を感じていた。もちろんいつもならどうにかしてくれる父もいない。
私のとった行動とは「母の面倒を見る」「家事をする」「母の母代わりになる」「母のカウンセリングをする」といったもので、当時は小学4年生だった。ここまでで完璧にACの完成である。そこからが悲惨だった。しかも思春期かつ不登校の次兄との折り合いもつかず兄弟げんかが絶えなかった。そして長兄は早々に大学進学でうちからいなくなった。
中学生になる頃には私は学校を週一で休むくらいになっていた。ついには中学2年生時に精神科に連れて行かれた。その頃は不安障害だと言われていた。それでも成績はキープしてて、進学校に進めると言われていたが皆が滑り止めにする私立の高校を第一志望にしていたんだ。しかし、もう受験が目の前に迫るというところで、友達が行くからという理由で進学校ではないがそこそこ人気の公立高校を進路をチェンジし、うっかり合格してしまう。
このうっかりがよくなかった。家庭の状況は悪化の一方、学校は学校で男女比率2:10という圧倒的女子率の中で思春期女子の争いに嫌気が差し、ついに一年で中退し通信制高校に転学する。この間に二回精神科に入院して、大好きだった祖父が肺気腫で亡くなった。この頃には自傷行為が止まらなくなっていた。
通信制高校は通信制高校で大変問題があった。仲良くなった同級生が自傷行為をしようと教室で大暴れ、親しい後輩がヤンデレに殺されかける。それでも大学進学を目指していた私は独学で勉強を進め、偏差値は高くないものの大学に合格した。こんな環境だから…か、私が進学したのは臨床心理を扱う学科だった。将来は臨床心理士なんて夢を見ていた頃もあった。
しかし卒業する頃になって考えてみると無理だったんだなということがよくわかった。何故なら卒業するまでに私はまた精神科に二回入院を果たした。在学中に父のがんが発覚、そして死亡。その一年後にいとこがいじめと自身の発達障害を苦に自殺。結局大学を一年留年した上に途中から進路変更し、とりたかった精神保健福祉士の資格も実習の中断で要件を満たせず試験すら受けることが叶わなかった。
まあそんなこんなで、すっごいつくねは10年間精神科に通った。結果として躁うつ病、詳しく言えば双極性障害Ⅱ型になったわけだ。
おまけとしては、父が亡くなって一年後、いとこが自殺する数カ月前の時期のことだ。母親がブラック企業でバイトを始めて、鬱が悪化し、尚且つ次兄の精神状態も悪化し、それを解決するために動きまわった私はもう耐え切れなかった。父が吸ってたたばこが吸いたい…父のところに行きたい…父に会いたい…それがきっかけで喫煙者になった。
これが今問題として現れている。
ゆたーりさんは「喘息」である。ここまでの下りは全部ここにつなげるためのものだったのだ。ゆたーりさんはたばこの煙を吸うと発作が起きる。すっごいつくねは「あ、アカン、これ禁煙しないとゆたーりさんに会えない」と気づいた。しかし未だ禁煙できずにいる現状である。
何故なら実家にいると記憶が蘇りPTSD症状を引き起こしてしまうんだなーこれが。たばこはすっごいつくねにとって薬以外の精神安定剤なのだった。
ゆたーりさんに会うまでには禁煙しなきゃ…と思うすっごいつくねの今日このごろである。