第三話
「ふぅ…。」
伸びをしてため息をつく。窓の外を見ると空が赤くなっていた。もうそんなに時間がたっていたのか、おもむろに自分のデスクにある時計を見ると針は午後4時50分を指していた。今は真冬だから日が暮れるのも早い。あと数分もたてばどっぷり暗くもなるのだろう。
今日はとにかく疲れた。久しぶりの仕事というのもあるが半分以上が徹さんの件だ。移動するとき、昼食を取りに行くとき、お手洗いに行くとき、私が何かと席を立つたび誰かしら私に話しかけてくるのだ。皆が皆、事の真相を低俗なパパラッチのごとく掴みに来ようとするのが鬱陶しくて仕方なかった。「大丈夫?」という言葉の次にくる言葉が決まって「何があったの?」なのだから呆れるしかできなかった。スキャンダルを起こして無数の記者に囲まれる芸能人の苦労の片鱗を垣間見た気がした。もう一つため息を落とすしかなかった。
そういえばさっき秋谷さんにコピーを頼まれていたのだった、憂鬱ではあるがやらなければならない。誰も私によらないことを祈りながら私は席を立った。
100部だから少し時間かかるな、とぼうっと無機質に作動するコピー機を眺めていると後ろに人が立った気がした。
「春野さん。」
後ろを振り向くと見たことのない女性が3人ほど立っていた。ああ、またか。いぶかしげな私の視線に気づかないのか、彼女たちは昼間私に話しかけてきた人たちのような言葉を紡ぎだした。
「私は大丈夫です。他に何かありますか?」
会話のリズムを無視して私は半ば無理やり会話を終わらせようとした。恐らくこれが気に入らなかったのだろう。
「…何その言い方。こっちは心配してるってのにその態度。」
後ろで小さくつぶやく声が耳に否が応でも入ってきた。この言葉も何回目だろう。こっちから言わせてもらうと心配するふりをして聞かれたくないことを聞き出そうとするそっちの方が感じが悪いのではないか。そんな私の心境も知らず彼女たちは好き勝手なことを言いたいだけ言ってきた。
「大体さ~、夏川さんと春野さんって釣り合ってなかったよね。」
「そうそう。モデルの高階さんの方がお似合いだよね~」
「噂によればあの二人結構前から付き合ってたらしいじゃん?春野さんは最初から夏川さんに愛されてなかったんじゃない?かわいそう~」
何でこうもこんなことを言いに来るのだろう。こんなことをしている暇があったら仕事をしたらいいのに。怒りと悲しみと悔しさで頭がおかしくなりそうだ。涙がこぼれそうになるのを必死に食い止める。泣き顔を見られたらそれこそ彼女たちの思うつぼだ。早くコピー終わってよ、心の中で必死に念じるがコピー機はマイペースにガシャンガシャンと音を立てながら紙を吐き出してくる。まだあと半分以上残ってる。
「ねえ話聞いてる?」
「…何でしょうか。」
震える声を出さないようにおなかに力を入れて話したが、それでもやっぱり震えは取れなかった。目ざとい彼女らは私の顔を覗き込んできた。そして私の顔を見ると本当に可笑しそうに笑い始めた。
「何で泣いてるの~?私たち傷つけちゃうこと言った?ごめんね~」
クスクスと無邪気な子供のように彼女たちは笑い始めた。まるでいじめだ。年末の仕事の量の多さからくるストレスをこんな幼稚な形で発散するのも大概にするべきではないのか。しかし、ここで逃げ出しては負けだ。せめてコピーが終わって秋谷さんに渡してからにしよう。ちら、と機械の方に目を向けるともう少しで終わりそうだった。ピーと終了を告げる音が福音のように聞こえた。
「失礼します…。」
後ろで何か言っている彼女たちを無視してコピーを乱暴にとるとその場から足早に立ち去った。
「秋谷さん、頼まれていたものです。」
「おお、サンキュ。」
デスクで作業している秋谷さんの肩を軽くたたいてコピーを渡した。秋谷さんのデスクを見ると私と同じくらいの書類の山があって少し笑ってしまった。あの雰囲気から解放されたのもあったのかもしれない。秋谷さんが不思議そうに私を見てきた。
「何笑ってんだ。」
「あ、すみません。私と同じくらい書類の山が高いなあと思って。」
「ん、ああ。」
その書類の山を見ながら秋谷さんが困ったように笑った。
「ったく、世間はクリスマスっていうのに俺らは書類と過ごさなきゃならねえとかふざけてるよな。」
「秋谷さん彼女いるんですっけ?」
「ああ?んなもんいたらこんなに仕事残さねえよ。生憎独り身だ。お前分かって言ってるだろう。」
「そんなことないですよ。」
談笑しながら秋谷さんの隣のデスクに座る。高くそびえたつ書類の山を見て苦笑するしかなかった。書類の山がなくなったころには時計の針が11時を回っていた。