距離
その晩。部屋に戻った俺だったが、志継に声をかけようか迷っていた。ノックすれば、聞ける声。でも、声をかければ聞かずにはいられない。俺は、馬鹿だから。どうしても、苦しんでるとわかったら、猪突猛進に、相手の気持ちも気遣わずに助けたいという気持ちだけが前面に押し出てしまうのだ。
志穂の時もそうだった。茂がいたからどうにかなったものの、危うく拒否されて、それでおしまいだった。
……華菜さんの視線。あれは、志継の件について只事じゃないことを雄弁に物語っていた。わかってしまったからこそ、引き下がれない。
俺は、意を決して壁を叩く。
――トントン――
しかし、その時。志継からノックがあって、俺は一瞬頭の中が真っ白になった。
『由雄くん、いる?』
「あ、ああ」
そのためか、俺の声は少し上ずっていた。
『どうしたの? 何かまずいことあった?』
「い、いや別に」
『ふーん……ま、いっか。ねぇ、今日さ……』
「あ、あのさ! 志継」
『び、びっくりしたー。なに?』
つい、勢いで話を切ってしまったが、どうしよう。聞くか? いや、もう聞くしかないだろう。
「お前が、その、引退する原因になったアレ。本当に事故なのか?」
『……』
「やっぱり、なんか納得できないんだ。上手く説明できないけど、なんか事故にしては、お前の落ち込み具合がひどいっていうか……」
『……気持ちは嬉しいけど、由雄くん、私のこと何も知らないよね? 言葉だけ頼りにしてるんだったら、もしかしたら今までの言葉全部ウソかもしれないよ? 第一、こんな壁越しに話してるだけじゃ、相手の表情もわからないし』
「じゃあ、顔みせろよ」
『嫌』
きっぱりと断られる。明らかな拒否のこもった言葉。上手く情報を聞くことが出来なかった。でも、これではっきりした。
志継は、何か隠してる。
『ごめん、今日はもう寝るね』
「あ、おい……」
志継は、それから何度呼びかけても返答してくれなかった。
――今日の会話から、俺と志継の関係は悪くなってしまった。表面上は向こうが取り繕って、屈託のない会話を続けられたが、いざ本題に入ろうとすると、口も聞いてくれなくなってしまう。そんな冷戦状態に近い状態が続き、季節は夏の始まり、梅雨の時期を迎えていた。
そして、天気まで機嫌を損ねることの多いこの季節のある日……
「おい、志継?」
壁を叩き、呼びかけても、あいつからの返答はなくなってしまった。