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第2話 難破漂流

 平泉よりもさらに北の果てに、十三湊とさみなとと呼ばれる港湾都市がある。

この地の歴史は古く、また、奥州藤原氏、ひいては日本にとって重要な交易拠点の1つである。

主に、蝦夷地とのつながりで知られているが、遠くシベリアや樺太・千島列島に及ぶ北方広範囲、さらには、朝鮮半島や中華圏といった西側にも船を行き来させていた。

義経と、彼を弁慶より託された従者2人は、蝦夷地へ向かう船の中に居た。船は既に港を出て、海上をゆっくりと北上している。


 義経はまだ目を覚まさない。

平泉を落ち延びて、既に3日が経過している。

あの後、衣川館がどうなったのか。考えるまでも無く、答えは分かりきっているが、従者達は思いを馳せずにはいられなかった。


 度重なる平氏との激戦。薄氷を踏むが如き危うさを含みつつも、勝利を重ねこれをついに滅ぼした義経。

実の兄・頼朝に疎まれ、鎌倉を追われ逃避行を余儀なくされた義経。

平氏追討の戦を重ねる度に仲間を失った。

兄からの刺客をかわす度に仲間を失った。

ここに至るまで、義経の歩みには戦いと犠牲が常につきまとっていた。

その彼の心労たるや想像を絶すると言っても決して過言ではあるまい。

最も信を置く弁慶すらも失い、昏々と眠り続ける彼を、従者2人は慎重に扱った。

せめて、今だけは安らかな休息を得られるよう願いながら。


 義経が目を覚ましたのは、その日の午後に差し掛かる頃だった。

しばらく呆然としていた彼だったが、すぐに自身の置かれた状況を思い出し、側に控える従者を問いただす。

「私はどのくらい寝ていた?此処はどこなのだ!?」

「3日ほど殿は眠っておられました。此処は、蝦夷地へと向かう船の上にございます」

「返せ。すぐに平泉へとって返すのだ!私は、あそこへ戻らねばならぬ」

「なりませぬ。我ら弁慶様の遺言に従い、あなた様を頼朝殿より遠ざけるためにお側に居ります」

弁慶の名が出て、思わず義経は目の前で頭を垂れる従者の胸倉を掴み上げた。

「貴様も、私の命令を聞けぬと申すのか!」

「恐れながら。我らの首を刎ねるのならお好きな様に。ですが、この船があなた様を死地に戻す事だけは絶対に有り得ませぬ」

「……くっ!!」

従者達の頑なな決意の眼差しに気圧され、義経は掴んだ手を離し、押し黙る他無かった。


 やがて、大人しくその場に座り込んでいた義経がぽつりと尋ねた。

「……何故、向かう先が蝦夷地なのだ?」

「はっ。泰衡殿が鎌倉からの圧力に屈して殿を攻めた以上、頼朝殿の威光が及ばぬ地はかの地を除いてございませぬ故」

「蝦夷地へ渡り、兄上に対抗する軍を纏めろという事か?」

「いえ。弁慶様始め、佐藤忠信様、伊勢義盛様といったいずれの方々も、殿が戦を離れ、平穏に余生を過ごされる事を望んでおられました」

「平穏?余生?郎党も家族も失い、たった1人で未開の地を彷徨い歩く事が、私の幸せだと?」

「……決してその様な事は。ただ、弁慶様はあなたが生き残る事だけを我らに託しました。我らは、託された使命を誇りに思い、全うするのみにございます」

「……そうか。済まぬな、そなたらを責めても詮無き事であった」

「勿体無きお言葉。我らのこの身、殿の為に遠慮無くお使い下さい」

そこまでのやり取りの後、場を沈黙が支配した。義経は呆然と海を見ている。


 どれほどの時間が流れたであろうか。静だった船内に、突然警戒の銅鑼の音が響き渡る。

「何事か?」

従者の1人が水夫に尋ねる。

「嵐です。前方に巨大な黒雲が!真っ直ぐこっちに向かってきます!!」

緊迫した空気が船上を包む。いつの間にか、辺りが薄暗くなり、風も出てきた。

波も高くなってきている様に感じられる。

「……ふふっ。何処へ行っても、私は招かれざる客のようだな」

義経だけが、自虐的な笑みを零しつつ静かに佇んでいた。


 やがて、船は猛烈な暴風雨に捉われた。まだ陽は高い位置にある筈だが、辺りは夜の様に真っ暗だ。

船よりも遥かに大きな高波が押し寄せ、船体を打ち付けていく。

水夫達は、必死に櫂を操り波に対して船体を垂直に保とうとする。

横腹を打たれては、船は容易く転覆してしまう。

自然の猛威に抗う水夫達の戦いは一昼夜を通して続けられた。


