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壁越しの二人   作者: 雄たけび巨人
第3章 壁越しの雨音
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弱虫 強くなるために

そっと、胸を撫で下ろした時、凍てつくような視線を感じて、そちらを振り返った。

「……よ、よしお、くん」

 志継さんだった。由雄君の転倒を見て動揺しているのか、その表情は蒼白の極みだった。あたしは、由雄君に駆け寄ろうかどうしようか迷っていると、救護班と思われる人達が由雄くんを担架に乗せて運んで行った。それと、シゲくんが「由雄のことは任せろ」と、言ってくれた。なので、先に志継さんの方を安心させようと思って駆け寄る。

「志継さん、大丈夫ですよ。由雄君なら、あれでも結構丈夫……」

「わた、私のせいで……みんな」

「……?」

 そこで初めて、視線が由雄君を追っていないことに気付いた。その眼は、由雄君じゃない、むしろ今を見ていない。何か、過去の映像と被らせているような……

「せん……ぱい」

 由雄君から聞いた、伊達先輩の事だろうと思った。事故でなくなったという伊達先輩の現場と照らし合わせているのだろうと、感じた。きっと、そうなのだと思って志継さんの表情を伺うと……

「せん……ぱ……い」

 その表情は、人の死を悼むようなそんな悲しみの色を確かに表していたが、それ以上に志継さんの表情を“恐怖”に近い感情で支配していた。

「さおり……せんぱい」

「え?」

 思わず、あたしは聞き返してしまった。あたしの知らない名前だったからだ。しかし、悠長に考えに浸っている時間はなかった。


「いやぁぁぁぁぁあぁぁ‼」

 

 志継さんが……壊れた。

「ま、待って‼ 志継さん」

 あたしは、急ぎ追いかける。だけど、そこはやはり少し前まで現役で走っていただけある。文科系のあたしとは、走力は雲泥の差だった。

「くっ‼」

 それでも、ここで放っておいてはいけない。そんな予感がした。志継さんをこのままにしてしまったら、あたしは大好きな人の笑顔を永遠に失ってしまいそうな、そんな気がして仕方なかった。

「志継さん‼ 待って‼」

 だから、あたしは気力で走った。

 そこで、志継さんは、路面に足を滑らせ、目の前で派手に転んでみせた。運が良い……と言っては、失礼だけど、でもこれで助かった。

 無理に捕まえなくても良い状況になったので、あたしは志継さんのすぐ傍まで駆け寄ると、息を切らしながらも言葉を投げかける。

「はぁっ……はぁっ……志継さん、どうして?」

「……」

「いったい、なにがあったんですか? 確かに、由雄君が目の前で倒れてショックなのはあたしも一緒です。だけど、レース中の事故じゃないですか。どう見ても、志継さんは今日のこととは、別のことで苦しんでる」

「……」

「話してください。まだ、隠してることがあるんでしょ? 由雄君からは、志継さんが慕っている先輩を事故で亡くして、ひどく落ち込んでるって聞いてます」

「……」

「それだけじゃないですよね? ほかにも何かありましたよね? じゃなければ、おかしい。腑に落ちな……」

「うるさい」

「え?」

「うるさい……あなたに何がわかるのよ。私の苦しみの全てを、あなたは理解できるっていうの? できないでしょ? だって、たかだかこの前あったばかりだもんね」

「……」

「放っておいてよ。私に関わっても良いことない。だったら、みんな私に関わらないでよ。もう一人にしてよ。もう……」

「……」

「もう……こんなところにいたくないの‼ 早くわたしをあっちに連れてってよ‼」

 こんなところ。という言葉に背筋がゾクッとした。やっぱり、予想した通りだった。あたしは、絶対に離しちゃいけないと確信して、今度は志継さんを掴みにかかろうと近づく。

「志継さん、とりあえず今は落ち着こう。ね?」

 だけど、そんな言葉は彼女に届いていないようだ。あたしは、思い切り左頬を叩かれた。辺りに甲高い音と、じんわりと頬が痛くなる感じを覚えた。

「近寄るな……嘘つき。どうせ、助けてくれないくせに」

 そう言って、志継さんはゆっくりと立ち上がった。誰に対する言葉なのか、あたしには分からなかった。だけど、彼女の言葉にただただ立ち尽くすしかなかった。弱虫なあたしが、出てきてしまう。だめ。

