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スターチスの花束を貴方に  作者: 蒼井 唯
幸せの裏側
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第一話

「幸せとはかくして長く続く代物ではない。」

昔読んだ本にそう書かれていたのを思い出す。そう、この事実は昔からわかっているはずの事だった。しかし、誰もがこの事実から目を背けようとする。理由は明白で、"自分は違うはずだ"という考えに縋っているからだ。幸せという手に入れたくても簡単に手に入らない、まるでお伽噺の宝物のようなものを手元にずっと置いておきたいというのは贅沢でも何でもないだろう。


だから私は今この状況で自分自身に対して投げかけられている言葉を理解できないでいる。


「聞いてる?俺と離婚してって言ってるの。」


何回も言わせないでよ、と言いたげな顔をしている徹さん、私の夫の声がまるでナイフのようで私は酷く恐ろしかった。私の名前を大事そうに呼ぶ声とは打って変わって、今はまるで汚いものにかける侮蔑が含まれた声に体が震えた。怖くて、逃げ出したくて仕方ない。涙腺が嫌でも刺激され、1ミリでも気を抜くと涙がこぼれそうだ。


「どうして、ですか。」


震える声を抑えながら尋ねる。そうすると、彼はそんなことも分からないのかという顔をした。ため息をつきながら彼は私を傷つける言葉を吐いていった。


「莉緒といてもつまんなかった。なんだろうね、もう莉緒に対して愛がないんだよね。こんなにつまらない人間と一緒にいたって損じゃないかなあって思い始めてさ。」


笑いながらそういう彼の顔が涙でにじんでよく見えなかったのは救いだったのかもしれない。俯くと涙がこぼれそうだったので慌ててぬぐった。恐らく彼はこの私の行動を見て不機嫌になっただろう。簡単に泣く女は嫌い、と以前言っていたのを思い出す。パッと顔を上げると予想通り不機嫌な顔をした彼の顔が見えた。


「まあどうでもいいけど。早くここにサインしてくれない?」


彼の手が示した個所を目で追うと私の名前以外は完璧に書かれた綺麗な離婚届があった。彼の綺麗な字がとても好きで自分も字が上手くなりたいなと密かに思っていたのを思い出してまた涙が込み上げてきた。震える手でそこに自分の名前を書く。字も当たり前に震えてお世辞にも綺麗と呼べる代物ではなかった。印鑑も滲んで見えた。しかし、彼は満足そうな顔をしてありがと、と私に言い彼の愛用のバッグにそれを入れた。


いつから彼はこれを準備していたんだろう。いつからこれの夫の欄に自分の名前を書いていたのだろう。いつから、いつから。


―――――いつから私は彼に捨てられていたのだろう。


考えただけで強い眩暈がした。インフルエンザにでもかかったみたいに頭がガンガンする。


「ここももう近々引き払うから。費用は俺持ちだからいいよね。荷物もまとめておいてね、家具とかはショップに売るし。他に何か聞きたいことある?」


「ない、です。」


そう言うしかなかった。彼も分かって言っているのだ。自分のこの声に私が逆らえるはずがないということを。それは彼の心の中に私の居場所なんてものがとうの昔に無くなっていたことを証明したのと同じだった。ギュッとこぶしを握り締めて今にも泣きだしてしまいそうになる衝動を必死に抑えた。爪が掌に食い込む痛さなんて感じる暇もなかった。


「そ。物分かりがいい子は嫌いじゃないよ。それじゃあね。」


そう言って彼は立ち上がっていつの間にまとめていたのか、大きいライトブルーのキャリーバッグをゴロゴロ引きながらリビングを出て行った。私はそれを見ることもできずにただただ離婚届が置いてあった机を見つめることしかできず、私が机から顔を上げたころには彼はこの家からいなくなっていた。ゆっくり、ゆっくり握りしめていた拳を開くと掌にくっきりと赤く三日月形の線が4本ついていた。その爪痕にぽたぽたと涙がこぼれるのにそう時間はかからなかった。

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