第16話
時間は少し遡る。
迷宮にあるありふれた部屋の一つ、そこでネメアは唸っていた。
「ぐぬぬぬぬっ。どうしてあそこに落とし穴があるんですか!!」
切実に叫ぶネメアだが、それも致し方あるまい。
何の因果か、コクランがほとんど通路に足を付けていなかったのが災いし、通路にあった罠の全てに引っかかってしまったのだ。
自分の主がこの通路を通ったというのは僅かに残っていた匂いで分かっていた。
途中途中にあった主が倒したであろう魔物の血の臭いはその血が多くて嗅ぎ取るのに苦労したモノの、ほとんど一方通行だったのも幸いして問題はなかった。
だが、ネメアは知らなかった。
コクランがほとんど通路に足を付けずに移動していたという事を。
それもあの時聞こえた人の声が原因だった事など、あの部屋から出る事に必死だったネメアが知る由もなかった。
「うぅ…何であの通路には罠が発動していない物が多かったのでしょうか。…主は本当にあそこを通ったのですか?」
………。
「ああぁぁ!言ってて自信を無くしました~。……いえ!あの通路はまっすぐでした。それに最初に嗅いだあの匂いは我が主の物で間違いありません!」
今まで発動した罠は壁から床から槍が飛び出したり、どこからともなく矢の先端の鏃が飛んで来たり、時には熱湯や氷水など、よく解らないものもあった。
しかし、何れににしてもネメアに致命的なダメージを与えるような物では無かった。
ただまあ、
「痛った!!いきなり何ですか!?って槍!?フゴッ!今度は何———って鏃!?というか何で鏃だけ?ってそんな事どうだって良いんですよ!何ですかこの罠の数!!ちょっと移動しただけで何でこんなに罠が———熱ッづぁ!?今度は熱湯?というか何で熱湯!?乙女の毛になんて事を!これ手入れ大変なんですよ———冷た!?いや、確かに熱いって言いましたけど!氷水が欲しい何て言ってませんよ!要りませんよ!?って誰に言っているんですかね私は!!」
そう一人で突込みを延々と繰り返すネメアは、第三者から見たらとてもシュールに映ったであろう。
まあ、見ている者は時折り現れる魔物くらいで、その魔物もネメアとの格の差を本能で感じ取り逃げ出す者、或は無謀にも挑み掛かってくる者など様々だったが、どちらにせよネメアの移動速度に付いて来れる者など皆無であった。
本人はツッコミに夢中でまったくその存在に気づいてはいないのだが。
そんな訳でネメアに致命的なダメージは無いのだが、効果が全くないという訳では無かった。
そのような時に遭遇したトラップの一つに問題があった。
ガコンッ
突然そのような音が聞こえ次の瞬間、通路の床が二つに分かれて足場が無くなってしまったのである。
「へっ?」
突っ込むのに夢中で反応が遅れたネメアは抵抗する間もなく重力に従って落下していった。
「何で——————!!?」
その声は徐々に遠ざかって行き、最後にその通路がパタンッ…と閉まるのを最後に、辺りには静寂が訪れるのであった。
そして今に至る訳である。
「あれは何かの陰謀に違いありません!!何で私がこのような場所に落ちなければならないのですか!それに何ですかあの落下時間は!!絶対20層は落ちました。私だから大丈夫でしたが主は———」
そこでハタとネメアは思い至る。
ネメアは主を追いかけてあの通路を駆けたのだ。
それの意味する所はつまり———
「主はこの階にいる可能性が高い?…私は天才ですか!主はきっとあの忌々しい罠に引っかかり、ここに落ちて来たはずです!!そうに違いありません!だって私が引っかかるような罠ですよ?私が引っかかったのに主が引っかからないはずがありません!」
本人が聞いたら大変激怒しそうな事を、本人がいないことを良い事に好き勝手のたまいながらネメアは決心する。
「そうと決まれば不肖ながらこの私、我が主の為、駆けつけますよ!我が主よ、私が側に居れず一人で寂しいでしょうが、あと少しだけ我慢してくださいね!!」
そんな失礼なことを考えながらネメアは立ち上がると部屋の外に向かう。
部屋に主の亡骸も怪我をした痕跡もない、そう考えれば生きている可能性が高い。
それに私を下した主がこの程度でくたばる筈が無いという、一種の信頼の様なものもあった。
今度は小さくなった為か、入口に引っかかる様な事もなく普通に部屋を出て走り始める。
道は一本道で間違えようが無かった。
「しかし、主の匂いがしませんね。道は一本で間違えようもありませんし……」
ネメアはその時に正解を言い当てているのだが、それを指摘してくれる者はここにはいなかった。
そんな自分の考えを鼻で笑い飛ばすとネメアは思う。
「きっとこの通路には匂いを消す罠か何かがあるのですね!まったく、その程度で私が主の追跡を諦めるとでも?八ッ、甘いです。生肉に火を通すのが如く甘いです。あれは生だからこそ美味しさがあるのですよ!ってそんな事どうだって良いんですよ!いや良くないですけど!———とにかく!!私をこの程度で諦めるようなそこらの有象無象と一緒にしてもらっては困りますよ!」
ネメアは獣にしか分からないであろう事を口走りながら自分の本能に従って駆ける。
「私の主への思いを舐めるな!」
それは獣特有の直感とも言うべきものであった。
それはそこらの並みの獣が使う本能ではない。
【百々の獣神ネメア】———王が主の為に使う直感なのだ。
その精度はほとんど外れる事はない。
だが、本人にその自覚は無い。
ただ、なんとなくそれに従えば会えると自分の本能が告げていたので従ったに過ぎないのである。
言わばただの悪足掻きである。
だが、幸か不幸か仮にもネメアは王である。
自分という存在に助けられる形になるのであった。
「なんとなくこっちへ進めば会えそうですね」
分かれ道を自分に従って縦横無尽に駆けながら、ネメアは思う。
早く主に会いたいと。
ネメアはコクランに会えるのか、それはネメア次第である。
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