「泣けば許されると思ってるの? 中途半端なことするから、そうなるのよ」

 だめだ。もう、志継さんの顔が直視できない。怖い。怖いよ……

「し、しの……」

――パーン――

その時、甲高い音が近くで鳴り響いた。志継さんの左頬が赤くなっていた。そこには、私の知らない人がいた。

「……ゆ、り?」

『ゆり』と呼ばれたその人は、眼に一杯涙を溜めて志継さんを睨んでいた。

「……やめてよ。なんで関係ない人を責めるの。志継が悲しいからって、悲しくてたまらないからって、そんなのひどいよ……間違ってるよ」

一言一言ゆっくりと、『ゆり』さんは言い終えると、振り上げた右手を下した。そして、近くにもう一人。髪を茶髪に染めた女の子がいることに気付いた。

「志継、やっぱり何も解決してなかったんだね」

この一言に、志継さんは濁った眼に微笑を浮かべて反論する。

「そ……そんなことないよ。私は平気だよ」

「平気な表情(かお)してない‼ それに、だったらなんでこの子まで責めるの⁉  八つ当たりじゃない。私たちの知ってる志継は、そんなことしなかった」

「それは…」

「ねぇ。なんで、言ってくれないの? 私達、友達でしょ?」

『ゆり』さんは、志継さんの肩をつかみ、詰め寄る。

「ねぇ‼ 志継に起こったこと、全部隠さず話して! 伊達先輩のことも、二階堂先輩のことも、全部話して。お願い。志継の口から聞きたいの」

「え…誰からそれを」

「近藤先生と、円先輩だよ」

「………志穂ちゃん、由雄君からはどこまで聞いてるの」

 今にも消え入りそうな声を、あたしは必死にとらえる。泣きじゃくりながらだったから、慎重に声を発する。

「さっき言った通りです。大好きだった先輩を事故で亡くした。そこまでしか、聞いてません」

「⁉ 」

 そこで、驚きの表情を浮かべたのは、ゆりさんともう一人だった。

「ただ、そのことを教えてくれた日から、今まで以上にキツイ練習に取り組むようになって。正直なところ、今日の記録会は初めから心配でした。だけど、『笑顔になってほしいやつがいるから』なんて言われたら、ただただ見守るしかなくて」

 あたしのその言葉に、その場の全員が黙っていた。小雨の降るこの場で、頬を伝う滴はその場のみんなが泣いてるかのように演出していた。

「やっぱり、私はいちゃいけないみたい」

 そう言って志継さんは、急に走り出す。今度は、迷いのない。だから、今度こそ追いつけない。もちろん、あたしも駆け出した。でも、やっぱりあのスピードには敵わなかった。

「どうして……志継さん」

 その場に座り込み、あたしは涙を流す。『笑顔にしたい人』なんて、そんなのもうわかりきってる。だから、はじめから心配だったのは、由雄君のことだけじゃなかったんだよ。

 そうして、泣き崩れていると、先ほどの茶髪の女性があたしの肩にそっと触れた。

「とりあえず、今は病院に行きましょ。私たちも後から、向かいます。今はまだ、大丈夫だと思います。それに……」

「……?」

「話しておきたいことがあります」

「華菜⁉ 」

 そこで、かなさんは、ゆりさんに向き直り、首を横に振る。

「もう……だめだよ。きっと、一番気持ちがわかるのは志穂さんだけ。だから、話そう? 全部話して、もう一回志継を説得してもらうしかないよ」

そう言って、あたしの手をとり、競技場の方へ促す。あたしは、ふらふらと歩きだし、応急処置の行われている処置室へと向かう。そこでは、由雄君が横になっていた。シゲくんの話だと、応急処置も済んだようで、あと5分もすれば救急車が来る。シゲくんには、頬が赤く腫れてることを心配されたが、あたしは今それどころではなかった。

由雄くんの表情は意識が清明でないながらも、苦しそうだ。すぐ傍にまで行きたい。その気持ちをグッと我慢するために、自分の腕を強く掴む。

そんな時に。

「貸す」

シゲくんが、自身の手を差し出す。あたしはしばらく茫然としていたが、甘えることにした。

そっと、遠慮がちにシゲくんの左手を握る。あたしは、右利きだからシゲくんは痛がるかな、とかでも男の子だから大丈夫だよねなどと考えていた。

また、泣き出しそうだった。

そんなあたしをシゲくんが見ていた気がした。

ありがとう。シゲくん。

でも、もう、泣いちゃいけない。

あたしは、大事な役目をあの二人から任せれた。

それに、あの時約束したもんね。

だから、頑張らないと。

だから、今この時だけでも強くならないと。

「……」

時間が経つ内に、救急車が来たようで、監督さんがあたし達に駆けよってくる。簡単な事情を説明され、同伴して欲しいとのことだったので、あたしとシゲくんは、そのまま救急車に乗り込んだ。

――救急車の中。

不安が拭いきれないあたしは、病院に着くまでの間、ずっとシゲくんの手を握りしめていた。由雄くんの呼吸は非常に荒い。

そんな時、酸素マスクを着けている由雄くんの口から声が漏れだす。

「……し……」

何事かと思い、あたしはさらに由雄くんの傍まで顔を近づける。

微かな声が連続して続いている。

「………………………………………………………………………………」

「……」

聞こえたのは、あたしにとって最も残酷な言葉だった。

覚悟はしていたけど、それでも動揺は隠せない。

シゲくんの手を、あたしは一層強く握っていた。

もう、シゲくんの手は赤から青色になっていた。

それでも、シゲくんは表情を変えない。

それでも、あたしの動揺は治まらない。


そんなあたしを、シゲくんはずっと見ていてくれた。

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