 ようやく嵐が過ぎ去った頃、水夫はその数を半分に減らしていた。

何人もの水夫や乗員達が波に攫われ海原に飲み込まれていくのを目の当たりにしたが、義経達にはどうする事も出来なかった。

落ち着きを取り戻した船内で、水夫の長が義経に向き直り、頭を垂れた。

「申し訳ありません。方角を完全に見失いました。現在、この船がどこに向かっているのか、我らにも見当がつきません」

「……そうか。良い。そなたらのせいでは無い。今は、この窮地を脱する事だけを考えよう」

「……ありがたき幸せ。雲が晴れさえすれば、星の位置をもとに進むべき方角も得られるかと」


 遭難を続け、幾日かが過ぎた。

幸か不幸か、乗組員が半減したため、食料や水の心配は少なかった。

しかし、空一面を覆い続ける雲は、一行を長く悩ませた。

義経らに出来る事は、風に任せ進み行く船に運を委ねる事だけだった。


 船は今日も流されるまま。

食料・水も底が見え始め、乗組員達の不安も募り始めた頃、変化が起こった。

水夫の1人が、遠くの波間に小さく見え隠れする船影を発見したのだった。

思わず歓声をあげ、船影に向かって手を振る乗員達。

向こうもこちらに気付いたのか、進行方向を変え、近付いてくる。


 彼我の距離が20メートルほどまで縮まった頃、経験豊富な壮年の水夫が違和感に眉をひそめる。

商船にしてはやけに小さい。視認出来る向こうの乗組員達は異国の服に身を包んだ屈強の男達。

「海賊だぁっ!」

違和感の正体に気付いた水夫が叫ぶ。その一瞬後。

義経達の乗る船に矢の雨が降り注いだ。


 初手の奇襲で、水夫数名が悲鳴をあげつつ倒れ伏す。その内の何人かは海に転落した。

「乗り込んでくるぞ!皆構えろ!!」

いち早く号令を飛ばす義経。それに反応し、乗員達も武装を整える。

海賊船からこちらの船に橋が架けられ、奇声を発しながら敵が乗り込んできたのはそれとほぼ同時だった。

こちらの戦闘要員と海賊の兵数はほぼ同じ。だが、こちらは長い漂流生活で疲弊が著しい。

乗り切れるか……

義経は苦虫を噛み潰した様に顔をしかめつつも、長年共に死線を潜り抜けた愛刀に手をかけた。


 先頭の男を袈裟切りに沈め、返す刀で続く男の喉を切り裂く。さらに続く者を海に蹴り落とす。

戦端を開く際、先鋒の勝敗が重要になってくる。

両軍の激突する瞬間にどちらの陣営が初めに死者を出すか。

こと少人数同士の短期決戦は、最初の勢いで勝敗が大方決する事も多い。

故に、義経は自ら前曲に出る。

ここは海の上。敗北しても落ち延びる先は無い。敗走は許されないのだ。

壇ノ浦の戦いを経て、船上での戦いは心得ている。地の利はこちらにある。

義経は今一度剣を振るう。自身の存在意義と、少なくなってしまった仲間の存在を再確認する為に。


 最初の攻勢が功を奏したのか、勝負の趨勢はほぼ決しつつあった。

海賊の大半を討ち取り、戦いは既に掃討戦へと移行している。

海賊が架けた橋を逆に利用し、今は相手方の船に乗り込み、戦闘を継続している。

静かになった船内で、ようやく一息つくべく、刀を下ろす義経。

と、その時。柱の影から青龍刀を手にした男が飛び掛ってきた。

疲労もあり、気が緩んだのか、物陰からの凶刃に、義経の反応が僅かに遅れた。

肉と骨を断ち切る嫌な音が鈍く響き渡る。しかし、義経は無事だった。

「兄者ぁーーっ!!」

従者の1人が叫ぶ。振り返った義経が目にしたものは、自身と賊の間に割り込み、青龍刀をその身で受ける仲間の姿であった。

致命傷を負いつつも、最期の力を振り絞り、賊の首に刀を突き立てる従者。

彼は、義経の無事を確認すると、満足したかの様にそのまま息を引き取った。

「……くそっ!」

水夫達に海賊船内の探索を任せ、従者の亡骸をを抱きかかえつつ外に出る。

自身が至らぬばかりに、失う仲間はこれで何人目だ!?

込み上げる激情に身を任せ、周囲への警戒が甘くなったその刹那。さらなる凶刃が義経に迫る。

「殿っ!!」

「!?」

迫る風切り音に気付き、咄嗟に身体を起こすが、わずかに遅かった。

「ぐっ……!!」

周囲の水夫達に衝撃が走る。

義経の首に、矢が刺さっていた。

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